◇早起きは三文の得というけれど。
異世界の朝は早い。
ここ、サンタール家の離れに住み暮らすヒューマン達。家人でもある下男や侍女達も、陽が昇る前から起き出し動き出す。
その物音に、俺も目を覚ました。
この世界では朝陽と共に働き始め、陽が沈むと就寝する。
何とも、規律正しい生活なってしまったものだ。
日本では深夜にインスタントラーメンを食べながら、テレビの深夜放送を見たり、ゲームに現を抜かしたりしていた。しかも、それが度を過ぎ、よく会社に遅刻したりしたものだ。その頃の自堕落な暮らしをしていた俺が、今は比べようもないほど健康的な毎日を送っている。だが、この世界に来てから、それほどの日数も経っていないが、その頃のだらしない生活が妙に懐かしかったりもする。
俺は寝ぼけ眼をこすり、「うぅん」と、伸びをしてベッドから起き上がる。が、朝の肌寒さに思わず体を震わせ、ベッドの温もりの中へと、また逃げ込んだ。
――うへぇ、寒いぃ……。
あまりの空気の冷たさに、俺は二度寝を決め込む事にした。異世界に来ても、やはり二度寝は気持ちが良いものだ。規律正しい生活といっても、やっぱり俺には縁遠いものだと苦笑いを浮かべる。そのまま毛布に包まり、天井を見つめたまま、ここ最近の出来事を思い浮かべた。
あの商業ギルドでの戦いから、十日ほど過ぎていた。今も俺は、サンタール家の離れで寝起きしている。このグラナダでは、身分に関してはかなりうるさい。身分を証明できなければ、流民として処理され、たちまち拘束される。それは例え、士族である獣人といえども、流民であれば同じ扱いになるほど。身分を、或いは仕事を持たない成人は、それ自体が犯罪であり、悪とみなされるのだ。エルフを頂点に、規律正しく律された社会。それは、身分制度にも現れていた。
日本で、のほほんと暮らしていた俺には、かなり息苦しくも厳しく感じられる。が、他の国ではもっと厳しいらしく、このグラナダはまだ楽な方だとの話だ。
だから俺も、商業ギルドで登録した際、一応の身分はサンタール家の家人となっていた。
だが、家人といっても、俺にはやる事がない。サラの弟であり、このサンタール家の嫡男でもあるルークの命を救ったからだ。母親エルフは諸手を挙げて感謝の意を示したが、父親エルフは未だに信用出来ないのか、俺を見るたびに苦々しい顔を見せる。
まぁ、そういうわけで、本来は客人と迎えられても良いように思われるが、そこは俺の種族がヒューマンなので、名目状は家人ということで落ち着いていた。サラはすまなそうにしていたが、別に俺的には構わない。家人といっても、行動は自由だったから。逆に煩わしい事もなく、3食昼寝付きで1日ごろごろしてられる。寧ろ、こちらの方がありがたいぐらいだ。
ただ、暇すぎるのが唯一の難点だったりする。
そして、今回の一件は魔族柄みという事もあり、公にはされていない。ルークの快癒も、司祭達の治療のお陰となっていた。
関係者には全て口止めがなされ、詳細を知っているのはグラナダの上層部とサンタール家の一部の者達。それに、あの場にいたギルドの職員ぐらいだろう。
あの騒ぎで負傷者は多数出たが、幸いにも死者は出なかった。もっとも、やばそうな人には、俺がレア回復薬の霊薬を与えたので、大丈夫だったのだが……。
いや、死者はひとりいたな。それは、ギルド長のバーリントン。彼が起こした騒ぎであり、ルークに施していた呪詛などを鑑みても、同情する余地もないのは明らかだ。
しかし、ヒューマンの実情には考えさせられるものがある。それに、ギルド長に手を下し、死に追いやったのはこの俺。初めて人をこの手にかけた。だが、思ったほどの衝撃は無かった。相手がコロビ魔族だった事もあるかな。
――ゲームでの気分がまだ抜けきれていないのか……。
俺がベッドの中で微睡みながら色々な事を考えていると、突然、部屋の扉が荒々しく開け放たれた。
