第19話:お狐様からのSOS
今日のお昼は、手のひらサイズのパイだった。
サクサクに焼かれた長方形のパイが、箱の中に整列している。
具材は何種類かあるようで、次から次へと手が伸びてしまう絶品だ。
テーブルの上では、プラムが紫色の魔石に座ってのんびりと魔力を吸収していた。
ライトは新しいパイを手に取ってかぶりつく。
ミートソースとチーズのパイだ。肉の旨味にチーズのコクが合わさって美味しい。
笑顔でパイを頬張るライトに、ホタルが嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ。美味しそうで何よりだ」
「はい、とても美味しいです!
⋯⋯そう言えば、ホタルさんは実体化してるけど、料理は食べられないんですか?」
「食べられないことはないが⋯⋯。
消化器官は動かないからね、魔力変換の魔法で分解していくことになる。
そうなると、魔法で多くの魔力を消費してしまうから、食べても非効率的なんだ」
ホタルの手袋が、チョークボードに林檎と魔石の絵を描きながら説明をする。
ライトは疑問を口に出した。
「それじゃあ、味覚も無いんですか?」
「そうだね。少なくとも、生身の人間と同じ感じ方ではない筈だ。
魔力の属性や濃淡は感じられるから、私にとっては、それが味や香りの指標になっているよ」
「そこは、悪魔とも同じなんですね」
「私は、仮にキミの魔力がいくら美味しそうに見えたとしても、無理やり奪うだなんて真似はしないけどね」
ホタルがにっこりと微笑む。
⋯⋯言外に、粗野で下劣な連中と一緒にしないでくれたまえよ、と釘を刺されたような気がした。
「知ってますよ。ホタルさん、とっても優しいですから」
ライトも微笑みを返す。
話の切れ目に、パイをまたひとつ。今度のは魚とほうれん草のクリーム煮だ。
ホタルは味覚が無い筈なのに、どうしてこんなに美味しいものを的確に買ってこられるのだろう。
⋯⋯ボクを喜ばせるために、情報収集とかしてるのかな。
ライトはちょっと心の中がむず痒くなった。
ホタルへの尊敬と遠慮が入り混じる。
ボクのために、無理して頑張らなくてもいいのに、という一言は、パイと一緒に呑み込まれた。
「こんにちはー! 郵便ですよー!」
不意に、玄関のほうから声がする。
ホタルがテーブルに魔石を置いて立ち上がった。
宙に浮いた手袋が、キミは食事を続けてくれ、と手のひらを向けながら示す。
ホタルはそのまま、郵便を受け取りにいってしまった。
ライトはパイをかじりながら、玄関のほうへと聞き耳を立てる。
明るい女性の声がハキハキと用件を伝えていた。
「こちら、ホタルさんのお宅で間違いありませんでしょーかっ?」
「ああ、間違っていないよ」
「ではでは! こちら、ネスカさんからの速達です! 確かにお届けしましたよ!」
「⋯⋯確かに。いつもありがとう」
「はーい! それでは、失礼しまーす!」
バサバサ、と何かが飛び立っていく音がした。
受け取ったばかりの封筒を手袋に持って、ホタルが食堂へ戻ってくる。
彼女は席に着きながら、飛翔術で器用に封筒の端を破った。
「どちら様からのお手紙ですか?」
「迷宮職人の一人だよ。速達なんて珍しいけど⋯⋯、ああ、やっぱり。
迷宮でトラブルが起きたから、すぐ来て欲しいって」
「⋯⋯それって、迷宮アドバイザーに頼むことなんですか?」
ライトは尋ねた。
迷宮の中で起きそうなトラブルと言えば、「迷路の壁が壊れた」だとか、「火災でギミックが全焼した」だとか、そういったものになりそうだが⋯⋯。
アドバイザーをわざわざ呼び出す必要がどこにあるのだろう?
ホタルは手紙を読み進めながら、質問に答える。
「ネスカ──、この手紙を送ってきた職人の迷宮は、彼女が作り出した異空間の中にあるんだ。
けれど、間違って空間内の設定を壊してしまったらしくてね。
元通りにするために、迷宮の内部を覚えていそうな私に来てもらいたいらしい」
「⋯⋯それじゃ、ボクはまた留守番ですか?」
「いや。良い機会だから、キミも一緒に着いてきてくれ。
ネスカへの顔見せをしておきたいし、迷宮に欠陥が出来ていないかを確認する目は多いほうが良い」
「了解です。それじゃ、すぐに用意します」
ライトは最後のパイを口の中に押し込んで、お茶で一気に流し込んだ。
立ち上がったライトに、プラムがふよふよと飛んでくる。
ライトはバタバタと自室へ戻り、冒険道具の詰まったリュックを素早く背負った。
廊下に出ると、ホタルが玄関の扉を開けて待っているのが目に入る。
ライトは狭い廊下を軽やかに駆け抜け、彼女の隣へと立った。
いつも通り、次元移動を安定して行えるポイントまで二人で並んで歩いていく。
「異空間の迷宮には、妖精さんはいるんですか?」
「自然発生はしないだろうけど、どこかから迷い込んでいる可能性はあるかもね」
「本当ですか!? やった!
