身代わりの聖女
聖女様が亡くなりました。
精力的に外へ出られて活動されていたのが仇となったとの事でした。
私は聖なる力をもったただの娘でした。
その知らせが入った時は穏やかな小春日和が続いた日で、そんな恐ろしい事があっただなんて、とてもふさわしく思えないような日でした。
繰り上げ聖女になる私には詳しい事は伏せられましたが、破落戸と言われるような人間に襲われたのだとの事。
聖女になって最初の仕事は、この破落戸に、処刑の前に聖別をかける仕事でした。
「ひっ」
「大丈夫です。聖女様。戒めをかけてありますので」
処刑を恨み、この世に呪いをかけないように聖別をかける…。
聖女の仕事のひとつなのだそうです。
生まれて初めて、そのような人間の前に立ったのですから足が震えました。
目がぎらぎらしていて、とても恐ろしい。。
嫌な圧を感じます。
怪物を想像していましたが、それがなければ、普通の人に見えます。
角も生えてないし、牙もない。
ただ、全身から嫌な気を放っていなければその辺りにいくらでもいる人に見えます。
事故で人を死なせてしまっても罰が下るのに、この男は何故聖女を殺めるという大罪を犯したのでしょうか。
「けけけっ。新しい聖女か。おれはやってやったぞ。聖女を殺してやった!!!聖女をだ!!!お前もやって…!!」
「黙れっ!!」
「ぐっ!!」
私に対して目を剝いて舌を出し、侮蔑と威嚇をしてきましたが、すぐに刑務官に引き倒されました。
この男、狂っているのでしょうか?恐ろしい大罪を犯したのにも関わらす、勝ち誇ったかのような態度です。
「神の御名において…」
ふるえながらも、聖句を唱えられた私を自分で自分を褒めてあげたい。
刑務官、二人がかりで押さえつけられて、戒めに鎖にまかれていても、男の身体からは異様な何かがゆらゆらと立ち昇ってくるかのようで、とても恐ろしい。
この世に生まれた時から邪悪だったのなら分かりますが、何故、この男はこのように歪んでしまったのでしょうか。
「…聖別!!」
私のしている事は、何かの役にたっているのでしょうか?
わかりません。
男からの嫌な気も無くなっているようにも感じないのに。
処刑そのものには、聖女は立ち合いません。
私は与えられた神殿の礼拝室で祈って過ごしました。
「…、ん。寒い」
どうやら書き物をしている内にうたた寝をしてしまったようです。
聖女の居室は静寂をもって良しとされます。
シンとした周囲は、人気もしません。
どこかにはいるのでしょうけれど。
前の聖女様はこんな静けさが苦手で、外へ頻繁にお出かけになっていたのでしょうか?
事件のせいで、私は神殿に保護されているというより、まるで閉じ込められているかのようです。
あまり活動的ではなかった私でも、これでは息がつまりそうです。
私は立ち上がって、書きかけの手紙を消えかけの暖炉に放りました。
ポッと炎があがって燃え上がったそれを見つめました。
「寂しい」とだけ書いた、炎に黒くなっていくその紙を。
私の聖女への繰り上げを命じたのは王命でした。
聖力はあるものの、貴族の娘であった私には婚約者がいました。
前の聖女様は若く、私とそう年齢は違いませんでした。
彼女がいれば、この国は安泰を約束されています。
事件がなければ、私はこの春に結婚をするはずでした。
西の領地の彼と。
私たちの出会いは、貴族の子弟ならば、誰でも入学する学院でした。
よく、中庭で落ち合って二人で過ごしたものです。
彼の熱っぽい瞳を覚えています。
私の髪を一房、指にとり、、私に愛しいとささやいてくれた事も。
私が神殿に閉じ込められてから、夏がやってきて、秋になり、彼は私以外の人と婚姻を結びました。
神殿に王族がやってきました。
彼の婚姻の祝福を私に強制させるために。
「いいかい。君たちの婚姻が無効になった事で、なんの遺恨もない事のアピールが必要なんだ。
君もかつての婚約者に幸せになって欲しいだろう?そのための祝福だ」
どんな形でもいいから彼と会いたかった私は、頷くより他はなかったのです。
1年ぶりにあった彼の瞳にかつての熱を探しましたが、彼の瞳は静かに凪いでいました。
