第9話:神聖なりし隣人
潮風の香りに、爽やかな草の匂いが重なる。
目の前に広がるのは、花畑。毒々しい斑模様の花が咲き誇り、鋭い茨が繁茂する一帯だ。
ライトはカカオカの顔を見て言った。
「これ、何?」
雪女との一悶着を越え、宝物庫にあった装置で脱出し、カカオカに報告を終えた後のことである。
「町まで昼食を食べに行く」と言ったライトをカカオカは制止して、この場所──道具屋の裏庭へと連れてきた。
不可解そうな顔をしているライトに、カカオカは自慢気に胸を張る。
「アッシ、言ったでヤンスよね? 人間が食べるのにうってつけの食材があるって」
「言ってたっけ、そんなこと?」
「記憶に残ってないんでヤンスね。これだからライト氏は⋯⋯」
カカオカがやれやれと首を振る。
昨日、ライトが料理はしたくないと駄々を捏ねていた時の話だ。
ホタルは興味深そうに花畑を見つめながら呟く。
「これは魔界の食用花だね。人間が食べても毒では無いが⋯⋯。キミがこんなものを植えるとは珍しいな」
「植えてないっスよ。備蓄してたミックスシードが古くなってたから、ここに捨ててたんでヤンス。
そしたら、この通り。世話してないのに逞しく──」
「ホタルさん、これどうやって食べるんですか?」
「ライト氏。アッシの話、遮らないで欲しいでヤンス」
ライトはカカオカの言葉を無視して、ホタルを見上げる。
カカオカが大きく溜め息を吐いたが、ライトはそれも気にしない。
ホタルも特に窘めることなく、彼の質問に答えていた。魔界生活では、ままあることだ。
「この茨は、皮を剥いてからよく焼くと良い。
紫色の花は、育ちすぎるとエグみが出るから、蕾を食べるものらしい。
そっちの細長い実は生でも良いが、肉に味が似てるから、加熱調理するレシピが人気だった筈だ」
「なるほど⋯⋯。それじゃあ全部焼くか」
ライトはリュックから、調理用のナイフと鍋を取り出した。
手近な花から摘み取って、鍋へと放り込んでいく。
ざくざくとナイフを滑らせるたび、香味野菜のような爽やかな匂いが立ち登った。
一人分の食材が確保できたら、次は洗浄だ。
「清浄なりし女神よ、穢れを祓いたまえ──」
ライトは鍋に呪文を唱える。
紛れ込んでいた虫や土が魔力の光と共に舞い上がり、花畑の中へと落とされていった。
ホタルが興味深そうにライトの手元を見つめている。
「冒険者はそうやって、食事の準備をするのかい?」
「そうですね。ボクは浄化にも適性があるので、魔法で楽させてもらってます」
ライトの扱う魔法は、天界の神々から力を借りて発動する神聖術だ。
どの神様から、どのような力を、どれだけ強く借りられるかは個人の資質によって異なり、ライトはそれなりに「出来る」ほうだった。
⋯⋯勿論、本職の神官たちには、どう頑張っても及ばないが。
「茨は皮を剥くんでしたよね」
ライトは茨にナイフの刃先を滑らせた。
黒い表皮をこそいでいくと、透明な中身が現れる。
人間界の植物で例えるならば、アロエベラの葉肉に似ているだろうか。
ライトが手際よく下処理を進めている横で、カカオカとリトラシルが何かの機材を組み立て始めた。
人間サイズのバーベキューコンロだ。恐らくは、彼女の道具屋で売っているキャンプ用品の試作品。
「⋯⋯炭はこれでよし。着火は頼んだでヤンスよ、ホタル氏!」
「了解。── bur, 」
ボッ、と小さな炎が灯って、コンロの炭が燃え始める。
ライトは鉄板の上に、適当な大きさに切り分けた食材を並べていった。
海霊族が出す怪火で焼いたものを食べても大丈夫なのか?とライトはふと思ったが、ホタルが止めなかったのならば大丈夫だろう。
