第1話 転生と惣菜パン
楽しんで頂ければ幸いです。
俺はどこにでも居る普通の男だった。普通の家庭に生まれ、普通に育って、普通に勉強して、普通に成長して普通に就職した。
「いらっしゃいませぇぇっ!」
俺の名前は『森田 空』。40代半ばの中年おじさんであり、地元のスーパーで働くごく普通の男だ。そんな俺は、今日も元気に店へいらっしゃったお客様へ挨拶しながら仕事をこなす。これと言った特徴があるわけでもない普通の男だったはずの俺は、ある事を境に摩訶不思議な現実と対面する事になった。これはそんな俺の物語。
~~~~
俺は元々、食べるのが大好きだった。美味い物を食べるために生きている、と言って良いかもしれない。趣味も食べ歩きと料理、になるくらいには食と言う物が大好きな男だった。
だからこそ『食に関わる仕事』に就くのは、火を見るよりも明らかだった。そんな俺が就職したのは、昔から地元にあったスーパーだった。決して大きな企業のスーパーでは無いが、子供の頃からこの店で世話になり、この店の食材で出来た料理を食って育ってきた。だからこそ、俺は学生時代にこのスーパーでバイトし、就活でこのスーパーの正社員募集に応募した。
バイトをしていた経験などもあり、俺は真っ先に内定を貰ってこのスーパーの社員になり、働き始めた。
それがもう十年以上も前の事だ。そんなある日の事。
「お疲れ様でした~」
「お~~『クーさん』お疲れ~」
スーパーも閉まる時間帯となり、後片付けを終えた俺は、まだ残っていた店長に挨拶をして店を後にした。ただし1人で、ではない。ここ最近入った新入社員の女の子と一緒に、だ。
俺もあの店に随分長いこと勤めている。勤続十数年。しかも色んな部門を渡り歩いた。スーパーの従業員、と聞くと一つの部門を長く続けているイメージがあるかもしれないが、実際には上の意向であっちこっちへ行く事になる。
そんなこんなで、色んな部門を経験していた俺は、今回入った新入社員の子の面倒を見ることになった。
俺は新人の子と2人並んで駅まで歩いていた。俺は家が近く駅は反対方向なのだが、もう夜も遅いし何かあっては不味い、と思いこうして付き添っていると言う訳だ。最近は色々物騒だからなぁ。女の子の夜の一人歩きは危なっかしくて心配になってしまったと言う事だ。
「ありがとうございます森田さん。わざわざ送って貰って」
「いやいや。気にしなくて良いから。もう夜も遅いからね。せめて駅までは送ってくよ」
「はい。……あっ、所でさっき、店長が森田さんの事を『クーさん』って呼んでましたけど、どう言う意味なんですか?森田さん、確か下の名前は空、でしたよね?」
「あぁあれね。あれは愛称、と言うかあだ名って所かな~。ほら、空って漢字はくう、とも読むでしょ?」
「はい」
「それに俺、趣味で食べ歩きしたり料理するくらいには食べる事が好きでね。いつ誰が呼び始めたのかはもう覚えて無いんだけど、親しい人とか付き合いの長い日と何かは、俺の事を『クーさん』って呼ぶんだよ」
「あぁ、食うのクー、って事ですか?」
「まぁそんなところかな」
他愛も無い話をしながら歩いていると、駅に近づいてきた。地方都市の駅だけど、それでも周囲にはまだ明るい居酒屋なんかが見える。おかげで夜でもそこそこ人通りがある。
彼等と同じように駅に向かいながら、更に俺は彼女と他愛も無い話をしていた。
「そう言えば、森田さんってどうしてスーパーに勤務しようと思ったんですか?」
