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第2話:迷宮職人ノクタリオ


「おっはよ~、ホタルぅ~! まぁだ寝てるのぉ~!!」


 けたたましい女の大声と同時に、ライトの腹部に衝撃が走る。

 誰かがお腹に飛び乗ってきたのだ。下手をすれば、あばらが折れそうな勢いで。


「うげぇえ! ゴブリンの襲撃だぁ!!」


 痛みで目を覚ましたライトは、叫びながら腹上の塊を突き飛ばす。

 むにゅん、と柔らかい感触が手のひらを受け止めた。ゴブリンの硬い筋肉ではない。

 あれ、と思ってよく見てみれば、それは女性の豊満なおっぱいだった。

 まるで、酒場の与太話なんかでよく聞くような状況だ。隣の家に住む幼馴染みが起こしに来たけど、なんやかんやでラッキーにスケベなハプニングが起きてしまった、みたいな⋯⋯。

 ライトの表情が、面倒事の気配で曇る。

 どんなに魅力的な美人だろうと、その豊満な胸に触れていようと、ライトにとってはどうでもいい。だって、この人、妖精じゃないから。

 しかし、女性のほうは当然、ライトを無視することは無い。わなわなと肩を震わせながら、怒りに満ちた顔で睨み付けてくる。


「⋯⋯このワタクシをゴブリン呼ばわりするなんて、最低なオークもいたものね⋯⋯!」


 女性はライトの腹の上から飛び退いて、優雅に床へと着地した。どこかから扇子を取り出して、お嬢様のようなポーズを決める。


「ワタクシは才色兼備の優秀な夜魔! ノクタリオ・シトライエでしてよ~!!」


 ライトは未だに痛みの残る腹部をさすりながら、夜魔を見やる。

 くるくると巻かれたルーズ・サイドテールの金髪は、いかにも貴族の娘らしい。

 胸元がざっくりと開いたセレブなドレスは、スカートにも深くスリットが入れられており、黒い布地の間から白くて美しい脚線美が大胆に晒け出されている。

 上品な長手袋とヒールは、たぶん良い物なのだろうけど、ライトにはよくわからない。

 というか、まるで興味が湧かない。

 ライトは夜魔の名乗りを無視して、適当に上着を羽織り始めた。

 関わったところで面倒そうな喋り方だし、妖精と会うのに邪魔そうだし。

 ライトはさっさと短剣のベルトを腰に巻き、鞄を片手に部屋を出た。


「ちょっと! 待ちなさいよ! この失礼人間!!」


 当然ながら、夜魔は慌てて追いかけてきた。

 寝ている人間の腹に勢いよく飛び乗ってきた自分の無礼は棚に上げ、マナーがどうだのとわめいている。

 ライトは騒ぐ夜魔を無視して、キッチンに入った。

 ホタルの家のキッチンは、魔界らしく魔道具の冷蔵庫とシンクが置かれている。コンロだけは古臭い暖炉のような形で、薪を燃やす石の台に、鍋を置くための五徳がポツリと乗せられていた。

 食事をするためのテーブルでは、ホタルが林檎を剥いている。

 ホタルはライトの足音で顔を上げ、柔らかく微笑んだ。


「おはよう、ライト。よく眠れたかい?」

「はい。よく寝ました。今日は妖精に会いに行くので」

「キミは本当に妖精が好きだね。

 でも、その前に、人間はちゃんとご飯を食べないといけないよ」


 ホタルが冷蔵庫へと視線を向ける。

 手袋を浮かせている術の応用か、冷蔵庫の扉がひとりでに開いて、食材がテーブルへと飛んできた。

 綺麗なお皿にパンやハムが積み上がり、簡単なサンドイッチが作られていく。

 ライトはホタルに言われるままに、食卓へ着いた。


「ちょっと、ホタル~! 何なんですのぉ、このヘンテコな男は~!」


 夜魔がホタルの体に抱きつきながら、ライトを指差す。

 ライトは気にせず、ホタルが用意してくれたサンドイッチを食べている。

 ホタルは穏やかに微笑んだまま、夜魔にライトを紹介した。


「彼は冒険者のライト。新しい迷宮アドバイザーだ」

「はぁ~!? こいつがぁ~!?

 こんな失礼な殿方が、ワタクシの迷宮に口出ししますのぉ~!?」

「私だけでは気づけないことも多いからね。

 キミとの契約を全うするために、ライトは必要な人員だ」

「んもぅ~、ホタルって本当に生真面目ですのねぇ!