ライトはホタルの判断力を信頼していた。
「おお、焼けてきた焼けてきた」
鉄板の上で、じゅわじゅわと食材が焼けていく。
大量の花びらが散っていて、見た目はなんだか可愛らしいが、匂いは完全にバーベキューだ。肉の焼ける匂いがしている。
ライトはナイフの先で器用に食材をひっくり返した。
道具屋の中へと引っ込んでいたリトラシルが、魔石の袋と水差しを持って戻ってきた。
「ホタル氏~。ご注文の魔石でヤンスよ~」
「ありがとう、カカオカ。支払いはこれで足りるかな?」
「はい、ぴったり。まいどでヤンス。
こっちの水はライト氏のぶんっスよ。火のそばにいると汗かくでヤンスから」
「ありがとう。ライトに渡しておくよ」
木の枝で作られているリトラシルが燃えないようにか、カカオカはコンロから離れた立ち位置をキープしている。
ホタルは受け取った品を宙に浮かべて、ライトの隣へと移動した。
「あ、ホタルさん。焼き加減って、このくらいでもう大丈夫ですか?」
「ああ。この斑点が消えたら火が通っている証だ」
「わかりました。それじゃあ、食べ始めましょうか」
二人は互いに微笑んで、「いただきます」と声を揃えた。
ライトは耐熱性の先割れスプーンで花びらをすくって、口へと運んだ。
肉汁の味がする花びらが、口の中で溶けていく。透明な茨のブロックは、意外にもシャキシャキとした歯ごたえで、蕾のほうは甘く優しい。
「この味、タマネギとカボチャに似てるな⋯⋯。こっちの花はピーマンっぽい⋯⋯」
想像以上に、バーベキュー味だ。
見た目と食感が違うので、完全に一致とは言えないが、とても美味しい。
ライトは夢中になって花びらを口に運び続けた。
ホタルが魔石を抱えながら、微笑ましそうに見守っている。
カカオカは自宅の軒下で、ポリポリとミックスシードを齧っていた。
穏やかな昼食の光景。
そこに、招かれざる客が訪れる。
「あ、あのぉ⋯⋯、すみません⋯⋯!
食べ物を⋯⋯、その、分けて貰えませんか⋯⋯?」
突然の呼び掛けに、皆の視線が同じほうを向く。
そこにいたのは、一人の女性。
シックなメイド服を着た、気弱そうな人間だ。
道中で転んでしまったのか、スカートは泥で汚れている。三つ編みをお団子にくるりと巻いたシニヨンの髪も、少し形が崩れていた。
見える範囲には武器は無く、魔力もそれほど感じない。
「⋯⋯珍しいね。人間の単独行動か」
ホタルがまじまじと娘を見つめた。
魔界で出会える人間は、大きく分けて三種類だ。
①悪魔などとの契約で移住した労働者や配偶者。
②次元の裂け目にうっかり落ちて迷い込んだ遭難者。
③嬉々として自分から乗り込んできた戦闘狂。
──彼女は恐らく、二番だろう。
立ち位置振る舞いに、戦闘や冒険に慣れている気配はまるで無いし、悪魔との契約による魔力の揺らぎも感じ取れない。
「カカオカ。彼女に食事を分けるのは?」
「良いでヤンスよ。そこの花なら、いっぱい余ってるから好きなだけ食べてくれでヤンス」
カカオカの答えに、娘はホッとした顔をする。
ホタルはライトに声を掛け、彼女の分の料理を共に作り始めた。
ライトもちょうどおかわりの花を摘みたかったため、文句は言わずに二人分の食材を用意していく。
「キミ、名前は?」
「サクラ⋯⋯、サクラ・リースです⋯⋯。カーナルーキ様のお屋敷で、侍女見習いをさせて頂いております⋯⋯」
「そうか。初めまして、サクラ。私はホタル。彼はライトだ」
「アッシはカカオカでヤンス」
「ホタル様、ライト様、カカオカ様ですね⋯⋯。
