第15話:雷鳴のセントエルモ
断崖浮遊都市フラクスには、薬屋が何ヵ所か存在している。
今回ホタルが選んだのは、冒険者向けの回復薬と魔石を豊富に取り揃えている店だ。
扉を開けると、薬草を煎じる苦い香りが店の奥から漂ってくる。
じっとりと生暖かい湿度が肌にまとわりついて、なんとも居心地が悪い。
カウンターでは、店主が椅子に座ってニタニタとした笑みを浮かべて、ホタルとライトを舐めるように見た。
店主の頭には、巨大なキノコの笠がある。手足は太く、全体的に丸っこい。
植物系の悪魔、マイコニドだ。
笠で影になっている肌は白くて不健康そうな印象があり、目の下には徹夜の証のクマも見える。
まるで、森の深い場所で隠遁生活を送っている黒魔女のような出で立ちだ。
「ヒヒヒ⋯⋯、いらっしゃい⋯⋯」
マイコニドが不気味に笑う。
安全のためか、薬瓶が並んだ商品棚は、全て彼女の背後に配置されている。
イモリの黒焼きが浸けられた瓶や、怪しい薬草の詰まった瓶は、見るからに不穏で気味が悪い。
しかし、ライトは気にせずに、易々とカウンターへ近づいた。
だって、早々に買い物が終ったら、そのぶん妖精探しの時間が増えるし。
店の雰囲気が明るかろうが暗かろうが、冒険道具が手に入るならば、ライトにとっては何でも良かった。
ライトはサクサクとカウンターのマイコニドに注文を伝える。
「冒険者向けの回復薬が欲しいんだ。
切り傷と擦り傷によく効いて、あと鎮痛効果が付いてると嬉しい」
「ヒヒヒ⋯⋯。必要なのは、人間用⋯⋯?
だったらこのヨモヨモ草のジェルがオススメよ⋯⋯」
「じゃあそれの小瓶をひとつと、あと魔石も頼む。
魔力濃度が25~30パールスくらいで、単属性。火と、雷と、水と、氷と、光。ある?」
「あるわよ⋯⋯。ついでに、人間の疲労回復にも最適なポーションはいかが⋯⋯?」
「いらない。頼んだ分だけでいい」
「ヒヒヒ⋯⋯、ざんねん⋯⋯」
マイコニドが棚から薬と魔石を取り出して袋に詰める。
ライトは料金を支払って、商品を受け取った。
これで休日にやりたかったことは全て終わりだ。
ライトはホタルと共に、マイコニドの薬屋を後にした。
「⋯⋯さて、この後はどうしようか?」
「ホタルさんは、買いたいものとか無いんですか?」
「私は海霊族だから、必要な物資はそれほど無くてね」
「だったら、妖精さんを探しに行きましょう!
ここは空の上だから、珍しい属性の妖精さんに会えるかも!」
ライトは瞳を輝かせて、路地裏に向かって走り出した。
ホタルが楽しげに微笑みながら、ライトの背を追う。
「本当にキミは、妖精が好きだね」
「はい! 妖精さんはいつも、素敵な場所に導いてくれるので!」
ライトは屈託の無い笑みを浮かべた。
妖精を追いかけていたせいで、魔物の巣に突っ込んでしまったり、他人と揉めたりすることもあったが、そんなどうでもいいことはライトの記憶から消えている。
ライトは直感の赴くままに、妖精を探して町中を歩いた。
この浮遊都市では、やたらと野良猫の姿を見かける。
彼らのふわふわとした毛並みは、視界の端に移るたび、ライトを一喜一憂させた。
「なんだ、また野良猫かぁ⋯⋯。いや、もしかしたら、猫の毛皮に妖精さんが紛れてるかも⋯⋯?」
ライトは道端にしゃがみこみ、猫を凝視した。
グレーのサバ模様の猫は路上にごろんと寝転んで、呑気に大きな欠伸をしている。
ホタルはくすくすと笑いながら、彼の様子を見守っていた。
「おや。これは⋯⋯」
猫に意識が向いてしまっているライトの足元を、小さな毛玉が横切っていく。
オーロラグラスのように、体が揺れるたび青に紫にと色を変えながら飛ぶそれは、この町特有の妖精だ。
「ライト。妖精がいたよ」
「えっ!? どこ!?」
「ほら、そこ。向こうに飛んでいく」
「本当だ! 待って、妖精さん!!」
ライトはバッと立ち上がり、妖精の後を追いかけ始めた。
見つけてくれたホタルへの感謝は後回しだ。