びっくりする俺の元に、まだ幼さの残る少女が走り寄って来る。
そして開口一番――
「さぁ、勝負よ!」
それはカリナの妹のカイナだった。この数日は、何かにつけ俺に絡んでくる。最初に出会った時に盗賊と勘違いされて襲い掛かられて以来、どうにもこの娘は苦手だ。
「何だよ、こんな朝早くから。それに、他人の部屋に入る時はノックぐらいしろよな。大体、男の部屋に……」
「良いから良いから、そんな事より。さあ、早く行くわよ!」
相変わらず、人の話を最後まで聞こうとしないやつ。
カイナは俺の腕を掴むと、強引にベッドから引きずり出そうとする。
「分かった分かった。分かったから……腕を離してくれ。それと、服を着替えるからあっち向いてろ」
仕方なく外出用の服に着替える。といっても、サンタール家のヒューマン達が着る、白い貫頭衣の御仕着せなのだが。
一応は俺もサンタール家の家人の扱いなので、最近はこれを着ている。このグラナダでは、ヒューマンが着る一般的な服ということなので、これを専ら着用していた。これだと、街中を歩いていても、あまり目立たないからだ。
服に腕を通しながら、不機嫌な様子をそのままに尋ねる。
「それで、何の用なんだ。俺を朝早くから起こすからには、それなりに大事な用なのだろうな」
「勝負よ! この前はお姉ちゃんに邪魔されたからね。ちゃんと決着をつけるのよ!」
「はぁ……そんな理由で俺の大事な朝の微睡みを……」
思わず、脱力しそうになった。
この馬鹿……俺の至高の時間を返せ。
「仕方ないでしょ。私にはこの時間しか、暇な時間がないんだから」
何とも自分勝手な理屈。子供っぽいといえばそれまでだが、やっぱりこの娘は苦手だ。
「カリナはこの事を知っているのか?」
「えっ、お姉ちゃん……それは……」
着替え終わって振り返ると、カイナはおどおどと挙動不審な様子だ。
さては、カリナに黙って勝手にやってきたな。お前は、どんだけ子供なんだよ……ったく。
しかし、カイナは直ぐに、キッときつい視線を向けてくる。
「別にそれぐらい良いでしょう。私達はちゃんと働いてるのに、あなたは毎日のんびりと過ごしてるのだから」
そう言われると、ぐうの音も出ない。確かに俺は、サラ達サンタール家に甘えて、ここ数日はだらだらと日々を過ごしていたよ。日本人の性なのか、働いていないなどと指摘されると、どうにも後ろ暗い気持ちになってしまう。
ため息を吐きつつ仕方ないと、渋々ながら俺はカイナの後を付いて行く事にした。
向かった先はこの敷地にある庭先。そこには何故か、タンガが腕を組み待ち構えていた。
「なんだ、タンガもいたのかよ」
俺の声に、タンガがばつの悪そうな表情を浮かべる。
「すまんな。いつも毎朝ここで、カイナに戦闘の手解きをしていたのだが。今日はカイナが、どうしてもお前と立ち合いたいと言いだしてな」
――お前か!
俺は最初に出会った時の、カイナの少女とは思えない剣風を思い出す。
それにカイナの性格も、きっとこの脳筋馬鹿に毒されてるに違いない。
「それに俺も一度、正式にお前と立ち合いたいと思っていた。だから、カイナのついでに俺とも」
タンガが肩を揺すって大笑いする。
この馬鹿は、まためんどくさい事を。
あのギルドでの騒ぎの時、タンガにも霊薬を与えその怪我を癒したのだが……もう、お前には霊薬を与えないぞ。
しかし、タンガはハンターとしては、それなりに実力を認められていたらしい。この機会に、この世界に於ける獣人達の実力を、確かめるのにちょうど良いかも知れない。
それに俺も、スキル無しでどこまで出きるか、確かめたかった。
「良いだろう。なんなら、二人一緒に掛かってきてもいいぜ」
「ほぅ、大きくでたな」
タンガはにやりと笑い目を細めると、獰猛な表情を浮かべた。
俺が煽ったお陰で、タンガも本気モードに入ったようだ。
――さてと、タンガのおっさんの本気を、見せてもらおうか。