◆閑話 二等水夫カーティスの驚嘆 その2
まだ、あれだけいるのか。無理だよ……。
俺が上空を見上げて、絶望感に包まれていると。
『キィシャアァァァ!』
上空で舞う一匹のガーゴイルが、俺達二人を目掛けて舞い降りて来る。
俺達二人は動かず踞っていた為に、標的とされてしまったようだ。
そのガーゴイルは、俺の二倍は有るかと思える大きさ。両手には鋭く尖り湾曲した5本の鉤爪が生え、まるで刃物のようにギラリと光っていた。
その鉤爪を振りかざし、頭上から襲い掛かって来る。
――くそっ! 殺られてたまるか!
「うおおぉぉぉ!」
雄叫びを上げ、全身の力を込め槍を突き上げる。
だが…………。
ガーゴイルは槍を気にするでもなく、左の鉤爪であっさりと払いのけ、槍は柄の真ん中辺りから切り飛ばされてしまった。
「なっ!」
手の中に残された柄を握り締め呆然となっていると、次の瞬間。
「がぁっ!」
右肩に凄まじい衝撃を受け、弾き飛ばされてしまう。
「あうぅぅ……」
焼きごてを当てられたかのような灼熱の痛みに、思わず悲鳴がもれ出た。右肩を見ると、石榴のように弾けごっそりとその肉が抉られていた。肩から先の右腕が、ちぎれ掛けていたのだ。
――あぁ、そんなぁ……嘘だろ。
『ギャ、ギャ、ギャ!』
そして、ガーゴイルはそんな俺を指差し、楽しげに笑ってるように見えた。
くそっ! 俺はこんな所で死ぬ訳には……。
だが、ガーゴイルは俺の思いに関係なく、笑いながらまた迫ってくる。
そして、今度は左肩に衝撃が……。
「ぐがあぁっ!」
またして弾き飛ばされ、甲板上を転がり滑っていく。
くそっ、くそっ、くそっ! 誰かあ……。
しかしまた……。
『ギャ、ギャ、ギャ!』
今度は俺に止めを刺す積もりなのか、凶悪な鉤爪が頭上に迫る。
その迫るガーゴイルを目前にして俺は……。
――俺は、俺は……すまねぇ、ナディア。
俺はここまでのようだ。
心の中で妹のナディアを思い浮かべ手を合わせていた。
が、その時……。
『【風遁中段 風刃乱舞】!』
勇ましい掛け声と共に、目の前にいたガーゴイルが切り刻まれていく。
『アギイィィィ……!』
絶叫して、その場に倒れるガーゴイル。
それはまるで、無数の見えぬ刃に切り刻まれてるかのようだった。
これは、何が……。
「大丈夫か、カーティス」
その声に驚き振り返ると……。
「リュウの旦那!?」
そこに居たのは、この『ミラキュラス号』の船主でもあるヒューマン、リュウイチの旦那だった。
リュウの旦那は、本当に妙なおひとだ。最初はどこの田舎者だと思い突っ掛かったりもしたが、まるで動じなかった。それに、どんな伝手を使ったのかサンタール家の後ろ楯を得ているらしい。
今も後ろに、サンタール家の家人を引き連れている。ヒューマンだというのに自分を卑下するわけでもなく、士族の方とも対等に……いや、それ以上の付き合いをしている。グラナダでは、いや、他の街でもあり得ない事だ。
そう、まるでヒューマンが差別されていない国から来たかのようだ。
本当に妙な旦那だぜ。
そのリュウの旦那が、俺の怪我の状態を眺めて顔を歪めて声を掛けてくる。
「うわっ! こいつはまた、酷くやられたようだな!」
おい、もう少し言い方があるだろうに。死にかけてる者に掛ける言葉じゃねえぜ。
ははっ、しかしそれもその筈か。俺の両肩はズタズタに切り裂かれ、両の腕はちぎれ掛けているのだから。既に、痛みを覚える感覚すら鈍くなっているのだ。
あぁ、意識すら霞んできやがった。俺はもう駄目なのだろうな。
心残りが有るとすれば、妹の事だけだが……。
「リュウの旦那……もし、この危機を上手く切り抜ける事が出来てモルダ島に辿り着けたなら、俺の、俺の妹を……」
薄れゆく意識の中、駄目元で頼もうとしたが……。
「あぁん、妹? 怪我で意識が混濁してるのか?」
「……こ、この傷だ。俺はもう助からねえ。だから、妹を」
「何を言っている。俺はこの航海で、死人を一人も出す積もりは無いぞ」
何を言っているって、それはこっちが言いたいぜ。リュウの旦那は、この傷が見えてないのか?
