◇二度あることは三度あるというけれど。
遥か南の洋上では、先ほどまでの死闘が幻かのように、穏やかな風が海上を吹き抜けていく。その風に煽られ僅かに上下する波間が、夕陽を浴びてきらきらと輝いていた。
俺は船首楼上の舳先近くに立つと、その煌めきに目を細め船の進行方向を眺めていた。
俺達の乗るミラキュラス号は海上を滑るように猛然と突き進み、南にあるモルダ島へと向かっていたのだ。
カレリンの話では、この勢いなら陽が沈む前に、モルダ島へ到着するだろうとのことだった。
それと、あの戦いの時に降り注いでいた【慈愛の聖雨】は、今はもう無い。船を包み込んでいた【神呪結界】も、今では船の周囲に微かな青い燐光を放つのに留まっている。最初に放ったような強い神力はもう感じられないが、それでも俺の【気配察知】には僅かに力の波動のようなものを感じる。そのまま頭上に目を向けると、雲ひとつない空が夕陽を浴びて茜色に染まっていた。あれほどいたガーゴイルも、今はもう影も形も見えない。突然に発動した【神呪結界】に、恐れをなしたのか南へと飛び去った。
だがそれは、このミラキュラス号の進行方向と同じ。
「何がこの先に待ち受けているのやら……」
俺は南に目を向けたまま呟く。
しかし、たとえ何が待ち受けていようと、さっきの戦闘の時みたいな醜態を晒す積もりはない。
今は先ほどの激戦で、ゲームの時の感覚でいうなら一気にレベルが5以上は上がったような気がする。しかも、【慈愛の聖雨】のお陰で魔力も満タン状態。だから、何がこようと負ける気がしない。いや、負けないし、誰も犠牲を出す積もりもない。
それにしても……。
今度は直ぐ側に鎮座する、海神の像へと視線を向けた。
「【慈愛の聖雨】に【神呪結界】か……」
あの時……俺は確かに神像と、体の奥底で繋がるような感覚があった。
いや、ちょっと違うな。そう……あれは、俺の生命力と神像を介して、何かをこじ開けるような感覚に近い。そして、その先にある溢れるようなパワーを感じたのだ。
あれが神力……神と呼ばれる存在なのだろうか?
これはその空間に繋がる魔道具なのか?
そんな事を考えていると、背後から階段を軽やかに駆け上ってくる足音が聞こえてきた。
振り返ると、タンガとカレリンの二人がにこやかに表情を綻ばせ、此方に駆け寄って来るところだった。
「どうやら、船内に残っていたガーゴイルも、粗方討伐したようだ」
タンガはにやりと笑いそう言う。しかし、直ぐに南の洋上へと目を向けると顔をしかめる。
「そうか……」
俺も頷きつつ、同じく南の洋上を眺め顔を曇らせた。
船内にも、数匹のガーゴイルが侵入していた。そのため、【神呪結界】に押し出される事もなく、船内に取り残される形となっていたのだ。しかし結界の影響なのか、かなり衰弱した様子で動けず、物陰などに隠れ潜んでいた。それらのガーゴイルを、タンガやカレリン達水夫たちが探しだし、討伐を行っていたのだ。
その間、俺はというと、連続して魔素を吸収した事により、少し体をふらつかせて本調子とはいえない状態。そのため討伐には参加せず、また飛来するかもしれないガーゴイルへの警戒をしていた。
さっきは結界に阻まれたとはいえ、また同じように発動するかどうか分からないからだ。
それに、ガーゴイルが南から飛んで来たのも気にかかる。南には、俺達が向かっているモルダ島があるのだから。
そういう訳で俺は甲板に立ち、南の洋上に油断なく目を配っていた。
「それにしても、このままモルダ島に向かって良いものか?」
誰に言うともなく俺が呟くと、カレリンが直ぐに肩をすくめた。
「今はもう俺達の手から離れ、この船が勝手に進んでるからな。もう、どうしようもねえ。島に近付いたら、緊急の信号弾を上げて報せれば良いだろう」
「それで大丈夫なのか?」
「あぁ、モルダ島にもそれなりに戦力がある。あの程度の魔獣の群れ、どうってことねぇさ」
カレリンの返事にそんなものかと俺は頷き、どうするかは島に近付いてから判断する事にした。
そう、この船は俺達の意思とは関係なく、南へと突き進んでいる。まるで、この船自体が意思を持つかのように。
そこには何者かの思惑が介在しているのを感じさせる。何故ならそれは明らかに、この目の前にある海神の像が関与してると思えるからだ。
今までの事から推測するに、俺にこの異世界で何かをさせたいのだろうとは思うのだが……。
確かに俺はあの時、どんな事でも引き受けるのと引き換えに、海神の像に願った。
