閑話・メリーさんの訪問販売
「──さて、今日こそは、キミを妖精の出る場所へ連れて行こうか」
朝食の席でホタルが言う。
テーブルの上には、一人分のスープと、スライスされたバゲットが並べられている。
スープの具材はカボチャだ。
ごろごろと切った実をミルクで煮ただけの簡単な料理。作ったのはライトである。
素朴⋯⋯と言えば聞こえは良いが、そこまで美味しいというわけでもない田舎の家庭料理である。
ライトはカボチャのスープを飲んでいた手を止めて、ホタルの顔を見た。
「妖精さんに会えるんですか!?」
「ああ。色々とあって遅れてしまったが、キミとの約束を果たさせてくれ」
ホタルが微笑みながら言う。
妖精のいる場所へ案内する、というのは、魔界へ来る際に交わしていた約束だった。
妖精好きのライトのテンションが一気に上がる。
ライトは満面の笑みで、持っていたスプーンを放り出した。
ガタッと慌ただしく席を立つ。
「やったー! さあ、早く出掛けましょう!」
「こら、ライト! 出発は食事が終わってからだ!
人間は、ご飯をしっかり食べないといけないよ!」
ホタルの手袋が飛翔術で宙を飛び、駆け出そうとしたライトの目の前で両手を広げる。
通せんぼうのジェスチャーだ。
「本当に食べないとダメですか!?」
「ダメだよ。ご飯を食べない人間は、妖精のところまで案内してあげない」
「えぇ! ホタルさんの意地悪!」
「案内の途中で、倒れでもしたら本末転倒だろう? ほら、最後まで食べて」
「⋯⋯はーい⋯⋯」
ライトは椅子に座り直して、朝食の続きを食べ始めた。
少しでも早く妖精に会うために、大口でパンとスープを頬張っていく。
ライトは素早く最後の欠片を飲み込んで、ごちそうさまをしてから、空になった皿を片付けた。
「食べ終わりました! 行きましょう、ホタルさん!」
「⋯⋯本当にライトは、妖精が好きだな」
ライトが玄関へと走っていく。
ホタルは楽しげに笑いながら、後を追いかけた。
ワクワクとした勢いのままに、ライトは力強く玄関の扉を押し開いた。
「ミギャーッ!!」
ガツン!と扉が何かにぶち当たり、悲鳴が上がる。
どうやら、来客の顔面に扉をぶつけてしまったらしい。
しかし、ライトはそんなこと気にもしないで外に駆け出した。
ライトの頭の中は、妖精の会うという目的でいっぱいだ。
痛そうにおでこを押さえている来客のことも、なんか障害物が路上にあるなぁ、くらいの感覚である。
勿論、怪我の一因になってしまった行動を立ち止まって謝ることもない。
ライトは来客の脇をすり抜けて、そのまま出掛けようとしていた。
「ちょっと! 待ってよ、どこ行くの!!」
来客がライトのシャツを掴んで引き留める。
妖精さんに会いに行くところを邪魔するなんて、何事だ?
ライトは鬱陶しそうな顔で振り向いた。
そこにいたのは、小柄な娘だ。
癖のあるプラチナブロンドの髪に、陶器の白い肌。
どちらも作り物めいた質感で、生身の人間には見えない。
人形が悪魔に転化したパペット族なのだろう。
彼女の服装は、フリルとレースがたっぷりとあしらわれているドレス。
森へ来るには繊細すぎる装飾。箱入り娘か?
革製のトランクは、子供のように小さな彼女の体には大きく見えた。
人形の悪魔はライトの顔を見上げて、言った。
「ワタシ、『べっこう堂』のメリーさん! 訪問販売員よ!」
「だったら何だ。ボクは忙しい」
「行かないで! 素敵な商品、見ていって!」
メリーがまとわりつきながら駄々っ子のように言う。
なんと迷惑な人形だ。ライトは苛立ちを感じながら、彼女の手を振りほどいた。
しかし、メリーは諦めず、ライトの服を掴み直す。
「おい、やめろよ! 離せ!」
「やーだー! ワタシ、セールスしに来たのー!」
「だからボクは忙しいんだってば! 虫とやってなよ、そのへんの虫と!」
「⋯⋯何をやってるんだい、キミは⋯⋯」
取っ組み合いの喧嘩になりそうなところで、ホタルが家の中から出てくる。
彼女はカンテラの炎を揺らめかせながら、小柄な人形の前に立った。
「どこの誰だか知らないが、私たちはこれから出掛けるんだ。
用があるなら、日を改めてくれ」
「ワタシ、『べっこう堂』のメリーさん! 訪問販売員よ!