「あぁそれはね。自分も食べるのが好きだから、食に関係する仕事に就きたかった、ってのもあるけど。一番は『誰かに美味しいを届けたい』って思いがあるから、かな」
「美味しいを、届けたい?」
「そう。美味しい物を食べた時って、こう『幸せだな~』、『美味しいな~』って思った事無い?」
「それはありますよっ。伊達に私だって食関係の仕事に就いた訳じゃありませんからっ」
「そうでしょそうでしょ」
彼女のどこか誇らしげな言葉に、俺はうんうんと頷きながら相槌を打つ。
「まぁ、つまりそう言う事、かな。『俺の知ってる美味しいを他の誰かに知って欲しい』。『美味しい物を食べて幸せになって欲しい』。そう言う思いもあったから、俺は今の仕事に就いたんだと思う」
俺は自分の素直な気持ちを話したんだけど……。
「って、もう40越えてるおじさんが何か恥ずかしい事言っちゃったね。あははっ」
今更ながらに恥ずかしくなって、俺は赤面しながら愛想笑いを浮かべる。
「そんな事無いですよ。そう言う思いとか持つの、私は良いと思いますけど?」
「そ、そうかな?まぁ褒め言葉として受け取っておくよ。ありがと」
と、そんな話をしていると、駅前の横断歩道の前までたどり着いた。が、私達の前で信号が変わってしまった。人だかりの一番前で足を止める私と彼女。しばし赤信号をぼんやりと眺めていたが……。
『ブブブッ』
「あっ」
彼女のポケットにあったスマホが振動した。彼女はスマホを取り出し、すぐさま文字を打ち始めた。
「うん?どうかしたのかい?」
「あっ、母からメールが来たんです。今どこ?って。ちょっと返信しちゃいますね」
そう言って彼女は再び文字打ちを始める。
『今の子は文字打つの早いな~』、などと考えながら彼女の指先を見ていると、前方の信号が青に変わった。
「っと、変わったよ。行こうか」
「あ、はい」
彼女は俺の言葉を聞き、一瞬顔を上げて歩き出したが、すぐに視線をスマホに落としてしまう。
と、その時。
『プアァァァァァァァァァァァッ!!!!!』
響き渡る甲高い音。それは車のクラクションだった。咄嗟に視線を向けると、赤信号を無視した車が人だかりの一番前を歩いていた私と彼女目がけて突進してくるっ!?
そこから俺は、もはや反射的に動いた。
「すまないっ!!!」
『ドンッ!!!!!』
「キャァッ!!!」
傍に居た彼女の背中を突き飛ばした。彼女は数メートル先まで行き、倒れた。本当にすまない事をしてしまったっ!
『ドンッ!!!』
そう思った直後、体を大きな衝撃が襲い、俺の意識は暗転した。
~~~~
そこは、のどかな森の中だった。小鳥たちがさえずり、青々と茂った葉を太陽が照らす。枝と枝の合間から抜けた木漏れ日が大地と芝生に降り注ぐ。
「はっ!?」
そして、そんな場所で俺は目覚めた。
「こ、ここは?」
撥ねられ、死んだと思いながら意識が暗転した。かと思ったら俺は、訳も分からない場所で目を覚ました。
「お、俺は、生きているの、か?」
言葉は発せるし、体を見回しても怪我をした様子はない。あんな風に車と衝突したのに、傷一つ無い、のか?服は、仕事終わりに着替えたスーツのまま。……ただ、少しスーツが緩く感じるような?それに不思議と、『活力』を感じる。
もう40を迎え、昔ほど無理が聞かず、近頃は活力の衰えを感じていたのに今はその逆。活力がみなぎっているような、そう。『まるで若返ったような』感覚がある。
しかしダメだ。分からない事が多すぎるっ。自分が今いる場所、ここに居る理由、こうなった経緯。何もわからない。
