継話・妖精の生る樹
次元移動の炎が燃える。
青白い火の粉を散らしながら、ライトとホタルは湿地帯へと降り立った。
空が遠い。平たく広い大地の四方に、白くぼやけた丘が見える。
ライトのブーツが、ぐしゃり、と水の張っている草原を踏んだ。
くるぶしの周囲に波紋が広がり、すぐに平静を取り戻す。
凪いだ水面の下に、赤い水草の芝生が透けた。
ライトは横に立つホタルを見上げる。
「ここが、妖精さんのいる場所なんですか?」
「そうだよ。ようやく、キミを案内できた」
ホタルは、安堵と達成感の混ざったような顔をしていた。
ここへ来るまで、想定以上に時間が掛かってしまったから、約束を果せたことが喜ばしいのだろう
しかし、今のライトには、ホタルの感情なぞどうでもいい。
大切なのは、妖精さんだ。妖精さんを、ホタルと共に見ることだ。
「この場所は『幻魔竜の潮溜まり』と呼ばれていてね。
地下にある空洞を通じて、海水が流れ込んでいるんだ──」
ホタルが何かを解説しているが、ライトの脳には入ってこない。
ライトは周囲を見回して、いかにも妖精が好きそうな大樹へ向かって駆け出した。
すり鉢状に窪んだ大地の真ん中に佇む一本杉だ。
ぐねりと曲がった枝は、妖精が座るのに丁度良い。
ライトは根元まで走り、大樹を見上げた。
樹上に、龍が巻きついている。
幻魔竜の亡骸だ。白く石化した体が、大樹の枝と癒着して、滅ぶことなく残されている。
ライトの瞳は輝いた。
龍は魔力を周囲に振り撒く。例え命を失っていても、大樹から魔力が送られることで、その機能は働き続ける。
──つまり、妖精が生まれやすい。
「待っててね、妖精さん! いま行くからね!!」
ライトは嬉々とした顔で、大樹の幹に手を掛けた。
樹皮の凹凸を見極めて、器用にするすると登っていく。
冒険者だから、木登りくらいは簡単だ。
手頃な枝の上に立ち、ライトは周囲を見回した。
「妖精さんは、どこだろう⋯⋯!」
わくわくしながら、魔力の塊を探す。
見える範囲に影は無い。
偵察術で見てみても、それらしい反応は見つけられなかった。
今日は運悪く、不在のようだ。わざわざ来たのに拍子抜け。
「⋯⋯これだけ魔力が濃いんだし、待ってればそのうち生まれないかな?」
ライトは一本杉の枝に座った。
飛翔術で飛んで来たホタルが、ふわりとライトの目の前に止まる。
「その様子だと、妖精は見つからなかったようだね?」
「見つかりはしませんでしたけど⋯⋯。でも、待ってたら、きっと出ますから⋯⋯!」
未練がましいライトの言葉に、ホタルが楽しげに微笑む。
冒険者パーティにいた頃は、「時間の無駄だ」と言われて宿まで引きずられていくことが多かったので、彼女の反応はライトには嬉しかった。
「ボクは、夜になるまではここで妖精さんを待ちます」
「そうか。だが、そう長く待つ必要は無さそうだよ。──上を見てごらん」
ホタルの手袋が頭上を示す。
白化した龍の角が輝いて、辺りに黒い霧が漂い始めた。
一本杉の周辺だけが、夜中のように暗くなる。
ホタルがカンテラにマントを被せて、光を抑えた。
深まる闇に呼応して、一本杉の葉が揺れる。
まるで花が咲くように、薄桃色の魔力光が枝先で弾けた。
満開の花だ。淡い光の切れ端が、薄く散るように風に乗る。
「わあ⋯⋯!」
ライトは思わず声を上げた。
この一本杉にも、魔力を放出する特性があるのか。
龍の闇に包まれた世界で、大樹の魔力がどんどん濃度を高めていく。
花びらのように落ちてくる魔力の塊を、ライトはそっと手のひらで受け止めた。
光だったものが実体を持ち、ふわふわの毛玉を形成していく。
「妖精さんだ⋯⋯!」
桃色の妖精が、ライトの手の中で微睡むように毛先を揺らした。
花吹雪と化した光の欠片から、何体もの妖精が生まれて、大樹の根元に広がる水面へ落ちていく。
彼らは水中へと溶けるように実体を失い、水草の芝生に吸われていった。
⋯⋯妖精は、魔力の塊だ。生物よりも、遥かに脆い。
ライトは手のひらの中でうずくまっている妖精をじっと見守った。
妖精は降り注ぐ魔力の光を浴びながら、少しずつ己の存在を確かなものへと変えようとしている。
勿論、そこに妖精自身の意志は無い。同じ属性の魔力があればくっついて濃度が上がっていく、という自然の摂理が働いているだけだ。
やがて、桃色の妖精は、ふわりと宙に浮き上がった。
ライトの手のひらを離れ、一本杉の上へ、上へと昇っていく。
向かう先は、龍の頂。夜の魔力を放出している角だ。
より濃密な魔力へ吸い寄せられるかのように、桃色の妖精が龍の片角へと触れた。
「あぁ⋯⋯、」
ライトの息に、落胆が混ざる。
妖精は、魔石と同じで、複数の魔力が混ざると反発が起きやすい。
実体化を保てなくなって霧散してしまうか、悪魔や魔獣に変質してしまうか。
どちらにせよ、妖精・精霊のカテゴリからは外れてしまう。