そんな余計な真似をしていたら見失ってしまう、とでも言うかのように、ただひたすらに妖精についていく。
ライトの勢いに驚いた野良猫がフギャ!と叫んで逃げ出したが、それもライトは気に掛けない。
妖精はふわふわと宙を飛んでいく。
歩くような速度でゆっくりと進んでいく小さな毛玉を蹴飛ばさないように、ライトは車間距離を空けながらそっと歩いた。
妖精の飛んでいく先に、もうひとつ、別の妖精が見えた。
のんびりと空中を漂うそれは、やってきた毛玉にぺとりとくっつき、ひとつの塊にまとまった。
「妖精さんたちの融合現象だ!」
ライトは興奮で頬を赤くし、拳を熱く握り締めた。
魔力の塊である妖精は、自身と同じ属性の魔力を吸収しようとする特性がある。
それにより、同じ属性の妖精同士は引き寄せ合って、合体するのだ。
何度も融合を重ねた妖精は、体内の魔力濃度が高まることで、やがて精霊に進化する。
「あの妖精さんは、まだ精霊にはならなそうだな⋯⋯。ずっと見てたら、成長するかな⋯⋯」
ワクワクとした様子でライトがひとりごとを言う。
ひとまわり大きくなった妖精の毛玉は、ふんよ、ふんよ、と路地裏の先へと飛んでいった。
ライトは迷わずその後を追い、ホタルの足音が続く。
妖精は町の外周を囲んだ防壁を越えて、断崖の先端に着地した。
「⋯⋯雲海の魔力を感じてるのかな」
「そうみたいだね。この辺りの雲は色が濃くて、魔力が強そうだ」
ライトとホタルは、町から細く突き出した断崖の中ほどに立って、妖精の様子を観察する。
紫がかった空と、真っ白な雲を臨みながら、妖精はじっと佇んでいた。
バチリ、と雲海の魔力が弾けて、青い稲妻が走る。
断崖へ飛んでくる雷を妖精は全身で受け止めて、貪欲に魔力を吸収しているようだ。
毛玉がどんどん膨らんでいく。一部の毛先が避雷針のように長く伸び、精霊の形に近づいていく。
空を飛ぶのに適した流線形の体。丸い毛玉はゆっくりと、小さな稚魚へと変貌していった。
「わあ、すごい⋯⋯!」
ライトは感嘆の息を零した。
よく見る毛玉の妖精も良いが、精霊になりかけている段階の妖精も神秘的で美しい。
妖精の角先で、青色の雷がバチバチと音を立てながら燃える。
まるでバースデーケーキのロウソクだ。進化を祝福する拍手のように雷鳴が轟いていた。
やがて、妖精は宙へと浮かんで、雲海の中へと漕ぎ出していく。
ライトはゆっくりと息を吐き出し、握り締めていた指先をほどいた。
「⋯⋯すごいな。まだ、あの色が見えるみたいだ⋯⋯」
「まさか、微精霊になる瞬間が見られるとはね。妖精も追いかけてみるものだ⋯⋯」
ホタルもしみじみと呟いている。
精霊学者の彼女としても、興味深い光景だったようだ。
ライトの胸が熱くなる。妖精探しに彼女がついてきてくれて、良かった。感動を分かち合ってくれたことが、なんだか嬉しい。
ライトは微笑みを浮かべながら、ホタルの顔を見上げた。
「⋯⋯帰りましょうか、ホタルさん」
「そうだね。⋯⋯と言いたいところだけど、もう日が暮れ始めているし、今日はこの町の宿に泊まろう。
夜のフライトは怪鳥に襲われやすいから、危険だ」
「そうなんですか? 次元移動を使えばパパッと帰れそうですけど⋯⋯」
「この島は魔力結晶で出来ているから、次元移動がやりづらいんだ」
ホタルが足元をカカトで叩く。
ライトには、魔術の根本的なロジックはあまりよくわからないが、出来ないものは出来ないのだろう。
「それじゃあ、まずは泊まる場所を探さないとですね」
「そうだね。部屋が空いてると良いのだが⋯⋯」
「ボクは桟橋で野宿になっても平気ですよ。冒険者ですから」
「⋯⋯ふふふ。キミは意外と強かなんだね」
ホタルが微笑む。
二人はまた横に並んで、歩き始めた。
大通りでは、酒場や食堂の店員が客引きを行っている。
ライトが何の気なしに町の人々を眺めていると、チラシの束を持っている女性と目が合った。
