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異世界へようこそ 【改訂版】  作者: 飛狼
間章 その三
34/55

◇カイナの決意

 サンタール家の屋敷。その玄関前で、私たちをにこやかに出迎えるヒューマンの女性。


「お姉ちゃん!」


 その姿をひとめ見て、私の中で押さえ付けていた何かが弾け、叫んでいた。


「カイナ?」


 吃驚したのか、驚いた表情に変わるお姉ちゃん。気がつくと、飛びつくように縋り付いていた。お姉ちゃんの体に触れた瞬間、私の瞳からは涙が溢れ止めどなく流れていく。


「おじさん、カイナはいったいどうしたの?」


 お姉ちゃんの困ったような声が聞こえる。それに、師匠が何か答えているようだけど、今の私にはもう聞こえない。まるで、赤子のようにしがみ付き、大声で泣き声を上げていたから。いえ、数年前まではいつもこうだった。常にお姉ちゃんから離れず、周囲の皆を困らせたものだ。

 私にとって、カリナお姉ちゃんは特別。物心がつく頃、父さんや母さんは既に亡くなり、お姉ちゃんが両親に成り代わって私を育ててくれた。お姉ちゃんである以前に、母親でもあり、時には父親にも。だから、特別なのだ、

 お姉ちゃんの胸に抱かれていると、張り詰めていた糸が切れるように、いつしか私は、眠りへと落ちて行った。



 

 最近になって、私たちが働くサンタール家に新たなヒューマンが、家人として迎え入れられた。

 そのヒューマンの名前は、リュウイチ……変な名前。

 サンタール家で働く家人であるヒューマンたちは皆、代々この屋敷で仕える人たち。だから、新たに雇入れるのは珍しいことだ。サラさまが、どこかから連れてきたらしいけど、師匠やお姉ちゃんに、「何者なの?」と尋ねても、口を濁してはっきりとは教えてくれない。師匠は、「あいつは、強くて良い奴だ」と言うだけだし、今回の儀式に同行していた他の人に聞いても、「我らヒューマンの英雄だ」と、馬鹿な事を言って目を輝かしている。お姉ちゃんに至っては、「きっと歴史に名を残す素晴らしい人だわ」と、目をハートマークにしていた。

 私の周りにいる親しい人が、声を揃えて素晴らしい人だと言う度に、なんだか胸の中が、もやもやとしたものに包まれる。お姉ちゃんの態度を見ると、特に……。

 私には皆が言うように、それほど凄い人だとは思えない。確かに、底抜けにお人好しには見えるけど、至って普通のヒューマンに見えるのだ。

 そのリュウイチと私の、最初の出会いからして最悪だった。

 私たちサンタール家で働くヒューマンは、本邸とは別の離れで住み暮らしている。小さい頃から見知った人ばかり。だから、離れで潜んでいた見知らぬヒューマンを見かけて、盗賊だと思うのは当然のことだったと思う。

 

 私は、師匠であるタンガおじさんから、武術を習っていた。それは、恩を受けたサンタール家の人に何かあったときに、我が身を盾にして助けるためだ。十年前、両親が亡くなった時は、グラナダ中を騒がす大きな事件となった。それは本来はその時、私たち姉妹はサンタール家から放り出されてもおかしくないほどの事件だった。それなのに、サラ様やケイン様を始めとしたサンタール家の人は、最後まで私たちを庇って助けてくれたのだ。ケイン様は、私たちヒューマンにいつも難しい顔を見せるけど、私は知っている、その優しさを。小さい頃から人見知りが激しく、いつもビクついていた私を、人知れず助けてくれていたのがケイン様だ。だから私は、サンタール家のために……。

 

 そんな私が、離れで盗賊らしき人を見かけたのだ。しかもその時は、ご長男のルーク様が病気を患い屋敷中が大変な時。私が、隠していた小剣を引き抜くのは当たり前だ。

 その盗賊と勘違いしたヒューマンが、リュウイチと名乗る新しい家人だった。

 私の必殺の突きを躱したのは、確かに凄いと思うけど……その後も何度か手合わせして、その度に軽くあしらわれたけど、やっぱりなんだか、釈然としない。

 

 ――何だろう?


