4章
こちらに気づいた綿貫が、手を上げ近づいてくる。
昼時を終えたファミレス内は、閑散としていた。
大学生だと思われる男が、窓際の席で突っ伏して寝ている。
「久しぶりだな。警察学校以来だもんな」
感慨深げに綿貫が言う。
「そうだな。悪いなこんな時に呼び出して」
少し驚いた様子で、綿貫がこちらを見てくる。
「お前がそんな風に人を気遣えるなんてな。
何か心境の変化でもあったのか?」
太い腕を組みながら、綿貫が言う。
大学時代には、ラガーマンとして名の知れた選手だったらしい。
プロになる夢は、足の怪我によって断念せざるを得なかった。
綿貫がどんな意味で言ったのか、分からなかった。
「いや、あの時お前、なんか壁を作ってただろ?
お前らとは絶対に仲良くならないって。
口では言ってなかったけど、顔はそんなだったよ」
確かにそうかもしれない。
ただ、今の自分が変わったとも思わない。
「まぁ、そうだったかもな。
お前は相変わらずなんだろうな。
警察組織を変えるのはいつになりそうなんだ?」
当時、綿貫はよくそんな事を言っていた。
自分がこの腐った組織を変えるのだと、胸を張りながら同期へ豪語していた。
なぜ警察組織が腐っているなんてことが言えるのか、僕には分からなかった。
「あの話か。俺も若かったからな」
綿貫が遠い目をして答える。
「もしかして、諦めたのか?」
「自分だけで挑むには難しい。組織に長くいる程に、それを痛感させられるよ」
巨大な相手にタックルしようと試みたものの、ビクともしなかったということか。
綿貫の図太い体が、急に小さく見えた気がした。
「それで捜査の方はどうなんだ?
犯人の目星はついているのか?」
同期の悲しい姿を見ていられなくなり、目的の話に切り替える。
「今は被害者の交友関係を洗っている所だ。
それらしい人物はまだ見つかっていない」
「死体発見前の、公園周辺の目撃情報は?」
「放置されたのは、深夜23時から発見された早朝6時までの間。
深夜の時間帯で、人通りも少ないので目撃情報は今の所出てきてはいない」
綿貫がコーヒーを口に含み、目を閉じる。
「被害者は大林組の奴みたいじゃないか。
そこら辺の関係はどうなんだ?」
知らない振りをして質問する。
大林組との関係を知られる訳には行かない。
「それも、多分無いと思われる。下っ端の組員だからな。
組のほとんど者が、存在自体知らなかったみたいだ」
日高の言っていた内容と相違ない。
だとするとやはり、一般の者に殺されたという事か。
口が裂けた女の姿が脳裏に浮かぶ。
「どうしてこの事件が気になる?何かあるのか?」
まるで尋問するようにこちらを見てくる。
その目から、真意を推し量っているのが分かる。
確かにそう思われても不思議では無い。
余りにも不用意に行動してしまっていた事に、今になって気付かされる。
「ちょっと、昔の友人に借りがあってな。
そいつから調べてくれと頼まれたんだよ」
綿貫が真っ直ぐに見てくる。
不覚にも目を逸らしてしまう。
「なるほどな。
まぁ、捜査の邪魔だけは辞めてくれよ。
お前がそんな馬鹿な奴だと、思って無いけどな」
綿貫のさっきまでの真剣な顔がほころぶ。
また追求されると思ったので、ほっと胸を撫で下ろす。
「お前、アルジという人物を知っているか?」
「変な名前の奴だな?外国人なのか?」
きょとんとした顔でこちらを見てくる。
「いや、分からない。外国人なのか、性別さえも」
綿貫が腕を組みながら、思案している。
「捜査の中でそんな名前の外人がいたかも知れないけどな。
外人の名前なんてどれも同じに聞こえるし。
そもそも、外人じゃないかもしれないんだろう?」
何も答えられず、ゆっくりと頷く。
「そのアルジという奴がどうかしたのか?
今回の事件に関わっているとでも?」
「現時点では何とも言えない。無関係の可能性だってある」
訝しるような目つきに綿貫がなる。
「刑事の感とでも言い出すんじゃないだろうな?
さっきも言ったけど、捜査の邪魔だけは辞めてくれよ。
お前だって、出世したくないわけじゃないだろう?」
諭すような口調で言ってくる。迷惑を被るのは御免だという事だろう。
「勿論そんなつもりは無いよ。急に呼び出して悪かったな。
また同期で集まって、酒でも飲もう」
「また柄にもない事を言って。期待しないで待ってるよ」
綿貫が店を出ていく。
事件に新しい進展があれば、伝えてくれるように頼んでおいた。
これからどうするべきなのだろう?
今のところ、危害が及ぶ気配もない。考え過ぎだろうか?