 でも、まあ、貴女が言うなら構いませんわ!!」


 夜魔がゴージャスな扇子の先を、ぴしり!とライトに突きつける。


「そこの人間! ワタクシはホタルと契約している迷宮職人、ノクタリオ・シトライエですわ!

 ワタクシの迷宮に口を出す以上、適当な仕事は許しませんことよ!」


 ライトはサンドイッチを持ったまま、思ったことを気にせずに言う。


「ふーん。なんか男みたいな名前」

「関係無いですわよ、それは!!」

「そう? じゃあ、長いし『リオ』って呼ぶな。よろしく、リオ」

「雇い主への敬意とか持ってないんですの貴方!!」


 リオがまた何か憤っている。

 しかし、それで怯むようなライトではない。


「ボクと約束したのはホタル。報酬を払うのもホタルなんだから、リオはほとんど無関係だろ」

「キーッ! この失礼人間ッ!!

 ワタクシの迷宮で迷子になって、泣いて助けを求めてきたって知りませんからッ!」


 リオがゴージャスな扇子を振り回す。

 黒い煙のような魔力が渦巻いて、サンドイッチを頬張るライトと肩をすくめたホタルの二人を包み込んだ。


「ほら、早く仕事をなさい! 特別にワタクシがダンジョンの中まで案内して差し上げますわ!!」


 魔力の煙が晴れて、二人の体が迷宮の入口に投げ出される。

 人間界では、転移魔術はかなり大掛かりな装置や触媒が必要になるが、大気中の魔力が豊富な魔界ではポンポン使えるものらしい。


「刮目なさい、失礼人間!! ここがワタクシ自慢の迷宮!

 ──ヘル・デストロイ・フォレストですわ!!」

「名前ダッサ」

「やかましい!!」


 率直なライトの感想に、リオの声がピシャリと言い捨てる。

 リオはぷんぷんと怒りながら、どこかへと姿を消していった。


「⋯⋯やはりキミは面白いな」


 ホタルが楽しそうに言う。

 ライトは溜め息を吐いて、迷宮の内装を見回した。

 リオの作った迷宮は、石造りの遺跡を模しているようだ。

 通路の幅は広く、魔獣との戦闘を阻害するような置物も特に無い。

 ライトは、背後を振り返り、そのまま迷宮から出ようとした。

 ここがエントランスなら、後ろにあるのは玄関だ。


「ダメですわ! それは、ダメですわ!」


 リオの声がどこかから響き、慌てて扉が閉められる。

 魔法で守られた頑丈な扉だ。ライトの力では壊せそうにない。

 鍵開けを試みようにも、魔力認証式のロックを採用しているらしく、今のライトにはどうしようもない。


「⋯⋯今日は妖精を探しに行くって、ホタルさんと約束してたのに⋯⋯」

「悪いね、ライト。この様子だと、迷宮のギミックをひとつは確認してあげないと、無限に幽閉されそうだ」

「わかりました。それじゃあ、さっさと迷宮の奥に進みましょう」


 ライトは迷宮の奥へと視線を戻す。

 細長い石造りの通路だ。直線的で、窓や明かりは無く、暗い。

 このエントランスには魔法の松明が燃えているが、明かるいのはここだけだ。

 ライトは目を閉じて、意識を集中させた。


「聖なる光の神よ、我らの旅路に光の加護を──」


 呪文の詠唱に合わせて、ライトの周囲で魔力が渦巻く。

 ライトが立てた人差し指の先に、小さな光の球が生まれて、飛び立った。


「これは⋯⋯、魔術ではなく神聖術か?

