第9話『ヒゲルフ、転入試験を受ける』
「俺が学校に転入?」
リタから突然提案された内容。それは、俺が想像もしていないことだった。
学校というのは基本的に若者が学ぶ場所である。
しかもリタ達が通っている学校は冒険者やその他職業に就くための実践的内容が学べる場所のはずだ。
既に冒険者すら諦めて長く隠居してきた俺が通うことは、大丈夫なのだろうか。
「おお。リタ、良い案ではないか! 私も賛成だ! そうすればヒゲルフともすぐに会えるからな!」
「でしょ? あんな森にいるより寮で暮せば良いのよ」
アリッサも賛成のようだった。
寮での暮らし……。長く森で暮らしてきた俺からすれば、なかなかに想像できないことだった。
この二人の部屋のように、誰かと暮らすことになるのだろうか。
他人と一緒に暮らすだなんて今まで家族としかしたことがない。アリッサ達が俺の家に泊まりに来ていた時も確かに同居とは言えないまでも近い状況ではあったが……。
「俺は自分の年齢すらわからなくなっているほどおっさんだぞ。そんなやつが学校にいても迷惑だろう?」
「良いのよ。というか私たちより強い子なんて学校にいないんだから、ヒゲルフが来たら良い相手にもなるし」
「そうだ。また、私達に訓練をしてくれ。ヒゲルフが来てくれたら私達も嬉しいんだ」
そこまで言ってくれるとは……。
嬉しいことを言ってくれるじゃないか。
俺だって、学校に興味がないわけじゃない。
別に俺が目指していた冒険者は学校に通わなくてもなれる。
だから俺はその門を叩こうと必死になって訓練をしたのだ。
しかし、当時の俺には成長の見込みはなく、早々に冒険者になることを諦めたのだ。
別に誰かに止められたわけではない。自分の不甲斐なさに絶望し、勝手に諦めたのだ。
アリッサ達のように才能があったわけではない。
だから俺は彼女達に俺が叶えられなかった夢を叶えて欲しくて、十三年前のあの日、受け入れることを決めたのかもしれない。
ただ、普通の人間とは違う長い時間を経たことで、俺も自然と強くなっていった。
今では目を閉じても狩れるラビットボア。若い頃は狩ることすらできなかった。
遅咲き過ぎるにもほどがあったが、俺はゆっくりと成長していった。
恐らく、彼女達はまだまだ成長途中だ。今はリタが十七歳でアリッサが十八歳なはずだ。
これ以上強くなってどうするというレベルにも思うが、こんな俺でも役立てるのなら――。
「転入はどうやってするんだ?」
「いいの!?」
「お前らの為になれるのならな。……この五年間、最初のうちは結構寂しかったんだぞ、これでも」
「最初のうちだけなのか」
「はは、俺がどれだけ長い間一人で生活してきたと思ってるんだ」
「そこは嘘でも『ずっと寂しかった』って言うところでしょ!」
「そういうところだぞ、ヒゲルフ」
そうか、ずっと寂しかったと言うべきだったのか。
他人との生活というのは、自分を変えてしまうものなのだな。
五年前、彼女達が俺の元を旅立ってから最初のうちは生活の変化を感じたものだ。
四人分の魔物を狩り、それで食事を用意する。彼女達も使っていた俺の固いベッド。シーツだってできるだけ清潔に保とうと普段の数倍も水洗いしたものだ。
彼女達がいるかのように自然と体が動いてしまっていたのだ。
「それでね。転入だけど、私達と一緒だよ。試験官と戦ってそれを判断してもらうの」
「それに強くなりたい人には誰でも門を開けるのが、この王都センシティル魔術学院だ。ヒゲルフなら問題があるはずがない」
「もしヒゲルフが不合格でも、私がその試験官を詰めるから大丈夫」
なんだかリタから不穏な言葉も聞こえたが、とりあえず学校に入るには俺はその試験官と戦うということだけはわかった。
俺と彼女達が昔よくしていた模擬戦をすれば良いということだろう。
「そうか。なら、お前達の言う通り、試験を受けてみよう」
「やったぁ!」
「ふふ。これからが楽しみだな」
◇ ◇ ◇