ただ、このままの状態にしておくことは出来ない。
アルジという人物について知る必要がある。
女のひび割れた携帯を取り出す。自分の顔が、細切れになって映し出される。
電源を入れようとするが、電池が切れてしまっている。
携帯を手掛かりに調べてみても良いかも知れない。
あてもないまま調べるよりも、そっちの方が効率的だろう。
数人の男女のグループが、店内に入ってくる。
窓際で寝ていた男の元へ、歩いていく。
気づけば、夕日が窓から差し込んできていた。
携帯を握りしめ、レジへと向かう。
携帯の電源を入れ、画面が立ち上がる。
隣の個室から、咳払いが聞こえる。GPSを気にして、漫画喫茶に入ったのだ。
前回でも確認したように、アプリはタイマーなどの既存の物しかない。
その点が、逆に不審に思えてしまう。何か理由でもあるのだろうか?
基本的には、ネットもしくはショートメールで連絡を取っていたようだ。
主に連絡しているのは、死んだ当日に多数の電話をかけてきた者。
ショートメールでの履歴がいくつかあり、2日前の連絡が最後になっている。
「おい、今どこにいるんだ?返事しろ」
このメール以降は、電話でも連絡が来ていない。
きっと女に何かあったのだと、察したのだろう。
ネットのメールから察すると、男の名はタクヤというらしい。
頻繁に連絡を取り合い、数日置きに会っているみたいだ。
その場にアルジという者も一緒にいたのかもしれない。
不思議なのはアルジという文字が、メールの何処にも無い点だ。
それほどに、この人物は自分へとつながる情報を気にしている。
あまりの用意周到さに、舌を巻くほどだ。
女を含む3人で、一体何をしていたのだろうか?
もしかすると、3人だけじゃないのかもしれない。
そして、今後何をする計画だったのだろう?
また、気になる点は家族と思われる者からの連絡がない事。
一人暮らしをしていたのだろうが、それにしても一切無いなんてありえるのか。
まずは、覚せい剤の売人から当たっていくしかないだろう。
幸いにも何度か、やり取りの履歴が残っている。
きっと何かしらの情報が掴めるだろう。
そういえば、日高もその方面を調べてくれているはずだった。
日高へ電話するが繋がらない。仕方ない、自分から動くしかないだろう。
女の携帯に残された番号へと、電話を掛ける。
数コールの後に、枯れた男の声が聞こえてきた。
耳を覆いたくなるほどの大音量が、室内に響き渡っている。
このナイトビーチというクラブは、女と武史が出会った場所だった。
売人から指定されたのが、この場所だった。
あたりは若者ばかりで、自分の存在が浮いているように感じる。
数百人は入れる大きなフロアの隅に、2階のVIPルームへと続く階段がある。
青白く光る室内中央のステージ上で、男のDJがターンテーブルを操っている。
胸を呼応するような重低音に合わせて、若者達が狂ったように踊っている。
周辺の者が僕の存在に気づくと、厳しい目をこちらに向けてくる。
その度に、早くこの場から立ち去りたい衝動に駆られる。
指定されたロッカールームへ着き、携帯で連絡をする。
所狭しと並んだロッカーに、威圧感を覚える。
通路は一人しか通れないほどに狭い。
複数人に囲まれたら、成す術はないだろう。女の夢での言葉が頭によぎる。
程なくして、一人の長身の男がやって来た。前髪が長く、目が見えない。
照明のせいか、不健康そうに見える。
「小野寺さん?」
フロアから漏れてくる音にかき消されそうなほどの声で、男が聞いてくる。
僕がゆっくりと頷くのを見ると、男が口角を斜めに上げて笑う。
「結構なおじさんだね。良い歳して、薬に手を出すなんてね」
男がおもむろに手を広げて金を要求してくる。数万円を出し、男に渡す。
それを確認すると、男が僕に握手を求めてくる。手には薬が握られている。
男は用事を済ますと、来た道を引き返そうとする。
「すまない、君に少し聞きたいことがあるんだが」
男は立ち止まり、怪訝な顔でこちらを見てくる。
「数日前に君から買った女のことを知らないか?
この男と一緒だったはずなんだが」
武史の写真を見せながら質問する。男は写真を一瞥し、首を横に振る。
「おそらく20代ぐらいの女なんだ。きっと何度も君から買っている。
アルジという奴の仲間だと思うんだが」
引き返そうとした足を止め、男がこちらを振り向く。
「あんたみたいな人から、その名前が出て来るなんてね」
男が不敵に笑い、すっと人差し指を口に当てる。
「だが、あまりその名前を大きな声で言わない方が良い」
「君はその人物を知っているのか?
知っているのなら何でも良い、教えてくれないか?」
男は再度首を振り、僕の肩に手を置く。
「知っていても言えないよ。おっさんも、下手に詮索しない方が良い。
その方があんたのためだ。長生きしたいだろう?」
その言葉を残し、男は来た道を歩いていく。
こちらの言葉は一切無視し、人がごった返すフロアの中を突き進んでいく。
クラブの外に出ると、男の姿は無かった。どこへ行ったのか?
男の口ぶりから、アルジについて何か知っていたはずだった。
結局、女について聞き出すことも出来なかった。
クラブの外でたむろする若者達が、座り込んで談笑している。
その脇では高揚した者達が、吸い込まれるようにクラブへ入っていく。
彼らの秘めた力に圧倒される自分がいた。
その力に飲み込まれ、溺れてしまいそうだった。