とりあえず、持ち物を調べるためにポケットに手を突っ込んだが……。ダメだ。ポケットに入っていたはずの財布もスマホも無い。周囲を見回してみても、愛用していた肩掛け鞄は見当たらない。
持ち物と言えば、この服くらいか。そして今自分が居るのは、どこかも分からない森の中。周囲を見回しても人影一つ無く、鬱蒼とした森が四方へと広がっているばかりだ。そして俺は次いで上を見上げる。俺の真上では太陽がサンサンと輝いている。この事からして、恐らく今の時間帯は昼飯時、12時前後と言った所か。それからしばらく、現実を理解しきれなかった俺はその場に座りながら空を見上げていた。
色々な事が突然過ぎて、現実を飲み込むのに30分ほどかかってしまった。
さて。とりあえず、街か何かを探そう。どうせこんな場所に居ても仕方無い。水も食料も無ければ、3日ほどで餓死してしまう。とにかく今は動こう、と決心し、私は動き始めた。
ここは、どこかの森の中だ。前後左右、どこを見ても木々しかない。……ここは、山勘で行くしかないか。
地図も無いので仕方ない。俺はとにかく、歩いて森を抜ける事にした。
「ふっ、ふっ」
幸い、活力が漲っているので森の中を歩くのも最初は苦ではなかった。……のだが。
「ハァ、ハァ、ハァ……っ!森、舐め過ぎたかっ」
次第に足裏の痛みを誤魔化しきれず、俺は木陰で腰を下ろした。2時間ほど歩いただけなのだが、そこは舗装などされていない森の中。俺の育った街などとは全然違う。起伏もあり、足元に生えた草花に足を取られそうになる事もあった。
す、少しここで休んでいこう。そう思い木陰で腰を下ろしていた時だった。
「ん?」
目を閉じ、休んでいた俺の耳に音が響いてきた。これは、水の流れる音だ。近くに川があるのか?
喉も乾いていたし、俺は立ち上がって音のする方へと足を進めた。そして、歩いていると不意に森が途切れ、小川の淵へと出た。
「おぉっ!水だっ!」
俺はすぐさま川に駆け寄り、水を飲んだ。ん?そう言えば前にテレビで、こういうのって見た目は綺麗でも実は腹を壊す可能性があるとか何とか聞いたような……。しかし気にしてはいられないっ!喉は乾いているんだっ!
それから俺は、しばし一心不乱になって水を飲んだ。心なしか、市販のミネラルウォーターよりも美味かった気がした。
「ふぅ」
喉も潤い、落ち着いた俺は盛大に息をついた。とりあえず水場を発見出来て良かった。これで少なくとも、水で困ることは無いだろう。そう考えれば幾ばくかの安心感が訪れる。……って、そう言えば顔はどうだ?体のあちこちに傷は無い事は分かったが、顔ばっかりは自分の目で見る事は出来ないんだ。何か傷がついてたりするかもしれない。
そう考え、俺は川を覗き込んだのだが……。
「えっ!?!?」
そこに映った自分の顔に、俺は驚き声を上げてしまった。何故なら、そこに映っていた俺は……。
「わ、若返ってる、のか?」
40代のおっさんではない。まだ若く、20代前半か、もしくは10代後半の頃のような若々しい顔立ちの俺だった。どう考えても皺の深い40代の、壮年の男の顔立ちではなかった。若く、瑞々しい肌の自分の顔が水面に映っている。
戸惑いながらも顔に触れる。水面に映っている俺も、戸惑いながら自分の頬へと手を当てている。……間違いない、これが俺の顔なんだ。……けどどういう事だ?事故にあったと思ったら、訳も分からない場所に居た挙句、若返っているのか?俺は?
本当に、状況が理解できない。何でこうなった?何で俺は若返ってる?それにここはどこなんだ?
