であい
木漏れ日の中で、私は、一人、風になる。
ざああという音と一緒に景色はぐんぐんと速度を増していく。わきあがる土や草の匂いを感じているのに、それと一緒になったかのような感覚。そんな快楽に身をゆだねることができるのは一瞬だけ。コントロールを失えば、転んでしまう。ハンドルを握り直し、前を向いて道を読む。
下り坂はすぐに上り坂にかわり、風になる時間はひとまずおしまい。ひぃふぅ言いながら荒れた道を上り、てっぺんに着く。そこには送電鉄塔があり、街まで連なる山々が一望できるポイントだ。
「うんうん、ご褒美ご褒美。」
独り言ちて、愛車を鉄塔に立てかける。ボトルを取り出し、じょぼーと下品な音を立てながらぬるい麦茶を流し込む。いつもなら、珈琲と一緒にイチゴジャムが乗った甘いクッキーを食べるところだが ―
「ここで甘いもの食べたら元の木阿弥よね…」
と、腹の肉をつまみながらため息をつく。体質のせいだなんて言い訳はしない。だって、そうならあまりにも悲しいじゃない。努力しても痩せれないってことでしょ?
「さすがにおなか減っ…いや、減ってない減ってない。減ってないぞ。」
息を大きく、吸い込む。太陽や土、空気、湿気、いろいろな香りを感じることができても、それでお腹がふくれるわけもない。溜息を吐いて、行くかぁ、とつぶやく。ここからはまた、楽しい楽しい下り坂だ。
MTBと呼ばれる、悪路走破用の自転車。それと、何回も来ているけれど、誰とも出会ったことがないこの山道さえあれば、サーカスの熊だと馬鹿にされ、指をさされることなく風になれる。岩や切り株をいなし、カーブに対応しながら、スピードを上げていく。ざああという音が再び私を包んでいく。気持ちいい。
その時だった。前方に人影が見えたのは。
切通のど真ん中をふぅふぅ言いながら歩く巨体。慢心した。誰も来ないと油断した。このスピードじゃ避けられない。ブレーキを思い切り握る。タイヤがロックする。けど、止まれない。
「どけてえええええええぇええ!!!!!」
声を張り上げる。でも、たぶん間に合わない。ようやくこちらを認識し、ぽかんと突っ立っている。これだからデブは!なんて言ってる場合じゃない。脂汗が出る。もうダメか。過失致死ってやつになるのか。もう私の人生終わ
「りたくなあああああいいいいいぅううぬうあああ!!」
幸い相手は右に避けようとしている。左の壁を走るしかない。できるかどうか?わからないけどやるしかない。まだ終われないもん、人生。
車体は、切通の壁に対してほぼ垂直に、つまり、地面に対してほぼ水平になる。歩いてきたヤツは、私のヘルメットすれすれをかすめて、反対側に倒れこんだ。よし、回避した!私無罪だ!いえすいえーす、よくやった私!
張りつめていた糸がぷつりと切れる。それがきっかけかはわからないが、途端にバランスを失ってざざーっと土の上を1mほど滑ることになる。
盛大な土ぼこりが立ち込める中、蝉の声だけがじーわわわと聞こえる。
「お、おい、大丈夫かよ。」
「あー、えーとその、ごめんなさい、そちらこそ大丈夫でしたか?」
「あ、ああ。まあね。」
気まずい沈黙が流れるなか、立ち上がる。柔らかな土の上を 1m ほどスライディングしただけである。腕も無事だし、足も痛くない。土まみれになってメガネの角度が面白いことになっているくらいで、無事である。
「しかしなんて速度で下ってくるんだよ。山道は自転車のモノじゃないんですけど。」
「ごめんなさい…。いままで誰にも会ったことなかったので油断してました。」
「油断で殺されるなんてたまったもんじゃない。あーあ、こんなに山を削って。」
「すみません…」
「これだから自転車とかバイクは排除されるんだよ。まったく信じられない。」
完璧に私が悪い。それは間違いないのだが、こうポンポン言われると腹が立つ。
「や、これは私が悪いのであって、自転車とかバイクが云々は関係ないじゃないですか。」
「関係なくないでしょう!?その自転車に俺は殺されかけたんだ。」
「だからそれは私が悪いってだけで、自転車を排除とか関係ないですよね?」
「あーあー、なるほど?じゃあその悪い人が引き起こした話にもどしますか。」
