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ヘリアンテス区長エダークス

 六百年前、世界のどこかに存在した小国。

 たしか『ヴェルヴァーナ』という名前だったか。

 そこの城下町はかつての詩人たちに『花の女神に愛されし園』と言わしめるほどに、美しかったという。

 歴代国王の方針により、人が住んでいるとは思えないほどに清潔にて清廉、そして壮麗であった。

 芸術はもちろん、医療に哲学、数学と多種多様な分野において秀でて大国にも一目おかれる国。


 だが、そんな国ですら、価値のわからぬ者たちによって穢され、滅ぼされたという。

 悲劇の国として数多の歴史書に載せられ、後世の芸術家がこぞってヴェルヴァーナを描いた。


 ────ゲオルとティアリカは、その描かれし美国ヴェルヴァーナの姿を目の当たりにしているかのようだった。

 近代化における文明利器の姿はあれど、景観を損なわぬように工夫されており、白を基調とした街並みは精巧に作りこまれた物語の世界に入り込んだよう。


「驚いた。ここ、ヘヴンズ・ドアだよな?」


「…………」


「いや、なんか言えよ」


「す、すみません。塀の向こう側にこんな光景があるだなんて思ってなくて。まるでここだけ時間が巻き戻ったかのよう」


「同じヘヴンズ・ドアの街とは思えねえ」


「不思議な空間、ですね」


 もっとゆっくり観光したかったが、区長を待たせるわけにはいかない。

 ゆったりとした時間と雰囲気が流れるなか、人々が穏やかな顔で行きかう。

 住民も観光客も、まるで楽園にでもいるかのような面持ちだった。

 ある種の気色悪さを感じつつ、ゲオルたちはやたらと白く美しい役場まで歩くことにした。


 話はすでに通っているらしく、役場の人間たちはすぐさまふたりを区長の部屋まで案内する。

 よそ者、ということでチラチラと視線は気になるが。


「区長、ゲオル・リヒター様、ティアリカ様がお見えになりました」


「通せ」


 執務室の奥からズンと芯まで響くような野太い声が届く。

 ドアが開かれると、その威圧感はさらに顕著なものになった。

 こうして向きあうだけで、そして少し部屋に入っただけですぐに理解できる。


 ────戦場帰りだ。

 それも地獄と形容されるような激戦地での。


 老人とは思えないほどの大男。

 重圧感が服を着てこの区画を統治している。

 見れば見るほど奇異なシチュエーションだ。


 職員を下がらせると区長は、ふたりをみやる。

 睨んでいるのか、ただ見ているだけなのかわからないが、ただ無言で立ち上がると、


「……座るがいい」


「こりゃ、どうも」


「……失礼いたします」


 向かい合うように座る。

 上座はかなり大きめのソファーのはずなのだが、図体ゆえに小さく見えた。


「エダークスだ。お前たちは繫華街エリアの、便利屋のようだな?」


「あぁ、俺はね」


「ゲオル・リヒター。話には聞いている。つい最近この都市に来たばかりというのに、ずいぶん派手にやらかしているらしいじゃないか」


「すでに耳に入ってるってわけか」


「フン、儂をなめるなよ。お前たちからは、荒事の気配が特にするからな。ずっとマークしていたのよ。いつかこの区画まで入り込むんじゃあないかとな」


「で、出会った感想は?」


「思った通りだ。礼儀知らずの若造めが」


 ずっと不機嫌そうな区長だ。

 秘書に出されたコーヒーを苦々しく飲み、さらに表情を険しくさせる。


「あの、エダークス区長。私たちをここへお招きいただいたのは、なぜでしょう? 私たちをよそ者と断じるのなら、門のところで即刻追い出せばいい。しかし……」


「この事件を解決できるのは、お前たちだけなのかもしれぬ。そう思ったまで」


「ほう、そりゃどういったことで?」


「ふん、どうやら知らんらしいな」


「なにをです?」


「────ついさっき、衛兵(ヤード)の連中が事件の捜査を打ち切った」


 これにはふたりは目を見開いた。


「この区画で、ならず者どもが暴れまわった。この区画で死者の行進なる現象が起きた。断じて許せん。治安に関わるからな。ところがだ! 奴らはこの一件から手を引いた! とんでもない怠慢、いや、侮辱だッ! この儂とヘリアンテスを侮辱したッ!」


 テーブルを力強く叩きエダークスは憎しみの顔に歪ませる。


「衛兵が手を引いたってどういうことだよ? なんかあったのか?」


「あったに決まっているだろう。────『奴』の仕業だ」


「奴? 根回しをした人物を知っていらっしゃるのですね?」


「…………思い出すだけでも、忌々しい若造だ」


 もっと詳しく情報を聞き出す必要があるようだ。

 とはいえ、本人の様子やその性格からして、かなりおっかない。

 あまり刺激しないように情報収集をこころみる。


「この区画は見てのとおり、ヴェルヴァーナを元に儂がいちから綺麗に整えた区画だ。なぜヴェルヴァーナであるのか、それは儂の先祖がそこの民であったからだ。儂はヴェルヴァーナの血を引いていることに誇りを持っている。…………来たときは荒れに荒れた区画だったが、数十年かけ整備した。そのために金と権力を得、この区画に住む人々を守り抜いてきた。…………儂の、誇りだ」


 エダークスの表情が険しいままだったが、瞳の奥の熱のどこかには厳しさゆえの慈悲があった。

 守るために鬼となる。その苦しみと孤独を背負い生きてきた人間の目だ。


「だからこそ、今回のことは許せぬ」


「その若造のせいで? その若造ってのは俺以上に礼儀知らずらしいな」


 そのセリフにエダークスはゲオルに視線を向けた。


「…………ひとつ、つまらない質問をさせてもらおうか」


「なにが聞きたい? 俺のスリーサイズか?」


 パシンとティアリカに叩かれるゲオルに特に反応はしめさず、彼はかたい面持ちで、


「君が旅行先や移住先で求めるものとは、なにかね?」


「………どう、だろうなあ」


「まぁ人によりけりだ。安息か、それとも刺激か。────だが、それだけじゃあないよな? うまいメシだって食いたい。うまい酒にイイ女。なんだったらイイ仕事をして羽振りをきかせるのも最高だ。人生の醍醐味と言えるだろう。だがそういったものを求める以上、必要なものがある。金より大事なものだ。なにかわかるか?」


「…………見当もつかない」


 下手に答えは言わなかった。


「…………"敬え"と言っているんだ。おべっかをかけとか下手(したて)に出ろとか言ってるんじゃない。その土地と文化に根付く人々に敬意を払えということなのだよゲオル・リヒター。次に金だ。敬意そして金。それが土地を豊かにし、人と人との繋がりが栄える。すなわち『繁栄』だ。最初に敬意なくして繁栄などありえんッ! ……仮にあったとしても、それは『繁殖』だ。カビや雑菌のように駆除してしかるべき汚点でしかない。のちのち禍根を残す癌細胞のように即座に処理されなくてはならない事案となる

……儂はここの長としてずっと戦ってきた。世の中には敬意という価値観を持たないアホ頭が腐るほどいるからな。────シェイムという男がそのひとりだ!」


「シェイム?」


「シェイム…………まさか」


 静かに聞いていたティアリカはその名に反応する。

 聞き覚えのある名前だった。



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