尽きない疑問がぶり返してくる。俺は川の近くの木陰に腰を下ろし、ぼうっと川を見つめながら考えに耽った。
「……似てるなぁ。そう言えば」
そんな時だった。ふと思い出した事があって、俺は独り言をこぼした。
何時だったか、レジのアルバイトの子に聞いた事があった。彼は所謂アニメオタクと言う奴で、いろんなアニメを見ている子だった。そんな彼に今のアニメについて、聞いてみた所、『最近は異世界転生とか異世界転移とかがトレンドなんすよっ!』と言っていたっけな。
彼曰く、最近のアニメでは何らかの理由で、主人公たちが異世界へと転生、或いは転移するアニメが多いらしい。その理由としては、交通事故から誰かを庇うとか、神様のミスで死んだから、などと言っていたが……。
だとしたら俺も彼女を庇ったから死んで、転生したと言うのか?そんなバカなっ、と俺は率直に思った。『現実は小説よりも奇なり』、とは言うがこれはいくら何でも怪奇過ぎる。
大体、転生なんてしたって嬉しくないぞ俺は。結婚はしていない独身だったし、老いた両親は俺の兄弟夫婦が面倒を見てくれているとは言え、ここが異世界なのだとして、元の世界に戻る方法が無いのだとしたら、俺はもう二度と家族に会えないと言う事だぞっ!?冗談じゃないっ!
家族に友人、住み慣れた家と場所、誇りを持っていた仕事と将来のために貯めた貯金。転生なんて、これまでの人生で積み上げてきた物全部を捨てるような物じゃないか。……ハァ、最悪だ。
「……これから、どうすれば良いんだろう」
金も家族も仕事も家も失い、殆ど裸一貫と言って良い状態で訳も分からず放り出された異世界。……今の若い子達はこんな物語に憧れを持ったりしているのか?元40代のおっさんとしては、良く分からんなぁ。
しかしここでこうしている訳にも行かない。今はとにかく、人の居る場所を探そう。金に関しても、何か職を見つけないと。調理の経験があるし、食堂でもあれば雇って貰えるか相談くらい出来るだろう。
「よしっ!まずは町、或いは人捜しだっ!」
とにかく動かないとっ、と自分自身に言い聞かせ俺は再び歩き出した。
それから、勘を頼りに歩き続けていた時だった。
「……………ぅ」
「ん?」
森の中を歩いていた時、微かに何か聞こえたような気がして足を止めた。耳を澄ましながら周囲を見回す。
「…………うぅ」
また何か聞こえた。人のうめき声のようだが、方角は……。
「こっち、か?」
恐る恐る声がする方に歩みを進める。こんな山奥で人のうめき声など、状況が良く分からない。人が何かに襲われたのか、或いは良くない連中、盗賊などがいるのか。もし盗賊連中なら、気づかれた時点で殺されてしまうかもしれない。
俺はただの元おっさん。それもスーパーの従業員だ。格闘技の経験など一切無し。剣道だって高校の授業で竹刀を数時間程度、握った事があるだけ。戦う術などない。もし盗賊に見つかったのなら、逃げるか殺されるか、それだけだ。
「ふぅ」
考えるだけで緊張し心臓が早鐘を打つ。全身から汗が噴き出す。とにかく、慎重に俺は声のした方へと足を進めた。
そして、たどり着いたのは森林の中の少し開けた場所。そこに人影が倒れていた。数は3人。しかも帯剣していたり、矢筒を背負ったりしている。倒れているとは言え、武装している。見たところ、血を流している様子は無い。……しかし、倒れている彼女達が、悪人ではないと言う保障は無く、駆け寄った瞬間に襲われるかもしれない。だが彼女達が悪人である、と言う証拠もまた存在しない。何か理由があって倒れているだけかもしれない。
『ごくり』
緊張感から固唾を飲み込む。助けるのか、助けないのか。どうすれば良いのか分からず迷った。
だがやっぱり、助けるべきだと思ったっ。いざとなれば命乞いでも何でもするしかないっ!
