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拳と拳

 嵐の前の静けさはすでになく、風が強まり木々が不気味な葉擦れの音を鳴らす。

 これから起こる天地の荒れに、鳥は遠方へと飛び立ち、街でよく見かける猫たちはどこかに身を隠していた。


 本能で感じ取れるほどの重圧を孕んだ夜が近付いてくる。

 恐怖は闇に溶け込んで、次の獲物を探しさまようのだ。


 それを許さない男が、歩みを進めていた。

 ゲオルはなるべく無心になって気を鎮めてしたのだが、中庭を歩いているとそれを削ぐ存在がぬっと現れる。


「どこへ行く気かな」


「……街の外でピクニック」


「こんな今から?」


「アンタも来たいって?」


「そういうことではない。私は君を止めに来たのだゲオル・リヒター」


 コルトが厳つい表情で彼の前に立ちふさがる。

 猛禽が如し眼光すら凪ぐように見据えるゲオルに、コルトは思いのたけをぶつけた。


「勝手に街に出て君が色々と動き回っていたのは知っている。しかしそれを止めなかったのはひとえに私の判断で君たちに不自由を強いてしまったがゆえのうしろめたさがあってのことだ。だがこれ以上は看過できない」


「なんでだ?」


「ヘシアンは一流の殺し屋だ。世界中の機関が奴の存在に手をこまねいている。あのエジリ君でさえなんの抵抗もできずにあのザマなのだぞ。……君は私の尊敬する平和の英雄であり、私の孫の恩人なのだ。これ以上、犠牲を出すわけにはいかん。君はここで待機しあと我々に任せるべきだ」


「それはできない。……"仕事"なんだよ。アンタと同じく」


「ゲオル君、これは街中の仕事とは違う。一歩間違えればいち組織との対立を招くことにもなりかねん」


「んなの昔からよくあることだ」


「君は……ッ!」


「それにな、俺には仕事って理由以外に、引けねえ理由があるんですよ」


「理由……?」


「見ちまったんだ。アイツの泣いてるとこ」


「ティアリカ君か……」


「泣いてさ、スッゲー悲しそうにしてんだよ。こうすりゃよかったんじゃないか、ああすりゃよかったんじゃないかって。……そんな姿をさ、俺、見ちまった」


 ニヒルな笑みに陰りを見せるゲオル。

 思わず言葉を詰まらせたコルトだったが、彼の矜持がゲオルを死地に踏み出すことを許さなかった。


「不器用な男だな君は」


「お互いにね」


「今回の件、協力するというのは?」


「その答えはアンタが一番よくわかってるだろ。……お気持ちだけ」


「そうか、ならば仕方ないな」


 ふたりの男が中庭で向かい合い、睨み合う。

 時刻は夕方だろうか。

 そろそろ外へ向かわねばならないのだが、勝負を避けるという選択肢は設けられていないし、そも避ける気もない。


「お互い時間がない。悪いが病室送りになってもらうぞ」


「そんなこと言ったら手加減できなくなるだろ」


「ふ、ならば容赦はなしだ」


 半身で軽やかにタップを踏むゲオルに対して、腰を落としながらバッと両脇を閉めて、ゆっくり拳を前に出すコルト。


 数秒の様子見から電光石火で技が繰り出されていった。

 水のように自由で鋭い拳打に対し、岩のように重く硬い拳打が幾度もぶつかり合う。


「ちょ、ちょっと何事!? ふたりともなにしてるの!?」


「ゲオル、これは一体……ッ!?」


 騒ぎを聞きつけたミスラとティアリカが駆けてきた。

 戦いの勢いは増し、ぶつかり合うたびに衝撃波がふたりの頬を薙いだ。


「ぬぅん!!」

 

 コルトが長年積み上げてきた技術からなる正拳突き。

 沈み込むような重心からなる加速度と拳圧がゲオルの防御を貫いた。


「へ、バケモン染みたパンチしやがる……」


「まだまだ余裕のようだな。もう少し本気を出してもよさそうだ」


「ふん、来いよ。ヘシアン前のウォームアップだ」


 鼻を親指でこすり、ドッシリと構えるコルトにジリジリと詰め寄る。

 ミスラとティアリカがなにか叫んでいたが、強風にかき消されふたりの耳には入らない。

 距離が縮まるたびに濃密になっていく闘気の渦に風が乱れているくらいだ。


 互いの制空権が触れ合った直後、今度は足技を主体とした殴り合いが始まった。

 コルト得意の上段回し蹴りが猛威を振るう中、ゲオルもアクロバットな動きで連続蹴りを放っていく。


「君を行かせはせん!」


「余計なお世話だ!」


 思いと思い、信念と信念が磨き上げられた技となりぶつかり合う中、一向に進展しない状況に先手を打ったのはコルトだった。


「でぇえりゃああ!!」


 ゲオルの蹴りを躱して肉薄すると、恐ろしく速い一本背負い。

 地面に叩きつけられる前に足で地面を蹴るように着地。


「こんの、やろぉお!!」


 ワニのデスロールのように回転しコルトのバランスを崩した。

 そのあとはボクシングめいた動きで滅多打ち。

 コルトも防御しつつ応戦するも防戦一方。

 

「悪いな……これでッ!!」


 コルトの拳を沈み込むように避けながら右足で彼の顎を蹴り上げた。


「ぐっふッ!!」


 大の字になって倒れるコルトを見下ろしながら、殴られた痕の痛みに顔をしかめる。

 長い時間戦っていたような気がするが、そこまで経っていないようだ。

 実に濃密な時間だった。


「……俺ぁ行くぜ」


 踵を返して外へ向かおうとしたとき、ミスラがすごい剣幕で走ってきて彼の胸倉を掴む。


「なにしてんのよアンタ!! どうしてお爺様を!!」


「なりゆきとしか言いようがない」


「ワケわかんないこと言わないで! アンタ自分がなにをしたかわかってんの!?」


 ミスラの手が上がった直後、ティアリカが申し訳なさそうに両手で掴んだ。


「ティアリカ……さん」


「ごめんなさい。私が責任を以てアナタのお爺様を治療します」


「そういう問題じゃない。……コイツは私の大切な人を」


「……ミスラ、行かせてあげなさい」


「お爺、様……?」


「彼を止めるつもりだったが、もうその必要はない。責任は、私が取る」


 その言葉でミスラは落ち着いて手を離す。

 ゲオルは起き上がったコルトに軽く会釈し、再び外へと向かった。

 

 託された以上、負けられない。

 もとより負けるつもりはない。


「思わぬ喧嘩になっちまったが……まぁ悪くなかったぜ」


 本気の殺し合いではないにしろ、コルト・ガバメントの実力に少々自信をなくしそうだった。

 あれが全盛期のころだったらひとたまりもなかっただろう。


 さらに魔術を行使しながらの戦いであれば、たとえ勝ったとしてもヘシアンと戦うどころではなかった。

 

 ゲオルがこうして考えていることはコルトも考えていた。

 ただの殴り合いとはいえ、かの英雄の実力がこれだけのはずがない。

 だいぶセーブしたのは、おそらくミスラの存在もあるはず。


「私も老いたな……」


 ティアリカに治癒してもらいながらも呟くと、彼の背中に視線を送る。


「ま、色々考えても仕方ねぇ! うし、行くかッ!」


 ゲオルは気分を入れ替え、新たなる戦闘の地へと向かった。

 

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