止まった柱時計
『ミルクティーにしますか?それともストレートがいいですか?』
「へ…?」
青年の急すぎる話の転換に女は一瞬、訊かれた事の意味が理解できなかった。
しばらくして再度困った声で問いかけられ、ようやく訊かれている事の内容を飲み込む。
女は取り繕うように長い髪を耳の後ろにかけながら、
「ス、ストレートでお願いします…」
耳を赤くして、恥ずかしい…と、小さな声で答えた。
青年はそれを快く受け取り、
『じゃあ、少し待ってて下さいね。すぐ用意しますので』
ゆったりとした足取りで静かにドアを閉めると、部屋を出て行った。
女はそこで初めて自分が大きな洋館の中に居ることを知った。
広い部屋は大きな窓三つから眩しいほどの光を取り入れ、屋内をとても明るく演出させている。
恐らくこの光を取り押さえられれば、灰色っぽい壁紙を用いてる部屋はとても薄暗いものとなるだろう。
広い空間に自分が独り――。
ただでさえ不安定な気持ちがさらなる不安に押しつぶされそうになる。
ぎゅっと膝上で拳を作って目を堅くつぶっていると、チクチクチク…――。
静寂の中で壁にかけられた大きな柱時計の針がチクチク…と小さな音を立てて自己主張する音が響く。
女はその音に誘われるように目をゆっくりと開けて、席を立った。
どうしてか…――とても心を惹きつけられた。
これは…なんていうのだろうか。
女は時計の近くまで歩みを進めて、目線をあげるとその姿をじっと見つめた。
「……」
――懐かしい…というのだろうか。
チクチクチク……――。
時計を凝視していて、女はあることに気付いた。
「この時計…、」
動いてない――?
もう一度目を凝らしてよく見てみるが、やはり時計は動いていない。
だが、音はする。
一秒ごとに時を刻む音が聞こえるのだ。
どうして音がするのか――。
部屋の中をぐるりと見渡しても見るが、この柱時計以外の時計は存在していないようだった。
それに、音がしているのはこの柱時計からだった。
女にはさっぱり意味が分からなくなった。
この時計は安心すると同時に、矛盾してくるのだが、言い知れない恐怖を感じる。
女はその時計に思い切って手を伸ばした。
高く見えたけど意外にも手が届く位置にあるんだ…と、手が触れる高さにあることに嬉しさがこみ上げた。
「…あともう少し…」
精一杯の背伸びをして手を上へ伸ばした。
けれど、届かない――。
あともう少しで触れられるはずなのに、どういうわけかいくら体を伸ばしても手は時計には届かない。
「……ッ!」
――悲しい気持ちになった。
どうしようもなく情けなくて、やるせなくて、涙が零れた。
この時計さえも私を拒む――。
ほんの少しの差を乗り越えられないのが私なのだと、ふいに思い知らされた気がした。
涙がぼろぼろとあとからあとから溢れてきて、止まってはくれなくて、女の視界を曇らせる。
きぃ…と鈍い音が聞こえた。
女がのろのろと首をめぐらせると、そこには青年が立っていた。
涙でどろどろの女の顔を無感動に見下ろしていた青年は呆れたと、どっぷりとしたため息を吐き出した。
丸型のポットなどをのせたトレーをテーブルの上に置きに一旦身を翻すと、すぐに女の下へ引き返してくる。
『本当、これだから人間は嫌なんですよ。いつも自分勝手で自己中。周りの迷惑なんて考えもしないで何か事を起こす癖、早く直してくれないかなぁ…』
「っ…ふ…うぇ…っシル、ク、さん…」
『全く…』と言う言葉とともに疲れたため息を吐き出した青年の顔は、しかし、その呆れた声とは違って優しいものだった。
青年は女に手を差し伸ばし立ち上がらせると、
『この時計はね、貴方を映してるんです』
時計を見上げて言った。
『止まってるけれど、動く音はしているでしょう?貴方も自殺したけれど、まだここに居るでしょう?生きてるんですよね、まだ…。体は傷付いてもう駄目かもしれませんが、貴方の鼓動はまだ止まってないんです。…さて、ここで質問です。貴方はまだ生きたいですか?それとも、もうここでリタイアしますか?』
青年は女を射抜くような目で見つめた。
女の涙が一瞬流れを止め、その瞳が見開かれる。
唇がゆっくり開き、そして――。
「――私、は……」