俺は腹をくくり、草木の影からゆっくりと進み出て、周囲を警戒しながらも彼女達の傍に足早に歩み寄り、そして倒れている女性の1人を抱き起こした。
「だ、大丈夫ですかっ?しっかりっ」
周囲に何が居るかも分からない為、俺は出来るだけ小さな声で彼女に問いかけた。
「う、うぅ。……誰?」
すると、彼女の瞼が震えながら開かれる。そしてその瞳が俺を見据えている。
「通りすがりの者ですが、何があったんですか?何かに襲われたんですかっ?」
「……いた」
「え?何です?」
俺が問いかけると、彼女は小声で何かを呟いた。しかし良く聞き取れず、俺は彼女の口元に耳を近づけた。
「……お腹、空いた」
「……………え?」
『『『グギュルルル~~~~~~~!!!』』』
次の瞬間、森の中に響き渡ったのは、悲鳴でも怒号でも無く、空腹を訴える腹の虫の大合唱だった。
「えぇ」
正しく肩すかしを食らうとはこの事だった。緊張が抜け、俺は困惑と共に声を漏らしてしまう。
「ご、ごはん」
「飯~~。飯ぃ~~~」
他の2人も、這々の体で俺の方に這ってくる。その姿が昔見たゾンビ映画のゾンビみたいで少し戸惑ってしまう。が……。
「め、飯と言われても……」
生憎今の俺に、そう言った持ち合わせは無い。何か食料になる物は無いか?と周囲を見回すが、木の実らしき物は見当たらない。一番早いのは、先ほどの小川に戻って魚でも取ってくる事だが、ダメだ。調理器具さえあれば捌く事は出来るがそれも無いっ。かといって生のまま食べれば寄生虫由来の食中毒にかかる可能性もあるっ!
クソッ、何も無いのかっ。何か、何か俺に出来る事はっ!
今の自分の無力さから、内心悪態を付いてしまう。と、その時だった。
≪スキル、『ディメンションマーケット』を展開しますか?≫
「えっ!?」
不意に聞こえた、人間らしくない、抑揚の無い声。前に少しだけ聞いた事がある、合成音声という奴に似た、無機質な声。更に気づくと、今、自分の目の前に、空中にディスプレイが浮かんで居た。SF映画でよく見る、空中投影技術のディスプレイのような物だ。それが俺の眼前に浮かび、声と同じ文章が表示されている。
「な、何だ?これ」
文字通り、突然の事に理解が追いつかなかった。スキル、と言うとゲームでプレイヤーが持つ技能のあれか?それくらいなら分かるのだが、しかし、何故こんな物が俺に?これも転生の影響なのか?
訳が分からず考え込んでしまう。
「う、うぅ。死ぬぅ」
しかし腕の中に抱いていた彼女の言葉で俺は我に返った。今は色々考えているような状況じゃないっ。マーケット、市場と言うくらいなら、何かあるはずだっ!どのみち他に手は無いっ。
「て、展開するっ」
どう答えれば展開されるのか分からず、とにかく思った事を口にしてみた。
≪了解。ディメンションマーケット、展開します≫
再び抑揚の無い声が聞こえたかと思うと、先ほどまで空中に浮かんでいたディスプレイが消え、入れ替わるように現れた物があったのだが、それは……。
「じ、自動ドア、かっ?」
スーパーの入り口によくある自動ドアだった。しかし透明なドアの向こう側が何故か真っ白にしか見えない。ここから入れ、と言う事なのだろうか?
