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第5話:愛の信徒たるラミア


 ライトとホタルは、昨日の食堂へとやってきた。

 この港町の風景はどこもかしこも白い壁ばかりで迷いやすいが、ここへは海を目指して大通りを進めばいいだけなので、案内が無くても簡単だ。

 店の扉を開けると、熊獣人の女将が二人を出迎えてくれた。


「いらっしゃい! あら、アンタ、昨日も来てくれた人間さんねぇ!

 あの嬢ちゃんは一緒じゃないのかい?」


 どうやら、女将にも霊体化したホタルの姿は見えないようだ。

 ライトは手にしたカンテラを掲げて、「一緒にいるよ」と女将に答えた。

 女将が少し気の毒そうな顔になる。

 彼女には、ライトが消えた仲間の遺品を抱えて、思い出の地を巡っているように見えてしまったのだろう。


「⋯⋯こんな状態ですまない、女将。

 魔力が枯渇していてね。今は実体を保てないんだ」

「うわ! びっくりしたねぇ! アンタ、幽霊か何かだったのかい!?

 まるで気がつかなかったよ。でも、無事で良かったねぇ!」


 ホタルの声に、女将が苦笑しながら答える。

 女将は二人を窓際の席に案内し、ライトにメニューを手渡した。

 ライトは椅子に座って、テーブルの上にカンテラを置く。


「⋯⋯ホタルさん、今の状態だと物に触れないんですか?」

「そうだね。今は実体が無いから、すり抜けてしまうね」

「へぇー⋯⋯。あっ、じゃあ今、立ちっぱなしじゃないですか!」


 ライトは慌てて立ち上がり、ホタルの席の椅子を引き出す。

 物体に触れられないのだから座れもしないだろうけど、そこは気分の問題だ。

 目の前の椅子に、人の座れるだけの空間が無いと、ホタルが存在していないみたいでライトには嫌だった。

 ホタルは微笑みながら、ライトが動かした椅子に座った。


「ふふ、ありがとう。注文はどうする?」

「うーん⋯⋯。今日は、魚のフライサンドにしようかな⋯⋯」

「サラダやスープは?」

「この店のスープ、なんか割高な気がするんですけど⋯⋯。

 大鍋で出てくるんじゃないですか?」

「正解。君はなかなか察しが良いね。

 ⋯⋯で、どうする? 頼むかい?」

「今回は遠慮しておきます」


 ライトは女将に声をかけ、注文を伝えた。

 今日の店内は混んでいるので、完成まで少し時間が掛かりそうだ。

 ライトは頬杖をついて、ホタルがいるだろう場所を見つめた。


「⋯⋯ホタルさん。魔力の回復には、どれくらい掛かりそうですか?」

「ここでの食事で、実体化までなら出来ると思うよ。

 戦闘や次元移動が出来るようになるまでは、残念だけど、もう少し掛かるね」

「そうですか。⋯⋯ちなみに路銀は?」


 ノクタリオのせいで、ライトとホタルは着の身着のままの状態で連れ出され、転移事故でこの町まで来た。

 ライトのリュックには財布も入っているが、人間の国のお金は魔界じゃ円安だ。

 ホタルは所持金を思い浮かべて、顔を暗くした。


「⋯⋯三日分の食費と宿代くらいならあるよ。

 ただ、私の家まで帰るには少し心許ないね⋯⋯」

