Lab Can Minis
「今日のお肉はどことなく雑味があるわね。あまり活きが良くなかったのかしら」
それまで黙々と夕餉を食していた私は、ステーキを口にした途端にポツリと呟いた。無意識だった。呟いた声は広々としたダイニングルームの隅へと吸い寄せられる。
部屋の中にいるのは私と、側で待機している執事の二人だけ。他の者は出払っている。夕餉はこうやって巨大なテーブルを贅沢に持て余すのが私のこだわり。というよりも、誰かと一緒に食事をするのがあまり好きではない。
「左様でございますか。なにぶん取り寄せ先を変更致したものですので。やはり流通の新規開拓にはもっと入念な下調べが必要でしたね。申し訳ございません、お嬢様」
私の独り言に対して、直立不動の執事が口を開く。頭を下げる彼の背筋は見事な直線を描いている。機械的ながらも丁寧な言動に私は好感を持っている。人間のようでないと思えるからこそ、彼を側に置いていられる。
目の前のステーキが今晩のメインディッシュだ。焼き色が濃く、肉汁はほとんどない。それでもたゆたう湯気が肉の匂いを伴って、私の鼻腔をくすぐる。食欲を掻き立てられるものの、いざ頬張ってみればそれほど美味というわけではない。及第点をどうにか通過できるといった具合の品質だろう。
「構わないわ。幾千の情報よりもたった一つの味覚の方がよほど頼りになるものよ。これはこれで歯応えは十分にあるし、嫌いではないわ」
「そう仰って頂けて幸いでございます」
別に執事を慰める意図は無い。味の優劣というのは食材の質、調理師の技術、それらが関わってきた環境などの様々な要因に左右される。例え豊富な知識を以って料理を作ったとしても、完璧な味を具現することはまず不可能だろう。味というのはいわば天運だ。緻密な計算を積み重ねたところで思い通りの解を導くことはできない。それができるのは神様だけだろう。つまり私は事実を述べただけということ。それよりも……。
「取り寄せ先を変更したと言っていたわね。それは一体どこなのかしら」
「北部の地方にあるクニでございます。あそこには厳しい寒さの中で育った優秀な種が多く生息しておりますゆえ、引き締まった肉が仕入れられるだろうと考えて取り寄せた次第です」
「なるほど。それで食感が硬めだったのね。北部のお肉はあまり食べたことが無かったので、新鮮に感じたわ。他の料理に使ってみてはどうかしら?」
「そうですね。硬質の肉を用いるのであれば、今度はシチューにするようコックに注文しておきます」
執事は微笑を浮かべる。と思えば、すぐさま表情を無くし、また姿勢を正して佇む。
ジュルリ、と。コクのあるシチューと絡んだ肉を想像して、唾液が一層分泌されるのを感じた。いけない、今晩はステーキを愉しまなくては。シチューはまた今度よ。
再びステーキを一口大に切り分ける。舌に触れた途端に、少々粗さのある肉の旨味が神経を伝う。噛んでも嚙み切れないところにはもどかしさを感じる。しかし、その分丁寧に咀嚼することができる。ようやく噛み切ったころにはまた次の一切れを求めてしまう。多少の不自由が食をそそるスパイスとなる。葉物では決して味わえない独特の快楽。これだから肉食はやめられない。
◇
「そういえば。先ほど貴方が言っていた北部から取り寄せたお肉というのを見てみたいのだけど構わない?」
「ええ、もちろん構いませんよ。今ですと加工前の畜類がおります。滅多にお目にかかれないものですから、良い見ものになりましょう」
普段から屋敷を出ない生活を送る私にとって、様々な産地から取り寄せた食材を見物することが一種の娯楽となっている。色も大きさも異なるが、肉質はどれも選りすぐられたものばかり。
夕餉を済ませると、執事に先導してもらって貯蔵室へ向かう。両側の壁に掛けられたランプが淡く光って、通路の奥まで照らし出している。移動中、どんなお肉が保管されているのか様々に想像して、一人静かにほくそ笑んだ。
階段を降りて地下へ。さらに進んだ先に鉄の扉が待ち構えている。執事が解錠し、扉を開く。中から漂う冷気が肌を撫でる。
薄暗い貯蔵室にうごめく影が十、二十。それ以上いるのかもしれない。執事が部屋の明かりを付ける。黒い影が消えて、その実態を露わにする。
うすだいだいの肌の上に簡素な麻地の服をまとい、その他の体格などの特徴がバラバラな者たち。暴れ出さないように首輪と腕輪を嵌めさせている。皆一様に怯えた様子で私たちを見つめる。
執事曰く、北部で育った肉は引き締まっているという。なるほど、それは一見しただけでよく分かった。どの者たちも、四肢は男らしい筋肉が付いていて、顔立ちが凛々しい。先刻食べた肉はそれほど上等ではなかったが、北部出身の中では中の下ほどの肉質だったのだろう。更なる美味への期待が高まり、思わず「へぇ」と声が漏れる。
「おい! どこの誰だか知らねぇが、俺たちを解放しやがれ! さもないと容赦しねぇぞ!」
と、数ある餌の中からひときわ威勢のいい鳴き声が響く。その音源を見やると、恐怖におののく訳でもなく、怒りを露わに睨みつける者がいた。それを見て、私の心がときめいた。“なんて美味しそうなんだろう!”と。
訴えられた声には答えず、その者の方へそそくさと歩み寄る。距離が近づくにつれて、相手がたじろぐ。仔細に身体中を見定める。
「貴方……服の上からでも分かるほど鍛え抜かれてるわね。贅肉の無い男体は本当に美しいわ。貴方が知ってたわけじゃないのでしょうけどね、人間のお肉って鍛えれば鍛えるほど旨味が収斂されていくの。硬い表面を噛み切った後、口内へ広がるお肉の旨味。あぁ、想像するだけで胸が熱くなってくるわ」
先程の強がりはどこへやら。目の前の彼がみるみるうちに恐怖に染まっていく。その姿がたまらなく、とても愛おしい。
「決めた。明日の夕餉は貴方を頂くわ。ゆっくり、じっくりと、最後の一切れまで、大事に味わってあげる」
自然と、舌舐めずりをする。
それきり、誰も口を開くことはなかった。
「Lab Can Minis」はいわゆる造語です。食人を英語にしてアナグラムを使うことでできました。