第6話『撃滅の雷魔術師の怒り』
――王都センシティル魔術学院。
冒険者、王国騎士、魔術師、魔道具師。そして勇者に至るまで数多の優秀な人材を輩出してきた世界でも有数の魔術学院。
魔術学院と名はついてはいるが、魔術を扱えずとも剣術や体術なども総合的に学べる学院だ。
選択科目として、自分が学びたい科目を選べるのも、この学院の特徴でもある。
ここは、学生達が真面目に授業を受けている魔術専攻のとあるクラス。
今、その場所に一人の伝令の兵士がやってきた。
「ゲキメツ様っ! ゲキメツ様ぁ〜〜っ!!」
授業中にもかかわらず、バタンと勢いよく開け放たれた教室の入口の扉。
教師や生徒共々、全員が入口に視線を送る。
「従業中ですよ! 何事ですか!」
教師が無遠慮な兵士に声を上げる。
「緊急だ! ゲキメツ様はいるか!」
「え、ええ。ゲキメツならそちらに」
そう名前を呼んだ相手。
今度は教室の上段、一番後ろの席に静かに佇んでいた女子生徒に視線が送られた。
「鬱陶しいですね。何のようですか?」
「すみません! 緊急なもので!」
その兵士に対して女子生徒は明らかに若い。
年齢差でいうと十は離れていると思われる。
しかし兵士は一人の生徒に対して、敬意を込めた話し方をしていた。
「要件を――」
「――アンゲルボトムの結界が破壊されました。デュナミスです」
「!?」
兵士のその言葉を聞いた瞬間、驚きのままに女子生徒は両手で机を叩き立ち上がる。
周囲の生徒達は一瞬、ビクッと体を震わせた。
柔らかい雰囲気だった教室が瞬時にして空気が凍ったように静けさに包まれた。
それは女子生徒が机を叩いた音によって驚いたのではない。
彼女の体から漏れ出る魔力の強さが原因だった。魔力が強すぎる者はそれだけで、相手を威圧する武器となる。彼女もその一人だった。
「皆さん、ごめんなさい。お呼ばれしたようなので、行ってきますね。先生、よろしいでしょうか?」
「え、ええ。もちろんです。――あなたが関わっていることですから」
自分の状況に気づいた女子生徒はすぐに漏れ出た魔力を抑え、教師に授業から抜けても良いか尋ねた。
教師も彼女のお願いを聞き入れた。
女子生徒はそのまま席を立ち、肩まで切り揃えられたピンクブロンドの髪とその下にある豊満な胸をこれでもかと揺らしながら、教室を出ていった。
◇ ◇ ◇
王都センシティルを囲む、分厚い外壁の外。
そこから少し離れた場所に『アンゲルボトム』はあった。
アンゲルボトムは、王都が誇る犯罪者の巨大収監施設。
地上からは全く大きくは見えず、無機質な外観の建物が広がるばかり。
しかし、その地下には広大な敷地が広がっていた。
逆三角形に掘られた牢獄には、それぞれの犯罪者の凶悪度のレベルで階層分けされたエリアがある。
アンゲル、アルカン、アルカイ、エクス、デュナミス、キュリオス、トロノイ、ケルビム、セラフィム。
合計九のレベルに分けられており、最下層はレベル九のセラフィムとなっている。
ゲキメツと呼ばれた少女が向かっていたのは、レベル五・デュナミスの階層だった。
「本当に結界が壊されていたんですか?」
「いえ、私もまだ確認しておらず……信じられません」
ゲキメツの隣を歩いていたのは、先程彼女を呼んだ兵士ではない。
打撃防御に特化した魔術が編まれた白い法衣に身を包んだ黒髪の魔術師。
「でも、破壊した囚人は逃げようとはしていないですよね?」
「そうとは聞いていますが、その囚人がなぜそのような行動をとったのか不思議でなりません」
二人が聞いていた情報では、結界を破壊した張本人である囚人は、結界を破壊したあと牢屋を破壊することもなくそのままベッドに寝転んだそうだ。
脱獄を考えているのであれば、さらに壁を破壊していてもおかしくないのに、だ。
「そうですか。実際に見ないとわかりませんね。ファルカスさんも一緒に確認しましょう」
「……はい! この後すぐに騎士団も合流する予定です」
