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第14話:アラクネの針仕事


 ターゲットは、高い場所にあるパイプの上に寝そべってこちらを威嚇している。

 逃げ出しそうな気配は無いが、降りてきてくれそうな様子も無い。

 猫の気を引くのに使えそうなオヤツやオモチャがあれば良いのだが、そんな都合の良い品はリュックに入っていなかった。


「⋯⋯水でもぶっかけてみるか」


 ライトは腰のポーチから水の魔石を取り出す。

 猫を傷つけず、路地裏も壊さず⋯⋯となると、ライトにはそれが一番に思えた。

 反感を買うことで逃げられやすくなるかも、などという思慮深さは無い。

 ライトの脳内では、とにかくあのパイプから猫を降ろすことだけがゴールになってしまっていた。

 ライトは魔石を握り締めて、猫を見つめる。

 魔石を使った簡易魔術は、攻撃魔法が使えない冒険者にとっては重要な技術だ。

 まず、触っても問題が無い魔力濃度の魔石を用意する。

 魔石の魔力が濃すぎると、火傷したり石化したりしてしまうから、念のため魔力遮断の手袋も着けておくと尚良い。

 次に、自身の魔力を石に込めながら投げる。


「そうすると、魔石の魔力が異物の混入で暴走するから、魔法が発動してしまう」


 火の魔石なら発火、光の魔石なら発光。

 水の魔石なら、バケツ一杯分の水が出てくる。

 ライトが投げた魔石は狙い通りに飛んでいった。

 猫の頭上で魔石が弾け、ばしゃあん!と水が降ってくる。


「いやぁぁああ!」


 甲高い悲鳴が路地裏に響いた。

 水に驚いた猫が、配管の上から飛び降りてくる。

 ライトは素早く手を伸ばし、着地した毛玉を掴み取った。

 そのまま、猫が逃げないように持ち上げておく。体が大きいだけあって、なかなかに重かった。


「ニャニャア! ちょっと! ニャに触ってるのニャ! サイテー!!」


 猫がジタバタと暴れている。

 ライトは先程から聞こえてくる女性の声に、面倒そうな顔になった。


「⋯⋯もしかしてお前、ケット・シー?」


 ケット・シーは、魔獣の変異種だ。

 猫型の魔獣が、高濃度を魔力を浴びて悪魔化した状態だとも言われている。

 ただの魔獣とは比べ物にならないほど高い知能を持ち、人語を解し、魔法まで操る存在だ。

 分類上は魔獣だが、獣人とほとんど変わらない。


「飼われてるうちに進化しちゃって、家出したのか?」


 ライトはケット・シーに尋ねた。

 昔、そういう絵本を読んだことがある。

 もしこの猫が、ペット扱いに嫌気が差して逃げていたのなら、家へ戻そうとするライトに抵抗するかもしれない。


「違うニャ! お散歩に出掛けてたら急に⋯⋯。てか、早く離すニャ!」

「それは出来ない。ボクはお前の飼い主が出してた猫探しの依頼を引き受けてるんだ」

「ニャニャニャっ!? もしかして、ニャーをこのままご主人のところに連れていく気かニャ!?」


 猫が足をバタバタと揺らして暴れ始める。

 やっぱり家に帰りたくないようだ。

 ライトは溜め息を吐いた。


「お前がどんなに嫌がろうとも、ボクはお前を家まで連れてく。観念して、おとなしくしろ」

「嫌ニャー! 裸で連れ回されるニャんて嫌ニャー! このヘンタイー!!」

「はぁ? お前、毛皮があるから裸じゃないだろ」


 ライトは呆れ顔になった。

 獣人の中には、着衣の文化が無い種族もいる。

 例えばラミアは、鱗で覆われている下半身を衣服で隠すことはほとんどしない。

 カカオカも、リスの姿の時は服が消えていた。

 人間の視点からしても、彼らを指して「服を着ずに生活するなんて恥ずかしい種族だ」なんて思ったことは一度も無い。

 ライトには、このケット・シーの気持ちがまるで理解できなかった。

 しかし、ケット・シーはそんなライトの態度に憤る。


「フギーッ! オマエ、乙女心がわからないのかニャー!?

