◇君子危うきに近寄らずと言うけれど。
サラ達の派手な攻撃に、一瞬、殺ったかと思ったが、やはり駄目なようだ。マーダートレントの防御力はAクラス。あの厄介な無数の枝を、一瞬とはいえ、取り除く事が出来ただけでも大したもの。だが、生憎とこれは、ゲームではなく実戦なのだ。
「く、これだけの攻撃を喰らってもまだ……もう一度だ!」
気を取り直したサラが、周囲の獣人達を叱咤し、再度攻撃を加えようとしていた。
「駄目だ。あいつには、通用しない。幸い、マーダートレントは移動するのが遅い。このまま放置して逃げるべきだ」
俺は思わず、サラに声を掛けていた。
「いや、それは出来ない。もし、このトレントが人里に現れたらと考えたら、やはり、ここで討ち取っておきたい」
サラはそう言うが、あのマーダートレントは、ゲートを護るガーディアン。この地を、離れる事は無いと……いや、それはゲーム内の話。実際はどうだろう。いずれにしろ、ここは先ず、逃げる方が良いと思うのだが……。
ゲーム内ではマーダートレントと、何度か戦った事がある。その事を、どう説明すべきか、考えている間に、二回目の攻撃が行われていた。
今度は炎系の精霊魔法でなく、グールの時と同じ雷系の精霊魔法。雷が天空から飛来し、先程と同じく火焔石と爆雷矢が同時に、マーダートレントに向かって射ち出される。
しかし……。
――やはり駄目だ。
またしても、マーダートレントの枝や樹葉が作り出す緑のシールドに、その攻撃は阻まれていた。サラ達の一斉攻撃により、一旦はシールドのように張り巡らされた無数の枝や樹葉は消失するが、直ぐにまた高速再生されるのだ。
「何故だ……火や雷はトレントの弱点なのに。何故、私の魔法が効かないのだ」
「お嬢、あのトレントは変異種に違いない」
サラが悔しげに呟き、タンガも顔を歪めて話し掛けていた。
――いや、だからあれはトレントじゃないから。
確かに、炎や雷はトレント系の魔獣にとっては最大の弱点。通常のトレントなら、どれほど巨大な存在であろうと、今見たサラ達の火力であれば、十分にお釣りがくるほどの威力だっただろう。しかし、マーダートレントは、その名称とは裏腹に、実はトレントではない。しかも、防御力がAクラスの魔獣。今のサラ達の火力では、あれが限界といったところか。
マーダートレントに目を向けると、その本体下部の根にあたる部位を蠕動させ、ゆっくりとだが、確実にこちらに近付いてくる。
この魔獣を倒すには、その防御力を上回る火力で、一気に撃滅するしかない。カンストしたステータスの俺だったなら容易い事だったが、今の俺ではサラ達に協力したところで、防御力を上回る火力になるとは思えない。となると、打つ手は……。
――駄目だ。やはり駄目だ。
俺は子供が嫌々するように、左右に首を振る。
ここは、やっぱり逃げるのが最善策。君子危うきに近寄らずだ。
「ここは一旦、逃げ……」
サラの顔を見ると、それ以上は言えなくなった。何故なら、下唇を噛み締めるサラの雰囲気からは、逃げようとする意思が微塵も窺えなかったからだ。逆に、一歩も退かぬといった、意地のようなものを感じる。
――ちっ、厄介な。
エルフのプライドか何か知らないが、ここは一旦退き、新たなに戦力を整え事を起こすのが本来の上に立つ者の姿だろうに。訳のわからん意地のために、ここにいる者達を危険にさらすつもりかよ。
思わず怒鳴りそうになるが、ぐっと堪える。
ここで余所者である俺が、この集団のトップであるサラを怒鳴りつけても、皆が混乱するだけと思えたからだ。
――となると……どうする。
目まぐるしく、頭を回転させる。だが、やはり良い手は思い浮かばない。一瞬、脳裏に俺ひとりだけ逃げるかと、そんな考えが過る。
しかし、サバイバル経験もない俺が、右も左も分からないこの異世界の森の中で、生きていけるとは到底思えない。
それに、サラの様子に気付いたタンガやグイド達の、覚悟を決めた顔付きを見ても……。
――ちっ、俺がやるしかない。
「俺にも何か……その剣を貸してくれ」
俺は、サラの腰にぶら下がる剣に目を向ける。
「んっ……何をやるつもりだ」
困惑した顔を見せるサラに、俺はマーダートレントを指差し答える。
「決まってるだろ。あの魔獣を倒す」
「……出来るのか?」
サラは少し躊躇った後、目を細め何かを思いだす素振りを見せる。もしかすると、昨晩の事を思い出したのかも知れない。
結局、サラは腰の剣を、鞘ごと俺に渡してきた。
