表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/28

第16話:Sleepy Sheep


 浴室にて、ライトは冷たいシャワーを浴びていた。

 宿の客室ひとつひとつにシャワーと浴槽がついているなんて、魔界ならではだ。

 人間界だと、水を幾らでも出せる魔道具は高価で、手入れも難しいため、大抵の場合は大浴場で一括管理だ。


「使い方も、防水加工の紙に全部書いてあるし⋯⋯。

 魔界の宿って、やっぱり凄いなぁ⋯⋯」


 ライトは呟きながら、浴室を出た。

 備えつけの柔らかいタオルで体を拭いて、新品のシャツとズボンを身につける。

 アラクネの服屋で買ったものだ。

 ちなみに、買いたての服は、埃や糊を落とすために一度洗ってから着たほうが良い、といった話もある。

 しかし、ライトには浄化の魔法があるので洗濯は不要だ。毒や呪いの類いで無ければ簡単に落とせる。


「お腹が空いたな。そう言えば、まだ晩ご飯食べてなかったっけ⋯⋯」


 ライトはリュックを片手にベッドルームへと戻る。

 室内にホタルの姿は無く、ベッドサイドのメモ帳に「夕飯を買ってくるよ」と丸っこい字で書かれていた。

 書き手を示すサインの横に、火の玉の絵も描いてある。

 ホタルさん、何を買ってくるのだろう。

 ライトは少しワクワクしながら、彼女が帰ってくるのを待った。


 チクタクと時計の針が回っている。

 ⋯⋯ホタルは、なかなか帰ってこない。

 ライトは窓の外を見た。この部屋は三階で、目の前には別の建物の壁がある。

 知らぬ間に雪でも降っていたのか、街灯に照らされた道は白く染まっていた。


「⋯⋯あれ?」


 ライトは違和感に首を傾げる。

 路面は白い何かで覆われているが、窓枠や街灯の頭には何も付着していない。

 雪が降っていたのならば、もっと全体的に白くなる筈だ。

 なんとなく、嫌な予感がした。

 ライトは冒険用の装備を手早く身につけ、部屋の外に出る。

 廊下には、従業員の姿は無い。

 エレベーターでフロントに降りると、そこにも誰も、いなかった。


「⋯⋯ホタルさん⋯⋯?」


 ライトは、ホテルの外へと踏み出す。

 辺りは暗く夜に沈んで、冷えた空気を建物の光がぽつぽつ照らしていた。

 路面を覆っているものは、柔らかくモコモコとした質感をしていた。

 波の花という、割れにくい泡の山が海辺に出来る自然現象があるが、この光景はそれに似ているかもしれない。

 だだし、この白い物体は、泡と言うよりは綿だった。


「⋯⋯端から端まで真っ白だ。かなり大規模な魔法だな」


 ライトは偵察術を起動してみる。

 街中では魔道具によるノイズが多すぎて、よくわからない。

 昼間に猫を探していた時は、ここまで曖昧ではなかった筈だが、この綿そのものに探知妨害の効果でもついているのだろうか。