「この町で何か仕事を探すか、魔獣を狩って稼がなくちゃいけませんね」

「路銀に関しては、後で私の知り合いを頼ってみよう。

 ⋯⋯ノクタリオにも、次の調査が遅れる報告をしないとな。となると、アレが必要になるから⋯⋯」


 ホタルがぶつぶつと呟きながら、今後の予定を考えている。

 ライトは思考の邪魔をしないように、黙って窓のほうを見た。

 よく晴れた青空の下に、紫がかった魔界の海が広がっている。

 港には商船らしき大型の船が泊まっており、船員が木箱を運んでいた。


「⋯⋯魔界の海には、妖精さんはいるのかな⋯⋯」


 ライトは呟く。

 今まで目的にしていた「あの人」との再会は果たされたけど、それはそれだ。

 ライトは妖精という存在が、ただ好きだった。意味は無くとも、なんとなく探したい。

 魔界の海を見つめながら、ライトは新しい妖精と出会う未来を想像していた。


「すみません。相席、よろしいですか?」


 不意に誰かが話しかけてくる。

 ライトは問いかけを無視して窓の外を見つめ続ける。

 頭の中が妖精のことでいっぱいなのだ。今のライトには、人の声は聞こえていない。

 ホタルが苦笑しながら席を立ち、声の主へと答えを返した。


「相席だね。いいよ。ここに座ってくれ」

「ありがとうございます。それでは⋯⋯」


 声の主、壮年の男性がホタルに譲られた椅子へと座った。

 白いローブを纏った上品な出で立ちの男だ。

 長い尾が邪魔にならないようにグルグルと椅子に巻きつけて、爽やかな笑みを浮かべている。

 ライトはようやく男の存在に気がついて、


「うわっ! ラミア!!」


 思わず肩が跳ねてしまった。

 ラミアとは、上半身が人間で、下半身が蛇の種族だ。

 男性の場合はナーガと呼び分けられる場合もあるが、性別を見分けるのが面倒なので、ライトは一律ラミア呼びだ。

 魔界では、ラミアも町中で普通に暮らしているような種族なのだろう。

 しかし、ライトにとっては、ダンジョン攻略で散々苦しめられてきた相手である。

 ライトの指先が、反射的に短剣の柄へと掛けられた。

 無礼な反応をしたライトに、ラミアの男は笑いながら鷹揚に頷いてみせた。


「いかにも、拙僧はラミアです。そちらは冒険者のようですな」

「わぁ、喋ってる⋯⋯。人間の言葉だ⋯⋯」


 ライトが今まで出会ってきたラミアは、迷宮暮らしで人里に出てくることは無かった。

 それゆえに、仲間内だけで通じる独自の言語の発展が凄まじく、会話も不可能だったのだ。

 ライトは短剣から手を離して、まじまじと男を見つめた。


「人間の言葉くらい喋れますとも!

 なんと言っても拙僧は、愛の神マウラ様の信徒、カリバリ=ラオ・ヘルムスですからな!」


 カリバリが洗礼名を名乗りながら、えへんと胸を張る。

 神への信仰は、基本的には人間特有の習慣で、獣人や魔族が行うことはほとんど無い。

 教典の中に、彼らを異端と決めつけて排斥を促す文章がチラホラ登場するせいだ。


「ラミア族でも神官になれるだなんて、そのナントカって神様は寛容なんだなぁ⋯⋯」

「ええ! とても慈悲深く、愛情に満ちておられる御方です!