仕事が終わったら、一緒に妖精さんを探しましょうね、ホタルさん!」
「ふふふ、いいよ。ライトの誘いなら、喜んで。
でも、まずは仕事をしっかりと、ね」
ホタルがウインクを飛ばす。
ライトは文句を言うことなく、「はーい!」と元気良く頷いた。
すっかり見慣れた遺跡まで、何事もなく辿り着き、次元移動の炎が燃える。
火の粉が消えると同時に、ライトの瞳に映ったのは、混沌とした空間だった。
火山と森と川と雪山と花畑が、デタラメに配置されている。
子供が一枚の紙の中に、頑張って好きなものを詰め込んで描き上げたかのような、まとまりの無さだ。
ぐちゃぐちゃに風景が混ざり合い、数歩ごとに土質が変わる。
森と川が重なった場所は水没林へと姿を変え、その一方で、溶岩の池に雪だるまたちが溶けることなく浸かっていた。
ライトたちが立っているのは、乾いた荒野の土の上だ。
吹雪の吹き荒ぶ花畑では、小さなスライムたちが身を寄せ合って凍えている。
「⋯⋯迷宮のトラブルって、これですか?」
ライトはホタルの顔を見上げる。
ホタルはまるで、よくあることだとでも言うかのように平然としていた。
「ライトは、異空間系の迷宮を見るのは初めてかい?」
「はい。人間界だと、空間系の魔法がそもそも使いづらいそうなので⋯⋯。
吟遊詩人の唄とかで聞いたことはあるんですけど⋯⋯」
ライトは改めて迷宮を見回す。
人間界では、膨大な魔力を注ぎ込んで異空間を作り出すよりも、冒険者の体を縮めて箱庭に放り込んだほうが遥かに楽だとされている。
「異空間だと、こういう滅茶苦茶な環境設定にも出来るんですね」
「そうだね。ネスカからすれば、こんな風景になったのは不服だろうけど」
「そう言えば、作者の人はどこに?」
「魔力が近づいてきてるから、そろそろ顔を出すと思うよ」
ホタルの手袋が地面を指差す。
ぼこり、と土が盛り上がって、地中から何かが飛び出してきた。
「とぉーう!!」
勢い良く宙に舞い上がった生き物が、くるくると回転して地上に降り立つ。
柔らかな毛皮に覆われた肢体。
頭の上には大きな三角形の耳があり、くりくりとした丸い瞳が前を見据える。
一言で表すなら、小型の狐獣人だ。
小柄なライトと同じくらいの身長で、手足はすらりと細長い。
全身の毛は全体的に白っぽく、ふっくらとした薄茶色の尾の先端だけが黒かった。
服装は、活発な町娘そのもの。
ラフに着崩したカッターシャツとミニスカート。腰にはカーディガンを巻いている。
狐獣人は朗らかに笑って、ホタルに駆け寄ってきた。
「ホタっち~! 来てくれてありがと~!」
「やあ、ネスカ。随分と苦労してるみたいだね」
「そう~! なんか調子が悪かったからカンシス再起動しようとしたらさ~!
なんでか初期化されちゃって、あーしもチビちゃんたちもウオーウオーだよ~!」
「それを言うなら、『右往左往』だね」
ホタルがやんわりと訂正を挟む。
ネスカはケラケラと笑いながら、頭を掻いた。
「あー、そうなん~? でも、ホタっちが来てくれたから、あーし、もう元気百万倍~!
さっそくマナゲージ見て──って、ありゃあ? そっちの子は⋯⋯?」
ネスカの瞳がライトへ向いた。
彼女は興味津々と言った様子でライトの顔を覗き込んできた。
ふわふわの毛で覆われた手のひらがライトの頬に添えられて、ぐっと顔を近づけられる。
毛皮から、ほのかに花のような香りがした。
ネスカが弾んだ声で言う。
「え~! ちっちゃ~い! かわい~! ホタっちの弟~?」
「違うよ。彼の名前はライト。
私と共に迷宮アドバイザーの仕事をしてくれている、大切な仲間だ」
「そーなんだー! はじめまして~! 迷宮職人のネスカでーす!