その剣は、鞘には宝石が鏤められ派手な装飾が施されていた。柄には、拳を保護する護拳と呼ばれる半円の鍔がついている。抜き放つと、大きく湾曲した細身の片刃。先端部のみが両刃になっていた。元いた世界での、サーベルと呼ばれる剣に似ていた。
派手な装飾と、その細身の刃から儀礼用の剣に見えたが、手に取ると力のような物が流れてくる。
「その剣は、魔力を増幅する。我が家の家宝と言われる魔剣だ」
魔力の増幅、それならいけるか? いや、やるしかない。
「さっきの一斉攻撃はまだいけるか」
「あぁ、まだ後二回ほどは」
「二回もいらない。もう一回だけ頼む」
俺の頼みに、サラが一瞬、その綺麗な顔を歪める。何やら葛藤が有ったようだが、直ぐに頷くと、また詠唱を始めた。
「おい、ヒューマン。本当に大丈夫なのか?」
タンガが心配そうな顔を見せる。それに、さっき森の中でタンガが見せたように、俺もにやりと凄みのある笑みを浮かべて返す。
「ふっ、そうか……お前は不思議なヒューマンだな」
そう言うと、タンガは嬉しそうに、俺の肩をばしばし叩く。それが何故か、タンガから勇気をもらったような気がした。
俺はサーベルを腰に差し、マーダートレントを睨みつける。
マーダートレントは、触手のような小枝をこちらに伸ばして来ていたが、サラの詠唱が始まると、魔力の流れを感知したのか、また周りに緑のシールドを作り上げた。
「皆! 分かってるな。お嬢の魔法に合わせて、もう一度、攻撃を仕掛けるぞ!」
タンガの怒鳴り声を背後に聞きながら、俺はマーダートレントに向かって走り出した。
マーダートレントまであと少しまで距離を詰めた時、俺の目の前で着弾した精霊魔法と火焔石や爆雷矢が、またしても、マーダートレントを轟音と煙りに包み込む。
マーダートレントを倒すのに、実は、もうひとつ方法がある。それは、やつの心臓部ともいえる魔核を破壊すること。だが、それを成すには、マーダートレントの触手と化した枝を掻い潜り、直接攻撃を加えるしかなかった。しかも、魔核の位置を正確に把握しているのは、何度も戦った事のある俺だけだ。
魔核を破壊するには、今の俺の能力では1割の確率もないだろう。だから、躊躇していた。しかし、サラ達の火力で、防御の要でもある、無数の枝を焼き払った数瞬の間に飛び込む事が出来れば、或いは……。
俺は【瞬速】のスキルを発動させて、その煙りの中に突入した。
――これで、勝率も3割!
煙りが晴れる中、枝を焼き払われた丸裸のやつがいる。今の俺の【瞬速】でどこまで近付ける事が出来るのか、それが鍵となる。
だが、肉薄する俺の目の前でやつの本体から、高速再生された枝が無数に伸びてくる。
――ちっ、間に合わないか……ならば。
「【影分身の陣、千人掌】!」
ジャイアントスパイダーとグールを倒し、レベルを上げて魔力増幅した今の俺なら、4人までなら大丈夫のはず。俺の周りに4つの影が浮かび上がり、その中から4人の俺が起き上がる。
――これで、5割!
「【刹那】!」
サーベルを、目にも止まらぬ速さで鞘走らせて、伸びてくる枝を斬り払う。【刹那】は、本来は侍が扱う居合いのスキルだ。
そして、【飛脚】のスキルで宙を駆け上がる。
マーダートレントの魔核がある場所は、本体の幹上部のこの位置。
俺は天辺から1メートルほど下がった位置に、刃の切っ先を向ける。
――これで、7割!
「【刺突】【刺突】【刺突】【刺突】!」
5人の俺が、刃の切っ先を一点に集中、連続して突き入れる。もはや、魔力切れを気にせず、【刺突】のスキルを連続して発動させた。【刺突】は、ニンジャマスターの暗殺スキル。敵の急所を的確に突く事が出来るのだ。
周りから触手と化した小枝が伸びてくるが、それには構わず刃で突く。
5人の俺が持つ刃の切っ先が、「どどど」と、音を鳴らして幹を削っていくと、中に赤黒く鳴動する魔核が見えてきた。
その間、伸びる小枝が体や首に絡み付き、締め上げてくる。
「だが、もう遅い! 最後はタンガにもらった勇気で10割だあぁぁぁ!」
俺の雄叫びと共に、5人の刃の切っ先が、魔核の中にずるりと潜り込んだ。その途端に、「ぱぁん」と、派手な音を鳴らし魔核が弾け飛んだ。
そしてまたしても、魔力切れで、俺の意識が朦朧としていく。霞む意識の中、液状化したマーダートレントが、どろどろと溶け落ちていくのが見える。
それに満足を覚えながら、急速に意識が闇に閉ざされた。