◇下手の考え休むに似たりというけれど。
突然、酒場へと乱入してきた獣士の数は約三十。その獣士たちの全てが完全武装で全身を整え、俺たちに殺気の満ちた目を向けてきた。しかも……。
「俺たちが何を――」
入り口近くに座っていた水夫――確か、カーティスといつもつるんでいる二等水夫のジャニスといったか。そのジャニスが、抗議をしようと立ち上がった、その時……。
――ヒュン!
唸りを生じて突き出される数本の槍が、問答無用でジャニスの肩や手足を貫いたのだ。そして、槍の穂先でジャニスを刺したまま、宙へと突き上げ放り投げる獣士たち。
「な、何が……」
予想外の出来事に、俺は言葉を失いとっさに動くことが出来なかった。それは目の前のカレリンや、水夫たちを相手にじゃれあっていたタンガも同じ。酒場にいた全ての者が、息を飲み凍り付くかのように動きを止めていた。
静まり返る酒場の空間に、
「あぎいぃぃぃ……!」
痛みに耐えかね悲鳴をあげるジャニスの声だけが響き渡る。
「動く者には容赦はせぬ!」
獣士のひとりが、更に険しさを滲ませた声を発した。が、その声が切っ掛けとなった。言葉の意味とは真逆に、水夫たちが激昂と共に立ち上がったのだ。
「この野郎! 何しやがる!」
身分が最底辺のヒューマンといっても、元が荒くれ者揃いの船乗り。酒に酔った勢いもあってか、仲間がやられて黙っていられるはずもなく――突き出される槍をテーブルを押し立てて防ぎ、獣士たちへと躍りかかる。たちまち酒場は、怒号が飛び交う大混乱の場へと変わった。
「カ、カレリン、皆を止め……」
俺が振り返ると、カレリンが憤怒と形容するしかない形相を浮かべ、いまにもカウンターを飛び越えようとしていた。
「おい、待てよ」
怒りのあまり、制止しようとする俺の声も届いていない。飛び出していくカレリンを、呆然と眺める事しか出来なかった。
この異世界に飛ばされてきて少しは荒事の経験を積み多少は慣れたかと思ったが……そこはやはり、平和ボケした日本で育った俺だ。偶発的に、或いは突発的に起きた争いにはどうしても体が竦み二の足を踏んでしまう。それは、びびったとかそんな事じゃない。俺も学生の頃は悪友たちとつるんで、よく対立するグループと喧嘩をしたりした事もあった。が、大怪我をする事はあっても、命を取ろうとまで思った事はない。しかし、こっちの世界ではどうだ。争い事は命のやり取りへとすぐに直結し、簡単に命を落とす。だから、人との争いを自然と忌避してしまう。
そんな俺も…………グラナダの商業ギルド長だったバーリントン。その命を奪ったのはこの俺だ。致し方なかったとはいえ、その事実が心に重く伸し掛かる。だから…………体を動かす前に、愚にもつかないことをうだうだと考えてしまうのだ。
確かに、問答無用の獣士たちの態度には、俺も腹立たしく思う。が、どう見ても相手は、このカンカラの街の治安を預かる獣士たち。港に到着した時にも揉めていたのに、ここでまた兵士たちを相手に派手な立ち回りをすれば、もっとまずい状況に陥ると思うしかない。
いや、それよりも今は先に、槍に貫かれていたジャニスを――その姿を探すと、ジャニスは入り口横の壁際に転がり呻き声をあげていた。
まだ息がある。今なら治療も間に合うはず。
「タンガ! 皆を――」
俺の声にタンガが此方を振り返る。みなを聞くまでもなく俺の意を察して黙って頷くも、その表情はどこか苦虫を噛み潰したように少し不満気だった。
って、タンガお前も今、争いに加わろうと身構えていただろ。この争いを収められるのはタンガだけなのに、まったく。
カンカラの獣士たちを押さえる事ができるのは、サンタール家の獣士でもあるタンガだけだ。なのに、騒ぎを静めるどころか自分も争いの中に飛び込もうとしていたのだから、その脳筋振りに呆れるしかない。本当に何を考えてんだか。
「皆、落ち着け! 争いを止めろ! 俺はサンタール家の獣士――」