ファルカスと呼ばれた魔術師も先程の兵士と同じく、ゲキメツと歳が離れているように見えた。
こちらも十歳ほど離れているように見えるのにもかかわらず、ファルカスはゲキメツを慕っているように、腰を低くして会話していた。
彼女の胸部の膨らみに誘惑され、ちらちらと視線を送りながらも、その眼差しは真っ直ぐだ。
二人はアンゲルボトムに到着すると、そのまま地下――レベル五・デュナミスの階層まで下りて行った。
◇ ◇ ◇
「おい……起きろ、おい……おい!」
看守が俺を起こそうと声を張り上げていた。
俺はあの後、そのまま寝てしまったらしい。
壁に穴を開けてしまったことについて怒られる――そのことを思うと今から憂鬱だった。
「はいはい……今起きますよっと」
すると、そのタイミングでガチャリと牢屋の鍵が開く音がした。
顔を上げてみると、なんと本当に鍵が開けられたではないか。
俺はここから出してもらえるのかと期待したが、まあそんな簡単にはいかないらしい。
「センシティル王国魔術師団、ファルカスだ。お前が破壊したという壁の確認にきた。そこで動かず何もするな」
「はいはい……」
俺は再び寝転がり、壁のほうに顔を向けながら目をつむることにした。
ファルカスと名乗った男。そいつは白い法衣を纏ったイケメン風の男だった。
王国魔術師団と言っていたな。王国にはそんなものが存在するのか。昔はそんな魔術師団はなかったような気がするが、新しくできたのだろう。
ファルカスの後ろには複数人他にもいたが、体を起こしたのは一瞬だったので、どんなやつがいるのかわからなかった。
ただ、俺が逃げないようにか、五人ほどは集まっていた気がする。
剣がカチャカチャと擦れる音も聞こえたので、恐らく剣士のようなやつもいると思われた。
ちょっと仰々しすぎないか?
結界なんて張り直してそれで終わりで良いじゃないか。
「ゲキメツ様、こちらです」
ゲキメツ……!
看守が言っていた変な名前のやつだ。
俺は心の中でくすくすしながら、ゲキメツが何をするのか聞き耳を立てることにした。
コツコツと床を歩く音が聞こえ、牢屋の中にゲキメツが入ってきたことがわかる。
そうして、その人物が穴の空いた壁際へと近づいた。
「ここですか……凄い割れ方ですね。ファルカスさん、これどう思いますか?」
女性の声だった。
ゲキメツとは女性だったのか。どちらかと言えば男性をイメージしていたのだが。
この女性が結界を張った張本人ということか。しかもこの声、どこか聞き覚えがあるような……。
「はい。何かとても強い力が一点に加えられないとできない割れ方でしょうね。見たところ魔術の類とは思えないのですが……」
「私も同じ意見です。魔術ではこのような割れ方にはならないでしょう。まるで拳で結界を壊したような……」
割れ方でそこまでわかるのか。大したものだ。さすがは王国の魔術師団といったところか。
「中々に考えられることではありませんが、こんなことをできるのは王国でも……」
「はい。また、あの子を思い出してしまいました」
「あの子……とは、『狂狼』のことでしょうか」
「ええ、あの子なら素手でも普通にやるでしょうね。でもここは監獄です」
他にもこの五重結界を拳で破壊できるやつがいるのか。
いや、それもそうか。今思えば俺は冒険者になれなかった底辺エルフ。
他に結界を壊せるやつが何人もいてもおかしくないのだ。
「おい! そこのお前! お前がこれをやったのか!」
するとファルカスという男が俺に向かって話しかけてきた。
「そうだ。俺だが……いや、わざとじゃないんだ」
「わざとじゃないだと? そんなわけが……まあいい。とりあえずお前、ベッドに座って顔を見せろ」
ファルカスに言われたので、俺は体を起こし、ベッドに腰掛けるようにして前を向いた。
「…………」
ファルカス、そしてゲキメツがこちらを向いた。
そして牢屋の外に控えていた騎士二名と看守もそこにはいた。