しかし……モルダ島に何があるのかは知らないが、これ以上はもう勘弁してもらいたい。
体力や魔力などは【慈愛の聖雨】で全快したものの、ガーゴイルとの連戦に精神力はごりごりに削られ、かなりの疲弊をしている。それは俺だけでなく、カレリン達水夫も同じだろう。
神なのか何者かは知らないが、恨み言のひとつも言いたくなる。
そんな事を考えながら、ふと、横にいるタンガを見ると……。
「くそっ! ここが陸地だったらあいつらの好き勝手にさせなかったのにな」
などと、やる気満々でほざいている。
陸地であろうと空を飛ぶ魔獣相手なら、タンガも苦労すると思うのだが。さっきは瀕死の状態、いや、もしかしたら死んでいたのかも知れない。それを、【慈愛の聖雨】によって蘇生されたというのに、まだまだ戦い足りないようだ。
――こいつは、ほんとにもう……。
俺はタンガを眺め、その相変わらずの脳筋振りに呆れ、「ふぅ」とため息にも似た息を吐き出した。
しかし、タンガも無事で何よりだった。その何時もと変わらぬ様子に、ほっと胸を撫で下ろし安堵する。タンガやカリナ達を見ていると、相次ぐ戦闘にささくれ立つ感情も、不思議な事に穏やかなものへと変わっていく。
カリナ達もそうだが、今ではもう、タンガの事を本当に得難い友だと思っていたのだ。
「それで、カリナ達は?」
「あぁ、ガーゴイルを追い詰めた時に、何人か怪我人も出たからな。今はそいつらを介抱してるとこだ」
「ふぅん、カリナ達だけにして大丈夫なのか?」
怪我人とはいえ、相手は荒くれ者揃いの水夫達。一抹の不安を覚え重ねて尋ねるが、タンガは笑って答える。
「一応、カーティスを側に付けてる。それに、今ではカリナ達も、水夫達に天使のように崇められてるからなぁ」
「はあぁ……天使?」
どうやらガーゴイルとの戦闘中に、渡していた霊薬を使った後方支援で、水夫達からは随分と感謝されてるとのことだった。
それにしても、天使とはまた……カリナは分かるが、カイナも?
カイナが、どんな風に手当てを行っていたのか気にかかる。それとも、水夫の中にはそっち系統の趣味の連中でもいるのかね。
そんな、少し不謹慎で失礼な事を思っていると、カレリンが南を指差し声を荒げた。
「大将、あれを見ろ!」
その声に、慌てて南へと視線を向ける。
「あっ……あれは?」
南の洋上に、ぽつりと小さな船影が二つ現れた。だが、同時にその船影から、多数のガーゴイルらしき影が飛び立つのも見えた。もしかして、あの船から飛び立っているのか。
まるで、航空母艦。
俺には、そう見えたのだ。
「う、うそだろう……」
二度ある事は三度あるとかいうが……。
軽口を叩いていたタンガも、「うっ」と呻き声をあげ、表情が険しいものへと変わっていた。
カレリンも「すぐに用意を」とか言ってるが、その表情には明らかに疲れが色濃く浮かんでいる。
それは俺も同じ。体力は戻っても、精神的疲労はすぐには回復しないのだ。
さっきは次は負けないと思ったものの、こうすぐに連戦が続くとさすがに……と、考えてた時、
ドン、ドン、ドンッ!
鈍く響き渡る低音の轟音が、周囲の空気をビリビリと震わせる。
そして俺たちが見守る中、二つの船影の周りに水柱が次々と上がっていく。
たちまち、水の幕に包まれる二つの船影。
「おぉ!」
俺たち三人の口から同時に、驚きの声が飛び出した。
と、次の瞬間、その内の一隻が巨大な火柱を立ち昇らせて爆発した。
見る間に、その一隻が海の中へと沈んでいく。
まさに、轟沈。
「おおおぉ!」
またしても三人から飛び出すのは、言葉にならない驚きの声。
残りの一隻は、慌てたようにガーゴイルを収容すると、その場から必死に遁走していく。
そして、次々と上がる水柱の向こうから、新たな船影が姿を現す。それは、先の二隻を合わせたより大きな船影。
「おおおおおぉぉぉ!」
俺とタンガの二人は、また間の抜けたような声を出すだけだったが、今度はカレリンだけが違った。
「おい、あれはグラナダの戦闘艦だぁ!」
その声は、喜色に満ち溢れていた。
「直ぐに、船籍を示す旗を……いや、その前に信号弾を上げねぇと」
カレリンのその声に、俺とタンガは顔を見合わすしかなかった。
「どうやら、無事にモルダ島へ到着できたようだな」
タンガが安堵混じりの声でぼそりと呟いた。
「誰かぁ! 信号弾をあげろお!」
船内に向かって怒鳴るカレリンの声が、夕焼け空に吸い込まれていく。
その声を聞きながら俺は、こちらへと進路を変えたグラナダの戦闘艦を目を細めて眺めていた。