「ふむ。あのゲキメツの推薦か……」
学院のとある一室で、羊皮紙に書き込まれた推薦状の内容を眺め、男性教師――クレディル・セラゾンが目を細めた。
この学院随一の魔術と剣術、どちらも高レベルで扱える魔剣士の教師だ。魔剣士は珍しい。通常はどちらか一方を目指すが、両方同レベルで扱える人はほんの一握り。
彼の年齢は三十八歳。元々は冒険者を十年ほど経験し、その後スカウトによってこの学院へとやってきた。
「あなたも聞いているでしょう。アンゲルボトムの結界が破壊されたという話を」
「学院長……にわかには信じられません。しかも報告では素手で打ち破ったという話ではありませんか」
クレディルが会話していた相手、それはこの学院で最高位の権力を持つ学院長――メルヴィ・ラントレントだった。
上等な素材で作られた皮の椅子に座りながら、細いフレームのメガネをクイッと上げながら目を光らせる。
齢四十歳を超えているが、その美貌は見ようによっては二十代後半にも見える容姿。シャツからはだけた胸元にタイトなスーツを着こなすその姿は、妖艶な色気を纏っている。
「ですが、その実力は戦ってみればわかるでしょう。ゲキメツの他にもサイキョウもお墨付きをしているようですし」
「アリッサ・サイキョウですか……。私でも彼女のスピードについていくのがやっとです。その彼女のお墨付きともあれば……」
「ふふ。それほどの人物であれば、手加減をしてはいけませんよ。殺すつもりでやりなさい」
「学院長!?」
『殺すつもり』。その発言を聞いてクレディルは目を丸くさせる。
一方のメルヴィは赤い艷やかな唇をぺろりと舌なめずりをし期待を膨らませていた。
「この学院の歴史も長いです。――しかしここ数年、彼女達以外に頭角を現す人材は出てきていません。しかも今回は男子ということではありませんか」
「男子であれば何か変わるのですか?」
「――私の秘めた欲望を満たしてくれる相手になり得るかもしれないでしょう……?」
「が、学院長……」
ニヤリと口角を上げたメルヴィ。その様子を見たクレディルは少し引いた目で彼女を見やった。
学院長という上位の立場に就任したメルヴィもそれなりに強い。
そして、立場が強く力も強いという彼女に近づける男性はこれまでなかなか現れなかったのだ。
色褪せない美貌を持ちながらも彼女はしばらくの間独り身だった。
だから、自分より強くて屈させてくれる相手をどこかで求めていたのだ。
これまで秘めてきた獣のような欲望を本気でぶつけられる相手を。それが年下の男子生徒であっても、だ――。
「では、任せましたよ。クレディル」
「わかりました」
クレディルは懐に羊皮紙をしまい、翌日に迫っていた試験に向けて準備を整えることにした。
◇ ◇ ◇
新赤暦六百七十五年。
とある謎の人物が『王都センシティル魔術学院』の門を叩いた。
「おい、聞いたか! 今日は転入生の試験があるってよ! しかも相手はあのクレディル先生だ!」
「クレディル先生だと?」
どこからか噂を聞きつけた男子生徒が教室で転入生が転入試験を受けるという話を広めていた。
クレディルは教師の中でも実力は最上位。近年、彼が試験官として立ったのは五年前のアリッサ達の入学試験の時。試験官としてはそれ以来だった。
当時十三歳ほどだったアリッサ達はその年齢にもかかわらず入学試験では複数の教師を医務室送りにした。
それ故に当時から学院でも実力が高かったクレディルが、教師になってまだそれほど時間が経っていなかったにもかかわらず相手をすることとなった。
彼女達の強さのレベルを測るには、冒険者としても高ランクの実績を収めてきたクレディルに任せるしかなかったのだ。
結果、瞬殺ではなかったが戦いが終わるまで数分と持たなかった。
クレディルは冒険者として、十二分に活躍してきた自負があった。しかし、上には上がいたのだ。しかもその相手が自分よりはるかに年下の少女だったことに大きく衝撃を受けた。