 こんな格好でご主人の前にニャんて出ていけないのニャー!」

「⋯⋯あー、つまり。服があれば家に帰ってもいいってことか?」

「ニャ。それニャら、いいのニャ」


 猫が頷く。ライトは溜め息を吐いた。


「わかった。服を用意するから手を離しても逃げるなよ。

 逃げたらまた水ぶっかけるからな」

「物騒なヤツだニャ⋯⋯。逃げるわけニャいのニャ⋯⋯」


 猫が何故か呆れ声になる。

 ライトは彼女を地面に降ろして、リュックの中身を確かめた。

 予備のシャツはケット・シーには大きそうだ。

 ワンピースとして着せるにしても、細い肩幅が襟をすり抜けてストンと落ちてしまいそうに思える。

 ガサガサとリュックを漁るライトの様子を、ケット・シーは二本足で立ちながら覗き込んでいた。


「⋯⋯古代の神官スタイルで行くか」


 ライトはリュックから布と麻紐を取り出した。

 細長い一枚布を背中からお腹へと、脇の下を通しながら巻きつけて、両端の上側を首の後ろで結ぶ。

 腰に麻紐を巻いて、形が崩れないように整えたら、完成だ。


「どうだ? これならサイズも問題無いだろ」


 パッと見はホルターネックの白いワンピースと変わらない。

 ケット・シーは自分の体を見下ろして、おお!と嬉しそうな声を上げた。


「ありがとニャ! これニャらご主人の前に出ても恥ずかしくないニャ!」

「それじゃ、家まで連れていくぞ。猫探しの依頼、終わったって報告しないと」

「わかったニャ」


 ケット・シーが笑顔で頷く。

 ライトは迷子の猫を連れて、裏路地を出た。

 依頼書に記された住所と、番地を示す看板の文字を見比べながら道を進む。


「ちょっと、どこに行くのニャ、人間!

 ニャーの家はこっちニャ、こっち!」

「⋯⋯この町、道の名前が似たのばっかりでわかりづらいな⋯⋯」

「そうかニャ? クイーン・エリー通りの隣がナイト・マリー通り。

 その奥がクローン・サリー通りで、わかりやすいと思うけどニャァ⋯⋯」


 ケット・シーが慣れた様子で路地を指差す。

 恐らくは、町の歴史を知ってると「この女王様の隣にはこの騎士だよね」と納得するタイプの名付け方なのだろう。

 ライトにはまるでピンと来ない。

 結局、家までの道案内はケット・シーのほうがしてくれた。


「ご主人! ただいまニャー!」

「ノルフォ! おお、わしの可愛いノルフォや⋯⋯!