あたたかくお迎え頂きまして、幸甚の至りでございます⋯⋯」
サクラが丁寧に頭を下げる。
ライトは黙々と茨の皮を剥き、鉄板の上へと並べていた。
彼女も妖精とは関わりが無さそうなので、そこまで興味を唆られない。
じゅうじゅうとバーベキューの匂いが立ち上る。
リトラシルが家の中から来客用の食器を持ってきて、サクラに手渡した。
焼けた花びらが、ホタルの飛翔術で浮かび上がってサクラの皿へと盛りつけられる。
「さあ、お食べ」
「あ⋯⋯、ありがとう、ございます⋯⋯」
「ほら、ライトも。人間はちゃんと、ご飯を食べないといけないよ」
「自分で取れますよ。もう、ホタルさんは本当に世話焼きなんだから⋯⋯」
ライトの皿にもホタルが勝手に花びらを盛り始め、ライトは仕方なさそうに微笑んだ。
サクラは魔界の食材を暫く見つめ、恐る恐るスプーンで掬う。口の中へと入った瞬間、彼女は瞳を輝かせた。
「何これ⋯⋯! お肉の味がする⋯⋯!」
サクラは美味しそうに花びらを頬張り、パクパクと食べ進めていく。
彼女が初めて見せた笑顔に、しかしライトは興味が無かった。客観的に見れば可愛い娘なのだろうとは思うが、それ以上の感想は無い。
ライトは、異性や恋愛といったものにも無関心だった。
「サクラは最近、ここへ来たのかい?」
「は、はい⋯⋯。つい先程⋯⋯。
お洗濯物が風に飛ばされて⋯⋯。追いかけていたら、急に周りの風景が変わって⋯⋯。
あの⋯⋯、やっぱり、ここは魔界なのでしょうか⋯⋯?」
サクラが不安げにホタルを見つめる。
人間界では、おとぎ話や教会の説話を通じて、魔界の存在が知れ渡っている。
入ったら二度と出られない、生きたまま悪魔に食われてしまう、などと言って、子供が次元の裂け目に近づかないように注意することも少なくない。
サクラもそういった話を真に受けて、怖がっているタイプなのだろう。
ホタルは彼女を安心させてやろうと穏やかな笑みを浮かべた。
「確かにここは魔界だが、そう心配する必要は無いよ。
少し北へ行ったところに、次元の裂け目が出来やすい森がある。そこからから、人間界へと戻れる筈だ」
「⋯⋯わたし、帰れるんですか⋯⋯?」
「ああ。帰る方法はある」
ホタルの言葉を聞きながら、ライトは静かに目線を落とした。
優しい彼女のことだから、次元移動の魔法で屋敷まで送ってあげるよ、くらいは言いそうな場面だ。
それをしなかったということは、ホタルはまだ本調子では無いのだろう。
自分も何か依頼を受けて、買える魔石を増やしてあげたほうが良いかもしれない。
ライトは茨を噛みながら、ホタルのために自分が出来そうなことを考えていた。
「魔界の森って、危険ですよね⋯⋯? わたし、おばあちゃんから『魔界の魔獣は、こちらの世界よりも恐ろしい』と聞きました⋯⋯」
「それは間違いではないね。魔界は自然の魔力が濃いから、魔獣も強く成長しやすい」
「ホタル様⋯⋯。ホタル様は、魔導師であるとお見受けいたします⋯⋯。
わたしが元の場所へと帰ることを、手助けしては頂けませんか⋯⋯?」
サクラからの依頼に、ホタルが何かを考え始める。
ライトはサクラのほうを見て、問い掛けたみた。
「サクラ。依頼の報酬はどのくらいだ?」
「ほ、報酬、ですか⋯⋯? わたし、今は何も持ってなくて⋯⋯。
お屋敷へ戻れば、自室に貯金があるのですけれど⋯⋯」
「それを受け取るために、ボクらも人間界までついてこい、ってことか?」
「そ、それは⋯⋯。ですが、わたし⋯⋯、本当に何も⋯⋯。