 詳細までは掴めなかったが、これが危険物では無いことは、なんとかわかった。


「ホタルさんが心配だな⋯⋯」


 ライトは短剣の柄に手を触れながら、綿だらけの道へと足を進めた。

 明らかに、これは異常事態だ。早く彼女と合流したい。

 ライトのブーツが、綿を掻き分けて進んでいく。

 町の中には通行人の姿が見えず、どこまで行ってもシンと静まり返っていた。

 建物に明かりは点いているが、窓から店内を覗いてみても、誰もいない。

 ホタルの姿も、見つからない。


「⋯⋯どこまで買い物に行ったんだろう⋯⋯」


 ライトは段々と、不安になってきた。

 どこまで行っても、見えるのは芥子色の煉瓦の建物と、綿に覆われた道だけだ。

 青白く燃える炎は、見えない。


「⋯⋯ホタルさん⋯⋯」


 ライトは呟くような小さな声で、彼女を呼んだ。

 今の自分は、まるで迷子になってしまった子供のようだ。

 心の中が暗く沈んで、不安の海が広がっている。

 ひとりぼっちが怖くて、悲しくて、あの人に会いたいと泣きそうだ。

 自分でもおかしいと思うくらいに、寂しくて堪らない。


「寂しいのなら、私がキミを抱き締めてあげるよ」


 穏やかに、笑うような声がした。

 いつの間にそこに現れたのか、魔法使いの女性がライトの眼前に立っていた。

 夜の闇を思わせる、漆黒の三角帽子とマント。

 白い髪は柔らかなウェーブを描いて、ふわりと広がる。

 頭の両脇には、ぐるりと巻いた山羊の角が突き出して、その下に細長い獣の耳が生えている。

 マントの裾から伸びた脚部は、獣人と同じだ。人とは違う骨格と、白い毛皮に大きな蹄。


 ──夢魔の一種、ポベートールだ。


 ライトが聞いたことのある話では、眠っている人間に悪夢を見せて、魔力を絞り取るとされている悪魔。

 ライトは苦い顔になる。

 この異様な街並みは、夢魔によって作られた夢の世界だったのだろう。

 現実の自分は、ホタルの帰りを待つうちに眠り、コイツに襲われてしまったのだ。


「ホタルさんから貰った魔除けもあったのに⋯⋯!」


 ライトは短剣の柄を握り締めた。

 魔除けのお守りを無視して襲撃してきたということは、この夢魔はかなり強力な筈だ。

 夢魔は恍惚とした表情で、ライトの顔を見つめてくる。


「ふふふ。どうした? 寂しいんだろう?

 抱き締めてあげるから、おいで。

 普段は町中で狩りなどしないが、キミはとても美味そうだったから、特別だ」


 両手を広げて、夢魔が誘う。

 ライトの視線に、嫌悪が浮かんだ。

 好みの魔力属性だったから襲った、などと言われても迷惑でしかない。

 ライトは短剣を引き抜いて、きっぱりと拒絶の意を示す。


「⋯⋯退治されたくなかったら、今すぐボクの夢から出ていけ」

「ふふふ。威勢が良いな、少年。

 だが、キミは戦闘が苦手だろう?