素敵な商品を売りにきたの!」
「後にしてくれ。彼のほうが先約だ」
「ダメ! 見てくれるまで離さない!
買わなくてもいいから、セールスさせて!」
メリーは一切、引き下がらない。
ホタルは溜め息を吐いて、ライトの顔を見た。
「⋯⋯ライト。この子は、話を聞いてあげないと解放してはくれないようだ」
「なら、壊しましょう。落石事故に見える感じで、こう、岩とか使ってガツン!と」
「べっこう堂は、迷宮設備を専門としている魔道具の大家だ。
あまり揉め事は起こさないほうがいい」
ホタルは冷静な声で言った。
迷宮アドバイザーという立場上、迷宮産業の関係者と険悪になるのは避けたいようだ。
⋯⋯早く妖精さんのところに行きたいのに。どうして、まっすぐ進めないのか。
ライトは渋々、メリーのセールストークに付き合うことにした。
「わかったよ。それで、お前は何を売りにきたんだ?」
「それは、これよ! その名も『位置座標応答機』!」
メリーがトランクから魔道具を取り出す。
丼くらいの大きさをした、黒い石のような外見だ。
前面には、ダイヤルと思しきパーツ。
くるくると螺旋状になっているコードが側面の辺りから突き出していて、石の上に乗せられている鉄アレイ型の何かに繋がっていた。
「この受話器を取って、特定の手順でダイヤルを回すと⋯⋯、現在の座標を教えてくれるの!」
メアリーが笑顔で説明する。
彼女は位置座標応答機の受話器を外して、ライトへと手渡した。
ライトはメリーのジェスチャーを真似して、鉄アレイ型のパーツを耳に当てる。
じゃっこ、じゃっこ、とダイヤルが何度か回されて、受話器がノイズを発し始めた。
「タダイマ ノ ザヒョウ ハ、
エックス ゼロ、ワイ ゼロ、デス」
抑揚の少ない機械音声。
少し間を置いて、また同じ言葉が流れ始める。二回聞いても、無味乾燥だ。
ホタルも興味が湧いてこないのか、森のほうへと視線を向けている。
優しい彼女にしては珍しく、愛想笑いのひとつも無しだ。⋯⋯森にいる獣か何かのほうが気になっているのか?
ライトは受話器を本体に戻した。
「⋯⋯で、これが何?」
「これがあれば、迷宮の中で迷子にならなくて済むの!
座標の中心点は、専用のポールを立てた場所になるから、自分がわかりやすい数字にすることも可能よ!」
メリーがトランクから棒を引っ張り出す。
先端が尖っていて、柔らかい地面になら、よく刺さりそうだ。
ライトは冷めた視線をメリーに向けた。
「迷宮には、二階や地下層があるものも多いけど、それには対応してるのか?」
「それは⋯⋯、まだ、出来ないけど⋯⋯。
でも、上下の階が無い迷宮なら、現在位置が簡単にわかるのよ。すごいでしょ!」
「入口までの直線距離が20mの場所にいる、ってわかったところで、何になるんだ。
そんなの、方眼紙に地図でも書いてれば事足りる」
ライトの指摘に、メリーが言葉を詰まらせる。
彼女はなんとも苦しげな様子で、なんとか二の矢を紡ぎ出した。
「で、でもでも⋯⋯! 魔獣に追いかけられて場所がわからなくなった時は?
そういう時には、役に立つわよ!」
「⋯⋯そのポールが魔獣に壊されるリスクもある。
他の冒険者が妨害のために持ち去って、結果を狂わせる可能性も」
「そ⋯⋯、そんなのは、ダンジョンマスターがルールを設定しておけばいいわ!