⋯⋯え、えっと⋯⋯。でしたら、わたしを暫く雇って頂いて、そのお給金でお支払する、とか⋯⋯」
サクラが肩を縮こませながら、ライトを見つめる。
残念だが、ホタルとライトには人を雇えるだけの余裕も、メイドにして欲しい仕事も無い。
カカオカも「助手ならゴーレムで事足りてるんでヤンスよね」と思ってそうな目でサクラを見ていた。
ホタルが気の毒そうな顔をしてサクラを庇う。
「ライト、そう意地悪を言うものじゃないよ。困ってる人間には優しくしておかないと」
「⋯⋯ホタルさんって、本当に人間が好きですね。タダ働きですよ、これ⋯⋯」
ライトは溜め息を吐いた。
もっと稼ぎを増やしたいな、と思い始めたところにコレである。全く以て間が悪い。
「あ、あの! お金はありませんけど、魔晶石だったら、わたし、出せます⋯⋯!」
「魔晶石? どうして、人間がそれを⋯⋯」
「おばあちゃんが、お守りにってくれたんです⋯⋯。わたしのおばちゃん、冒険者だったから⋯⋯」
サクラが袖を捲って、手首につけられたアクセサリーを露わにする。
大粒の赤い宝石は、確かに魔晶石のようだ。
魔晶石は、魔石に特殊な加工を施して、より大量の魔力を蓄積できるようにした魔道具だ。
ホタルが町の食堂で注文していた懐石にも、この魔晶石が使われている。
「うひゃ~、凄い! こんなに小さいのに圧縮率がえげつないでヤンス!
たぶんでヤンスけど、亜空間凝縮法で作られた品っスね⋯⋯! 売れば20万魔貨くらいにはなるでヤンスよ!」
カカオカが興奮した様子で捲し立てる。
ちなみに、サンドイッチ一人前が5魔貨、魔物の巣から魔鳥の卵を取ってくる依頼が3万魔貨ほどだ。
護衛クエストとしては悪くない。
「⋯⋯いいのかい? その魔晶石、大切な人からの贈り物なんだろう?」
「はい⋯⋯。どうか、これで払わせてください⋯⋯。
おばあちゃんも、よく言ってました。命あっての物種だ、って⋯⋯」
「⋯⋯わかったよ。ライトも、異論は無いかい?」
「問題ありません」
ホタルからの確認に、ライトが頷く。
サクラはホッとした顔になって、花が綻ぶかのように柔らかく微笑んだ。
深々と頭を下げながら、感謝の言葉を繰り返す。
「ありがとうございます⋯⋯! ありがとうございます⋯⋯!」
「礼は仕事が終わった時に聞かせてくれ。
食べ終わったら、出発するよ。途中でへこたれないように、たくさん食べておきなさい」
「はい、ホタル様⋯⋯!」
ホタルが、サクラの皿に花をよそう。
ライトは何となくモヤッとしたが、それが自分を見てくれていないことへの寂しさであるということまでは、彼は感じ取れなかった。
先ほどまでは美味しかった筈の草が、そうでもないような味に感じて、ライトはそっとスプーンを置いた。
食事を終えた一行は、冒険の準備を整える。
サクラは使わせて貰った食器を、カカオカの家のキッチンで洗い、崩れていた髪型をついでに整える。
ライトは腰のポーチに入っている魔石やポーションの残量を確かめて、いつものリュックを背負い直した。
ホタルは宙に浮かせた手袋でカンテラを握り締め、カカオカとリトラシルを見やる。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「森にミューワルが生ってたら、摘んできてくれると嬉しいっス!」
「ふふ、わかったよ。カカオカには世話になってしまっているからね。帰りがてら探しておこう」
「頼んだでヤンスよ!
それじゃあ、行ってらっしゃいでヤンス!」
カカオカがリトラシルの肩から手を振る。
三人は平原の先にある森へと向けて出発した。