◇四面楚歌というけれど。
――数は、それだけで抗いようのない暴力だ。
二回めのガーゴイルの襲撃は、その数が百を優に越えていた。しかも、それだけで無かったのだ。南の洋上からは3つめ、4つめの群れまで迫って来ていたのだ。
船上には無数のガーゴイルが乱舞し、ミラキュラス号は翻弄されていた。
俺はガーゴイルの意識を船から俺へと向けるため、船の上空高く舞って戦う。
既に何十匹のガーゴイルを、空中から叩き落としただろうか?
それすらも、覚えていない。それほど俺は、戦い続けていた。
「これで何匹めだ……この悪夢はいつまで続く?」
俺は嘆くように呟くと、目の前で断末魔の叫びを上げるガーゴイルの右胸に刃を突き立てる。そして、そのまま左右に切り開くと、体の中から現れた魔石に手を伸ばした。
途端に、霧状と化した魔素が俺へと吸収される。すると、軽い酩酊感と共に、僅かな活力が体に行き渡るのを感じた。
――どうやら、能力値が上がったようだな。
軽く「ふぅ」と吐息を吐き出し、頭上を見上げる。しかし、そこにはまだ、数えきれないほどのガーゴイルが無数に舞っていた。
今の俺はなりふり構わず、レベルアップを図っている。
空を舞うガーゴイルを甲板へと叩き落とし、止めを刺しては、その都度、魔素を吸収しているのだ。今までは他人の目を気にしていたが、もはやそんな事を言ってる場合ではない。
いや、皆も俺の事を気にして眺める余裕など無いだろう。今は、自分が生き延びるので精一杯なのだから。
そう、俺達は今、全滅するか否か、俺だけでなく皆の生き死にが掛かった死闘を繰り広げているのだ。
だから俺も、少しでも能力値を上げようと……。
――だがそれも、焼け石に水。
何故なら、スキルを扱うための魔力が、俺には殆ど残されていないからだ。
今は霊薬も使えない。一度使った後は、時間にして半日は置かないと次の効果は期待出来ないからだ。だから、レベルアップ時の能力値の底上げで、僅かに増える魔力を頼りに戦っている。しかしそれも、スキル発動時には、それ以上の魔力を使ってしまうために自転車操業。
まさに、じり貧状態なのだ。
それと、レベルアップ時には前のような急激なものでは無いため、激しい痛みは無いものの、それでも軽く酔ったような感覚になる。
そのため、今の俺は相次ぐ戦闘に極度の疲弊で体はふらつき、魔素を吸収し続けたことによって頭はぼぉと霞み、かなり酷い状態へとなっていた。
もはや、サーベルを握る手のひらの感触も、今はもうない。あるのは酷使つづけた為の、引き攣るような腕の痛み。しかし、それでも俺はサーベルを振るう。
俺が倒れること即ち、カリナやカイナ達、全ての者が死の危機に陥るのだから。
俺は弛緩する意識を頭を振って引き戻し、船上を飛び交うガーゴイルを“キッ”と睨み付ける。そして、上空へと駆け上がるのだ。
そうだ、何度でも……この命が尽きるまで。ここまで皆を、引っ張って来たのは俺なのだから。
「そおりゃあぁぁぁぁ!」
もう何度目かになる悲鳴にも似た雄叫びを上げ、【瞬速】を発動させる。そして、素早く踏み込むと、ガーゴイルの首筋目掛けて斬り付けた。
だが、やはり細身のサーベルでは断ち斬るまでとは行かず、僅か数センチほどの深さしか傷付けられない。
――ちいぃ! やはり無理か!