「ホテル『やすらぎの繭』です! よろしければどうぞ、旅の御方!」
女性がチラシを手渡してくる。
パピヨン族の悪魔だ。背中に蝶の羽が生えていて、童話的な美しさを持つ。
手のひらに乗るほど小さな個体は、妖精と混同されてしまうこともあるが、ライトが教わってきた分類では悪魔の一種だ。
ライトは「ホテル」という言葉が気になって、彼女からチラシを受け取った。
ホテル『やすらぎの繭』、グランドオープン。
このチラシをお持ちのお客様は宿泊費割り引き。
オープン記念で、パピヨン族のスタッフによる癒しの鱗粉サービスが無料。
最高級シルクのベッドで、上質な一夜をお過ごしください──。
ホタルもチラシを覗き込み、文字を目で追った。
運営は悪魔主体だが、ぼったくり等の噂も聞かないクリーンな企業だ。
勝手に傘下の振りをしている詐欺師でも無い限り、問題は無いだろう。
ホタルはビラ配りのパピヨン族へと視線を動かす。
⋯⋯明らかに自分より格下だ。仮に詐欺を働かれても、燃やして反省させてしまえばいい。
ライトを連れていっても何の問題も無さそうだ、とホタルは冷静に判断を下した。
じっとチラシを見つめているライトに、ホタルは微笑みながら声を掛ける。
「⋯⋯その宿が気になるのかい、ライト?」
「うん。割引券を貰ったんだから、行ってみても良いかな、って」
「それじゃあ、今日はそこに泊まろうか」
「はい。行きましょう、ホタルさん!」
ライトがチラシに載せられた地図を見ながら歩き始める。
十字路を左右逆に曲がろうとした彼を、ホタルは苦笑しながら引き留めた。
偵察術での感覚的な脳内地図とは違って、紙の地図だと現在位置が掴みにくいようだ。
「ライト。その先は行き止まりだよ」
「え? でも地図には、ここを曲がるって書いてありますよ?」
「それは二つ先の曲がり角。私が案内してあげるから、ついておいで」
「⋯⋯はい。よろしくお願いします」
ライトはばつが悪そうに言って、地図をホタルに手渡した。
ホタルは周囲の風景と地図の地形を照らし合わせながら、宿への道を迷わずに進む。
目的地であるホテル『やすらぎの繭』は、旅人向けの宿が並んだエリアの端に佇んでいた。
ガラス扉を押して開けると、ほのかに甘い花の香りが漂ってくる。
エントランスには他の客の姿は見えず、上品で落ち着いた雰囲気が二人を出迎えた。
チェックインのためフロントまで赴くと、受付担当のパピヨン族が頭を下げながら言った。
「ようこそ、ホテル『やすらぎの繭』へ。ご宿泊ですか?」
「ああ。彼と二人で。部屋は空いているかい?」
「二名様でしたら、ダブルのお部屋に空きがございます。
⋯⋯ツインのお部屋、またはシングルを二部屋は、残念ながらご用意できません」
ダブルルームは、本来であれば夫婦で泊まるための部屋だ。ベッドがひとつしか無い代わりに、他のプランより宿代が安い。
ホタルはちらりとライトを見下ろす。
「ライト。私と同室でも構わないかい?」
「問題ありません。カカオカのところでも一緒でしたし」
ライトは迷わずにそう答えた。
他の宿を探しに行く、という選択肢もありはしたが、出来れば早く休みたい。
ホタルは少し意外そうにしながらも、ライトの言葉に頷いた。
「⋯⋯そう言えば、そうだったね。
それじゃあ、ダブルの部屋で頼むよ」
「かしこまりました。パピヨン族のスタッフによる、癒しの鱗粉サービスはいかがいたしましょう?」
「鱗粉か。私はどちらでもいいが⋯⋯」
「ボクもどっちでもいいです。せっかくだから付けてみましょうか」
「そうだね。⋯⋯では、そのように頼むよ」
「かしこまりました。こちらに記入をお願いします」
宿帳にホタルが記入する。
ライトも名前と種族を書き込み、住所欄はひとまずホタルと同じにしておいた。
現在はなあなあで居候と化しているが、いずれは自宅も用意しないといけないな、とライトは考える。