彼は私ではない娘の色の服をまとい、私を見ました。
その顔には笑みは浮かべていたけれど、その瞳は私という置物を見ているかのようでした。
「聖女様に祝福を授けてもらえる事を、光栄に思います」
傍らの彼の伴侶がカーテシーをしました。
私の心は張り裂けそうに荒れ狂っていましたが、聖女という立場はそれを許しません。
私の瞳は潤み、すがるような色を浮かべていたでしょうに、彼の瞳は静かなまま。
私の唱える祝詞に祝福の光が二人をつつみこみます。
本当はなにひとつ祝えていないのに。
退出の時まで、彼の瞳はずっと静かに凪いだまま。かつての熱は、どこにもありませんでした。
「聖女さま…」
付き人が心配をして声をかけてきましたが、自室にこもると声をあげて泣きました。
彼は私のことを忘れてしまったのです。
心の隅ではわかっていました。
彼の背には領地の人々の命、それに家族の未来がかかっています。
彼がけっして貴族としての責任から逃れる判断はしないという事も。
彼を想って荒れ狂った熱が冷めていくと、そこには冷たい石のようなものが残りました。
私というからっぽの容器の中で冷たく固いそれは、コロリ、コロリ、と転がりました。
風の噂に、彼の家が爵位をあげ、新しい領地を賜ったと聞きました。
1年たち、2年たち。私という容器はその石の温度さえわからなくなって、重みも痛みも感じなくなってしまっていました。
「聖女様…」
私は聖女という名の、ただのからっぽの置物になったのです。
「聖女様の御髪は、きれいですね」
「……」
「聖女様、あの者は聖女様に懸想しております。恐れ多い事です。どうか相手をなさらないように」
神官の一人が私に懸想をしていると、付き人は言う。
「おかしな事…」
私という聖女という名の容器は美しいらしい。
この世の穢れから一切遠ざけられ、純粋培養されているせいだろう。
「どうぞ、この花を」
その瞳の中の熱には覚えがある。
でも、その熱は私の望む色ではない。
「花に罪はないゆえ…。どうぞもう手折ったりなさらないように」
付き人に言って花瓶に活けてもらう。
学院のあの中庭の、あの花たちも、今年も咲き誇っているだろうか。
聖女がいるだけで、この国の土地は豊かになるらしい。
きっとあの中庭の花たちも咲き誇っていることだろう。
北から、豊かな土地をもつこの国を侵略しようと異民族が攻めてきた。
西の領地の彼も妻子を置いて国境を守りに出陣したらしい。
長い、長い闘いがはじまった。
「聖女を殺すと脅しなさいませ。聖女がいなくなれば、この国の豊かさは失われる。
それを望むならば、攻めてこいと」
私の提案に王は苦悩した。
いろいろと、私にとっては無理を強いた尊大な王だったが、今回の事態には疲れ果てているようだった。
「私の覚悟はできております」
異民族の王とこの国の王との間でさまざまな折中が行われ、とうとうこの国は異民族の国に併合される事となった。
「さて聖女よ」
異民族の王は私を神殿から引きずりだすと、言った。
「そなた、やってくれたな。おかげでいろいろ譲歩をさせられる事となった」
「私にとって、この国は子と同じ、慈しむものでございます。奪わないでくださってありがとうございます」
「そうか、それほどか。聖女よ」
異民族の王は私を冷たく見下ろして言った。
「しかしながら、そなた。張りぼての聖女であろう」
あの尊大な王が、何かの利害と引き換えに、私のことを異民族の王に売ったらしい。
「そなたが一番嫌がることを礼にしよう。偽りの聖女は、その役目を終え、市井へ下るがよい」
私は聖力があるものの、本物の聖女ではない。
本物の聖女は、前の聖女が死んでからすぐに生まれている。
私は、本物の聖女が成人するまで、彼女を守るために立った目くらましの聖女なのだ。
「…そこまでされるとは、私、何と引き換えに裏切られたのでしょうか?」
「あやつも守るものが多かったのだ」
あの尊大な王に文句を言いたいが、国民の安全と引き換えに処刑されている。
だれにこのやりきれなさをぶつけていいのやら。
付き人も、神官も誰ひとりとして付けられず、私は爵位を落とした実家へ帰った。