よろしくね~、ライトっち~!」
ネスカがライトの手を勝手に握って、ぶんぶんと上下に振ってくる。
ライトは少し気圧されながらも、「よろしく」と挨拶を返した。
なんとも元気な獣人だ。こういう相手は、ライトはあまり得意ではない。
ホタルが場を仕切り直すかのように、こほん!と大きな咳払いをした。
「それで、ネスカ。迷宮の環境設定は、どんな様子だい?」
「あー、それね。とりまカンシスの画面見てー」
ネスカがポケットから魔道具を取り出す。
細長い板にスイッチが並んだ魔道具だ。
ネスカは手慣れた様子でスイッチをポチポチと操作する。
空中に魔力光が広がって、迷宮の立体模型とパラメーターが表示された。
ホタルは数値をじっと見つめて、ネスカに言う。
「管理システムの操作権を一時的に貸与してくれ。私が設定を復元してみる」
「りょ~!」
「⋯⋯よし。では、まずはココをこうして⋯⋯」
ホタルが立体映像に手袋を突っ込んで、指先でくるくると搔き混ぜる。
その動きに呼応して、足下の荒野が絵の具を筆で伸ばすかのように広がり始めた。
周囲の雪原や花畑が乾いた大地に置き換わっていき、この先に生えていた木々も魔力の粒へと解体されて消えていく。
あっという間に、迷宮の内部は一面の乾燥地帯へと姿を変えた。
「ここからここまでは、砂地だったな。確か、これくらいの属性値で⋯⋯」
ホタルが記憶を手繰りながら、立体模型の表面を撫でる。
ひび割れた大地がサラサラと細かな砂に砕かれていき、ライトの足がずむりと沈んだ。
「うわっ!」
突然の変化に、ライトは反射的に飛び退こうとした。
しかし、砂が両足にまとわりついて、思ったようには跳べなかった。
ぐらりと体勢が崩れ、慌てて前方に重心を運ぶが、今度は勢いがつき過ぎて、そのまま体が倒れていく。
ライトの視界が、目の前に立っていたネスカの毛皮でいっぱいになった。
ばすん、と柔らかな毛皮が顔面を包み込む。
「おっと! だいじょーぶ、ライトっち?」
転びそうになったライトを、ネスカは抱き締めるような形で受け止めてくれた。
細い腕が、ぎゅっとライトの背中に回されている。
首元の毛が顔に当たってこそばゆい。
体格は同じくらいだったとは言え、ぶつかられても倒れないとは、足腰が強い。
「びっくりしたねー? 急に足場がやわくなっちゃったんだもんねー?」
よしよしと幼児をあやすのと同じ手つきで、ネスカがライトの頭を撫でる。
ライトは小柄なため、子供だと思われることは何度もあったが、幼児扱いは流石に嫌だ。
ライトは酷く渋い顔つきで、ネスカの腕を掴んで止める。
「⋯⋯離せ、ネスカ」
「ん~? ライトっち、もしかして、こういうの恥ずかしがっちゃうお年頃~?
や~ん、マセちゃって! かわい~!」
ネスカの声に、ゆらゆらとホタルのカンテラの炎が揺れる。
ライトの位置からは見えなかったが、不機嫌そうに、炎の先端が枝分かれする。
ホタルの魔力が、微かに魔除けの属性を強めて、白い髪が威嚇するように淡く光った。
普段よりも棘のあるホタルの視線がネスカを貫く。
「ネスカ。キミも手伝ってくれ。ここはキミの迷宮なんだから」
「ありゃりゃ? なんだよー、ホタっち。毛先をピカピカさせちゃって~。
なーにイライラしてんの、もー。ちゃんと手伝うから怒んなって~」
ネスカがライトを解放し、笑いながらホタルの手元を覗き込む。
その隙に、ライトはそっとネスカから距離を取った。
服に着いた白毛を取り除きながら、溜め息を吐く。やっぱり、ああいう相手は苦手だ。
ライトの心境などお構いなしに、ネスカは笑いながら声を掛けてくる。
「あっ、そうだ。ライトっち~、そこのチビちゃんたちをオアシスんとこまで運んでくんね~?
