胡蝶
『おーい、シルクー。客はどこヨ?そこの奴アルか?』
ズカズカとした足取りで傲岸不遜げな態度を醸し出した少女が近づいてくる。
青年が腰を浮かせて手招きをした。
『ええ、そうです。これからお帰りになる予定のお客様なんですが…傷がどれくらいのものか私は把握できてなくてですね…』
『つまり一度下界へ下りて損傷の具合を確かめるところから始めろということか?』
少女は女と青年とを結んで三角形になる位置にあった椅子に腰掛けると、無表情でそう言った。
『まぁ、そうですね』
苦い顔で言う青年を横目で一瞥して、少女は女に視線をむける。
真っ直ぐとした値踏みするような眼で女を覗き込む。
女は居心地が悪いその視線にたじろぎながらも、
『…お前、名前は?』
「宝と言います…」
訊かれたことにおずおずと答えた。
すると、少女は女から興味を失くしたようにぱっと視線をはずし、
『そう…お前が宝、ね…。私、胡蝶て言うヨ。よろしくする暇ないからよろしくしなくていいネ、宝』
出された紅茶に角砂糖を十個ほどポチャンと音を立てて、落とした。
そして、青年を嘲笑する口調で上目に見上げて、にやっと口角を吊り上げながら、
『シルク、お前また紅茶飲んでるアルな。一体日に何度飲めば気が済むんだヨ』
そう言うと、無造作にティースプーンで紅茶をかき混ぜ、
『ホイヨ、これ飲むヨロシ、シルク。紅茶好きなお前に譲ってやる』
ニヨニヨとした実にいやらしい笑みを口元に浮かべて青年の前に差し出す。
『え…これを、ですか?いや、いいですよ。おかわりならまだありますし。胡蝶が飲めばいいじゃないですか。砂糖も入れたことだし』
青年はそう言って気遣いからなのか、それともただ単に少女が砂糖を十個と入れる様を見て飲みたくないだけなのか、紅茶を再び少女の前に戻してやれば少女は、スッと肩に下げていたあるものをテーブルの上に置いて、
『ここにたっぷりとしたすごく美味しいと評判の中国茶が入ってる。これ、私の水筒。お茶、持参したアルからいいんだヨ。ほら、遠慮などせずぐいっと飲め。好きだろ?紅茶』
青年はげっそりとした重いため息を吐き出した。
嫌そうに眉が真ん中に寄っていき、ぴくぴくとしている。
『お前はまたそう……人に嫌がらせじみたことをして楽しむんじゃありません。悪趣味です。ていうか、持ってきてるなら持ってきてるで一言言ってくれてもいいでしょう…。ムカつきますね、ホント』
皮肉気に口元を歪ませる青年を無視して、少女はしれっとした表情で淡々と言った。
『で、そろそろ本題に入りたいんだがいいか?』
まるで青年の遊びに付き合っていたかのような不遜な態度で切り出した。
女は青年の堪忍袋の緒が切れるのではないかとはらはらしたものだが、予想外にも青年は笑顔で対抗していた。
なんて素晴らしい子なのだろう…――。
このこの許容範囲の広さを是非教えてもらいたいところだ。
だが、一応笑顔ではあるもの眉間に皺はよってるし、頬も若干ひくついてるしはでこれが意地から顔に無理にはりつけられているものであることに女は気付けていない。
まぁ、どちらにしろたいしたものだ。
不快さを感じながらも、違和感はあるが一応笑顔でいるのだから。
不快を奥歯でかみ殺しながらも、あくまでも笑顔を保っているのだから。
見上げた根性だ。
青年は額に手を当ててまたひとつ大きなため息を吐き出すと肩をすくめた。
その姿がとても痛々しく見えるのは私だけだろうか…――と、女は思ったが青年を除けば自分と少女しかいないのでこの場でそれを感じたのは図らずもせず、自分だけなのは一目瞭然。
『体の損傷の具合を調べて欲しいんだったな。宝、お前はどの方法で死のうとした?首吊りか?飛びおりか?それとも飛び込みか?』
『どれもよくありがちですね…。どうです、宝さん』
二人の真剣な眼差しを真っ直ぐ向けられる。
女は目を泳がせながら答えた。
それは曖昧な答えだった。
「……首吊りかな…いや、道路への飛び出しだったか…えっと、あの、そのですね…」
『――つまりは憶えてないと?』
そのしどろもどろとしたうろたえた様子に、ぴんと来た少女は目を細めた。
「………はい、すみません。そういうことになります」
乾いた笑みを零していた女は申し訳ないと頭を項垂れた。