マスターによる禁止令は絶対だもの⋯⋯!」
「そんな、防寒着を売りつけたいから雪国に引っ越せ、みたいなことを言われてもな⋯⋯」
ライトは呆れた顔になった。
メリーのセールストークは未熟が過ぎる。少しも買いたい気持ちにならない。
売りたい商品がニッチ過ぎるだけで彼女は悪くない、という可能性もあるが⋯⋯。
今回の売り込みは、完膚なきまでに失敗だ。
そしてそれを、ライトはストレートに態度に出す。
「新人っぽいから、適度にあたたかく接してあげよう」などという配慮も無い。
メリーは、わなわなと肩を震わせた。
「な、なによ⋯⋯! さっきから文句ばっかり言って⋯⋯!
ワタシの自信作なのに⋯⋯! 買ってくれてもいいじゃない!」
メリーがライトを睨み付ける。
人形の体ゆえ、瞳は少しも潤んでいないが、心の中では涙目だろう。
メリーは魔道具を乱雑にトランクの中へと放り込んで、叩きつけるように蓋を閉じた。
「パパは褒めてくれたもん! このわからずや!
もう知らない! ワタシ、帰る!!」
「えっ、本当? やったー!」
「や、やったーって何よ! ううっ⋯⋯、うわぁーん!!
キライ! キライ! アンタなんか、キライー!!」
メアリーが泣きながら森のほうへと駆けていく。
しかし、ライトは一切、気にしない。
押しかけセールス人形が逃げていったということは、本来の予定が進むということ。
妖精に会えるというワクワクで、ライトの頭はいっぱいだった。
「さあ、行きましょう、ホタルさん!
早く案内してください!」
ライトがホタルの手袋を掴んで走り出す。
ホタルは、メリーが走っていったほうを厳しい視線で一瞥したが、すぐに前を向き直した。
二人分の足音が、家の前から遠ざかっていく。
一方、メリーは、白い木々に囲まれた森をとぼとぼと一人で歩いていた。
トランクの中で、初めて作った魔道具がガシャン、ガシャン、と揺れている。
乱暴に仕舞ったから、受話器と本体がぶつかり合っていて、ひどくうるさい。
俯きがちに歩いていると、道の真ん中に大きな木箱が置いてあった。
宝箱だ。サイズはトランク五個分はある。
こんなものが、森の中にこれ見よがしに存在するのは、明らかにおかしい。
⋯⋯だが、この箱は、メリーにとっては見覚えがあった。
「ママぁ⋯⋯!!」
メリーはトランクを投げ捨てて、宝箱へと駆け寄った。
箱の蓋がひとりでに開いて、中から黒い手が何本も飛び出してくる。
「もう大丈夫よ、メリーちゃん。ずっと一人で、よく頑張ったわね。
急に飛び出していったから、パパもとっても心配してたわよ」
宝箱が内部に満たされていた闇へと吸収されるように消え失せて、代わりに女性の形へと変わっていく。
エプロンをつけた銀髪の悪魔だ。
薄く透けた髪の先端が、トンボの羽のようにも見える。
魔法の方位磁石がネックレスのように首から掛けられていた。
メリーは、母の腕の中に飛び込んで、ぎゅっと抱きつく。
ママはメリーの髪を優しく撫でて、柔らかく微笑んでくれた。
ママがエプロンのポケットから、通信用の水晶玉を取り出す。
平たい布ポケットの間から、明らかに厚みを無視して出てきたが、ママは収納の達人なので、これくらいは朝飯前だ。
「メリーちゃん、パパにこれから帰るって教えてあげて?」
「うん。わかった。⋯⋯もしもし、パパ?」
メリーは受け取った水晶玉に話しかける。
通信はすぐに繋がった。
『はい、こちらマフェット⋯⋯。そちらはミミーかい?
僕のメリーは見つかったのかい⋯⋯?』
「パパ。ワタシ、メリーさん。いま白い木の森の中にいるの」
『メリー! ああ、良かった!! 無事なんだね!
キミが大きな蜘蛛に食べられているんじゃないかと心配で、心配で⋯⋯!!』
「心配かけて、ごめんなさい。今からそっちに行くからね」
『待っているよ。早く帰ってきておくれ、僕の可愛いメリー、ミミー!』
「うん。待っててね、パパ」
メリーは微笑みながら、通信を切った。
ママがトランクを拾い上げる。
ママとしっかりと手を繋いで、メリーは大好きなパパのところへ向かい始めた。
【閑話・終】