表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
監視  作者: 田島 学
3/8

3章

アルジは泥水を吐き出すように、大きく息をつく。

どうしてこうも、他人は信用できないのだろうと。

それは、血がつながった者に対してもそうだった。

これまでの人生で、人を信じたことは一度も無かった。


アルジの中にある記憶。多くの死体が並んだ殺人現場。

腹部を刺され、倒れこんでいる人間達。

偶然、殺人事件の第一発見者となってしまったのだ。

施設で暮らしていた、中学生や小さな子供達。それを世話していた大人。

その人達が、無残にも殺されていた。

アルジは混乱し、本当は自分がやったのでは無いかという思いに囚われる。

犯人は、派遣社員として工事現場に働いていた男だった。

犯行の動機は、人生を壊してみたくなったということ。

現場監督に明日から来なくて良いと言われ、男は不要な存在だと気づかされた。

こんな人生に何の意味があるのだろうかと問いかけるが、何も答えは出ない。

歩いていると、笑顔で施設の運動場で遊んでいる子供達。

男はその存在を疎ましく思った。

なぜ、自分が不幸なのにあいつらは幸せそうなんだ。

こんなに社会に貢献しても、ゴミのように扱われる自分。

それに対し、希望に満ち溢れ、遊びまわる子供達。

不公平だと男は思った。

本来は不幸せな者が楽しそうにし、なぜ自分が不幸にならなければいけないのか?

男は包丁を手にし、施設内に乗り込み、多くの人達を刺殺した。

捕まった男の顔を、アルジは未だに忘れることが出来ない。

ただ、死体を見た時のアルジは、ふっと笑ったのだ。やはりこうなったかと。

遅かれ早かれ、こうなることは決まっていたと思った。

本当なら、自分が手を下すはずだったのだと。

施設での生活は、アルジにとって苦痛でしかなかった。

誰もアルジのことを理解しようとしないし、自身も交わろうとしなかった。

周囲も気づいていたのだ、アルジが醜い存在であるということを。


母は一人で、アルジを産み育てた。父親の話は聞いたことはない。

母は話そうとしなかったし、知りたいと思わなかった。

別に誰が親であろうと関係ないと思っていた。

母は美しかった。

顔の造形が整っているわけではないが、男を惹きつけるなにかを持っていた。

男を立て、その心の内にいつのまにか入り込むというように。

すらりと伸びた手足に、程よく膨らんだ胸。

母は男を利用して生きてきた。

最初の頃はスナックで働いていて、たまに家に男を連れて来ることがあった。

定期的に男は入れ替わり、母の彼氏なのかどうか怪しかった。

母はいつしか働かなくなった。男から生活費を援助して貰っていたのだ。

それを悪びれることもなく、母は堂々と生きていた。

「男は単純だからね。

ちょっとその気にさせれば、何だって言うことを聞いてくれる」

母はよくそんなことを言っていた。

そんなことを子供に対して言える、母の神経がアルジは理解できなかった。

ただ、その母の狡猾さによって自分は生かされている。

それだけは変えようのない事実だった。

それが影響してか、アルジは世間に対して疎外感を持つようになった。

欲しいものは、男が何だって買い与えてくれた。

初めは遠慮していたアルジも、麻痺してしまいそれが普通になっていた。


小学校から帰り、自宅アパートの前に立つと母の声が聞こえた。

初めて耳にする母のうめき声に、何かあったのだろうと不安になった。

玄関を開け中に入ると、見慣れない高級そうな革靴があった。

母の声は、ガラス戸を隔てた茶の間から聞こえる。

すりガラス越しに、母と男は裸であることが分かった。

一体何をしているのだろう?

怖くなり震える手で、戸を少し開けて中を見る。

母の後ろ姿が目に入った。

黒革の手枷で両腕を後ろ手に拘束され、立っている男の前に跪いている。

男の性器をくわえさせられ、悶えていた。

首には両手と同じ拘束具がつけられ、繋がれたチェーンは男の手にあった。

動物のように男の言いなりになっている母が目の前にあった。

あの強い母の言葉は一体なんだったのか?