人相手ならば、今の斬撃でも十分な致命傷となりうるが、魔獣相手ではかすり傷よりは増しな程度。逆に、怒りの火に油を注ぐ事になる。
そう、だから目の前にいるガーゴイルも怒り狂い、その鋭く尖った鉤爪を振り下ろしてきた。
慌てて飛び退くものの、疲れと判断力の低下からか、僅かに反応が遅れてしまい鉤爪の先端が頬を掠めていく。ピッと音を鳴らし、鮮血が周りに飛び散った。
顎先へと伝う血流に焦燥感を覚えるが、それでも、その気持ちを無理に抑え込み前に出る。だがそれは、恐怖にも似た高揚感に突き動かされていたのかも知れない。
大振りで振り回す鉤爪の間隙をぬって、ガーゴイルの懐へ飛び込むと、僅かに残る魔力を使いスキルを発動させた。
「【刺突】!」
もはや【風刃】を放つ魔力もなく、魔力量が少なくても使える武技系のスキルで凌ぐしかない。今はもう、俺の持ち味たる多数のスキル群を、まともに扱う事も出来ないのだ。
サーベルの切っ先が、ガーゴイルの瞳に吸い込まれ、その奥にある脳髄に突き刺さった。その感触に一瞬、気分を害するが、今は嫌だとか忌避感だとか甘いことを言ってる余裕など無い。
俺はサーベルを持つ手に力を込め、更に奥へと押し込み刃を捻る。
『グギイィィィ……!』
途端に、ガーゴイルは体を大きく震わせ、断末魔の叫びを上げ墜落していく。だが、それと同時に、俺が踏み締めていた足場、空気の塊が突然消失してしまった。
「あっ!」
俺も驚きの声を上げると、ガーゴイル諸共、絡まるようにして落ちていく。
そう、魔力が枯渇して、遂に【飛脚】のスキルを維持出来なくなったのだ。
俺はガーゴイルと一緒に、船の上空高くから落ちる。そして、辺りに大音響をひびかせ、船首楼上の甲板に叩き付けられると、2度、3度と弾みながら転がった。
「がはっ!」
その衝撃に強烈な痛みが全身を走り抜け、肺に溜まっていた空気が口から溢れる。それと一緒に、「ゴボリ」と、血の塊を吐き出した。
くっ、こいつは内臓をやられたかも。昔、バイクで事故った時もこんな感じだった。
やっちまった感が、半端なく俺を包み込む。
焼け付くような痛みと魔力切れも重なり、意識がスゥと遠退いていく。
――あぁ、駄目だ。ここで、気を失う訳には……。
俺は遠退く意識を、ギリリと奥歯を噛み締め強引に引き戻す。これも、耐久力が上がったお陰か、ようやくのことで意識を保てる。
だが、体はピクリとも動かない。それどころか、激しく咳き込むと、ごぼりごぼりと血の塊が口から溢れだしてくる。
「リュウイチ様ぁ!」
そんな俺の元に、カリナとカイナが駆け寄って来るのが見えた。
二人は俺の傍らに来ると、その酷い有り様に絶句する。
「そ、そんなあ……」
「リュウイチ、お前は凄いやつなんだろ。だったら、いつもみたいに軽口叩きながら立って来なさいよ」
カリナが涙を流し俺にすがり付き、カイナも憎まれ口を叩きながらも涙を流していた。
ははっ、カイナ、お前らしく無いぞ。
俺は痛みに顔を歪めながらも、絞り出すようにして言葉を口にする。
「……カリナ……魔石を此方に……」
カリナには、最初の襲撃の時に止めを刺した、ガーゴイルの魔石を2つ持たしたままだった。
「……リュウイチ様?」
よく聞き取れ無かったのか、心配そうに首を傾げるカリナ。
しかしその時、数個の黒い影が俺達に迫る。
それは、五匹のガーゴイル。その凶悪な鉤爪を俺達に向け、突っ込んで来るのが見えた。
「は、早く、こっちに魔石を……」
ようやく気付いたカリナが、懐から魔石を取り出し俺に渡そうとするが、とても間に合いそうに無い。
――くっ、まずい!
そこに……。
「おおりゃあぁぁぁ!」
間一髪、タンガが俺達の元に駆け込むと、剛剣一閃、最初に襲い掛かろうとしていたガーゴイルを斬り捨てる。
残りの4匹は、それに恐れをなしたのか、一旦距離を取ると、俺達の頭上で円を描くように飛んでいた。
「ヒューマン、大丈夫か!」
タンガは頭上のガーゴイルを睨みつつ、俺に声を掛けてくる。だが、そのタンガも体の至るところに傷を負い全身血塗れ、俺に劣らず酷い有り様だ。
と、タンガの傍らから、カーティスがひょっこり顔を出す。しかも、このカーティスは、殆ど無傷な状態だった。
大方、タンガの陰に隠れ上手く立ち回ってたのだろう。なんとも、要領の良いやつだ。
そのカーティスも、俺を見付けると顔色を真っ青に変え、酷く狼狽していた。
「だ、旦那ぁ……嘘だろ……旦那まで」
その時、カリナの差し出していた手のひらから、魔石が転がり落ちる。
そして、転がる2つの魔石が俺に触れた瞬間、黒い霧状へと変容し、たちまち俺の体の中へと吸収された。途端に、酔ったような感覚と共に俺の能力値が底上げされ、魔力もだが、体力も耐久力も僅かながら戻ってきた。どうやら、そのお陰で辛うじて、死の淵から戻って来る事が出来たようだ。