⋯⋯ホタルのことだから、雇用主として住居の面倒は私が見る、住み込みの仕事だと思ってくれ、などと言い出しそうだが。
そうやって、なんでもホタルが一人で背負うのは、ライトにはどうにも嫌だった。
ライトが記入した住所欄を見つめながら考えていると、フロントから声が掛けられる。
「お客様。そちらの魔力紙に指を置いて、魔力を記録してください」
「あっ、はい⋯⋯!」
ライトはハッとして、宿帳に自身の魔力を記録する。
魔力の属性や波長には個人差が大きいため、本人確認が必要な際に利用するのだろう。
パピヨンは宿帳の記入に漏れがないかを確認し、にっこりと微笑んだ。
「では、こちらがお部屋のキーになります」
受付のパピヨンが鍵を差し出す。
ホタルは飛翔術で鍵をふわりと浮かせて、受け取った。
二人はフロントからエレベーターに乗って、部屋へと移動する。
シックな雰囲気の部屋だった。家具は全てアンティーク風のデザインで揃えられており、落ち着いた木材の色合いが宿泊客をリラックスさせる。
ホテルの特長でもあるシルクのシーツは、滑らかでずっと触れていたくなる手触りだ。
ライトはそのままベッドの上に寝転がった。
「ああ、いいな、これ⋯⋯」
「そんなに良いものなのかい?」
「はい⋯⋯。ここで寝たい、って気持ちになります⋯⋯」
ライトはまぶたを閉じて、上質なシーツの感触に浸った。
ぎしり、とマットレスが軋みながら傾いて、隣にホタルも寝転がってくる。
あまりにもライトが心地よさそうだったので気になってしまったのだろう。
手のひらの無い彼女は、頬をシーツに擦り寄せて、その肌触りを確かめた。
「⋯⋯ふむ。キミは、こういうのが好きなのか」
「ボクに限らず、人間はだいたい好きだと思いますよ」
「そうか。⋯⋯私の家にある寝具も、もっと良いものに買い換えるかな⋯⋯」
「それは、帰ってくるのが楽しみになりそうですね」
ライトは笑いながら、身に付けていた装備を外した。
すべすべのシーツを堪能するために、リュックを下ろして、腰のポーチや短剣もサイドテーブルの上に置く。
履きっぱなしのブーツも脱いで、ベッドから投げ捨てた。
解放感という言葉を体現するかのように、ライトはベッドに大の字で転がる。
だらけたライトの姿を見て、ホタルが穏やかに微笑んだ。
「ふふ。私も、たまには羽を伸ばすか」
ホタルは実体化させている衣装を組み換えて、シーツに触れる肌の面積を増やしていく。
涼しげな半袖のシャツと、一分丈の短いジーンズ。
シャツの裾は胸の下で結ばれており、細くくびれた腹部が露わになっている。
まるでバカンスに来たお姉さんだ。
ゆったりとベッドに寝そべって、ホタルがライトに笑いかけてくる。
「ホタルさん、その格好⋯⋯」
「港町で見かけた服装を真似してみたんだ。
私が堅苦しい格好のままだと、キミもリラックスしづらいだろう?」
「いや、まあ、その⋯⋯。それは⋯⋯」
ライトは視線を彷徨わせた。
見慣れていないから、逆に落ち着かない感じがする。
ライトにとっては違和感がありすぎて、妙に受け入れがたいのだ。
普段はしっかりと着込んでいるから、ラフな格好は意外と言うか⋯⋯。
ギャップが強すぎて、固定観念ごと脳みそをハンマー殴られてしまったような気持ちになると言うか⋯⋯。
ライトは改めて、ホタルを見た。
シャツのボタンは上から数個が外されていて、普段ならば見えない鎖骨が覗いている。
こんなことがあってもいいのか。
⋯⋯何故かはわからないけれど、なんだか居たたまれないような、見ていてはいけないような気がしてきた。
ライトはベッドから転げ落ちるように飛び降りて、
「ボク、お風呂に入ってきます⋯⋯っ!」
着替えの入ったリュックを掴んで、ベッドルームから撤退した。
ドタドタと足音が響き、ライトが浴室のほうへと引っ込む。
残されたホタルは、くすくすと楽しそうな顔で笑っていた。
「ふふふ。まさか、そんな反応をされるだなんて。
⋯⋯やっぱり興味深いな、ライトは」