タンガが騒ぎの間に割って入り、皆を静めようと声を張り上げる。その間に俺は、ジャニスの元に向かおうとしたのだが――。
森都グラナダもそうだったが、このカンカラの街でもヒューマンは非武装なのが絶対の原則。だから船の上ならともかく、港に上陸してからは水夫たちも一切の武器を持ち込んでいない。それでも彼らは酔いの勢いも手伝って、ビアジョッキを投げつけ座っていた椅子を振り上げる。カレリンに至っては、その剛腕でもってテーブルを軽々と持ち上げ振り回していた。
そんな興奮して完全に我を忘れている水夫たちには、タンガの声も届かない。
そしてカンカラの獣士たちも、まさか見下していたヒューマンに、これほどの抵抗を受けるとは思っていなかったのだろう。一瞬、動揺を色濃く見せるも指揮官らしき若い獣士が「えぇい、怯むな! 生死は問わぬ、全員を捕縛せよ!」と、声を枯らして叱咤すると隊列を整え槍の穂先を連ねる。ヒューマン如きに一瞬でも躊躇したことを恥じ、猛烈な反撃を加えようとしていた。
だから、そんな風に激昂している獣士たちにも、タンガの声が届くはずもない。反対に、間に入ろうとしたタンガに槍の穂先を向ける始末だ。
「待て、俺は――」
「構わん! 突けぇ! 抵抗する者には容赦をするな!」
指揮官らしき若い獣士は制止しようとするタンガを相手にせず、なおかつタンガの言葉に被せるように周りにいた獣士たちに攻撃の指示を出していた。
こうなると、ただひとり帯剣していたタンガも剣を抜くしかない。
突き出される槍の穂先を斬り払い、刃の切っ先をカンカラの獣士たちへと向ける。
もはや無傷で静めるのは不可能に思えるほど収拾のつかない状況。それらを見て取った俺の口からは、
「ちっ、あの馬鹿……」
と、自然と舌打ちと共に悪態がこぼれ落ちる。
――どうする?
このままだと人死にが出るのは確実だ。
俺が悩ましげに顔を歪めていると、そこへカリナとカイナの二人が駆け寄ってきた。
「リュウイチさまぁ……」
と、不安を滲ませた表情を浮かべるカリナ。
その心配した様子に、ハッと胸を突かれる。
曲がりなりにも、この俺は皆を率いる身。その俺が、カリナたちを不安にさせるような表情を浮かべてどうすると。
そしていつしか、タンガに頼っていた自分を恥じた。俺が騒ぎを静めなければいけない立場だったのにと。
カリナの一声が、俺を正気に、我に返らせたといっても良いだろう。
――駄目だな俺は。
どうやら、さっき酒場に来る前に、ギルドでバーリントンの息子と顔を合わせたのが影響していたようだ。
ガーゴイルとの連戦で更に増した力。それは、この世界の住人からすれば、道理からも外れ隔絶した力ともいえるだろう。その圧倒的な力を人に対して振るうのを、俺は無意識に避けていたのだ。
――本来の俺は違う……はず。
たとえ相手が誰であろうと、理不尽な暴力に仲間がやられて、黙ってるような男じゃなかったずだろ俺は。確かに、時には後のことや状況を考えて行動する必要もあるだろう。だが俺は、それを言い訳にして逃げていただけなのだ。どうやら俺は、状況に応じて自分が一番楽な方へ得する方へと周りを窺う、俺がもっとも嫌う者へと堕していたようだ。
だが、もう目が覚めた。
「大丈夫だ。この程度の騒ぎ、この俺がすぐにも静めてみせる。それよりも、カリナとカイナにはジャニスの手当てを頼む!」
自信に満ちた表情で言いきると、一瞬二人は驚いたような様子を見せたが、すぐに力強く「はい!」と返事をよこした。
「あっと、その前に、そこのカウンターにしっかりと掴まってろよ」
「え?」
怪訝な表情を浮かべる二人に、
「今から派手にこの騒ぎを静めるからな」
と、にやりと笑ってそう言うのだった。
俺は、その場から【飛脚】のスキルを使って宙高く飛び上がると、くるりと回転して両足を天井へとつける。天井から逆さまにぶら下がる恰好だ。そこで新たな忍術系のスキルを発動させた。