 私はマウラ様の教えを広めるべく、宣教師として旅をしておるのです!」

「布教も良いけど、注文もしとくれよ、お客さん!」


 料理を運んできた女将が、カリバリに言う。

 カリバリは爽やかに笑いながら、ようやくメニューを手に取った。

 女将はライトの前にサンドイッチの皿を置き、少し離して懐石の入ったバケツも並べた。


「はい、おまちどう!」

「ありがとう、女将さん。──いただきます」


 ライトは手を合わせ、魚のフライサンドを手に取る。

 硬めに焼かれたパンに、レタスと魚のフライが挟まれているシンプルなサンドイッチだ。

 ソースが何かは、ライトには正直よくわからないが、味は間違いなく美味しい。

 ホタルは微笑ましげにライトの食べる姿を見つめていた。


「美味しいかい、ライト?」

「はい。⋯⋯あ! ホタルさんも、ちゃんと食べないとダメですよ!」

「ふふふ、そうだね。食事の邪魔をして申し訳ないが⋯⋯。

 そのバケツを床に降ろしてもらえないかな、ライト?」


 両腕の無いホタルでは、懐石に手を伸ばすことは出来ない。

 バケツは石に込められた魔力が抜けにくいように加工されており、霊体ですり抜けるのが難しい素材だ。

 ライトは、慌ててサンドイッチを皿に置いた。

 今のホタルには、物を浮かせる飛翔術が使えないため、手伝いがいることを忘れていたのだ。

 ライトはホタルのために、急いでバケツを床へと置いた。


「これで大丈夫ですか?」

「ああ。ありがとう、ライト」

「どういたしまして。今日は妖精も探しませんし、ゆっくり食べてていいですよ」

「ふふふ。本当にキミは⋯⋯」


 ホタルは楽しげに微笑んだ。

 ライトは、ホタルが本当に食事をしているか確かめるように、じっとバケツを見つめている。

 霊体は見えないが、関係ない。

 ホタルは片足を持ち上げて、霊体のカカトでブーツを小突く。

 長旅用のブーツが素肌へ吸収されるかのように消えていき、ホタルの生足が現れる。

 こちらのほうが、魔力の補給がやりやすいのだ。

 ホタルはバケツに足のつま先を入れて、魔力の熱を感じながら、ライトのほうを見た。


「ほら。私もちゃんと食べているから、キミもご飯を食べなさい」

「はーい」


 ホタルに言われ、ライトは再びサンドイッチにかぶりついた。

 料理の注文を終えたカリバリが、興味深そうにバケツのほうを見る。


「⋯⋯ふぅむ? そこにいる御仁は、冒険者さんの奥方ですかな?」

「いいや、違うよ。私は彼の家族では無い」

「おお、それは良い! 実に素晴らしい!」


 カリバリが嬉しそうに尾の先を揺らす。


「それでこそ、布教のしがいがあると言うものです!

 どうですか、お二人とも! 愛の神マウラ様の祝福を受けながら、結婚式なぞ挙げてみませんか!?」


 興奮した様子で、カリバリは神の教義らしい言葉を早口で捲し立てている。

 愛は素晴らしい、人類は皆家族、愛し合う者たちは結婚するべき──。

 熱意に満ちた弁舌に、ライトはハッと思い出した。


「あーッ! マウラってアレか!

 パーティクラッシャーの総本山!!」

「どうかしたのかい、ライト⋯⋯?」

「はい! この人、ヤバい人です!」


 ライトはカリバリを指差して言った。

 愛の神マウラは、婚姻と繁殖を司る神だ。

 三大欲求のひとつを担当しているために、信仰や影響力は大きいが、教義を曲解した迷惑な異端者の数も底知れない。


「冒険者パーティに入れてしまったら最後!

 結婚を迫られ続けてノイローゼだとか、無理やり子供を⋯⋯なんて被害が多いんです!!」

「被害だなんて、何を仰ってるんですか。

 婚姻はマウラ様が人類を愛してくださっている証なのですよ。

 こんなに素晴らしいことはありません!」

「ほら狂信者だ!!」


 人外の神官なんて珍しいと思ったが、異端の教派なら納得だ。

 マウラ異端派は、「異種族同士でも愛があれば結婚はオッケー! むしろ、愛が無くても、誰とでも今すぐに結婚しなさい!」と押しつけてくる集団なのだ。

 例えパーティに加えなくても、カリバリのように騒がしいので、面倒な存在だと思われている。

 ライトも以前、妖精探しの途中で無理やり腕を掴まれて、長々と話を聞かされ続けた。

 はっきり言って、ライトはマウラ異端派が嫌いだ。

 信仰の形は自由であるべきだとは思うが、実害が出てるので好きになれない。


「⋯⋯私は、天界におわす神々に詳しくは無いのだが⋯⋯。

 マウラというのは、子孫繁栄の神なのかい?」

「いや、興味持たないでくださいよ、ホタルさん!」


 ライトは叫んだ。そんな質問をしてしまったら、ややこしくて長い話を聞かされてしまう。

 カリバリのほうを見てみれば、キラキラと瞳を輝かせながら、拳を熱く握り締めていた。


「そうです! 我等が偉大なるマウラ様は、子作り、安産、次世代の健やかなる性徴も手広く加護してくださいます!!」

「精霊やゾンビ族のように、繁殖の概念が無いような種族は?

 彼等にも結婚を勧めるのかい?」

「それは勿論!! 繁殖というのは、新たな愛を生み出す手段に過ぎません!

 人類が皆、婚姻を結んで、この世が愛で満たされるよう導いてやるのが、我々の尊き使命なのです!!」


 女将が料理を運んできても、カリバリは熱く語り続ける。

 ライトは溜め息を吐いて、サンドイッチの残りをかじった。

 姿は見えないけど、ホタルさん、楽しそうな顔してるんだろうな。

 だって嫌そうな声じゃないもんな。

 モヤモヤとした感情を抱きながら、ライトは無言で食事を飲み込む。


「どうですか、透明な冒険者さん!

