◇臥竜、時を得て天に登るというけれど。
出港する朝、サンタール家の屋敷前には見送る人が列をなした。
意外と、俺って人気があったんだな。予想外の人数にちょっとびっくり。
サンタール家からはタンガ、それにカリナとカイナの姉妹が俺に付いて来ることになった。それ以外にも人数を出そうとしてくれたが、丁重にお断りした。何かサンタール家の人が沢山くるとね、なんだか自分の仕事じゃなくなるような気がするから。
「私も行きたかった……」
サラが周りの目を気にしながら、恨めしそうに小声で話しかけてくる。
「それは駄目に決まってるだろ。今回のモルダ島行きは、ピメントを仕入れにといっても、海賊達が待ち構えてる中での強行だから。それに船旅といっても、往復で12日程度の短いもの。すぐに帰ってくるさ」
サラも付いて来ようとしたが、父親のケインを始め、一族の者から猛反対された。
大祓の儀式の時も周囲の反対を押しきり、『不浄の森』と呼ばれる禁足地に強引に向かったのだ。そこで、あわやの危ない目にもあっている。だから、今回は許される事はなかった。
「ヒューマン、無事に帰って来いよ」
「当たり前だ。俺が海賊なんかに殺られる訳ないだろ。反対に退治してきてやるよ」
俺が軽口で答えると、サラは僅かに微笑む。
とはいっても、俺もちょっと心配だけど。まあ、俺にはスキルがあるし、大丈夫だろう。それに、いざとなったらまた魔石を使うさ。
あのコロビ魔族だったバーリントンから転がり出た魔石は、未だタンガに預けたままだった。さすがに、あの耐え難い痛みを味あうのには、二の足を踏んでしまう。コロビ魔族とはいえ、魔族は魔族。下手したら、マーダートレントより魔素が多い可能性もある。そうなると、あれ以上の激痛になる可能性も高い。それはどうにも、耐えられる自信がなかった。
それに、この世界はゲームに似ているといっても、現実の異世界。過剰な魔素の接収が、体にどのような影響を与えるかも知れたものではない。元いた世界でも、病を癒すはずの薬などの過剰接収によって、体に悪影響を及ぼすこともあったのだ。場合によっては中毒症状や、或いは下手をすると死に至ることも有るほどだった。だから今の俺では、魔族系の魔石には手を出しかねていた。
まぁ、いざとなったら、使うのに躊躇う積もりはないけど。
とりあえず今は、のっぴきならない状態に追い詰められた時の切り札にと、取って置いてあるのだ。
そんな事を考えていると、今日は珍しく、父親エルフのケインも声を掛けてくる。
「おいヒューマン、これを持って行け」
相変わらずの苦々しい顔付きだが、その手には華美な装飾をされたサーベルが握られていた。
――あれ、これって……。
そのサーベルは、サンタール家の家宝とかいわれていた剣。確か一度、あの禁足地でのマーダートレントとの戦いの時に、サラから借り受けた覚えがある。
「良いのですか、貰っても?」
「馬鹿め! 貸すだけだ。それがあれば、サンタール家の者だとすぐ分かる。何かあった時には、それを見せよ」
――あぁ、何だよ。
くれるのじゃなく、貸すだけかよ。意外とけちだな父親エルフ。まあ、家宝とか言ってたから当たり前か。それによく見ると、以前は気付かなかったが、柄頭には家紋らしきものまで刻まれている。
「すまないな、ヒューマン。父上は目下の者に……特にヒューマンに礼を言うのに慣れていないから。そいつは無期限での貸し出しだ」
――えっ、それって……。
傍らから口添えするサラの言葉に驚き、俺は慌てて父親エルフの顔を窺う。だが、父親エルフは苦々しい顔のまま、黙って頷くだけ。
何だよ、ツンデレかぁ。おっさんのツンデレとか、気持ち悪いだけだぞ。
そんなことを思っていると、代わりに、サラがまた答えてくれた。
「気にするな、数ある家宝のひとつだ。まあ、それだけ我がサンタール家は、お前に恩を感じてるということだ」
母親エルフがにこにことする横で、父親エルフが黙って頷いていた。