「【走技 天地無用】!」
ガーゴイルとの連戦で、また数多くのスキルが使用可能となった。このスキルも、その中のひとつ。【走技 天地無用】は、パラメーター特性が素早さ寄りの職業である忍者、盗賊、暗殺者などが共通して覚えるスキルだ。足の裏が付いている場所が下方、床となる。要は壁や天井など、上下左右に関係なく床面のように走り抜け移動する事ができる。広い屋外では【飛脚】の方が、狭い屋内ではこの【天地無用】の方が使い勝手が良い。
もっとも、勘違いされがちだが、本来の天地無用の意味は上下を逆にしてはならないという意味だ。俺もサラリーマン時代は、配送されてきた荷物に貼られていた天地無用のシールを見て、その字面から「逆さまにしても構わない」と勘違いし上下を逆に置いて上司に怒られたものだ。
『ゼノン・クロニクル』の開発者が勘違いしていたのか、それとも分かっていてシャレの積もりだったのか、ゲーム内では逆の意味の方向で使われていて苦笑したものだが。
そんな事を頭の片隅で思い浮かべながら、下の騒ぎをよそに天井を一気に駆け抜ける。
酒場の天井は、酔って暴れた者が破壊するためか、それなりに余裕をもった高さがあった。そのため、素早く動く俺に皆が気付くのが遅れた。いや、気付いた時には俺が目的の場所に辿り着いていた。
ぽんと天井を蹴りつけて飛び上がる。いや、ややこしいが、この場合は飛び下がるといったら良いのか……とにかく俺は、酒場の中央、騒ぎのど真ん中へと降り立った。
――ドンッ!
着地すると同時に腰を落とし、激しい音を鳴らして右足が床を打つ。
「闘技、【震脚 絶波】!」
こいつも、新たに使えるようになった武闘家のスキル。
力強く踏みつけた足裏を中心に、酒場の床を揺らし波打たせる。衝撃波を伴う波紋は、円を描いて広がっていく。
たちまち周囲で争う獣士も水夫たちも関係なく、大きくバランスを崩して床に転がり這いつくばった。
因みに、この闘技には【震脚 絶波】と【震脚 極刃】の二種類がある。【震脚 極刃】は、その字が表すように衝撃波は刃となって敵を切り刻む。地面の揺れに大きくバランスを崩し、そこへ刃と化した衝撃波が襲いかかるのであるから、かなり凶悪な技でもあるのだ。だが、今使って見せた【震脚 絶波】の衝撃波は多少のダメージこそ相手に与えるが、どちらかといえば効果を与える或いは打ち消す意味の方が強い。その効果とは、沈静化。ゲーム内では狂化状態になった魔獣の効果を打ち消し、大きな隙を与えるものだった。魔獣を仲間に加えることの出来る従魔士なんかには有用なスキルだったのかも知れないが、俺にはただまだろっこしいだけのスキル。だからもっぱら、もっと手っ取り早い【震脚 極刃】の方で魔獣を切り刻んでいた。ゲーム内で最速クリアを目指していた俺には、【震脚 絶波】は完全に死にスキルでもあったのだ。だが、現実となったこの世界では【震脚 絶波】も、今回のように争いを静める場合や暴徒の鎮圧など、いろいろと使い道がありそうだった。
何が起きたのか分からず、呆然となる獣士や水夫たち。
さっきまでの喧騒が嘘のように、酒場内が静まり返った。
しかも俺は、【震脚 絶波】を放つと同時に、戦士のスキルである【威圧】をも放っていたのだ。複数のスキルの同時使用。これこそが、ニンジャマスターの真骨頂。沈静化の効果を伴う衝撃波を浴びて、心に大きな隙ができた所に【威圧】が届く。抵抗するのも難しい強烈なコンボ技だ。
放たれた【威圧】の気に飲まれ、あっさりと獣士も水夫たちも等しく体を強張れせて床面に転がる。そして俺の目の前には、皆と同じく床に這いつくばり、呆けた様子で見上げる指揮官の獣士がいた。
「…………な、何者だ?」
ゴクリと喉を鳴らし、掠れた声で問いかけてくる。だが俺は、黙ってその指揮官を見下ろしたまま、後ろに向かって声を張り上げた。