 神の加護を受けられる、人間族のみが使えると言う⋯⋯」


 ホタルが興味深そうに、光の球を見つめている。

 一時的な超常現象を引き起こす「魔法」には、原理や手順によって細やかな分類がある。

 神聖術は、天界の神から力を借りられる術式で、悪魔や妖精の魔法とは理論が異なる。

 ⋯⋯が、そんな学術的な話は、ライトにとってはどうでもよかった。

 冒険者でやっていた迷宮探索と同じように、さっさと偵察術まで終える。


「この近くには、魔獣の気配はありませんね」

「その術は、魔獣以外の気配はわかるのかい?」

「いいえ。もしかして、近くに妖精さんがいますか?」

「いいや。この迷宮の魔力は最深部へと流れるように設計されている。

 妖精が生まれる環境じゃないよ」

「ですよね。それじゃあ、早く仕事を終わらせましょう、ホタルさん」

「了解だ」


 光の球で前方を照らしながら、ライトは石の通路へと踏み出す。

 ホタルは、探索は全てライトに任せるつもりらしく、カンテラの光をマントの中へと仕舞い込んだ。


 冒険者パーティにいた頃の、ライトの役目はスカウト、即ち「偵察者」だった。

 罠や敵の存在を感知して、仲間たちに危険を知らせる。

 ライトはすぐに妖精に気を取られて警戒を疎かにしていたが、妖精のいない環境でなら、それなりに役立つと言われていた。

 迷宮の通路を歩きながら、ライトは定期的に偵察術を起動して、安全性を確かめる。

 ホタルは、ライトが魔法を使う周期や探知範囲について、興味深そうにデータを取っているようだった。


 暫く歩くと、通路はT字に曲がっていた。

 分かれ道だ。右か、左か。

 ライトは立ち止まり、それぞれの道を光で照らす。どちらからも魔獣の気配はしない。


「うーん、どっちに進むべきかな⋯⋯」

「どちらでも、キミの気が向いたほうに進むと良い」

「それじゃあ⋯⋯、ここは右の道で」


 ライトは再び歩き始め、ホタルは静かにその後を追った。

 迷宮の中は静かで、風の音も無い。

 通路に響くのは二人分の足音だけだ。


「びっくりするくらい、何も無いですね」

「冒険者からすると、退屈かい?」

「人間界のダンジョンは、基本的に魔獣の巣なので。

 油断を誘われてるようで不気味です」

「⋯⋯つまり、この迷宮は知的な造りと言うことかな。

 魔物の巣としては、綺麗すぎると」

「そういう魔術の痕跡があれば、綺麗でも納得できるんですけど⋯⋯。

 これだと、ロクな資料も見ないで作ったのかなって感じがします」

「なるほど。後でノクタリオにも伝えておこう」


 ホタルがメモ帳を取り出して、ライトの気付きを書き込んでいく。

 ライトは偵察術を使って、周囲に罠が無いかを確かめた。

 ここにもやっぱり、何も無い。手抜きか?


「これじゃあ、冒険者たちに人気が無いのもわかるなぁ。

 罠を見ればお宝の質が推察できて、モチベーションも上がるのに。

 これじゃあ時間の無駄だなって判断されても仕方ないよ」


 ライトは溜息を吐いて、再び通路を歩き出す。

 長くて無意味で、妖精もいないし、今すぐにでも帰りたい。


「ちなみにですけど、ホタルさん。

 歩くのが早くなる魔法とか、使えませんか?」

「私に出来るのは、飛翔と発火、次元跳躍の三つだけだな。

 移動時間を短縮するには、人間界を経由して通路の先に跳ぶことになるが⋯⋯。

 勝手に帰らないように、ノクタリオが結界を張っている」

「手袋を浮かせるのの応用で、びゅーんと飛べたりしないんですか?」

「無理だね。私は人間を浮かせることは出来ない。

 手袋だけじゃキミを抱きかかえられないし、地道に歩くしかないよ」


 ホタルが空中で手袋を回す。

 腕の無い彼女にライトがどうにかしがみついて、その状態で飛んでもらう、というのも無理なのだろう。

 飛翔術というのは、繊細だ。

 冒険者パーティにいた魔法使いも、箒に他人を乗せたまま飛ぶのは重労働だと言っていた。

 無理をさせては、戦力が低下する。魔獣と出会ってしまった時のため、力は取っておいたほうがいい。


「キミを抱えては飛べないが⋯⋯。

 手を繋ぐくらいなら私でも出来るよ。どうする?」


 ホタルは微笑んで言った。

 手袋が握手を求めるようにライトの前へと飛んでくる。

 彼女はそんなに手が繋ぎたいのだろうか?

 もしかして、ボクのこと、すぐに迷子になる子供だと思ってる?

 ライトはホタルの顔を見つめた。

 確かに、ライトは背も低いし、彼女のほうが年上に見えるけど。

 彼女は、ライトを冒険者として雇ったのだ。子供や弟のように扱うためじゃない。

 なのに、こうやってからかうなんて、何を考えているんだろう?