そうだった…。私が一番悪いことは間違いない。ヒートアップする資格すらない。
「ごめんなさい。あらためてお怪我ありませんか?」
巨体と言っていいだろうその体から枝や枯葉を払い落しながら
「特にないよ。あー、リュックが裂けたくらいかな。」
「本当にごめんなさい!えっと、あの、ちゃんと保険とか入ってるんで、その…」
「弁償?ああ、いいよこんなの。」
「私のせいで壊れたんですから、弁償します。今はお金持ってきてないので、連絡先を教えてください」
なんで殺されかけたうえ、自分の個人情報を晒さなければならんのだ、でも弁償させてくださいなどという押し問答の末、なんとか連絡先を交換する。
「"みやたほなみ"さんね。俺は"まるいしごろう"。」
「丸石さんですね、じゃあ近いうち連絡しますので。」
「弁償ってもなあ。」
「だってこれ、1万円くらいするものじゃないですか。」
メーカー名と型式を確認する。アウトドアが好きな人は当然知っている「性能は折り紙付きだけど高い」ことでも有名なメーカーの、比較的新しいモデルだ。
「わかったわかった、わかりました。じゃあ、俺は行くから」
「はい、では後日改めてお詫びに伺います」
めんどくさそうに手を振る丸石さんにぺこりと頭を下げて、自転車を立て直す。ざっとチェックしたところ、変速もブレーキも問題ない。ホイールも変形せずに済んだようだが、お気に入りのボトルが見当たらない。どこかで落としたようだ。行きたくはないが、彼が向かったほうへ戻るしかない。
自転車を引き、地面に目を落としながら白いボトルを探す。そんなに高いものではないが、飲み口も大きさも妙にフィットするので気に入っている。しばらく登っていくと、袋入りの飴が落ちている。誰かがごみを捨てていったのかと拾ってみると、中身はぎっしり詰まっている。もしかしなくても、これは丸石さんが落としたものだろう。彼の落とし物を回収しながら、ボトルを探しなら登っていくと、例の鉄塔へ到着する。丸石さんは呆けたような表情で景色を見ている。
「落とし物、ですよ。」
「え?あ、ああ、さっきの。」
飴やらハンカチやら充電ケーブルやらを渡しながらも、つい、景色に見入ってしまう。
「綺麗ですよね、ここの景色。」
「確かに。それよりも達成感がすごいよ、俺にとっては。」
確かにその体でここまで登ってくるのは大変だろう。有態に言ってしまえば、デブだ。身長は170cmくらい、体重は90kgはオーバーしていそうだ。
しばらく景色を見ながら休憩する。
「宮田さんだっけ。こんな山の中で一人?」
「いやまあ、はい。丸石さんだってそうじゃないですか。」
「俺は歩きだし、男性だし。という事よりも、俺みたいなデブと一緒に山歩こうなんて奇特なやつはいませんよ。ペースが違いすぎて疲れちゃう、お互いに。」
自虐的に笑う。
「あー、えー、まあ、そうですよね。わかります。よくわかります。」
「ああ、だから宮田さんも一人ってこと?あ、いや、失礼だったか。ごめん。」
いやまあ、その通りだ。私もデブである。150cm71kg。"ぽっちゃり"などという謎の言葉ではごまかしきれない、正真正銘、まごうことなきデブである。
「当たってますけど、よく平気でそういうこと言えますね。」
「ごめん。女性に対して失礼だった。ごめんごめん。この通り。」
あっけらかんとした謝罪の言葉をはかれ、毒気というか、なんというか、そういうモノがどうでもよくなる。
「そうですね、一人ならデブでも迷惑かけることもありませんからね。」
「ああ。わかる。わかるわかる。失礼が増えるかもだけど、わかるなあそれは。」
「んー、丸石さんもダイエットですか。」
「そんなところ。宮田さんも?」
「ん、まあ、"そんなところ"です。」
苦笑いしながら目の前の景色を楽しむ。最悪の出会いからたったの30分。同じ悩みと同じ理由を持ったもの同士、通じ合うものはあったようだ。そう、私たち二人の馴れ初めは、こんな感じだったのだ。
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■ ステータス ■
宮田 穂波:30歳 150cm 71kg
丸石 五郎:29歳 175cm 93kg