言う事を聞かされているのは母の方ではないか。

その後も、見るに堪えない行為は続いた。

両足を拘束され露わになった母の性器を、貪るように男は責めるのだった。

母は何度も昇天し、男はその度に恍惚とした表情になった。

アルジは逃げ出したくても、その場から動けなかった。足に力が入らない。

これが罰なのだと思った。これまでの恩恵を受けたことへの償いだと。

母はアルジの存在に気づかなかったが、男は気づいていた。

目隠しをされた母が、後ろから責められている時に目が合った。

男はアルジを見て、口角を上げ、醜く微笑んだ。

行為を止めることなく、むしろ激しく母を犯して喜んだのだ。

いつの間にか、下半身に生暖かさを感じていた。

行為が終わり服を着ると、男が財布を取り出し、母に札束を渡す。

男は再度、アルジを見て先ほどと同じ顔で微笑むのだった。

必死の思いで、アパートから出て、階段脇に座り込む。

下半身の生暖かさは消えており、下着から冷たさを感じた。

黒い下着は白く、汚れていた。

アルジはこの時、初めて射精したのだった。


母を見る目が変わったのは、あの日からだった。

醜さの質が変わったと言うのか、繋がっていた糸が切れてしまったようだった。

あの日から、母親では無くただの娼婦になった。

お金のためなら、動物にでも成り下がる女。

そんな印象しか持てなくなっていた。

男に服従していた姿が、頭から離れない。

その度に、アルジの下腹部は反応する。

あの時の母の姿を想像して、自慰を行う。

行ったあとの脱力感の中で、暗澹とした気分になる。

母と自分は同類でしか無いのだと気付かされる。

いくら否定しても、体だけは素直だった。

体内には、母と同じ血が流れている。

そう思うだけで、死にたくなった。


周りを見る目が変わっていくのも感じていた。

母親の噂が子供へと伝わり、自分の生活の範囲にもそれは及んで来ていた。

自分を見ては、噂話をする同級生の親達。

汚いものでも見る目を向けてくる同級生。

アルジはそれを甘んじて受けるしか無かった。

母と自分は同類なのだから。

母はみるみる醜くなって行った。

内面だけでなく、男から金を引き出すために捧げていた体も劣化が進んでいた。

当然のようにして、男との関係も消えていった。

それも仕方ないのだと思う。

互いにそれだけの関係だったのだから。

母との生活は紛糾し、毎日の食べるものにも困る程になって行った。

そんな状況になっても、母は働きはしなかった。

プライドが許さないのか、過去の栄光にしがみつき、男に言い寄られるのを待っているのだった。

そんな日はもう、永遠に来ないと言うのに。

生活保護を受けることに、母は抵抗した。

みるみる痩せていくアルジに気づいた先生が、役所へ相談したのだ。

その頃は、学校から出される給食が唯一の食事になっていた。

母のやつれ具合も、見てはいられない程だった。

役所の男の質問に答える気力すら、母には無かった。

なぜ母は国からの保護を拒むのか、アルジには分からなかった。

男に弄ばれる方がマシだと、どういった思考回路でそうなるのか?

「このままですと、お子さんだけでもこちらで強制的に保護するしかありません」

母は答えることなく、ただ俯いているだけだった。

生活は改善せず、アルジは施設に入ることになった。

母が今どうしているのか?

生きているのかさえ分からない。

きっと、不要なプライドが邪魔して野垂れ死んでいるのだろう。


アルジは施設に馴染むことは無かった。

醜い娼婦の子供という呪縛から、アルジは逃れられなかった。

何をしていても、周りが奇異の目で自分を見ているような気がした。

生きるためなら何だってする、下劣で低能な母の子供。

母の卑猥な姿を夢想し、自慰するふしだらな子供。

一体自分という存在は、何なのだろう?

その言葉が頭の中を回り続けていた。

周囲との間に壁を作り、寄せ付けないようにしていた。

自分は汚れているのだから、その手で世界に触れることは出来ない。

そんな考えに囚われるようになっていた。


そして、あの事件。

自分を嘲笑していた皆が、血を流して倒れている。

その姿を見て感じたのは恐怖では無く、虚無だった。

やはり、そうなるのだと思った。

美しいものは消えてなくなるのだと。

自分のような醜い存在が生き続けるのだ。

美しい世界は、暗い存在によって引き立てられる。

そのために自分はいるのだと思った。

それが自分の存在意義なのだ。

そう思うことで自己を保とうとした。

自分を肯定し、世界を否定したのだ。

善悪があるのなら、悪の全てを引き受けよう。

悪こそが自分に与えられた道なのだ。

倒れた者達の顔を1人ずつ見て回った。

歪んだ顔や眠っているような顔。

そのどれもが、滑稽に思えた。

健全に生きようとも、死んでしまえば意味が無い。

どんなに醜くても、生き続けられれば良い。

他人を引きずり降ろしてでも、生きるのだ。

母の姿が思い浮かぶ。生きるために、男に跪いた女。

この時になって、母を少し理解出来た気がした。

その母でさえも、プライドは捨てられなかった。

それが邪魔して、助けをこう事が出来なかった。

全てこの場所から始まるのだと思った。

世界と決別し、強固な壁を作ろう。

誰も越えることの無い、堅牢な壁を。


アルジは次の施設でも変わりはしなかった。

周囲との間に壁を作り、関わらないようにしていた。

周りと自分では住む世界が違う。

白い画用紙を、ひたすら黒く塗りつぶすことだけを考えて来た。

黒を白に染めるのは出来ないが、白を黒くすることは出来る。

自分という悪で、この世界に影響を与えよう。

高校を卒業したアルジは施設を出た。

冬の空は、灰色の雲で覆われていた。

一方、アルジの心は透き通っていた。

心にあるのは、悪への強い想いだった。

施設の門をくぐり、一歩踏み出す。

小さな子供達が、目の前を通り過ぎていく。

目の前にある存在は、鬱陶しいほど美しかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