もと貴族の箱入りの娘だった私はどうやっても一人では生きていけない。
すでに、結婚を考えるような年齢でもなくなっている。
実家に帰ったとしても、お荷物という訳だ。
西の彼は闘いの最中に亡くなったそうだ。
まだ子どもは幼いと聞いている。
実家で久しぶりに彼の夢を見た。
あの、中庭で彼は私を待っていた。
近づいた私に気がついて振り返ると、あの時の凪いだ瞳で私を見て、「自分を大事にしろ」
と言った。
「こんな状態で、どうやったら大事に出来るというのかしら」
落ちぶれて、メイドの真似事をしている私は自嘲する。
メイドのマネごとをしながらでも、しぶとく生きている私に異民族の王は最高の嫌がらせを思いついたようだ。
「この貴族へ嫁げ」
ずいぶん年下の婿殿だ。
私はお飾りの妻として。邪魔にされるだろう。
下手したら母親だ。
妻として扱いたくないだろう。周囲の笑いものになる。
「よろしく頼む」
婚姻の日、怒ったような顔をして私を迎えた夫は、まだまだ頬のふっくらした子どもだった。
当然初夜なんて行われる事もない。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「元聖女として大切に扱う事を誓う」
その代わり妻扱いはしないという事なんだろうか
。
「では、祝福を」
キラキラとした光が夫をつつむ。
私が夫に出来る最善の事は、こんな事ぐらいしかない。
「聖女様…」
付き人の一人が神殿を辞して、私の嫁ぎ先へ押しかけてきた。
ちなみに私に懸想していたという神官は今度は別の聖女見習いに懸想しているらしい。
彼は、「聖女」が好きなのだろう。
「もう聖女ではないわ」
「いえ、私にとっては聖女様は一人だけです」
「本物の聖女様がいるわ。この国のどこかに」
「いえ、私にとってはあなたが聖女様なのです。今までも、これからもすっと。」
「ふふ。変わっているわ」
「そうかもしれません」
元付き人は、私の侍女となった。
数年たって、成人した夫との間に息子が生まれた。
予想ははずれ、私の夫は大変律儀であったらしい。
「今まで国を守ってくれたあなたを粗末にはできない」
そう言って、出来るかぎり大事にしてくれた。
この国を奪った異民族の王は、本物の聖女を探すべく必死であったが、ついぞ見つける事もできず、
おおもとの国の政変によって討たれてしまった。
それにより、この国は前の国と違う権力者が国を興して異民族国家より独立した。
しかし、10年程度とはいえ、この国と北の異民族が交わった事で、聖女の祝福は北へと少し拡大していったようだ。
あるいは、と私は考える。
本物の聖女の活動範囲が北へと移動していっているのではないかと。
聖女の祝福は大地への恵み。
彼女が生きて存在しているだけで、大地が富み、水は澄む。
あの、尊大な王はどうやって本物の聖女をあの異民族の王より隠したのだろうか。
かの王が自分の命と引き換えに願ったのが「民の命」だと言う。
では、そうなのだろうか。
そうであるかもしれない。
たしかに、聖女がいなくなれば、国は、大地は荒れるであろう。
戦により、異民族の王が、聖女を奪っていたならば、国は北の大地のように荒れたであろう。
だとしたら、私の存在は…。
「ふふ。大層なものの目くらましをしていたのね。」
ああ、やっと、やっと。
「聖女らしい心の境地になった気がするわ。元だけど」
私から、抑えられない気持ちが祝福となって光出す。
「聖女様。」
元付き人の侍女が私に向かって 祈るように手を組み合わせる。
「あぁ。私、とても素晴らしいものを守っていたのね」
「ええ、聖女様。あなたは今でも聖女様です」
西の領地のあの人も、あの時、私と同じだったのかもしれない。
あの人も守りたかったのだろう。きっと。
聖女の祈りは満ちる。
国へ、大地へ、そして人へ。
聖女にとって、国はわが子と同じ。
慈しみ、祝福を与える。
「最後の聖女」と言われた娘は異民族の王により還俗させられたが、慈しみの心を忘れず、最後まで平安を祈って民に祝福を与えていたといわれる。
彼女の一人息子の血筋はのちに七元首の一人へと受け継がれた。
善政によりよく国を栄えさせたといわれる。