元出資者
マヤの家は豪邸と言えるほどに大きい。
立派な門構えの奥には庭園が広がり、色とりどりの花が咲き誇る。
穏やかなほどに静かな空気の中、年季の入った建物は代々続く一族の雄々しさを表しているかのよう。
「でっけ~なぁ、さすが富裕層」
「見てください。ここからグリンデルワルト魔術学院が見えますよ」
「意外に近かったんだな……さぁて、入れてもらえるかな」
「もし入れてもらえなかったら?」
「ドア蹴破ってでも話を聞く。こちとら火だるまで街守ろうとしてんだぜ」
しかしふたりの杞憂に終わり、すんなりと屋敷の中へ入れられた。
途中、若いメイドたちに一礼されながら、執事らしき男性とともに、応接室のある階まで案内される。
「旦那様がおられる部屋は突き当たりから2番目の部屋となります。街の現状ゆえ、旦那様は今とても神経をとがらせておられます。使用人の我々でさえ普段以上に気を遣うほどに」
「ほお……」
「お客様には大変申し訳ありませんが、ここからは……」
「あー、はいはい」
(…………)
ティアリカは執事の言動に小首をかしげながらも、先をいくゲオルを追いかける。
応接室のドアをノックすると、弱々しい声で返事がきた。
「失礼するよ」
「こら! ご貴族様になんて口を!」
「ふふふ、かまわんよ。さぁかけたまえ」
精神的に相当参っているようで、顔色も悪い。
心なしか着ているスーツもどこかよれている。
「君たちのことはおおよそ知っているよ。この街の騒動に関わっているようだな」
「じゃあ話が早い。アンタの娘のマヤのことだが……」
「……やはり、君がかくまってくれていたか」
「ひとつよろしいですか? どうして最初ご息女を捕えようとされたのでしょう?」
「この件に関わらせたくなかった。いや、関わってはならない! 必死だった。シェイムより早くに保護しようとしたが……まぁ、君ほどの男に守られているのなら、あるいは……」
あまりにも気迫がない。
こういうとき、親なら、なんなら金持ちの男なら怒鳴り散らしそうだが、心底疲れ果てているようだった。
「シェイムのこと、前から知ってたようだな」
「知ってるもなにも……私は彼の出資者だよ。昔の話だがね」
「出資者? 仲間、ってわけじゃなさそうだが……」
「ふふふ、まんまと騙されたんだよ」
「……ちょいと聞きたいんだがね。シェイムってのはなんなんだ? 青年実業家ってのはこんなに街をひっかきまわせるもんなのか?」
「アイツは、バケモノだよ。邪悪とか天才とかじゃない。……むしろその真逆なんだ」
マヤの父は、これまでの関わりから得たシェイムの印象を話す。
「あれは外面だけがいい愚か者だ。だが思いきりもいい。そういう人間がどう言うかわかるか? 天性の暗愚だ。天より暗愚であることを許されたおぞましいなにか」
「暗愚……そんな人物が、ここまでの騒動を?」
「バカと天才は紙一重と言うだろう? 皆騙されたり、純粋に信じたりして、奴にとっての今の立場がある。実際金稼ぎは相応にうまかったからそれが輪をかけたようだ。それが奴を怪物にしてしまった。それか、もともと怪物の素質があったか……」
「でも止めらるチャンスはあったのでは!? いくらやり手とは言え、立場で言えばアナタのほうが上でしょう!」
「シェイムにとってそういうのは古い考えらしい。恐ろしい奴だ。まるで意にも返さないように、一方的に事を進めていたよ。結果、奴はこの街で恐ろしいことを始めている。……現に、街の方でも大きな騒ぎがあったな」
「街を支配するにしては、大掛かりすぎやしねえか? いや、自分の部下に街を破壊されかけてたしな」
「人造ニグレド、だろう?」
「知ってたのか」
「言ったろう。元出資者だと。あんなもの序の口だ。シェイムにとっては未来の支配体系のデモンストレーションに過ぎない。奴の目的は、この街『ヘヴンズ・ドア』の生態系を変えることなんだ」
生態系の変化。
それは太古の昔より、ひとつの事象として世界各地で見うけられる。
どの種が栄え、どの種が消えるか。
人間社会にもそれは現れ、今日に至るまでどれだけの文化や言語、民族が消えたり栄えたりを繰り返したか。
繁栄と淘汰の荒波。
自然の流れで起こるならまだしも、近年は人為的な面が目立ち始め、それはいかがなものかと声を上げる者たちも散見される。
欲望や享楽で生命のバランス、社会的均衡を崩すそれは、神の怒りをも恐れぬ所業。
だが話を聞く限り、シェイムはまるで砂場に遊びに行く子供のように、無邪気にラインを踏み越えてきたようだ。
その舞台が、ヘヴンズ・ドア────。
「なるほど、悪党たちが流れ込んできたのは、外国勢力の助力もあるわけ、か」
「もはや神がかりとも言える暗愚性に加え、運や行動力が備わっているぶん始末に負えない! シェイムはこのヘヴンズ・ドアにまつわるありとあらゆる政治的なものと一体化しようとしている。そうなればこの世のどんな法律も奴を裁くことはかなわない。シェイムただひとりが"愚か"であることを許された、シェイムだけの楽園が誕生する。それがなにを意味するかわかるかね?」
「街の、崩壊────」
ティアリカがつぶやく。
「奴は嬉しそうに、それを"カスタマイズ"とのたまっているらしいがな」
「イカれた野郎だ」
「ふふふ、イカれてる程度なら、まだいい。そういう類の人間は見てきた。だが、シェイムは、違う」
マヤの父親は話し終わったあと、酒を取り出して呷る。
よく見れば手が震えていた。
貴族とは思えないほどにがぶ飲みして、ようやくそれはおさまる。
「政治的に奴を止めるのは不可能だし、金の流れで止めることも不可能だ。もう、あれは殺さなければ止まらない。だから頼む。奴を……始末してくれ」
「生憎、依頼過多だ。だがそういう人間なら、殺すしかない」
ゲオルの意志にホッとする彼の背中は、あまりにも弱々しかった。
「……では、頼んだ。あまりここに長居するのもよくない。最近は屋敷に監視がつくことも多くなってきたからな」
「監視?」
ティアリカが小首をかしげた。
「見張られている、というような気配はありませんでしたが」
「……なに?」
「おう、執事とかメイドも変わらず仕事してるって感じだったしよ」
「執事? メイド? ……ちょっと待て」
マヤの父親の表情が変わった。
「メイドはどこにいた?」
「廊下に何人もいたぞ」
「歳は?」
「若いぜ」
「……執事は?」
「まぁ、若い?」
「今ウチに年若いメイドはいない。いるのは古株だ。一旦田舎に帰らせたからな」
「じゃあ執事は」
「そもそもウチに執事はいない」
少し間を開けたあとの言葉に、流れる沈黙。
凍りついた空気の中で、ゲオルは視線をドアのほうに向けた。
異様なまでにドアの向こう側が静かなのが、彼には不自然に感じられた。
「ティアリカ、その人守れ」
「了解」
直後、ドアが蹴破られ執事やメイドに扮した刺客たちがなだれ込んできた。
テーブルを蹴って障壁にするようにして、銃を数発。
その後は徒手空拳で刺客を制圧。
(敵はどうやらなりふり構わなくなってきたみたいだな。じゃあこっちもマジでいかねえとな)