しかし旦那は……。
「カリナ、カイナ! カーティスにこれを」
そう言った旦那の手元が白く輝く。そして、その光がおさまった後には、何故か、仄かに青い燐光を放つ細長い瓶を持っていた。
――ん? どこから?
いや、それどころか、更に驚くべき事が。
サンタール家のカリナ嬢がその瓶を受け取り、その中に入っていた液体を俺の傷付いた両肩に振り掛けると……。
――なんだこれは?
俺は夢でも見ているのか? 有り得ないだろう。
ごっそりと肉は抉られ、夥しい血を流していた両肩の傷口が、燐光を放ちながら見る間に塞がり元に戻っていくのだ。
それは、どこかむず痒さを伴い肉が盛り上がる。まるで、時が巻き戻っていくかのようだった。
「これは一体?」
「ほら、お喋りは後よ。この瓶に入ってる残りを、ぐっと一気に飲み干しなさい」
「あっ、待っ……うぐっ……」
今度はカリナ嬢の妹さん、カイナ嬢が瓶を俺の口元に当て、中の液体を無理矢理流し込んでくる。
無茶苦茶だよ。俺は怪我人だぞ。
おしとやかな姉さんと違って、妹さんは勝ち気で荒っぽい。
涙目で非難の視線を向けると、「何よ!」と、逆に睨んできやがる。
とんでもねえ嬢ちゃんだぜ。
しかし……流し込まれた液体が胃の腑に落ち着くと、途端に……。
なんだこれは?
体の奥底で爆発でもしたかのように、活力が沸き上がってきやがる。
「どうですか? 大丈夫ですか?」
カリナ嬢が心配そうな顔つきで、俺を覗き込んできた。
ほんと、妹さんは姉さんの爪の垢でも煎じて飲んでもらいたいな。
「あぁ、ありがとう。もう大丈夫だ。元気が有り余って、今すぐにでも走り出したいぐらいだ」
俺が起き上がるのを、リュウの旦那は眉を潜めて眺め、「うわっ! 傷口が塞がるとこは、結構えぐいな。このぶんだと、霊薬で死人さえも蘇生してしまいそうだ」とか、ぶつぶつと呟いていた。
今の液体は霊薬というのだろうか?
「旦那、これは……」
「あぁ、話は後だ。今はまだ、周りにいるガーゴイルを何とかしないと」
そうだった。今はまだ戦いの最中。あまりの驚きに忘れていた。
慌てて、周りを見渡すと、既に半数近くの水夫達が傷付き倒れ、俺達に近付こうとするガーゴイルは、虎族の旦那が一人奮戦して捌いていた。
俺は近付くのも恐ろしくて、あまり会話もしたことが無かったが、さすがはサンタール家の武官。今も頭上から襲い掛かるガーゴイルの攻撃を躱し、その翼を手に持つ剣で斬り裂いていた。
恐ろしいほどに強い。
俺なんかとは比べ物にならない。
が、虎族の旦那が翼を斬り裂いた時に、もう一匹のガーゴイルが上空から、猛スピードで降下して来ていた。
「あっ! 危ない!」
しかし、固唾を飲んだ瞬間、リュウの旦那が何かを叫んだ。
その途端に、またしても無数の見えない刃が、虎族の旦那を背後から襲おうとしていたガーゴイルを切り刻む。
『アギャァァァ!』
断末魔の叫びを上げて転がるガーゴイル。さっきと同じだ。
リュウの旦那が何かをやったのか?
「旦那……今のは?」
「だから、話は後だと言っただろ。そうだな、カーティス、お前はカリナやカイナ達と一緒に、傷付き倒れてる者たちの救護に回れ」
リュウの旦那はそう言うと、またしても何も無い空間から、あの霊薬と呼んでいた瓶を無数に取り出す。
それを俺達に渡しながら、虎族の旦那に話し掛けていた。
「タンガ、お前にはこの三人の護衛を頼みたいが」
「おぅ、任しとけ」
虎族の旦那が答えるのに頷くと、リュウの旦那は船の上空を見上げていた。
「旦那、リュウの旦那はどうするんで?」
「俺かあ、俺はあれをどうにかしてこようと思ってな」
旦那が見詰める先。船の上空高くには、まだ無数のガーゴイルが飛び回っていた。
――あれを?
