2章
酒井が眠そうな顔をして、隣のデスクにつく。
どうせ、昨晩も合コンで遅くまで飲んでいたのだろう。
酒井は同い年だが、キャリア組では無いので僕のことを良く思っていない。
同じ境遇の先輩とつるんで、陰で僕のことを悪く言っているのだ。
自分の能力の低さを棚に上げ、優秀な人間を嘲るなど醜いとしか言いようがない。
警察とは言っても、そこら辺の会社と構造としては同じなのだ。
無能な人間と優秀な人間で、大きな組織は動いている。
そのことに、僕は耐え難い虚しさを感じるのだった。
そのストレスのはけ口として、武史みたいな奴とつるんでいるのかもしれない。
「わざわざ、キャリーケースに入れなくてもね」
酒井が苦い顔をしながら、角田に向かって言う。
その言葉に胸が高鳴った。
「何か事件ですか?」
「太田警部知らないんですか?
渋谷区の公園で、キャリーケースに入った死体が発見されたんですよ」
話に割って入ったことに嫌悪感を示しながら、酒井が答える。
予想していなかった返答に、呆然とする。
「死体の性別や年齢は分かってるんですか?」
「男みたいですよ。年齢はまだ分からないみたいですけど。
うちは管轄外なんで、お呼びはかからないと思いますよ」
矢継ぎ早に質問され、困り果てたように酒井は答える。
男だと聞かされ、安堵する。
考えてみれば、山中に隠した死体が渋谷区の公園で見つかるわけがないのだ。
余りにとっさのことで、気が動転してしまった。
待合室にあるテレビでは、酒井が言っていたニュースが報道されていた。
公園前に報道陣が集まり、様子を伝えている。
身元不明の男の死体が、キャリーケースに入れられ発見された。
第一発見者は、公園内を散歩していた老人夫婦だった。
こんな偶然があるのだと思った。同じ状態で死体を遺棄するなんて。
渋谷警察署に捜査本部が設置されるようだった。
渋谷署には、同じキャリア組の綿貫がいる。
携帯を取り出し、綿貫に連絡するが応答がない。
捜査本部設置のため、ごたごたしているのかもしれない。
そういえば、まだ武史からの連絡が来ていなかった。
昨晩の死体の始末が終わった後に連絡したが、繋がらなかった。
いつもの様にまだ眠っているのか。そうだとすれば、神経の図太い奴だ。
綿貫からの電話があったのは、夜遅くになってからだった。
「お前からの連絡なんて珍しいな。どうせ公園での死体遺棄の件だろ」
相変わらず察しの良い奴だ。面倒な手間が省けて良い。
「捜査本部が設置されたみたいだな。お前も駆り出されているのか?」
「まぁな。それで何が聞きたいんだ?」
「とりあえず、今の捜査状況だけでも教えて貰えると助かる」
少しの間があり、綿貫が話し出す。
なぜ、そんなことを聞くのかと言いたかったのだろう。
「死体の身元は、チンピラみたいだ。どうやら、今林組の下っ端らしい。
死体遺棄の仕方から、そっちの筋じゃないだろうな。
調子に乗って一般人にちょっかいを掛けたら、痛い目にあった。
どうせそんなところだろうな」
綿貫が吐き捨てるように言う。話の途中から、胸騒ぎが始まっていた。
まさか公園で発見された死体というのは、武史ではないのか?
そんな考えが、頭の中を埋め尽くしていた。
綿貫に礼を言い、尾高に電話を掛ける。
「警部じゃないですか。どうもお世話になってます」
数コールの後、尾高のしわがれた声が聞こえてきた。
「武史って今、一緒ですか?」
「いや、私一人ですけど。今朝電話したんですが、つながらなくて。
まぁ、どうせあいつのことだからまだ寝てるんでしょう」
「渋谷区で発見された死体のことをご存じですか?」
尾高は全く知らないようだった。急いで組の方に確認するようにお願いする。
「分かりました。ちょっと聞いてみます」
突然のことに焦った様子で、尾高は電話を切る。
何かの間違いであって欲しかった。そんなはずはないだろう。
だがもし、本当に武史が殺されたのだとしたら?
それに昨日の女が関係している可能性はあるのだろうか?
テーブルの上に置かれた、女の携帯を見る。
今はGPSで場所を特定されないように、電源を切ったままにしていた。
「アルジからの連絡があって、次の計画が決まった」
女の携帯に残された伝言メッセージの、男の声が頭から離れなかった。
遺影の武史は、こちらを見て微笑んでいた。
見たことの無い程の好青年ぶりだった。
遺影の脇では、武史の母親が泣いている。
女で1つで育てた我が子を、こんなにも早く亡くし、不憫で仕方なかった。
そもそも、息子がチンピラとして生きていた事すら、母親は知らなかったのだ。
小さな平屋建ての実家で、葬儀は行われていた。
家の周りには、多くの報道陣が詰めかけていた。
まさかこんな事になろうとは夢にも思わなかった。
最後に見た、武史の悲しげな顔。
別れの時、何か言いたいことがあったのではないか?
そんな考えが浮かんでは、僕を攻めていた。
一体、誰にやられたというのか?