「まだだ…まだ倒れる訳には……」
俺は痛む体を引き摺るようにして、よろよろと立ち上がる。
「リュウイチ様……」
「リュウイチ!」
「旦那ぁ、大丈夫なのか?」
「あぁ、大丈夫だ……」
俺は口の周りにこびりついた血を、手の甲で拭いながらもなんとか答えた。
すると、カリナにカイナ、カーティスも大きく目を剥き驚いた顔を見せる。そればかりか、タンガまで驚いた様子で俺を凝視していた。
いや、それだけでない。当の相手、頭上で旋回していたガーゴイルまでもが驚いたのか、警戒して更に距離を取っていた。
それもそうだろう。どう見ても瀕死の俺が、魔獣から転がり出た魔石から、何かを吸収して起き上がってきたのだから。
「……旦那ぁ、今のはまさか、魔獣の魂を喰らったのか?」
「ん?」
そうか、他人から見たら、そんな風にみえるのか。確かに、魔素の概念があまり浸透していないこの世界で、俺の行いは端から見ると魔獣から生命力を、いや、魂魄を吸い取ってるように見えるのかも知れない。
これだと、俺が魔物や魔族、下手したら魔王だと思われかねない。なんといっても、邪神は魂を喰らうと言われているからな。
だから俺は、あまり他人に魔素吸収を見せたく無かったのだ。
「魂? 何を言ってる。魔石は魔素が結晶化した塊。俺は、その魔素を吸収して自分を強化できるだけだ」
「……でも、旦那ぁ……」
口籠もるカーティスの目は大きく見開き、その瞳の中には恐怖の色が滲み出ていた。
「迷信深い連中の間では、魔石は魂の欠片だと信じらてるからな、こいつの反応も仕方ねえさ」
見かねて口を挟んだのは、タンガだった。
そう言うタンガは、どう思ってるのだろうか?
今はタンガも、頭上のガーゴイル達に顔を向けているため、その表情から気持ちを読み取る事は出来ない。
「俺は只のヒューマン……ま、ちょっと規格外だとは思うが……しかし、その思いや考えは、そこらにいる普通の人と、何ら変わらない者だと思ってる。こんな俺だが、信用できないか?」
「リュウイチ様は、普通ではありません!」
「ん?」
真っ先に反応したのは、カリナだった。
「さすがはリュウイチ様。やはり、私の目に狂いはないです。リュウイチ様はきっと、世界を救う救世主と成られるお方なのです」
カリナが更にきらきら度の増した瞳で、俺のことを見詰めてくる。
その妄信的な言動が、どこから来るのか不思議で仕方ない。これからの事を思うと怖いぐらいだな。
「リュウイチは馬鹿だけど、悪いやつとは思わないよ」
カイナも、少し照れたように顔を背けながら言葉を口にする。
相変わらずの口の悪さだが、信用してもらえたようで嬉しい。
ん? 待てよ、嬉しいのか。馬鹿にされてるような気も……。
そして最後は、タンガが豪快に笑いながら締め括る。
「今更だな。ヒューマン、お前がこれから何かやっても、俺はもう驚かない事にするぞ!」
だが、カーティスはまだ、俺の事を見詰め、疑わしそうに顔を歪めている。
しかし、それでも良いさ。少なくとも、3人の心から信頼できる友を得ることが出来たのだから。
思えば、この異世界に来てからは、まだそれほどの月日も経っていない。不思議なものだが、これが人の縁というものなのかも知れないな。
俺はタンガやカリナ達との間に、強固な絆を改めて確認して安堵すると共に、3人に深く感謝し嬉しく思うのだった。
だが、そうは思ったものの、今はまだ戦いの最中。しかも、劣勢に立たされ危機的状況なのは、なんら変わらない。
俺もタンガも皆が満身創痍な上に、俺に至っては僅かな魔力、体力で立ってるのがやっとの状態。体力が戻ったといっても重傷なのは変わらず、激しい痛みと共に僅かなその体力も、じりじりと減っていくのを感じる。動けるのが不思議なぐらいなのだ。
周りに目を向けると、甲板上にあった投石機は完全に破壊され、その周りでは水夫達が転がり呻いていた。下方にある船中央の甲板では、メインマストの周りにカレリンを始めとする水夫が10人ほど固まり、ガーゴイル相手に戦っているのが見える。
だが、敵の数があまりにも多すぎる。直に、ガーゴイルの波に、カレリン達も飲み込まれてしまうだろう。
それ以外にも、楼内や船倉からも叫び声や、争う物音が聞こえてくる。
船内に逃げ込む水夫達を追い掛け、かなりの数のガーゴイルも船内に入り込んでいるようだ。
もはや詰んだ状況。このままだとあと少しで、俺達の完全敗北、全員の死で終わってしまうだろう。
改めて確かめた船の状況に、俺は絶望感と共に戦慄を覚え、天を仰いだ。