 無事に帰ってきてくれたんじゃなぁ⋯⋯!」


 依頼主の老紳士が毛長猫を抱き締める。

 まるで孫娘を見るような顔だ。しわのある目尻に喜びの涙が浮かんでいた。


「その、ご主人⋯⋯。散歩の途中で、ニャーはケット・シーになっちゃったのニャ。

 それで⋯⋯、ちょっと、帰りづらくて⋯⋯」

「そうじゃったんか⋯⋯。でも、無事に帰ってきてくれて、じいはとても嬉しいぞい!」

「⋯⋯えへへ。ありがとうなのニャ、ご主人。

 ニャーが帰るきっかけになったこの人間さんにも、お礼をしてあげて欲しいのニャ!」

「勿論じゃとも。待っていてくれ。いま魔貨を持ってくるからのう」


 依頼主が家の中へと引っ込んでいく。

 その場に残ったケット・シーが、照れくさそうにライトを見上げた。


「改めて、ありがとうなのニャ、人間。

 オマエのお陰で、ニャーはまたご主人に会えたのニャ」

「そうか。⋯⋯良かったな、帰ってこられて」

「この町で迷子になったなら、いつでもニャーを頼るといいニャ。

 どこにでも案内してやるニャ」

「え、いらない。案内上手はもういるし」

「そこはお世辞でもありがとうって言えニャ!」


 ケット・シーが尻尾を揺らして抗議する。

 ライトはどこ吹く風といった様子で、彼女の反応を丸ごと無視して、今後の予定を考え始めた。

 ホタルさんに仕事が終わったことを伝えて、買い物がしたい。新しい服と、薬と、それから魔石も。

 ライトが手持ちの魔石の残りを思い浮かべていると、依頼主が戻ってきた。


「どうぞ、依頼の報酬ですじゃ。

 ノルフォがケット・シーになっとって、想定外の手間を掛けたじゃろうから、報酬には少し色を付けておきましたぞい」

「⋯⋯確認しました。じゃあ、ボクはこれで」

「はい。本当にありがとうございました、冒険者さん」

「バイバイなのニャ、人間!」


 猫と飼い主がライトを見送る。

 ライトは集合住宅から出て、大通りへと戻っていった。


「ボクの仕事は終わったけど⋯⋯。ホタルさんのほうは、どうかな⋯⋯」


 呟きながら、ライトはホタルが選んでいた依頼書を思い出す。

 内容は確か、釣り桟橋でたまに釣れるイッカクシャークを持ってきて欲しい、というものだ。

 空に浮いているこの町で、なぜ釣りの依頼があるのかは、ライトにとっては謎でしかない。

 島が浮いているように、泉でも浮いているのだろうか。

 ⋯⋯まあ、実際に見てみればわかるだろう。


 ライトは通行人に何度か方向を尋ねつつ、釣り桟橋へと辿り着いた。

 桟橋という名前だが、見た目は細く突き出した崖だ。

 サングラスを掛けた悪魔が釣糸を雲海の中へと垂らしている。どうやら雲の中に住む特殊な魚がいるらしい。

 野良猫がおこぼれを貰おうと釣り人のバケツを覗き込んでいた。


 ホタルは桟橋の先端に座って、獲物が掛かるのを待っている。

 彼女の釣竿は、腕が無くても使いやすい魔力制御タイプの魔道具で、胴体に巻かれたベルトが腕の代わりとなって竿を支えていた。

 飛翔術では、生き物が掛かった時の負担が大きいからだろう。

 ボタンを押すと自動でリールが巻かれる便利機能も付いていそうだ。


「おや、ライト。猫探しはもう終わったのかい?」

「はい。ホタルさんのほうはどうですか?」

「別の魚は掛かったんだが、目的の相手は掛からなかったね。まあ、漁にはよくあることさ」


 ホタルが笑いながら言った。カラカラと釣糸が巻き上げられる。

 飛翔術で竿を固定するベルトが外され、収納箱の中へとまとめて飛び込んでいった。

 真面目な彼女のことだから、依頼が達成できるまで釣り続けるのかと思っていたが、今回はここで切り上げるらしい。

 ⋯⋯ホタルにとっては、ライトのほうが優先順位が高いのだ。

 いつものことながら、彼女は人間が好き過ぎる。

 ライトは少しだけはにかんで、立ち上がったホタルを見上げた。


「冒険者向けの服屋って、どこにあるんですか?」

「それなら、ロード・サニー通りの南端だ。案内するから、ついておいで」


 ホタルがライトへ手袋を差し出す。

 ライトは彼女の手袋を握って、いつものように二人並んで歩き始めた。

 ショーウィンドウのガラスに、仲の良い姿が映り込む。

 ライトの腰に吊るされた身分証が弾むように揺れていた。


 ホタルは道に迷うことなく、ライトの手を引いて進んでいく。

 そうして辿り着いたのは、路地裏にある隠れ家のような店だった。

 軒先に吊られた金属板の看板には、リボンと蝶を組み合わせた紋章が描かれている。