 でなければ、迷い子のような顔で町を彷徨ったりはしない。

 保護者を求めて泣き出す子供の悪夢というのは、私の一番の好物だ」


 夢魔が舌舐りをする。

 子供だと誤解されるのは、ライトにとってはよくあることだが、今回ばかりは癪に障った。

 この悪魔のせいで、こんなつまらない夢を見る羽目になったのだ。

 妖精もいない暗い町中を、ひとりで歩き回るという夢を。

 全く以て、腹立たしい。

 さっさと倒して、ホタルと晩ご飯を食べよう。


 ライトは短剣を握り締め、夢魔の心臓に狙いを定めた。

 夢魔との戦いは精神戦。夢の中では、自己認識がそのまま個人の実力となる。

 目の前の悪魔を、どれほど矮小な弱者だと思い込めるかが勝利の鍵だ。

 ライトは無言で走り出し、夢魔の胸元に刃を突き出す。

 人間ならば致命の一撃。悪魔でも、ただでは済まないだろう。ライトはそう思い込む。

 ライトは柄を握る手を捻りながら短剣を抜いた。

 攻撃を受けた夢魔の胸部が、魔力の塵となって崩れる。

 ライトは敵の体を蹴飛ばして下がり、次撃の体勢を素早く整えた。


「ほう、キミは夢魔との戦い方を知っているのか。

 そんな小枝一本で、勝てると信じ込めるとはな⋯⋯!」


 夢魔が興味深そうに笑った。

 まるで攻撃が効いていないかのように、尊大な態度を取ってはいるが、それに気圧されたら負ける。

 ライトは、冷静な戦況分析を頭の中から追い出して、短剣で斬りつけることだけを意識した。

 シングルタスクの脳内は、こういう時には役に立つ。

 常識的に考えるのなら、ライトが単騎で悪魔を打ち滅ぼすなんていうのは、絶対に無理だ。

 しかし、そんな細かな思考は、戦闘に集中しきっているライトの頭には浮かばない。

 二撃目が悪魔の左腕を斬り落とす。


「⋯⋯ふむ。なかなかの胆力だ。

 何がキミを、そうさせるのかな?」


 夢魔の問いに、ライトは答えない。

 妖精を探している時のように、目の前の目的だけを見る。

 ライトの振り抜いた銀刃が、夜闇を裂いた。

 夢魔は、すんでのところで身を躱す。

 ライトは迷わず、追撃を仕掛けた。避けられたのなら、間髪を入れずに次の一撃。

 デタラメで、ガムシャラで、粗も多いが、夢の中から夢魔を追い出すにはただひとつ、折れない戦意があればいい。

 夢魔の表情が少しずつ余裕を無くしていく。

 ライトの攻撃を避けきれず、微細な切り傷が増えていく。

 そしてついに、ライトが振り抜いた短剣が、夢魔の右腕を斬り落とした。

 

「はは⋯⋯っ! なかなか、やるじゃないか!

 けどね、ここは夢の世界だ。上級夢魔の私には、人間のキミでは勝てないよ」


 片腕を失っても、夢魔は不敵に微笑んでいる。

 ライトは何を言われても一切気に留めず聞き流し、短剣を握って突進を仕掛けた。

 夢魔の腹部に攻撃が当たる。


 ──その瞬間。

 夢魔の肉体が綿になり、ふわりと宙に広がった。

 囮だ。やられた。ずっと偽物と戦わされていた。

 敵を見失ったライトの背後から、夢魔の腕が伸びてくる。

 夢魔が、ライトを抱き締める。


「しまっ⋯⋯!」

「はい、ぎゅうぅー」


 柔らかな羊毛の感触がライトの体を包み込んだ。

 魔力を吸われて、ぐらりと脳内が眩む。

 優しく、あたたかで、穏やかな羊毛がライトを眠りに誘っていく。

 ここは既に夢の中なのに、意識がどんどん重くなる。

 まぶたを開けているのも、だんだん、つらくなる⋯⋯。


「さあ、少年。私の腕に抱かれて、お眠り」

「い、いやだ⋯⋯! ボクは、こんなとこから帰って⋯⋯、ホタルさんと⋯⋯」


 ライトは必死に頭を振って抵抗する。

 夢魔はくすくすと笑っていた。


「ホタルさん、か⋯⋯。それはあの、龍燈のような女だろう?

 キミのことを、まるで可愛いペットのような目で見つめている⋯⋯」

「⋯⋯ペット⋯⋯? 違う、ホタルさんは⋯⋯」

「彼女は、悪魔だ。キミだってわかってるんだろう?

 そのうち飽きられて、捨てられる。悪魔というのは、そういうものだ。

 気まぐれに愛して、気まぐれに捨てる」


 夢魔は洗脳を刷り込むように、穏やかな声でライトに囁く。

 眠気で頭が回らなくなっているライトには、彼女の言葉が深く響いた。


 ホタルさんが、ボクを、捨てる⋯⋯。


 ぼんやりとした思考の中で、そんなことない、とライトは呟く。

 夢魔はライトの考えを塗り潰すように、更に言葉を重ねてきた。


「それは、キミの願望だ。けれど、キミは知っている。

 願いは叶わないものだ。キミの願いは、叶わない。

 あの人はいずれ、キミを捨てるよ。キミは、ひとりぼっちになるんだ」


 ライトはただ、夢魔の言葉を聞くしか出来ない。

 眠気で何も考えられない。


「ひとりぼっちは、嫌だろう?