別の属性の魔力を吹き出している龍角に触れれば、妖精は消えてしまうだろう。
「大丈夫だよ、ライト」
ホタルがそう言う声がした。
暗闇の中でもその声音から、穏やかに微笑んでむいつもの顔が想像できる。
彼女が上を向くような気配に、ライトは再び龍を見上げた。
輝く角に留まった毛玉は、ライトの手の上にいた時と同じように、心地よさげに微睡んでいる。
崩壊の予兆も、悪魔化の片鱗も、まるで無い。
のんびりと寝そべる毛玉を指差して、ホタルものんびりと解説を始めた。
「あの龍の魔力は、もともと大樹から供給された物だから、固有波形が同じなんだ。
だから異なる属性であっても、魔力反発が起きにくい。
ああいった複数の属性を持つ妖精は、私の知る限り、魔界でしか見られないものだ」
「へぇ⋯⋯。そんな妖精さんが⋯⋯」
ライトは桃色の妖精を見つめた。
魔力を吸収し続けたせいか、細長い尾が伸びてきている。
鳥の尾羽みたいで、可愛らしい。
尾の先端へ向かうほど、龍の魔力を表すような、深い紫色のグラデーションが掛かっていた。
ここまで育てば、もう分類上は微精霊になるのだろうか。
桃色の妖精はふよふよと宙に浮かび上がって、一本杉の枝をうろうろと渡り歩いた。
しっくりこない、とでも言いたげに枝から枝へと飛び移る。
やがて、妖精は「ここだ」と納得しきったた様子で、ライトのつむじに顔を埋めた。
「⋯⋯あれ。なんか、居着いてませんか⋯⋯?」
「ふむ? 珍しいこともあるものだな。
もしかして、魔力の波形が心地良いのか⋯⋯?」
ホタルがカンテラを取り出して、ライトの頭上を照らす。
彼女は興味深そうに、精霊の雛鳥を覗き込んだ。
ライトはよく悪魔から「美味しそう」だと言われていたが、精霊の中にも彼を気に入る者がいたようだ。
ライトは困り顔でホタルを見上げた。
「えーと⋯⋯。これって、どうしたら?」
「キミの好きにすると良いよ、ライト。
連れて帰って上手く育てれば、使い魔になってくれるかもしれない」
「使い魔かぁ⋯⋯。空とか飛べるようになりますかね?」
「キミを乗せるとなると、時間がかかるだろうけど⋯⋯。
龍の魔力が元だから、いずれはそれも叶うだろうね」
ホタルの言葉を聞いて、ライトは考える。
妖精を育ててみたいと考えたことは一度も無いが、これは、いい機会なのかもしれない。
最近はずっとホタルに守ってもらってばかりで、自分の戦闘力の無さが気になってきていたところでもある。
魔界での暮らしを続けていくなら、精霊術を習得するのも悪くないだろう。
お誂え向きに、ホタルの家には精霊学の本も揃っている。
探せば魔導書の一冊や二冊、見つかる筈だ。
「⋯⋯こいつ、ホタルさんの魔力を間違って食べて消滅するとか、ありえませんよね?」
「微精霊にまで育っていれば、よほど飢餓状態でもない限り、別の属性の魔力は食べないよ」
「そうですか。それじゃあ、飼うのはあまり難しくなさそうですね」
ライトは偵察術を起動して、毛玉の魔力を確かめてみた。
闇属性と木属性。複合型であることを覗けば、とてもありふれたものだ。
魔力補給は、魔石で足りる。
「決めました。ボク、コイツを育ててみます」
ライトは指先で雛鳥を撫でる。
小さな毛玉は、嫌がることなく、嬉しそうに尻尾を揺らした。
「なら、名前をつけてやるといい。主人としての最初の仕事だ」
「名前ですか⋯⋯? 名前⋯⋯、そうだな⋯⋯」
ライトは樹上の白龍を見上げる。
魔力の放出が終わる時間が近づいているのか、大樹の光が弱まって、桃色の花が消え始めていた。
龍角の輝きも収まって、黒い霧が晴れていく。
──光る花びらが、風に飛んだ。
「コイツの名前は、プラム。プラムにします」
ライトの名付けに、ホタルは「ほう」と感心していた。
聡明な彼女は、風待草と春を示す龍に縁深い者という意味か、と心の中で考える。
⋯⋯当然ながら、ライトにはそこまでの狙いは無い。
桃色の花びらだったからプラム。それだけだ。
「妖精さんにも会えましたし、帰りましょうか、ホタルさん」
「そうだね。帰ろうか、ライト」
ホタルはライトの言葉に頷き、ふわりと下へ降りていく。
ライトも大樹の幹を伝って、水草の芝生へと降りた。
草原を覆った潮水が、ライトが歩くたびに波打つ。
「⋯⋯ありがとうございます、ホタルさん。
こんな良い場所に連れてきてくれて」
「ふふふ。喜んでもらえたようで、何よりだよ。
魔界には、他にも妖精が現れやすいスポットがあるから、いつかまた案内するね」
「本当ですか!? やったー! 約束ですよ、ホタルさん!」
「ああ。約束だ」
ライトの笑顔に、ホタルも微笑む。
やがて、水面に青白い炎が燃えて、二人と一羽は姿を消した。
龍の大樹は、そよ風に葉を吹かれながら、彼らの船出をいつまでも、草原の中心で見守っていた。
【継話・終】