 ライトはふとそう思ったが、そんな考えはすぐに消え去った。

 だってホタルさんは妖精さんじゃないし。あの人に会うまでは、どうでもいい。

 ライトはホタルの問いかけに、首を横に振って答えた。


「繋ぎません。子供の遠足じゃないんですよ」

「ふふ、そうだね。それじゃあ、先に進もうか」


 暫く歩くと、道の真ん中に大きな穴が開けられていた。

 頑張ってジャンプすれば、ギリギリ跳び越えられそうな穴だ。

 もしくは、魔法で橋を作るとか。


「⋯⋯穴の中には、魔獣の気配は無いですね。

 底は見えませんけど⋯⋯、罠がある感じでも無いです」


 ライトは穴の中を覗き込みながら言った。

 ライトは光の球をもうひとつ作って、穴の中へと飛ばしてみた。

 黒い水の中にでも沈むかのように、光が揺らいで見えなくなる。暗闇の魔法だ。

 ライトはリュックからロープを取り出して、穴の中に垂らしてみた。


「1mくらいですかね? 底は意外と近いみたいです」

「冒険者だと、そうやって調べるのか⋯⋯。興味深いな⋯⋯」

「妖精さんを追いかける時に、下手に飛び込んで怪我したら元も子もないですから。

 安全確認は大切です」

「⋯⋯そうだな。慎重になれるのは良いことだ」


 ホタルが、うんうんと頷いている。

 ライトはロープをリュックに戻して、この穴をどうやって越えるか考えた。

 そのままジャンプして届くかは、正直微妙だ。

 穴の中に危険がないなら、下を歩いたほうがいいか。

 深さは1mほどだから、登るのも苦労はしないだろう。


「ホタルさん。ボクは穴の中を歩いて、対岸に渡ります。

 ホタルさんはどうしますか?」

「穴に降りるのか。⋯⋯ふふ、なるほど。

 それなら、私は飛翔術で飛びながら、キミの後を追いかけるよ」

「わかりました。行きましょう」


 ライトは穴の縁にしゃがんで、ゆっくりと慎重に底に降りる。

 偵察術で危険が無いことを確認したから、床石が脆くなっていて更に落ちる、などという事故も無い筈だ。


「あれ? ここの床、石じゃない⋯⋯」


 靴底に伝わってくる感触が、想像以上に柔らかい。

 まるで宙に張られたネットのような、奇妙な不安定さがある。


「これって、もしかして、アレか⋯⋯!?」


 ライトは闇で包まれた穴の中にしゃがみこんで手のひらで床材を撫でた。

 太い蔓を編んだかのような、でこぼことした表面。

 間違いない。これはアルラウネの蔦だ。

 偵察術が危険を示さなかったということは、本体が切り離して捨てた寝床の残骸。

 ライトの瞳が興奮に満ちる。


「ああ、アルラウネ! アルラウネの蔦跡は妖精さんたちの寝床!!

 つまり、この下にいるかもしれない!」


 ライトは即座に短剣を抜いた。

 こういった遺跡に住むアルラウネは、落とし穴の中に住み着いて、獲物を絡め取るための蔦を頭上へと伸ばす。

 蔦は美味しそうな人間を選んで穴の中へと引きずり込み、それ以外には住み処への立ち入りを禁じる蓋となる。

 ここは人工の遺跡だが、その生態は同じだろう。

 突然しゃがみこんだライトを、ホタルは不思議そうに覗き込む。


「ライト、何をしてるんだい?」

「蔦を掘るんです! そして下に行く!

 妖精さんがいるかもしれない!!」


 ライトの頭の中は、妖精に会えるかもしれない可能性でいっぱいだ。

 ここには妖精はいない、と言われていたことも忘れている。

 ライトは足下の蔦に短剣を突き立てて、ネットをぶちぶちと壊し始めた。

 切られた蔦がほどけて、落とし穴の本当の底へと続く穴が開く。


「ひゃっほー! レッツゴー!」


 ライトは下へと垂れ下がる蔦を掴んで、穴の底へと滑り降りた。


「⋯⋯なるほど。私には出来ない考え方だ」


 ホタルは空中からアルラウネの蔦蓋を見つめる。

 暗闇の魔法は、彼女の目には通じない。

 ライトが嬉々として穴を開けて飛び込む姿を、ホタルは興味深そうに見守っていた。


「やはり私とは違うんだな、人間というものは」


 ホタルはライトを追いかけて、蔦の穴へと降下していく。

 うねりを帯びた銀の長髪が、暗闇の中で毛先を青白く光らせる。

 彼女のシルエットはまるで、深海のクラーケンのようだった。



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