あの高さだと、さすがに投石機でも無理だと思うのだが。或いは、もう少し大型の投石機なら何とかなったかも知れないが、リュウの旦那はいったいどうする積もりなのだ。
しかし、旦那はにやりと笑う。そして……。
「えっ、飛んでる?」
思わず、俺の口から驚きの声が漏れた。
旦那が空を飛んでるのだ。いや、飛んでるのではない。それは、地を走るように宙を駆け上がっているのだ。
唖然と眺める俺の肩を、虎族の旦那がぽんと叩く。
「ほら、ぐずぐずしてる暇は無いぞ。ガーゴイルは奴に任しておけば何とかなるだろうさ。それよりも、怪我人の手当てが先だ、行くぞ!」
「あっ、はい。そうだ、ジャニスが!」
リュウの旦那も気になるが、ジャニスが腹を傷付けられ死にかけていたのを思い出す。
近くで倒れていたジャニスに駆け寄り、そこで更に驚く事となった。
駆け付けた時、ジャニスはもう、確かに息をしていなかったのだ。手遅れだったかと、「あぁ」と嘆く俺に、カリナ嬢が「きっと大丈夫です」と、にっこり笑い霊薬をジャニスの喉に流し込んでいた。
すると、どうだろう。
ジャニスが、俄に咳き込み蘇生したのだ。
有り得ない。有り得ない事だらけだ。
――リュウの旦那。貴方は何者なのですか?
そこで俺は思い出した。ついこの間、ギルドで事故があった事を。公式には魔石が暴発し、ギルドに備蓄していた火焔石を誘発した事故となっていた。多数の怪我人が出て、残念な事にギルド長が亡くなった。
だが、酒場では真しやかに流れる噂があった。
それはギルドに魔族が現れ、たまたまそこにいたヒューマンが退治したといった話だった。
酒の上での与太話。馬鹿な話だと、皆は一笑に付し笑い合っていたが……もしかして、リュウの旦那が……。
そして俺は同時に、死んだ婆さんが昔言っていた事を思い出す。
婆さんは無くし物を探すのが、異常に上手かった。そこで、どうしてなのか聞いた事があった。婆さんは、俺達の家系が本来は火神アグニを祀る由緒正しい家柄であり、大昔はモルダ島を支配していたのだ言っていた。エルフ族やドワーフ族に聞かれたら、それだけで罪に問われそうなとんでも無い話だった。だが、小さい頃の俺は心踊らせ良く聞いていたものだ。
死んだ婆さんはこうも言っていた。
かつて、ヒューマンはエルフ族よりも良く魔力を使い、他の生き物よりも速く地を駆け、海中を進み、大空さえ飛び回り、あまねく世界を支配していたのだと。そしていつか、かつてのようなヒューマンの英雄が現れ世界を正し、この世のヒューマン達の苦しみを解き放つ時が来るだろうと。
「リュウの旦那。貴方は……」
誰に言うともなく漏れ出た呟きに、傍に居たカリナ嬢が反応し答えてくれた。
「リュウイチ様は、全ての者を救う救世主となる御方です」
「えっ?」
聞き返す俺に、カリナ嬢は濁りの無いきらきらとした瞳を向けてくる。
しかし……。
「お姉ちゃん、それはいくらなんでも言い過ぎ」
妹のカイナ嬢が、混ぜっ返すように口を尖らせ言う。
「そんな事は有りません。あのマーマン(海人族)達が言っていたでしょう。リュウイチ様は『世界の理を正す者』だと」
「あっ、お姉ちゃん。それは内緒の話だと、リュウイチが言ってたのに」
「えっ……カーティスさん、今のは聞かなかった事に……」
カリナ嬢が少し焦った顔を向けてくる。
「……」
苦笑を浮かべ頷く。
それにしても、あの伝説の種族マーマン(海人族)が……。
――世界の理を正す者か……。
リュウの旦那は、昔、婆さんが言っていた、本当にヒューマンの英雄となる人なのか?
それなら……旦那なら、妹のナディアを。
船の上空に目を向けると、ちょうど、空を駆ける旦那の周りに無数の雷が発生して、群がるガーゴイルにその雷が突き刺さっているところだった。
それはまさに、むかし婆さんに聞いたおとぎ話に出てくる、ヒューマンの英雄達のようだった。