「……それじゃあ、ありがたく頂きます」
さっきは、けちだと思ってすいません。
心の中で謝りつつ、恭しく受け取った。
そして、父親エルフのケインが重々しく、また口を開く。
「その剣を授けたからには、必ず帰ってくるように。分かったな」
「はっ、必ずや……」
つられて、思わず重々しく返事したけど、何か大袈裟だよな。
これだとまるで、戦場にでも赴くみたいだよ。
周りを見ると、さっきまで緊張した顔で立っていたカリナ達姉妹が、別れを惜しむかのようにヒューマン達と抱き合っていた。
いや、それだけ今回の航海は危険だということ。俺は改めて、気を引き締めた。
そして、俺達はサンタール家の人々に見送られて、馬車で港へと向かう。馬車の中には俺を含めて、四人。これからの航海が不安なのか、皆は押し黙っている。
しかし、走り始めて暫くすると……。
「へへ、何だかわくわくするわね。実は私、グラナダの外に出るのは初めて」
さっそく、カイナがお転婆振りを発揮する。何が楽しいのか、窓から身を乗り出すようにして、街並みを眺めている。
初めてといっても、ここはまだグラナダの街中だぞ。カイナには見慣れてるだろうに、何が楽しいのかね。
「カイナ、はしたないわよ。……でも、カイナと一緒に何処かに行くのは初めてね」
さっきまで、強張った顔をしていたカリナも、微かに微笑んでいた。
「そうだな、お前達はずっと苦労してきた。少しでも、姉妹一緒に旅を楽しめば良いだろう」
タンガはしんみりと、二人に声を掛けていたが、最後には豪快に笑いだしていた。
「海賊の事は心配する必要はない。俺が付いている。お前らには指一本触れさせん」
タンガの言葉に、二人が嬉しそうに笑っていた。
俺も二人に向かって力強く頷き同調する。
「そうだぞ。俺もいるから、大丈夫。心配するな」
タンガはまだしも、最初はカリナ達姉妹はどうしようかと思っていた。今回の航海には、かなりの危険が伴う。しかし、残していくと、アカカブトの件があるので、どうにも気になって仕方がない。俺には関係無いと切って捨てても良いのだが、この世界に来て初めて仲良くなった人達。知らん顔をすることなど出来なかった。
それに、この三人といると俺が楽しいからなぁ。などと、思っていると……。
「リュウイチは、いまいち信用できないわね。本当に、皆がいうほど強いのかしら」
カイナがまた疑わしそうに見詰めてくる。
お前はぁ、せっかく気持ちが盛り上がってたのに。大体、何度もお前と立ち合ってるだろ。それで、何を疑う。
「カイナ、失礼ですよ。リュウイチ様は選ばれた人なのです。きっとこの先、世界を変えるような偉業を成し遂げる方なのです」
カリナが、きらきらと瞳を輝かして俺を見詰めてくる。
いやいや、それは幾らなんでも言い過ぎですよ。それに、その瞳が眩しいです。
「うぅん、私にはそうは見えないけど。何かいつも、ずるしてるように感じるのよねぇ」
そう言われると、身も蓋もない。カイナ、お前は中々鋭いよな。確かに、スキルはずるみたいなものなので、はっきりと指摘されると、俺も辛いです。
「ガッハハハ。ヒューマン、お前もカイナにかかったら形無しだな」
タンガが俺の肩をばしばしと叩いてくる。
痛いって、いつもいつもこの脳筋馬鹿は、まったく。
――本当に、こいつらと一緒で大丈夫かぁ。
俺達が馬車の中でわいわいと騒いでいると、いつの間にか、馬車は港へと到着していた。
「タンガ様、何やら騒ぎのようですが……」
御者をしていたヒューマンの男性が、馬車の中に声を掛けてくる。
馬車から降りると、ギルドの分所前でカレリン達が、獣人の警備兵達相手に何やら揉めているのが見えた。
「どうした、何かあったのか?」
「おっ、やっと来たか」
俺の声に気付いたカレリンが、こちらを向き、ほっとした様子を見せる。
「ほれ、こちらがいま話していた、この商船の船主様だ」
