第8話『ヒゲルフはハゲルフ』
「スンスン、スンスン。…………体に染み付いた匂いはさすがに全部は取れないか。これからは毎日ちゃんと良い匂いの石鹸を使って少しずつ匂いとってもらわないと」
あの後、俺はリタの部屋――もといリタとアリッサの部屋のお風呂を借りて体と頭を洗わせてもらった。
寮は基本的に二人一組で共同生活をするそうで、だからこの二人は同室だったようだ。
もう一人のことが気になったが、今は置いておこう。
ともかく俺は体を洗ったことで良い匂いに変わったと思っていたのだが、リタからすればまだまだ足りないらしい。
俺の体の細胞の奥の奥まで、今までの暮らしの匂いが染み付いていたのだ。
そう簡単には取れないだろう。
それにしても――、
「な、なんだ……私がおかしいか?」
俺が自分のベッドに座るアリッサに視線を送っていると、少し恥ずかしそうにそう聞いてきた。
現在のアリッサはこの後の用事がないのか普段着に着替えていた。
学生服でもなければ、剣士が着るような服でもない。ワンピースのような女の子らしい服装でとても似合っていた。彼女の金髪がよくその服に似合い、どこかの王女様ではないかと思うほどだった。
「本当に成長したなと思ってな。元気そうで良かった」
「五年もすれば成長する。ヒゲルフは……変わっていないといえば変わっていないな」
アリッサは言葉遣いがかなり変わっていた。
『アリッサ! ごさい! さいつよのけんしになる!』
俺と家に突然訪れたあの日、最強の剣士になりたいと話していたアリッサ。
剣士、というより騎士というイメージではあるが、その頃から考えると精神的にかなり成長したようだ。
それが話し方にも現れているのだろう。
「ちょっとヒゲ、動かないで」
「ああ、悪い」
アリッサと会話している中、リタは俺の髪をいじくって、ハサミでチョキチョキしていた。
次々と俺の髪が落ちていき、少し顔周りがスッキリしていく。
「リタ。私にもやらせてくれ」
「アリッサはダメ。絶対下手くそだもん」
「私は刃物の扱いなら誰にも負けんぞ」
「そういうことじゃないの。センスの問題。絶対変な髪型にしちゃうもん」
「そんなのやってみないとわからないじゃないか。少しだけで良い。な、良いだろ?」
髪を切ることに興味があるのか、アリッサが俺の髪を切らせるようリタに言うのだが、リタはそれを許さなかった。
確かに剣を持たせればアリッサの右に出るものはそうそういないだろう。
でも、そこまでアリッサにはセンスがないのだろうか。
剣の扱いとハサミの扱いはイコールではないらしい。
「じゃあ……少しだけだよ。変な切り方したら止めるから」
「ああ、ありがとう」
髪を切る役目がリタからアリッサに交代した。
正直俺はどんな髪型でも良い。気にしたことがないからな。
「ヒゲルフ。私の言いつけ通りちゃんとヒゲを伸ばしていたようだな」
「…………ああ」
そんなこと言ってたっけ。
剃るのが面倒くさくて剃ってなかっただけなんだが。
けど、アリッサに悲しい思いはさせたくないので、そう頷いておいた。
「昔、ヒゲルフに切ってもらった頃を思い出すよ」
「そんなこともあったな……」
アリッサは加護の恩恵から動きが速すぎて、色々なものが邪魔になった。
特に邪魔だったのは髪だった。
動く度にバッサバッサしていたので、鬱陶しくなったのか、髪をバッサリ切りたいと言い出したのだ。
せっかくの長い髪を切るのかと話したのだが、その時は切りたかったらしい。
そこで俺に切って欲しいとのことだったので、言われる通りに切ったのだ。
ちょっと男の子っぽくなったアリッサのショートカットヘア。
意外と似合っていたことを思い出す。
「短い髪も結構似合ってたよな」
「そ、そうか……? なら、また切ってみようかな……」
「はは、辞めとけ。今は伸ばしてるんだろう。綺麗な髪じゃないか。勿体ない」
「き、綺麗……!?」
「どうみてもそうじゃないか。俺と訓練してた頃と違ってちゃんと手入れしてるんだろ?」
あの時と比べて、アリッサもリタも驚くほど髪が綺麗になっていた。
もちろん他の部分も綺麗になっていたが、身だしなみを気にするようになって、変わったのだ。
「ヒゲルフ……あの時だって、結構手入れはしてたんだぞ」
「そ、そうだったのか。女のことはあまりわからないのでな」
「ふっ、それでこそヒゲルフだ。女に詳しいヒゲルフなんて嫌だからな」
女性についてはよくわからない。