クレディルはその日から教師として生徒に教えながらも鍛え直すことにした。
それから五年、クレディルは冒険者時代よりも強くなっていた。
どちらかと言えば、剣術の方が得意だった彼は心許なかった魔術を鍛え直し、今では同レベルで扱えるようになったのだ。
そんなクレディルの強さは生徒達もよく知っていた。
だからこうも噂になっていたのだ。
「もうすぐ始まるってよ! 行くぞ!」
「お、おう!」
生徒達は駆け足で、試験が行われる場所へ向かった。
◇ ◇ ◇
中心に黄土色の土の地面が広がる円形の敷地。
ドーム型に建てられたその演習場は、世界でも随一の魔術学院ともあって、観客の収容人数は数千人。
さらに年に一回行われる、他国との学院対抗の交流戦ではその国の生徒やお偉いさんも観戦にやってくる。
そのため、この演習場は学院の全生徒の数倍の人数を収容できる大きさになっていた。
「ふむ……どこから話を聞きつけてきたのやら」
クレディルは演習場の中心に立ち、転入生を待っていた。
そんな中、観客席には百名程度の生徒達が集まっていた。全体の生徒数を考えると半分にも満たないが、それでもある程度の人数。
この転入試験はそれだけ注目を集めていた。
そして何より、観客席の中にはあのアリッサとリタが並んで座っていたのだ。
二人が観客としてこの演習場に来ることはほとんどない。それ故により興奮状態にあった他の生徒達。
「ここか……?」
「む……きたか」
演習場の入口から姿を見せた男に反応したクレディル。
クレディルも久しぶりに力を出せると考え、内心ワクワクしていた。
しかし――、
「――俺と変わらない……?」
ルドルフの姿を見るなり、最初に感じたこと。
それは、自分とほとんど変わりないと思われる見た目だった。
クレディルは三十八歳。
それに対して、相手は顔は整ってはいるが髭を生やしたいい大人だったのだ。
学院長から渡された羊皮紙には、ルドルフの年齢は未記載だった。
だが、転入ともあって、多少なり年齢はいっていると思っていたが、想像以上だったのだ。
「あの、耳……まさかエルフ族か?」
頭をカリカリと掻きながら演習場の中心に辿り着いたルドルフ。
近くで見ることではっきりと視認できた。少し長い緑色の髪から飛び出ていたのは特徴的な長く尖った両耳。
「エルフ族なのに、拳で結界を……? これこそにわかには信じられんぞ……」
エルフ族は種族特性から魔力量が多い種族と言われている。
故に近接戦闘よりも遠距離からの魔術攻撃がメインの職を選ぶ人が多い。
ただ、そのエルフ族も今では珍しい。
とある大きな戦い以降、エルフ族の数は大幅に減っていたのだ。
「お前がルドルフ・エーヒゲルか」
「そうだ。今日はよろしく頼む」
目の前に立つとわかる。普通ではない雰囲気。
長く、研鑽された、体に纏う強者の空気。クレディルは剣を握る手に力が入った。
「君はゲキメツとサイキョウの知り合いらしいな」
「ん、サイキョウ?」
「アリッサだ。知り合いなんだろう?」
「…………アリッサがサイキョウ?」
「そうだが、どうかしたか?」
クレディルはルドルフと交した会話の不思議さに頭を傾げた。
「いや、大丈夫だ……ちょっと頭が整理できてなくてな……ふふ」
「…………」
笑っている。
クレディルはルドルフがどこにおかしさを感じたのかわからないが、笑った彼にに少し恐怖を感じた。
明らかにおかしい会話ではなかったのに、ルドルフは笑ったのだ。
「ゴホン……今日は聞いている通り転入試験では模擬戦を行う。ここに武器を用意した。好きなものを使ってくれ」
「武器を貸してくれるのか。それは助かった」
武器を持っていないのか、とクレディルはルドルフを見つめた。
新入生はともかく転入生の場合、基本的にはこれまでに使用してきた愛用の武器などを持っているのが普通だ。
しかし服のどこにも武器を隠したりもしていないのか、ルドルフが素手であることに対してクレディルは訝しげに思った。
クレディルのすぐ隣には縦に長い箱があった。