そのカレリンの言葉に、今度は警備兵達がこちらに鋭い視線を向けてくる。だが、側にいるタンガに気付いて眉を潜めた。
「お前達が、この船の持ち主か」
相手は獣人。ここは、タンガに任した方が良いか。
俺はタンガに顔を向けると、それを察したタンガが前に出た。
「あぁ、そうだが……何か問題でもあるのか」
「ふむ、今日の出航は差し止めだ」
「えっ、何故!」
驚いて、思わず声が出てしまったよ。
「なんだ、お前は」
「えぇと、俺が正式なこの船の持ち主です」
俺の答えに、途端に獣人の警備兵は鼻を鳴らすと、侮蔑したような視線を向けてくる。
「ふん、ヒューマンの商人か」
――こいつら人を見下しやがって。
その態度にむっとなるが、ここで騒ぎを起こしても仕方ないので、大人しく頭を下げる。
「はい。それで、いかなる理由で出航は駄目なのでしょうか」
「お前らヒューマンは知る必要がない!」
こいつらぁ……せっかくの初出航にけちをつけやがって、段々腹が立ってきたぞ。
しかし、直ぐにタンガがずいっと前に出てくれた。
「おい、理由ぐらいちゃんと説明しろ」
「……ちっ、仕方ない。今日、海賊討伐に我が国の戦闘艦が港を出る。その成果がでるまで、当分の間は外洋に出るのは禁止だ」
「そんな話は聞いていない。どっからの命令だ!」
「ん?」
タンガの少し刺の含んだ声に、警備兵達が怪訝な顔をする。
「俺達はサンタール家の者だ。さっさと答えろ!」
タンガがサンタール家の名を持ち出すと、途端に警備兵達は顔色を変えた。
「はっ。命令はモルガン家のゴドワ様から……外洋への出航は全て止めろと」
またしても……いく先々でモルガン家が。まるで、俺達の先回りしてるみたいに感じるのは気のせいか?
「ちっ、モルガン家当主自らの命令かぁ……」
「はぁ、ですから……あなた方も出航させる訳には……」
タンガが困ったように眉根を寄せ、「ふむ」と唸り、空を見上げる。が、ふと何かに気付いたのか、その顔を輝かせ、俺に向けてきた。
「おい、ヒューマン。あの剣を」
あっ、そうか。サンタール家の家紋入りの剣があった。
俺は慌てて、馬車からサンタール家の家宝のサーベルを持ってくる。
父親エルフのケインから借り受けた剣の柄頭には、青々とした樹木の左右に白と黒の盾を配置した、サンタール家の家紋が刻まれている。
その家紋が良く見えるように、剣を前に差し出すと……。
「そ、それは……サ、サンタール家の……」
その家紋を見た警備兵達は、ぎょっと驚き、たちまち腰を屈め頭を下げる。
おっ、なんか気分が良いな。まるで、諸国を漫遊する、どこかの顎髭生やした爺さんみたいだ。
俺は調子に乗って、警備兵達に向かって言い放つ。
「俺達は、サンタール家から命を受け、モルダ島に向かう。いかなる者も、これを止める事は出来ない!」
「……し、しかし、それでは」
警備兵達が剣と俺達を見比べて、戸惑いおろおろとしていた。
だが、その時……。
「構わん、そいつらは行かせてやれ」
何処からか、飛んでくる聞き覚えのある声。
そう、警備兵達に声を掛けたのは、またしてもあの男。モルガン家の獣人頭アカカブトだった。
「何故、お前が……」
「はは、ヒューマン奇遇だな。俺も海賊討伐のため、モルダ島に向かう事になった」
なんだと……モルガン家の命令で戦闘艦が出ると言っていたが、こいつも一緒にか……。
後ろを振り返ると、カイナが真っ青な顔して立っている。タンガも憤怒の形相で、アカカブトを睨みつけていた。カリナはアカカブトの事が分かっていないのか、二人の豹変振りに戸惑っていた。
――ちっ、こいつから引き離したと思ったのに。
「まあ、そういう事だ。まさかと思うが、海賊なんかに殺られんなよ。お前は俺の獲物だからな。はっははは」
アカカブトはそれだけ言うと、また笑い声を残し去っていく。
その後、俺達は何の問題もなく出航できた。
だが、商船の船縁に立ち、遠くになっていくグラナダの街を見詰めながら、この先に立ち込める暗雲を、俺は感じていたのだ。