 愛の神マウラ様の教えに従い、拙僧と婚姻を結ばれてみては!」

「ふふふ。悪いけど、私には神の教えは必要無いよ。私は子羊じゃないからね」

「それは残念! 改宗なされたら、いつでもお声掛けください!!」

「⋯⋯宣教師というのは、まるで悪魔たちみたいに押しが強いものなんだね」


 ホタルが苦笑する。

 彼女はバケツから足を引き抜いて、ブーツを履き直した。

 目を閉じて、実体化の魔法を紡ぐ。

 透明だった霊体が鮮やかに色づいて、緩やかにうねっていた髪の先が風で小さく揺れた。

 ホタルはライトを見下ろして、足のつま先で軽く床板を鳴らす。


「食べ終わったようだし、行こうか、ライト」

「はい。──ごちそうさまでした!」

「ごちそうさまでした」


 ライトは空になった皿の前で手を合わせる。

 女将に代金を支払って、二人は店の外へ出た。


「この後は、ホタルさんの知り合いに会いに行くんですよね」

「ああ。町外れにある道具屋だ」

「それじゃあ──」


 ライトはホタルの手袋を握ろうと手を差し出して、何も無い虚空で動きを止めた。

 今のホタルは、ほとんど魔法が使えないため、両腕代わりの手袋もマントの中に仕舞われている。

 ホタルが、申し訳なさそうな顔になる。


「⋯⋯すまない。飛翔術はまだ使えなくてな」

「い、いえ⋯⋯。気にしないでください。

 別に手なんか繋がなくても、子供じゃないから大丈夫ですよ」

「⋯⋯そうだね。それじゃあ、ついてきてくれ」


 ホタルが道を歩き始める。

 ライトは彼女の隣に並んで、町の外れへと歩いていった。

 町の端のほうまで来ると、綺麗に整備されていた石畳がぶつりと途切れて、土の道へと切り替わる。

 建物も急に無くなって、まばらに数件見える程度だ。


「これから行くとこ、道具屋ですよね?

 なんでこんな、人が住んでなさそうなところに?」

「本業が迷宮職人だからだよ。

 メンテナンスのために、迷宮の近くに住んでるんだ」

「迷宮職人⋯⋯ってことは、その人もアドバイスの依頼者なんですか?」

「察しが良いね。その通りだよ」


 ホタルとライトは、悪魔が作った人工迷宮の改善点を考える「迷宮アドバイザー」の仕事をしている。

 とはいえ、現在はホタルが魔法を使えないため、迷宮調査へ行くのは無理だ。

 戦えない者を庇いながら攻略するなんて、護衛クエストはライトには荷が重い。


「⋯⋯路銀を何とかしてもらう、って話でしたけど、もしかして迷宮に行くんですか?」

「うーん、どうかな。そこは彼女の気分次第だ。

 店番やハウスキーパーとして雇ってくれれば良いんだが⋯⋯」

「道具屋の店番かぁ⋯⋯。なんか退屈そうだなぁ⋯⋯」


 ライトはポリポリと頭を掻いた。

 この辺りはもう、町外れの中でも端の端だ。

 周囲は長閑な草原地帯。左手には穏やかな海。

 あたたかな日差しが心地良く、旅人とすれ違うことも無い。

 こんな場所にある店ならば、それほど忙しくないだろう。


「⋯⋯ボク、お店の中にいるよりも、外に出て妖精さんを探す仕事のほうがいいです」

「それは、確かに退屈のしようが無さそうな仕事だ」


 ホタルは楽しげに微笑んだ。

 目的地の道具屋は、もうすぐそこまで迫っている。

 自宅と工房が一緒になった巨大な建物だ。

 屋根を突き破って伸びている大樹に、道具屋の旗が吊るされている。


「さあ、着いたよ、ライト」

「ここが、迷宮職人の道具屋⋯⋯」


 ライトは店のドアを見つめた。

 無骨でシンプルな木製のドアだ。店内の様子が窺えるような窓なども無い。

 ライトはそっとドアノブを捻って、店の中へと足を進めた。


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