やはり、あの女の死と関係があるのだろうか?
だとすれば、それを手伝った自分にも危害が及ぶのでは。
それにしても、あまりにも報復が早すぎる気がする。
まるで、女の死をその場で見ていたかのように迅速な対応だ。
そんなことありえるのだろうか。
日高を含む、大林組の全員が武史が殺された理由に思い当たりは無かった。
やくざという身分なので、それなりに恨みを買っているのは事実だろう。
だが、それは組の間のいざこざによるものが主だ。
それならば、組の者が知っているはずだ。
武史に個人的に恨みを持つ者がいたのだろうか?
そんな話を、武史の口から聞いたことは無かった。
どちらにせよ、事件の真相を調べてみる必要があった。
自分にも追手が迫っているかもしれないので、気を付ける必要がある。
平屋から出ると、報道陣にマイクを向けられ質問攻めにされる。
少し離れた電柱に隠れるようにして、日高がこちらを伺っていた。
報道陣の中を、分け入りながら平屋を後にする。
目配せに気づいた日高は、こちらに背を向けて歩いていく。
その背中は、どこか悲しく見えた。
「大変なことになりましたね。日高さん大丈夫ですか?」
日高の様子から、落ち込んでいるのが分かる。
白髪のマスターが、コーヒーをテーブルに置きカウンターへ戻る。
薄暗い喫茶店には、ボロボロのシートが並ぶボックス席が6つ。
奥の席の中央に座り、他には客がいなかった。
「えぇ、本当ならあいつの最後の顔を見てやりたいんですがね。
家の前はあんなだし、そもそも私みたいなやつが参加すると迷惑になるでしょう」
気のせいか、日高の目が潤んでいるように見える。
可愛がっていた子分が突然死に、まだ状況を受け止め切れていないのだろう。
「警部、あいつは一体誰にやられたんでしょう?
出来ることなら、あいつの無念を晴らしてやりたいんです」
声には怒りがこもっていた。昨日のことを伝えるべきだと思った。
そのために、日高を呼び出したのだ。
「そうだったんですね。ご迷惑をおかけしました。
どうしてあいつは俺じゃなく、警部に助けを求めたんでしょうね?」
昨日のことを伝え終わると、考えるように顎に手をやりながら日高が言う。
確かに言われてみればそうだった。何か理由があったのか?
「日高さんは、アルジという人物をご存じですか?」
「いや、聞いたことありませんね。警部は武史がそいつにやられたと?」
日高が前のめりになりながら、聞いてくる。
「いえ、まだ分かりません。ただ可能性の一つとしてはあるかと。
日高さんの方で、女の関係を探って貰えませんか?
クラブに出入りしていた、売人を調べていけば何か分かるかもしれません。
僕の方でも、いろいろ調べてみます」
話を聞き終えると、アイスコーヒーをぐっと飲み干し、日高は店を出ていった。
あんなに悲しむ日高を見るのは初めてだった。
どんな人間でも、死ねば悲しむ者がいるという事に気づかされる。
だとすれば、女の死を悲しむ者だっているはずだった。
店を出ると、小雨が降っていた。空には暗雲が垂れ込めている。
まるで、今の心の内を表しているかの様だった。
ベッドに横たわる女が目を覚まし、こちらを睨んでくる。
口元が動き、言葉にならない声を発している。
耳を澄ますが、声は聞き取れない。
ベッドから転がり落ちるように床に降り、上半身を折り曲げたまま立っている。
唸り声をあげながら、覚束ない足取りでこちらに向かって歩いてくる。
足に力が入らず、ただじっと立ち尽くすことしかできない。
唸り声の中、微かにアルジという言葉が聞きとれる。
念仏のように何度もアルジと唱え続けている。
女が上半身を起こし、造形の崩れた顔をこちらに向けてくる。
上唇が2つに避けた口で、何かを言っている。
「お前もあの男みたいになるんだ。アルジがきっとお前を地獄へと・・・」
目が怪しく光り、こちらを見て笑っている。
目を覚まし、ベットから飛び起きる。あの日から、同じ夢を見続けていた。
まさか、アルジという存在に怯えているとでも言うのだろうか?
報復を恐れているとでも。
自分の小心さに、ふっと笑いが込み上げてくる。
過去を振り返り、自分がしてきたことを思い出す。
きっと、罪の重さだけで言えば、武史よりも自分の方が糾弾されるべきだろう。
でも、それを後悔する気持ちは微塵も無かった。
どこかで、まっとうに生きるということに対して、嫌悪する自分がいた。
法律という他人が作ったものに従うことを、どうしても受け入れられなかった。
むしろどうして他の者がそれに従うのかが、自分には分からなかった。
他人を嘲ることで、自己を保ってきたように思える。
この気持ちは絶えず、心の中で膨らみ増殖してきていた。
もし殺されることがあっても、それを受け入れる覚悟はあるつもりだった。
それで、大衆が満足するというのなら、甘んじてそれを受け入れようと。
テーブルに置いた女の携帯を見る。ひび割れた画面に浮かぶ女の顔。
死という感触が、ゆっくりと迫ってきているのを感じた。