 年季の入った木製の扉が、軋んだ音を立てながら開いた。


「いらっしゃいませ! アラクネ織物工房へようこそ! 本日は何をお探しですか?」


 店員が明るい声で話しかけてくる。

 アラクネ族の娘だ。上半身は人型で、下半身が蜘蛛になっている。

 髪にはフェルトで作られた蝶や花のクリップが幾つも飾られており、手編みのカーディガンを羽織っている。

 小豆色をしたエプロンのポケットからは、ハサミや巻き尺、チャコペン等が顔を覗かせていた。

 足の模様を見るに、毒は無さそうだ。甲殻の類いも無く、短剣だけでも倒せるだろう。

 ライトは冒険者目線でついつい分析してしまった。


「彼の装備を整えたいんだ。迷宮攻略にも適している丈夫な服を見繕って欲しい」

「かしこまりました! それじゃあ、ボク君、お姉さんについてきて?」


 アラクネは屈んで、ライトに視線を合わせてくる。

 ライトは子供では無いのだが、イチイチ訂正するのも面倒なので、アラクネの好きに呼ばせておいた。


「ボク君に似合いそうなのは、この辺かな~? ウチに来たってことは、鎧とか着込んじゃうタイプじゃなさそうだもんね~」


 アラクネは楽しそうにハンガーラックから服を見繕う。

 上品ながらも華やかさのある深紅のインバネスコートに、ワイシャツとスラックスのセットだ。


「はい、ボク君! 試着して、着心地を確かめてみて!」


 アラクネはライトに服を渡して、試着室のへと押し込んでくる。

 ライトは彼女に言われるままに服を着替えた。


「きゃわわ~! すごーい! カッコイイよ、ボク君~!」

「⋯⋯魔獣ハンターのような出で立ちだね。着心地はどうだい、ライト?」

「肌触りは悪く無いけど、リュックが背負いづらいと思います」

「あら、そぅお? それじゃあ、次はコレ! 魔術師さん用のセーラー襟!

 半袖半ズボンだけど、防御壁の魔法を織り込んでるから素肌もばっちりガードしちゃうの!」


 アラクネが棚から別の商品を持ってくる。

 爽やかな白と水色の水兵風デザインだ。

 膝下丈の靴下に、ずり落ち防止の魔法ではなくソックスガーターが付いているところに、デザイナーのこだわりを感じる。

 ライトはまた服を着替えて、試着室のカーテンを開けた。


「あぁ~っ! もう最高! やっぱ冒険者は魔法使いが最強ね~!!

 どうかしら、ボク君? 気に入ってくれた?」

「どれも着るのに時間が掛かる。もっとラフな服は無いのか?」

「ふっふっふ⋯⋯。あるわよ、勿論!

 垢抜けてない純朴な男の子を包み込むに相応しいデザインも、私の織物工房にはね!」


 アラクネがウキウキとした足取りで、農民向けの棚へと向かう。

 飾り気は無いが、耐久性と着心地は折り紙つきの一着だ。

 しかし、服に袖を通した時の感触で、ライトの眉間にしわが寄った。なんだか、妙にひんやりとしている。

 着替え終わったライトは試着室のカーテンを開け、店員に問いかける。


「⋯⋯この服、素材は何で出来てる?」

「魔鋼の細糸を織り込んだイライザコットン製の布よ。防刃防弾に優れた布なの!」

「もしかして、着心地が良くなかったのかい、ライト?」

「肌触りは悪くないんですけど⋯⋯。

 この服、素材の特性からして腐食耐性が一切無いので、スライムに触られたら秒で溶けます」

「⋯⋯畑仕事で着るならともかく、冒険向きではないということか」

「あら、ざんね~ん! でもでも、だったらコッチの旅人衣装ならどうかしら!

 ボク君が着てたのに似すぎてるから、どうかな~って思ったんだけど。

 着やすくて強度もある冒険服なら、私の糸を織った布で作ったこの服が一番よ!」


 アラクネがニコニコと笑いながら服を手に取る。

 シンプルなデザインのシャツとベスト、ズボンのセットだ。これまでの中で一番良い。


「軽くて動きやすいし、悪くない。これを買うよ」

「はーい! お買い上げ、ありがとう~!

 今、キャンペーン中でアップリケ一個おまけなんだけど、ボク君はどれがいいかな~?」


 アラクネがレジカウンターからアップリケの入った箱を持ってくる。

 ライトは適当に、一番上に乗っかっていたカボチャ型のものを手に取った。

 代金もちゃんと自分の財布から支払って、買った服をリュックに仕舞う。


「また来てね~、ボク君~!」


 ニコニコと手を振るアラクネを背に、二人は服屋を後にした。

 次に向かうのは、薬屋だ。

 ライトは自然と手を伸ばし、ホタルの手袋を握り締めた。


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