ゲキメツの容姿。誰かに似ている。誰だろう。
ピンクブロンドの髪。そんなやつ、一人しか俺は知らないが……。
「――――ぁ」
ゲキメツがその場で俺を真っ直ぐに見つめ、わなわなと口元を震わせていた。
「お前か。なんだそのみすぼらしい姿は……浮浪者のようではないか」
「ずっと鏡を見ていなかったんだ。俺だってこうなってると思ってなかったよ」
「鏡を見なくても、そうはならないだろ」
突っ込まれてしまった。
普通の人間はそうなのだろうか。俺は普通の暮らしをしてこなかったからな。
他人の為に容姿を気にする機会なんてしばらくなかった。
「ぁ……ぁ……っ」
ファルカスの横で、ゲキメツが今度は膝を震わせていた。
確かにここは少し寒いからな、震えてもしょうがない。
「ん、ゲキメツ様? どうされました?」
「――――フ」
「フ……?」
ファルカスがゲキメツの様子がおかしいと思ったのか心配をしだす。
寒いわけではないのだろうか。
「――――ルフ……!」
「んあ?」
え、今……確かに。
俺の名前を……。
でも、まさか。
だって、その名前は俺の本当の名前じゃなくて。
この世でたった四人しか知らない名前なんだから。
「――ヒゲルフっ!!」
「ゲキメツ様っ!?」
「うおっ!?」
突如、ゲキメツが俺を押し倒すようにして突進してきた。
一瞬、攻撃されたのかと思ったが、魔術師は打撃は行わない。
しかし――、
「――ライトニング・セイバァァァァ!!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
突如、ベッドの上で俺に馬乗りになったかと思えば、なんと上位の雷魔術を放ってきたのだ。
途轍もない発動スピード。目が焼けてしまうほどの光を放ったそれは、俺を殺しにくる魔術だった。
俺はなりふり構わず防御魔術を顔の前で展開。
彼女が振り下ろす雷撃剣をギリギリで止める。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
「ぐおぉぉぉぉぉぉぉ!!」
あまりにも強い魔術に対抗するため、俺も魔力を防御魔術に注ぎ込む。
拮抗はしていたが、今にも俺の防御結界が破られそうだった。
しかしそんな時、ゲキメツはとんでもない魔術を使い始めた。
「――インペルランス!!」
「ゲキメツ様! それ以上はっ!」
同時詠唱。
雷魔術で俺を攻撃しながら、ゲキメツは土魔術で土槍を作り出したのだ。
彼女の背中辺りに浮かんだ五本の土槍が俺の体に死を過ぎらせた。
「させるかぁぁぁぁっ!!」
魔術師に一番効くのは、近接戦だと相場が決まっているのだ。
ああ、懐かしいな。
そうなんだろ、なあ。
何度も言っただろ。足下を良く見ろって。
まだ直ってないのか?
それとも、俺が教えたことはもう忘れてしまったのか?
「きゃあっ!?」
俺は尻に力を入れ、そのまま腰を思い切り右に半回転。
馬乗りになっているゲキメツがバランスを崩し、雷撃剣の軌道がズレて、俺の体の横――ベッドの端のフレームが消滅。
その瞬間、俺は上半身を起こし、展開していた防御魔術をゲキメツの体に押し付けるように一気に前に出す。
結果、彼女の体はファルカスのいる場所へとふっ飛ばされた。
「ゲキメツ様っ!?」
しかし、その場で展開された土槍は止まらない。
見ただけでわかる。簡単に破壊できる土槍ではない。相当に魔力が練り込まれた密度が高い強固な槍だ。
だから俺は防御魔術を消し、瞬時に水魔術を放って五本の土槍を水で包んだ。
表面に水分を含んだ土槍が勢いよく目の前まで迫っていた。
その状態で氷魔術を発動。瞬間的に目の前の水を凝固させる。
それにより勢いが鈍化した土槍。
「ぬおぉぉぉぉぉぉっ!!」
体を回転させ、ベッドから転げ落ちるようにして回避。
俺が躱したあと、五本の土槍が無惨にもベッドに突き刺さった。
「…………」