「……すまない。もう少しだけ、我慢してくれ」
俺はそう言って抱き起こしていた女性を芝生の上に横たえると、自動ドアの前に立った。
やはり近づいてもドアの奥が見えない。……この先に何があるのかさっぱり分からない。分からないが、行くしか無いっ。食料を入手出来なければ彼女達の命に関わるっ。
「ままよっ」
緊張と不安を声に出しながら、俺は自動ドアに更に近づく。するとドアが独りでに開かれる。俺はそのまま、中に足を踏み入れた。真っ白な世界に顔をしかめながら進む。そして数歩進むと、突然世界の景色が変わった。真っ白だった世界が、全く別の景色に変わったのだ。
それは……。
「なっ!?ここってっ!?」
無数の陳列棚が並び、その上に並べられた野菜達。奥には鮮魚の陳列棚も見える。そして天井から吊り下げられたポップな看板。番号が振られた看板には通路に何があるのか大まかに分かるようにお菓子やソース類と言った文字が書かれていた。
そう、そこはつまり……。
「スーパー、なのか?」
俺の務め先とは異なるが、紛れもないスーパー。『スーパーマーケット』だった。これが俺のスキルなのか?周囲を見たところ文字は全て馴染みのある日本語。値段も確認するが、表記は円で統一され、値段も日本のそれと殆ど変わらない。
売られている物も別段変わった様子は無い。野菜や果物、魚の切り身にグラムで分けられパック詰めされた肉類。お菓子に飲料、酒類に缶詰や調味料などなど。何も変わらない。日本のよくあるスーパーそのままだ。
ただ、唯一違和感を覚えるのは、『俺以外に店内に誰も居ない事』だった。バックヤードや作業場を覗いても、そこに入ってくる俺を咎める従業員は1人も居ない。通路に戻っても、利用客は1人も居ない。俺1人だ。売られている棚にも目を向けるが、商品は整然と並べられている。誰も、何も買っていった様子は無く、不気味なくらいきっちりと並べられていた。
「ここは、一体何なんだ。これが、俺が転生して手に入れた力、と言う事なのかっ?」
困惑し、表情を歪める事しか出来なかった。常識的に考えてありえない力を与えられ、訳も分からず転生して。本当に、俺はただ困惑する事しか出来なかった。
しかし数秒して、俺は頭をかぶり振って気持ちを強引に切り替えた。
今俺がするべきは、彼女達に食料を届ける事だ。俺は近くに詰まれていた買い物カゴを手に取ると、足早に鮮魚コーナーや精肉コーナーをスルーして惣菜コーナーに向かった。
そして見つけた。そこに並べられていたのは、無数の惣菜パンだ。コロッケパンやカツサンド、カレーパンに焼きそばパン。とにかくすぐに食べられそうな物を片っ端からカゴに入れ、カゴがパンパンになると俺はすぐさまレジに向かった。
レジにもやはり人影は無い。やむを得ないが、自分で会計をしなければ、と思った時再び思いだしたっ!俺は金を持ってないっ!しかも表記を見る限り、会計は日本円だっ!外の彼女達が日本円を持っているとは思えないっ!
ど、どうすれば良いんだっ!?会計をしないと不味いよな?このまま外に持ち出せば、窃盗になるかもしれない。しかし今すぐ彼女達にこれを届けないと餓死してしまうかもしれないっ!
会計したくてもお金が無い。かといってこのまま持ち出せば、窃盗になってしまうのではないか?と言う不安から、俺がレジの前で右往左往していたその時だった。
≪報告。あなたはこのスキルの保有者であるため、商品全ての権利はあなたに帰属します≫
「え?えっ?」
再び聞こえてきた声といきなり目の前に現れたディスプレイに驚き後退りしてしまうっ。
≪よってあなたに限り、このディメンションマーケット内部で会計を行わずに退出する事が認められています≫
「そ、そう、なのか?」
説明を聞く限りだと、ここにある商品は全て、俺の物と言う扱いらしい。だから俺だけは会計をせずにここの商品を外に持ち出せるらしいが。だが、それならがありがたいっ!