ルドルフが近づき覗き込むと、そこには剣や盾、槍、弓、杖など様々な武器が入っているのが確認できた。
「安心してくれ。私が手にしている剣も同級の武器だ」
「そうか、では遠慮なく」
ルドルフは武器箱の中を覗き込み、手にとっては戻しを繰り返した。
数十秒後、その中から一つの武器を選び出した。
「ふむ、珍しいなククリナイフとは。だが、それでは私が使う剣の方が刃渡りは長い。リーチの差で不利ではないかな?」
「これで良いんだ」
ルドルフはククリナイフを片手に持ち、何かを思い出すように、そして手に馴染ませるようにして軽く振る動作を行った。
ルドルフが武器を選び終わると、学院関係者が武器が入った箱をどこかへと運んでゆく。
「演習場は観客席に魔術結界が張られている。ある程度は強い魔術を放っても壊れないようになっているはずだ。それに、今回は実力を見るための試験。手加減は無用だ」
「そうか。理解した」
クレディルの説明に端的に答えるルドルフ。
やはり大人。ルドルフは自分と同じほどの年齢とみて間違いない。この落ち着きようから、クレディルはそう考えるしかなかった。
一方のルドルフ。クレディルの考えとは逆に、緊張を表に出さないよう必死に我慢していた。
武器を手にするまで平静を保ってはいたが、彼が気にしていたのは観客の視線だった。
もちろん大きな街に大きな学院、大きな寮に大きな演習場。全てが未知であり、驚いてばかりではあったが、その驚きは長年生きてきたことが功を奏したのか、特に緊張には繋がらなかった。
しかしルドルフは、これまで一度も大勢の人がいる前で戦闘などしたことがなかった。
多くて三名。アリッサ達に狩りを教えるために魔物との戦い方を見せた時くらいだった。
過去、冒険者を目指す過程でエルフ族の故郷でも一部見せたこともあったが、それも数人。
百名などという観客のなか戦うのは人生で初めてだったのだ。
「ヒゲー!」
「負けるんじゃないぞ!」
遠く、観客席からリタとアリッサが、ルドルフに黄色い声援を送っていた。
ルドルフは二人に向かってぎこちなく軽く手を上げた。
その様子を横目で見ていたクレディルがルドルフに適当な距離まで離れるように言った。
ルドルフが背を向けて、クレディルから距離を取る。
ゆっくりと歩いていくルドルフの後ろ姿をクレディルはまじまじと眺めた。
だがしかし、視線を上に向けた時にクレディルはあることに気づいてしまった。
金貨一枚分ハゲてるじゃないか!
見た目はある程度整っているのに後頭部の一箇所がなぜか金貨一枚分丸く刈り取られていたのだ。
クレディルはどちらかと言うとそれを見てバカにしたほうだ。
しかしなぜか、自分がバカにされたかのように感じてしまったのだ。
ルドルフが適当な位置で立ち止まり、振り返ると互いに武器を構える。
ついに始まる転入試験。
始めての場所で戦う高揚感と緊張感、観客の視線が一気に集まり、ルドルフのククリナイフを握る右手には汗が溜まっていた。
すると少し離れた距離にいた学院関係者の女性が話し始めた。
「何かあればこちらでストップの宣言をするので、それまでは戦闘してください。——では、始めてください!」
女性が手を挙げ、二人に合図を送った。
「では私から行くぞ!」
クレディルが開始の合図と同時に、真っ直ぐにルドルフの方へと駆けた。
「胸を借りさせてもらおうじゃないか」
ルドルフも緑の髪を揺らしながら左足で土を踏み込み走り出した。
そうして右手に持ったククリナイフを腰の位置へを下げて攻撃に備えた。
「——ぁ」
しかし、ルドルフが走り出した直後、大量の汗で覆われていたククリナイフの柄のぬめりが加速。
そのままツルッと右手からすっぽ抜けたククリナイフは、綺麗に土の地面へと突き刺さってしまったのだ。
「死ねぇ!」
「なぜ!?」
素手になってしまったルドルフの眼前、剣を中段に構え、今にも斬りかかろうとしていたクレディルが迫っていた——。