この狭い牢屋の中での壮絶な魔術同士のやり取り。
終わるとその場を一瞬の静寂が包んだ。
ただ、俺とゲキメツが息を荒くさせた呼吸音だけが響いた。
「ゲ、ゲキメツ様! 大丈夫ですか!?」
「なんで……」
「ゲキメツ様?」
「――なんでいなくなったのよ!!」
これ以上は攻撃してこないのか、ファルカスに支えられたゲキメツが、その場で俺に対する恨み言を言い放った。
「……どういうことだ?」
俺は彼女が何を言っているのか、よくわからなかった。
「あの、一緒に訓練した家! もう、ボロボロで崩れて……いなくなってたじゃない!」
「ぁ……」
そうか。俺は引っ越しをしていたんだった。
彼女は俺に会いに来ていたのか。
でも、彼女なら、彼女達なら簡単に引越し先も見つけられたはずだ。
けど、河の近くはよく魔物も水を飲みにくるので、魔物対策に認識阻害の魔術も使っていた。
まあ、いくら優れた鼻を持っていても、魔術が使えても。
探す範囲を絞れないと認識阻害の魔術を突破することは難しかっただろう。
「ああ、悪い。あの家、ボロかっただろ。だから引っ越しして、認識阻害の魔術も使っていたんだ」
「……バカぁ…………」
彼女は涙を流していた。
力なく、ファルカスに支えられ、語彙力不足の罵倒を俺にしながら。
「ど、どうなってやがるんだ……」
目の前で起きていた魔術合戦に恐怖したのか、今まで牢屋の隅にいた同室の男が目を丸くしていた。
まあ、誰も二人が知り合いだなんて思いもしないだろうな。
こんな浮浪者のような俺と、五年前に別れたあの時よりもずっと成長した彼女が知り合いだなんて……。
「ヒゲルフっ!!」
「ゲキメツ様ぁ!?」
すると、ファルカスに支えられていたゲキメツが、彼の腕を振り切り、再び俺に突進をしてきた。
あの時はしなかった、とてつもなく良い匂いが俺の鼻腔をくすぐった。
たまに石鹸。でもほとんど三人とも土とか草みたいな匂いばかりさせていたのに、こいつはこんなに……。
それに、デカい。デカすぎるのだ。
今こうやって抱きつかれてわかったが、こいつの胸はデカすぎるのだ。
五年前はぺったんこだったくせに、五年でこんなにも成長するのか。
人間は成長が早いのは知っていたが、ここまでとは……。
「――リタ。大きくなったな」
「うるさいっ……体……臭いのよ、ヒゲ!」
「前はリタも似たようなものだったろ」
「――っ。女、作ってないでしょうね」
「俺が作れると思うか?」
「…………知らないっ」
そう身を寄せながら言葉を交わす二人。
リタ。
彼女はリタだったのだ。
『リタよんさい! いちげきでてきをほふるまじゅちゅしになる!』
十三年前、そんな世迷言を言っていた小さなクソガキ。
今やこんなにも立派な魔術師になっていたのだ。
性格はあまり変わっていないようだったが、俺は嬉しかった。
先ほど、俺を殺そうとしてきた魔術も、俺に会えなかった鬱憤を晴らすように放ってきたのだろう。
一撃で敵を屠るにはまだまだのようだがな。
「――きっ、貴様ァァ!! ゲキメツ様から、離れろぉぉぉぉっ!!」
そんな師弟の感動的な再会。
それを喜ばない人物が、目の前にいたのだ。
明らかにリタから抱きついてきたのに、なぜか俺に離れろと言う。
ああ、彼はリタのことが好きなのか。
「黙って、うるさい」
「ぐはぁっ!?」
ファルカスが俺に迫ってくると同時に、リタは振り向きざまに右手をかざし掌から即座に雷魔術を発動。
その速さに防御魔術すら発動できなかったファルカスは彼女の雷撃をモロに受けてしまい、そのままバタリと床に倒れ気絶してしまった。
「――そこの騎士さん。ここから出ます。この男は何もしていません」
いつの間にか剣を構えていた騎士。
牢屋の外で一部始終を見ていた彼らにリタはそう告げた。
俺が収監されてしまった誤解は、五年振りのリタとの再会と共に解けることとなった。
それにしてもリタ。
お前、リタ・ゲキメツって名前なの?