「急いでこれを彼女達にっ!」
俺は買い物カゴを手に外に出ようとするが、何故か自動ドアに近づいても反応しないっ!?えっ!?何でだっ!?俺は会計しなくても出られるはずじゃっ!?と困惑してしまう。
しかしそう思った直後。
≪買い物カゴの持ち出しは禁じられています。商品を持ち出す場合はビニール袋に淹れて下さい≫
「あ、そう言う事か」
どうやら買い物カゴは持ち出せないらしい。理由が分かって安心した俺は、レジに戻ってビニール袋を一枚手に取ると、そこに惣菜パンを入れ、カゴを戻すと出口に向かった。
すると今度は、OKと言う意味なのか普通に自動ドアが開いた。
「よしっ」
ドアが開いて安心し、俺は安堵しながらもドアを潜った。一瞬視界が真っ白になったものの、次の瞬間には先ほどの場所に出ていた。
「で、出られたのか」
戻ってきた事を確かめるように周囲を見回す。
「うぅ、も、もうダメ。死ぬぅ」
「あっ!そ、そうだったっ!」
しかし聞こえた女性の声で我に返った俺は、先ほど抱きかかえた彼女の傍に駆け寄る。
「大丈夫ですかっ!?今食べ物を持ってきましたからねっ!」
「た、食べ物?」
「め、飯?」
俺の言葉に、近くで倒れていた2人も反応する。
「ちょっと待って下さいっ!今出しますからっ!」
俺は袋の中からパックを一つ取りだした。
それは『カツサンド』だ。3コ入りのパックで、キャベツの無いカツとパンだけのシンプルなカツサンドだった。そしてパックを開けた瞬間。
『『『ヒュバッ!』』』
何かが空気を切るような音が聞こえた。かと思うと瞬きをした次の瞬間、パックの中のカツサンドが、消えていた。瞬いた一瞬での出来事だった。
「え?えっ!?」
無くなったっ!?なんでっ!?と思って顔を上げると……。
『『『モグモグモグッ!!』』』
彼女達3人が、一心不乱にカツサンドを頬張っていた。と、取ったの?あの一瞬で?
彼女達の瞬発力に驚いて放心していると……。
「「「おかわりっ!!」」」
「えっ!?あ、はっ、はいっ!」
瞬く間におかわりを要求され、困惑していた俺は我に返って他のパンを取り出し、包み紙を外す。すると……。
「これ貰いっ!」
「あっ!?ちょっとズルいっ!」
「あっ!だ、大丈夫ですっ!同じのもう一個ありますからっ!」
「こっち……っ!貰う……っ!」
「あっ、はいっ!どうぞっ!」
彼女たちは時に取り合いになりながら、各々好きな惣菜パンを片っ端から食していく。
そして、10分と立たずに俺が惣菜コーナーから持ってきた10コ以上の惣菜パンは、瞬く間に無くなってしまった。
「はぁ~~!生き返った~~!」
「……美味。お腹もいっぱい」
「ふぅ、も~~入らないわ~~」
3人とも、満足げな表情を漏らしながら呼気を吐き出している。……しかし、女の子とは言えあれだけあったパンをものの数分で平らげるなんて、よっぽどお腹が減っていたんだろうなぁ。
「皆さんお腹いっぱいになったようで、良かったです」
「おうっ!お前の持ってきてくれたパン、めちゃくちゃ上手かったぜっ!ごちそうさんっ!」
「うん。……とても、美味。食べた事無いパンもあって、美味しかった」
「改めて、ありがとうね。おかげで助かったわ。美味しいパン、ごちそうさま」
「ッ」
その時彼女達は、笑っていた。その笑みに、俺は少しだけ息を呑んだ。彼女達の笑みは多分、作り笑いとかじゃないと思った。確証なんて無いけど、彼女達は俺が持ってきた惣菜のパンを、高級でも何でも無いパンを食べて、本当に美味しいって思ってこぼした笑みだと思った。
それが、俺は嬉しかった。
俺は誰かに美味しいを届けたくてスーパーの仕事を始めた。なのに、いきなりこんな世界に飛ばされて。訳も分からず若返って。良く分からない摩訶不思議な力まで手に入れちゃって。分からない事も納得出来ない事もたくさんあった。
でも、この子達が俺の持ってきたパンを食べて、笑ってくれた。それだけで俺の心は今この時、満たされていた。だからこそ……。
「お粗末様でした」
心からの笑顔で、そう言葉を返す事が出来た。
これが、俺の異世界での日々の、最初の出来事となった。
第1話 END
感想や評価、ブックマーク、いいねなどお待ちしております。やる気に繋がりますので、良ければお願いいたします。