一定の美醜の感覚はあるつもりだが、この二人は特に美人の部類に入るはずだ。
もう記憶の彼方だが、エルフ族の知り合いだって、イケメンや美女が多かった。
それと比べてもリタもアリッサも負けていない美しさだ。
「アリッサ、そろそろいい?」
「リタ、もうちょっと……」
「それ以上やったら変になるから、もう終わり!」
「変になるわけがないだろう。もう少し――あ」
アリッサが最後に変な声を上げた。
明らかにミスをした声だった。
「ちょっとアリッサ!?」
「大丈夫だ……問題ない。まだ挽回できる」
挽回って、絶対ミスしてるじゃん。流石に不安になってきたぞ。
髪型はどうでも良いのだが、笑い者にされるのはごめんだ。
「おい、アリッサ。大丈夫なのか?」
「ああ。いけるはずだ。私は瞬剣のアリッサなんだからな」
「なんだそれ……異名か?」
「そうだ。加護のお陰でそう呼ばれるようになってな」
「でも髪を切るのに速さは必要ないだろ?」
「それは…………リタ、後は任せた」
俺との話の途中だったのに、アリッサは修正するのを辞め、リタに託した。
もう、とんでもないところまで来ているのだろうか。
「ちょっと……あんたどこまでやったのよ……って、ええ!?」
「リタ、どうした?」
想像以上の驚き方に俺も心配になる。
「いや……これは……。うーん…………」
「リタ?」
「ハゲルフ」
「は?」
不穏な言葉が聞こえた。
「これはハゲルフね」
「何を言ってるのかわからないのだが」
「ふふ、ふふふふ。リタ、お前はネーミングセンスがあるな」
「おい、アリッサ。何を言ってる」
俺はもうわかっていた。
そのあだ名が良いものではないのだと。
アリッサはミスをしたことで、どこかにハゲの部分を作ってしまったのだ。
つまりハゲルフとは、ルドルフからのヒゲルフからのハゲルフ。
ただの暴言である。
「ちょっとアリッサ、これどうするのよ……ふふ」
「なんだリタ。ふふ、お前も笑ってるではないか」
「おい、どこを切りすぎたんだ! 教えろ!」
するとリタとアリッサが互いに顔を見合わせて――、
「「教えない」」
「こらー!!」
「きゃあっ!?」
俺は二人同時に抱き寄せて、そのまま持ち上げて回った。
ぐるぐると回転するなか、リタもアリッサも笑いながら俺を罵倒し続けた。
「ちょっとハゲルフ〜!」
「ハゲルフ! なにをするのだ!」
そう言いながらも彼女たちは楽しそうにしていた。
こういったスキンシップはこいつらが小さな頃からしていた。
孤児院出身で父親がいない子供。
でも、その中で一番喜んだのが、こうして抱きしめながら上に高く持ち上げでぶん回すことだ。
色々やったが、これが一番喜んでくれたことだった。
◇ ◇ ◇
「――こんな感じで良いでしょ。ほら、鏡」
その後、ハゲた部分はどこかわからないまま、残りのカットをリタが済ませてくれた。
眉毛も髭もカットしてくれて、視界も良好だ。
リタが手鏡を用意してくれたので、それを覗き込んでみた。
「おおおお、凄い……自分じゃないみたいだ」
そこに映っていたのは本当に別人だった。
アリッサの要望で髭はある程度残したが、髪もバッサリだ。
そもそも髪は俺の胸くらいまで伸びていて、それが顎先くらいまでカットされていた。
これも長いのかもしれないが、リタが良い感じに切ってくれたお陰で、森で暮らしていた頃ではありえないお洒落さが出ていた。
「ふふん、やっぱり私がいないとダメみたいね」
「はは。そうかもな」
リタがよく言っていた言葉だ。
女を作るなと言っていた謎の独占欲に、自分がいないと俺はだらしないというように面倒見の良い性格になっていった。
最初のうちは色々と俺が指導していたが、いつの間にか俺が指導される側になっていたのだ。
リタは良いお嫁さんになりそうだ。
一方のアリッサは昔から不器用だった。
武器の扱いは凄いくせに不器用とは、これまたどういうことなのか。
人間は完璧ではない。アリッサはあまり家事には向いていなかった。
ただ、パワーがあったので、木を切ってそれを運んだりする時にはとても役に立っていた。
「ねえ、一つ提案があるんだけどさ」
「ん、どうした?」
ふと、リタが自室にある机の椅子に座りながらくるっと回転。
そこで、何かを言いたげに髪の先を指でいじっていた。
「――ヒゲルフさ、うちの学校に転入しない?」
思いも寄らない提案が、リタからされたのであった。