あーしとホタっちでギミック再建してっから。よろ~!」
ネスカが砂漠の真ん中で溶けかけているスライムを指差す。
ホタルはオアシスとライトの顔を交互に見てから、「任せたよ、ライト」と頷いた。
ホタルの手袋が管理システムの画面をつついて、シャベルと猫車を作り出す。
「わかりました。行ってきます」
「気をつけてね」
ライトは猫車にシャベルを載せて、スライムたちのほうへと歩き始める。
猫車には移動力強化の魔法が掛かっているらしく、砂地の上でも安定してスイスイと先に進んでいった。
これが異空間の力か。
本当に何でも思うがままだ。
気温や魔力値も、現実の砂漠地帯より遥かに快適。
そのぶん、迷宮を作り上げるのも大変そうだな、とライトは思った。
こんなの、食料が大量に詰まった冷蔵庫を前に、献立を考えるのと変わらない。
「⋯⋯迷宮職人って、凄いんだな」
どこまでも広がっているように見える迷宮内の青空を見上げて、ライトは呟いた。
やがて、ライトの押す猫車が、スライムの前へと辿り着く。
ここのスライムは、小動物サイズの丸い塊だ。ぷるぷるとしたゼリー状の体。
透明度の高い表面に砂がくっつき、生チョコのトリュフのようになっている。
ライトはシャベルでスライムたちを掬い上げ、猫車に載せていった。
「スライムのくせに、おとなしいなぁ⋯⋯。
ご飯をしっかりと食べさせてもらってるのかな⋯⋯?」
スライムたちは大人しくライトのシャベルに運ばれていく。
人間が寄ってきたことに興奮して暴れ始めたり、逃げたりすることもまるで無かった。
ライトはあっさりと全てのスライムを積み終わり、オアシスへ向けて猫車を押す。
道中で、シュピン、と魔力の弾ける音がした。
ライトは音のしたほうを見上げる。
「うわ、凄い⋯⋯!」
空中に半透明の道が浮かび上がっている。
半月状に切られたパイプのような道だ。
カカオカの迷宮で使った水鉄砲と似た材質の青い道が、涼やかな川のようにカーブを描いて、地表に色つきの影を伸ばす。
「砂漠の空中迷路、なのかな⋯⋯?
今までの迷宮と違って、綺麗だ⋯⋯」
ライトは瞳を輝かせた。頭の上でプラムも楽しげに尾を揺らす。
魔界には、こんな迷宮もあるんだな。
ライトは砂漠に生まれた影の色彩をなぞるように、猫車を押して歩いた。
⋯⋯この風景に、妖精さんがいたらもっと素敵だろうな。
そして、それをホタルさんと見ることが出来たら、きっと何よりも最高だ。
ライトは仕事終わりの妖精探しを楽しみにしながら、弾む足取りでオアシスを目指した。
泉に近づくほど、気温が下がって涼しさを感じる。
水源を取り囲むように生えた草の感触が靴の裏から伝わってくる。
ライトは猫車を泉の縁まで押していった。
荷台を傾け、スライムたちをそのまま水の中へと落とす。
スライムたちは、それまでの大人しさが嘘のようにプルプルと元気良く水面を跳ね回った。
「うわっ! こら、ボクにも水が掛かるだろ!」
ライトは慌てて泉から下がる。
まったく、ヤンチャなチビっ子め⋯⋯。
ともあれ、これでネスカからの頼みは完了だ。
ライトは猫車をオアシスの畔に置いたまま、ホタルたちのほうへと戻り始めた。
異空間のアイテムだから、消すのはどこからでも出来るだろう。
歩きながら、ライトは頭上を走る半透明のパイプを見上げた。
通路に水が流されて、キラキラと影が揺らめいている。
「わぁ⋯⋯! 凄いなぁ⋯⋯! 上から見たら、どうなってるんだろう⋯⋯!」
ライトはカラフルな空中迷路を見つめて、感嘆の息を零した。
完成したら、ギミックの確認も兼ねて実際に体験させてもらえるだろうか。
ライトがワクワクと心を踊らせながら歩いていると、不意に、踏み出した右足がスカリと地面をすり抜けた。
確かに砂漠は続いているのに、この辺りだけ、実体が無い。
予想外の落とし穴に、ライトは対処しきれなかった。
「うわぁぁああああ!!」
大地を踏み外した足が、ガクン!とどこまでも落ちていく。
絶叫が砂漠に広がって、ライトの視界が闇に呑まれた。
遠くで作業していたホタルが慌ててオアシスを振り返る。
「ライト!? どうしたんだい、ライト!?」
「うわ、ヤバ! あそこ床抜けてんじゃん!
設定ミスとかマジでシャレになんないんだけど~!!」
ネスカが管理画面を見て青ざめる。
異空間型の迷宮作成において、往々にして起きる事故だ。
「ネスカ、下層への通行許可を出してくれ! 私がライトを探してくる!」
「あいよー! そっちは任せたよ、ホタっち!」
ネスカが管理システムのボタンを押して、ホタルとライトに権利を付与する。
ホタルはカンテラを握り締め、ライトが消えた砂の中へと飛び込んだ。
⋯⋯こんなところで、手放すものか。
奥歯をきつく噛み締めながら、ホタルは宙を駆けていった。