「カリナ、カイナ!」
「は、はい!」
背後から、返事をした二人が、ジャニスの元へと駆け寄っていく気配が伝わってくる。
そこでようやく、指揮官に向かって口を開いた。
「何者と、こちらの方が先に言いたいものだな」
「……わ、我らは総督府配下の獣士隊。そして、俺は隊を預かる――」
さすがに指揮官クラスの獣士にもなると、俺の【威圧】を跳ね除け立ち上がってくる。
「――ラリー・ジョンスタッド。栄えあるベルナント家の獣士が、ヒューマン如きに!」
ヒューマンである俺に床へ転がされたのが、よほど腹に据えかねたのだろう。ラリーと名乗りを上げるその若い獣士長は、立ち上がると同時に槍の穂先を突き出してきた。
その動きは、まだ若いながらも並々ならぬ修練を積んだあとが窺え、素早く繰り出される突きも鋭いものだった。タンガがよく使う【身体強化】のスキルを発動させていたのかも知れない。鈍い光を放つ切っ先が、俺へと迫る。
だが――素早さに特化している職業がニンジャマスター。どれだけ速く槍を突こうが、油断さえしなければ、今の俺に通用するはずもない。獣士長ラリーの動きが、俺には見えていた。
――あまい!
突き出す槍を、体を半身に捻り余裕で躱す。そして、目の前で伸びる槍の柄を右の拳で打つ。
「闘技、【微塵拳】!」
途端に槍の持ち手から先が、鈍い音を鳴らすと爆散して消え失せた。
「なっ!」
愕然とした様子を見せるラリー。が、そこは獣士隊を任せられた男。咄嗟に残った柄を投げ捨て、腰に吊るした剣に手が伸びる。
しかしその動きも、全てが俺には見えていた。
――【瞬速】!
神速の踏み込みで一気に間合いを詰めると、剣が抜かれる前にその柄頭を手のひらで押さえる。
「もう止めておけ。俺は駆け出し商人のリュウイチ――」
と、声をかけるが、それでも「ぐぬぬ、商人ごときに」と、剣を抜こうと足掻くラリーだった。が、俺が押さえた剣はピクリとも動かない。
獣士長ラリーが怖い顔で睨んでくるも、俺は構わず言葉を続ける。
「――これでもまだ新参だが、一応はサンタール家の世話になっている」
「なに、サンタール家だと……本当か?」
そこでようやく獣士長ラリーの動きが止まり、剣の柄を握る手も少し緩んだ。
「あぁ、今回このモルダ島に来たのも、サンタール家に頼まれたようなものだからな。あっちで傷の手当てをしている者も、生まれた時からサンタール家に仕える姉妹だ。そして、こっちの獣士も――」
横に視線を向けると、皆と同じように床に転がり、呆けた様子で此方を眺めているタンガの姿が目に入る。
――て、タンガ、お前もちょっとは協力して説明をしろよ。
この世界に転移して初めて出来た友人なだけに、昔から側にいるような気がして、つい忘れがちになるけど、タンガも一応はサンタール家から付けられた護衛の獣士。
それなのに、なんで他の者と同じようにボケた顔してこっちを見てんだよ。
少しは仕事をして欲しいもんだ。
大体が抜けてんだよ、こいつは。
禁足地での戦いや訓練での手合わせで、タンガの実力はおおよそ分かっている。今放った【震脚】や【威圧】程度では、動じないほどの力は持ってるはず。それなのに……いつもカイナには偉そうに武術なんかを教えてるくせに、自分が一番大きな隙を作ったりする。今も、まさか俺から仕掛けられると夢にも考えず、完全に油断をしてたのだと思う。
まぁ、それはそれで、俺がそれだけ信用されてるから嬉しくは思うけどさ。
それにしても――と、心の中でブツブツと愚痴めいた文句を呟いていると、
「……もしかして、ラリー坊か?」
タンガが呆けた表情のまま、若い獣士長を見つめて呟いた。
「ん? この隊長さんはタンガの知り合いなのか?」
どうやらタンガも、ただ油断をしてボケた状態になってただけではないようだった。
意味深な終わりかたですけど、それほど深い意味はありません。
長くなったので、ここで一旦切っただけです。