 確かに、立ち向かう度に、簡単に倒されてしまう。それでも、実力で負けたような気がしないのだ。上手く言えないけど、何か詐欺にあったような気がしてならない。

 だから、皆は騙されてるんじゃないかしらと思ってしまう。

 そのリュウイチが、サンタール家で働きだして――全然働こうとしない怠け者だけど。何故、皆が怒らないのか、不思議。ルーク様が病気の時も、だらだらと。サラさまは、何かお願いしていたようだけど、結局は、なんの役にも立たず、司祭様の法力で快癒されたのだ。

 だのに、お姉ちゃんは、そんなぐうたらなリュウイチを、嬉しそうに世話をやいている。それを見かける度に、また私の胸の中がもやもやとしてくる。そんなに悪い人だとは思わないけど、やっぱり、皆の態度を見るにつけ、私はなんだか複雑な気分に包まれるのだ。

 とにかく、そのリュウイチが働き出して、まだ間もないというのに、今度は商人に成ると言う。サンタール家に雇われるだけでも大したことなのに、拾われた恩を返すこともなく。だのにまた、皆は彼を応援する。今度は、ケイン様まで。本当に訳が分からない。

 そんな訳で、私も一緒に商業ギルドに向かうことになった。なんだか、ギルドの手続きができる人が必要だとの話だった。師匠は分かるけど、リュウイチは駄目でしょ。本来は、エルフの方に代わって煩雑な手続きを行うためのヒューマンでしょうに。しかも、商人になるための手続きなのに、その本人ができないとか、商人としてのこの先が思いやられるわね。

 

 そんな事を考えながら向かっていたのだけど、そこで、私は思いがけない衝撃的な出来事に出くわしたのだ。


 ギルド内では、何か揉めていた。そこに現れたのが、サンタール家と並ぶモルガン家の獣人頭。

 その熊人の男を見た瞬間、おこりのように全身が震えだし、体を支える事さえできなくなった。その時、私の脳裏にフラッシュバックとなって、封印していた記憶が断片的に蘇ったからだ。

 それは……。


 顔の無い男女、お父さんとお母さんと手を繋ぎ、楽しそうに歩く私。でも、次の瞬間、顔の無いお父さんが、何かを必死に叫んだ。そして、私の記憶はそこから、どろどろとした真っ赤なものに塗り潰された。その後に現れたのが、頬に傷のある熊人の男の顔。陰の隠った含み笑いを響かせ、私に手を伸ばしてくる。


 ――怖い、怖い、お父さん、お母さん……誰か、私を助けて!


 私の全てが、恐怖一色に染まっていく。誰かぁ……。

 


 そこで、私は夢から覚めた。

 全身がびっしょりと冷や汗で濡れて、ドクドクと動悸が激しい。夢と分かってからも、胸の鼓動は激しく上下を繰り返す。未だに、恐怖に包まれたままなのだ。自然と周りを見渡し、お姉ちゃんの姿を探してしまう。けど、探すまでもなく、お姉ちゃんはすぐ側にいた。

 ここは、私とお姉ちゃんが寝起きする離れの部屋。そこにあるベッドに、私は寝かされていた。お姉ちゃんはすぐ横、同じベッドに腰掛け、私の体に手を伸ばしていたのだ。

 でもお姉ちゃんは、魂が抜けたように、無表情で宙を見つめていた。伸ばした手は、私の体を撫で擦り、同じ動作を繰り返す。それは、いままで見たこともない様子。まるで、一切の感情が抜け落ちた暗いお姉ちゃんの姿に、衝撃を受け恐怖すら感じてしまう。


「……お姉ちゃん?」


「あ、気がついたの、カイナ」


 私の声に、ハッとして此方を振り向くお姉ちゃん。そこには、穏和で優しげに微笑む、いつもの表情があった。すぐに、「良かったぁ、心配したのよ」とほっとした様子で私を抱きしめてくれる。けど、少し陰を感じてしまうのは、さっきのお姉ちゃんの姿を見たからだろうか。


「タンガおじさんから、全ては聞いたわよ。でも、もう大丈夫。カイナにはお姉ちゃんがついているから」


 お姉ちゃんの……いえ、姉カリナの、あのような姿はもう二度と見たくない。いつものように穏やかな太陽みたいに、朗らかに笑っていてもらいたい。だから……。


 あの熊人族の男の顔は覚えているのに……何故か、私はお父さんやお母さんの顔を思い出せない。そのことが悔しい。だから……。


 師匠のタンガおじさんが、昔からよく言っていた。いつか将来、私は心の奥に封印している恐怖と向き合う時が来ると。それに負けないために、私を鍛えていると。だから……。


 私は負けない。

 未だにまとわり付く恐怖を振り払い、私はベッドから起き上がる。


「カイナ?」


 驚いた表情を浮かべる姉に、私は宣言する。


「対決するわ!」


「えっ……カイナ?」


「だから、あの熊人の男と対決するのよ! お父さんとお母さんの仇をきっと……」


 私の宣言に、姉が固まった。その後、顔を歪めて何か言いかけ口を開くけど、すぐにまた閉じる。

 悩ましげな表情でまぶたを閉じ、何やら考えている姉。でも、しばらくして目を開けると、何かを吹っ切ったようにすっきりとした表情を浮かべた。


「……そう、分かったわ。それなら私も、明日から早朝の訓練に参加することにするわね」


 それが、私の姉カリナの答えだった。

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