マヤへの報告、忍び寄る悪意
一旦自宅へ帰ったゲオルは、そのまま眠りにつく。
目が覚めたのは夜明け前だった。
よく寝た感覚はない。
そして柄にもなくソワソワしている自分がいることに気持ち悪さを感じ、水で顔を洗った。
(3日間は身動きはできねえ。だが連中は今も裏から街を浸食してる。へっ、焦らしやがる。こっちはチマチマやるのは好きじゃねえってのに)
鏡に映る自分を睨みながら深呼吸。
しばらくしてから顔を拭って、支度をしてから外へ出た。
涼やかな静けさをまとう石畳の道に、彼の靴音のみが響く。
向かう先はヘリアンテス区だ。
内側で調査しているティアリカにも伝えておきたい。
彼女もまたなにかをつかんでいるかもしれないから、情報共有だ。
「まぁ昨日の今日だ。こんな早くにいるわけが……」
「いますけど?」
「うぉあ!?」
いつから人の背後をとる技術を身に着けたのか。
いつの間にか身体面でもよりしたたかになった彼女に感服しながら、情報共有のために場所を変える。
朝食はカフェで。まだ回転の時間もあるので歩きながら話し合った。
「ヘリアンテス区でまたならず者どもが?」
「えぇ、私たちが分かれたあとも何人かあそこをうろついたり、わめきちらしたりしてました。衛兵の対応も、もう当てになりません。幾人か黙らせましたが……本元を叩かない限り、焼け石に水でしょうね」
「なんてこった。早く解決しねえと俺たちがエダークスの雷の餌食だ。……3日は長ぇよなあ」
「今は耐え忍ぶしかありません。それと、もうひとつ気になることが」
「なんだ?」
「ヘリアンテス区に流れ込んでくるならず者の動向をつかんだのですが、どうやらヘリアンテス区を包囲するように、ならず者たちのたまり場が5つ形成されているようなのです。……偶然でしょうか?」
「いいや、いつでも暴れられるように巣を作らせる。悪党の考えそうなことだ」
「つまりこれからもどんどん増えると?」
「そういうこと。あぁそれと、衛兵は連中の味方って思え。かち合ったらためらうな」
「そ、それは……」
「コルトは別件でいない。ミスラは左遷一歩手前。おそらくミスラみたいに反感覚えてる衛兵は皆動きを封じられている。……嬢を口説くよりも簡単にこなしてくれちゃってよぉ。シェイムって奴は敵の首根っこを掴むの相当慣れてるな。街を食い荒らすプロだ」
「なにが、目的なんでしょう」
「さぁね。新聞にでも載ってりゃ楽なんだがよ」
「なにか陰謀があるとしか思えません」
「それこそ額縁にでも飾っといてくれなきゃな」
「真面目に聞いてますか? 街の命運がかかっているのですよ!」
「街はまだ生きてるさ。ムカつく野郎が増えてちょいと悲鳴を上げてるがね。うし、まずは腹ごしらえだ。マヤにも途中報告しなきゃだしよ」
朝日が昇り、その光が彼のいつもの笑みに強い陰影を浮かばせる。
皮肉なことだが、平和が脅かされたときにこそ、ゲオルのような勇敢な人間が必要だ。
右も左もわからないほどに荒れ狂う、暗黒の大海原を裂くような、────強い光が。
ティアリカもかつての英雄に列する者であれど、彼ほどの強いものは持ち得ていなかった。
ゆえに、ゲオルの苦境での姿勢を尊敬していると同時に、強い憧れを瞳に宿す。
ゲオルの背中を見ていると、どんな地獄も高らかに笑いながら進めそうで。
「じゃあ、たくさん食べないといけませんね!」
「お、そうそう! そういう風に笑いな。そのほうがいい。じゃあ今回はお前の……」
「ダメです」
「つらいねえ」
奢りを期待、したわけではない。ただのじゃれ合いだ。
そう、ひと仕事する前の景気づけ。
街の一画にあるカフェ、そのオープンテラス席に座り食べるふたり。
「さて、マヤはどうしてるかねえ」
「ユリアスが隠れ家を用意しているとのことでしたが」
「アイツに聞くしかないでっしょ」
「今日はたしか朝から仕込みをするからって早く店に来てるはずですよ」
「うし、早速動きますか」
キャバレー・ミランダへ足早に進み、厨房でせわしなくしているユリアスに隠れ家の在りかを聞いた。
「ここから西の方にある馬小屋へ行けばわかるよ」
「は?」
「だから馬小屋」
「いや二度言わなくていい。なんでよりにもよってそこなんだよ」
「秘密」
「えぇ……」
「安心して。信用はしていい。ある人に合言葉を伝えるんだ。合言葉は────」
中々にセキュリティーが徹底している。
分かりづらい合言葉を頭に叩き込んだのち、ティアリカとともにそこへ向かった。
西の馬小屋はヘヴンズ・ドアという街ができる前から存在したとされているが、だからといって規模はというとそれほどでもない。
たどり着いてから、そこにいるひげもじゃの老人に合言葉は伝えると、一瞬眼光を鋭くさせてから、近くにそびえたつ風車へと案内してくれた。
ガラガラとけたたましく回る木製の歯車たち。
上へあがるための、螺旋めいた通路。
仄暗さの中から香る油と、くすんだ空気にふたりは思わず表情を歪めた。
「ちょいと待ってな。ここでさ」
老人はカムフラージュさせた扉のダイヤルをチキチキと回す。
「なるほど、風車の地下か」
「たしかにこの場所なら目立ちませんし……なによりキャバレーに顔を出すときにも裏手を歩けば人目にはつきにくいですね」
「もともとここは、拷問部屋だったようでしてねえ……ふふふ、ユリアスの姉ちゃんもよくこんなの見つけたもんでさ。…………ささ、おふたりさん。階段を降りて奥の部屋だ」
ゲオルとティアリカはこの暗い通路の奥へ向かうと、ちょうどドアの鉄格子部分からひょっこりとマヤが顔をのぞかせていたのが見えた。
「あ、アンタ!」
「よう、ステキなホテルだな。サービスが良さそうだ」
「ふん、じゃあアンタも入れば?」
「やめとく。ここじゃ飯がマズそうだ」
「……あの、アナタがマヤさんですね」
「あ、えっと」
「……?」
ティアリカの姿にハッとする。
ときおり見せる聖女然とした佇まいは、たとえ夜の街でも未だ染まることはなく、たとえ同性であろうとも魅了してしまう。
ちなみに、そういったことにティアリカ自身は気づいておらず、なぜマヤがドギマギしているのかわからない。
「どうした? 報告前に懺悔でもするか?」
「し、しないよ! ……って、報告って、なにかわかったの?」
「うし、じゃあここ開けてくれ」
「アナタの探し人はもちろんのことなんですが、今回の事件はとても複雑なようでして……そのことも含めて」
「わかった。中に入って……」
ゲオルとティアリカは、マヤに途中報告を行う。
あまりにも重くのしかかる現状。
だがそれは、探し人に一歩近づいた証明でもあるのだった。
一方、街では邪悪な意志が忍び寄ろうとしていた。
治安の澱みをいいことに、シェイムの相棒であるキャロライナが恐るべき『実験』を行おうとしていたのだ。