 だから、ほら、私を頼って⋯⋯。

 抱き締められている気持ちの良さに、体を委ねて⋯⋯」


 夢魔はまるで聖母のような笑みを浮かべて、ライトの瞳を手のひらで覆った。

 眠気がまた深まって、あくびがしたくなってくる。

 夢魔の力に、抗えない。

 敵の強さを実感したら、夢の中では絶対に勝てなくなってしまうのに。

 ライトの全身が気怠くなって、柔らかな羊毛に受け止められる。

 握り締めていた武器が、指の隙間から滑り落ちた。

 敵意が鳴りを潜めて、微睡む。

 心が完全に屈してしまう。


 だらりと垂れ下がったライトの腕が、腰に吊るされた木片に触れた。


 ホタルに貰ったお守りに嵌め込まれていた石が、熱い。

 穏やかに包み込んでくる羊毛の温かさとは、まるで異なる。

 ライトはぎゅっとお守りを握って、彼女の名前を呟いた。


「ホタルさん⋯⋯。ボクは、ホタルさんが⋯⋯」

「どんなに望んでも、無理なものは、絶対に無理。

 彼女とはもう、共にいられない⋯⋯。

 憐れな子羊⋯⋯、キミは私を頼るしかないのさ⋯⋯」

「⋯⋯それでも、ボクは⋯⋯。

 ボクは、ホタルさんじゃなきゃ、いやだ」


 ライトはお守りを握った拳を静かに持ち上げた。

 ホタルさんのところへ、行きたい。

 こんなところで、道に迷ってなんかいられない。

 心の中が、そんな想いでいっぱいだった。

 ライトの感情に呼応するように、木片の魔法石が、青白く輝く。


 これは、ホタルがくれたもの。

 彼女との繋がりを示すもの。

 ホタルの魔力が込められている石ならば、簡易魔術のロジックで、彼女と同じ魔法が使える。

 ⋯⋯そうあるべきだと、ライトは信じた。

 ホタルのところへ帰れるならば、それ以外はどうだっていい。

 荒唐無稽だと判ずる理性も、不可能な儀式だと断ずる常識も、今のライトの頭には無かった。

 夢の中では、強く信じることさえできれば、それが唯一の現実だ。


「──小石は夜に光を放ち、帰り道を指し示す。

 迷いを払いし月光の神よ、我に加護を与えたまえ⋯⋯!」


 ライトは木片を天に掲げて、聖句を唱えた。

 あまりにも方向音痴な息子を見かねて、父が教えてくれた呪文。

 適性が無くて、一度も発動しなかった、空間転移の大魔法。

 それが今、夢の世界の奇跡を借りて、起動する。


 ホタルの魔力を宿した石に、青白い怪火が燃え上がる。

 炎の渦が、ライトの体に纏わりついた綿を、真っ黒な炭の欠片に変えていった。


「熱っ! な、なんだい、これは⋯⋯!

 こんな、こんなにも、盲目的な意志の形は⋯⋯!

 まさかキミ、心の底から、あの女に夢中だったとでも言うのか⋯⋯!?」


 夢魔が悔しそうに叫ぶ。

 しかし、ライトにはどうでもよかった。

 ホタルのところへ帰る以上に、大事なことは何も無い。

 青白い炎がライトを包んで、彼女の元へと転移させる。

 ライトの意識が夢の中から消えたことで、無人の街並みも消えていく。

 夢魔はマントの焦げ跡を握り、屈辱に顔を歪ませながら、闇の中へと溶けていく小さな世界から逃げ出した。


 現実に意識が戻ったライトは、ゆっくりとそのまぶたを開ける。

 体はホテルのベッドの上だ。

 悪夢を見せられてしまったせいで、じっとりと肌が汗ばんでいる。

 せっかくシャワーを浴びたというのに、台無しだ。

 ライトは溜め息を吐いた。

 ベッドから体を起き上がらせて、周囲を見回す。


「⋯⋯ホタルさん、まだ帰ってきてないみたいだ」


 ぐう、とライトの腹が鳴る。

 人間はごはんを食べないといけないのに、いつになったら戻るのだろう。


「まだまだ時間が掛かるなら、シャワーを浴び直してこようかな⋯⋯」


 ライトはベッドサイドのテーブルに置いていたリュックに手を伸ばした。

 隣に置いてあった短剣に、リュックの角が当たって落ちる。

 木材の床で、ガランガラン、と悲鳴が上がった。

 ライトは少し面倒そうな顔をして、短剣を拾うためベッドを降りた。

 短剣に手を伸ばすと、巻き込まれて床に落ちていた小さなお守りが目に入る。


「⋯⋯お風呂から上がっても帰ってなかったら、ホタルさんのこと、探しに行こう」


 ライトはお守りを拾い上げ、宝物を扱うように両手でぎゅっと握り締めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