4日目午後、ビビッド
ポカーンと心也の口が開いた。
ゆっくりと握っていた手を、真白は離していく。心也の心からの言葉を得る為に。真白の要素は、心也から1度離れなければならない。
心也はしばらくそのまま固まっていたが、突然思い出したように心也は勢い良く、半ば叫ぶように言った。
「でも、ボクの絵は。ボクは目が見えないから、ちゃんとした絵なんか描けない!描けないんだよ!」
ニッと、自身のできる最高の笑顔で、真白は言う。たとえこの笑顔が、あなたに見えなくても。最高の笑顔で、伝えたい。伝えたい事がある。
「いいよ」
「え?」
「いいの。私、今のあなたの絵がいい」
「でも」
肩にかけたままの小さなショルダーバックから、手鏡を取り出す。そしてそのまま手鏡で自分の見慣れた顔を、改めてまじまじと顔の輪郭から、目の角度に至る細部までじっくりと見ていく。
目の見えない心也の代わりに、真白の姿を彼の心に映し出す手助けをしなくてはならないのだから。
「私は丸顔。あ、でも体型は標準だし、そんなにぽっちゃりはしてないよ」
「本当にいいの?」
「今のあなたの絵がいいの。それでね、鼻は小さめで、高さはあまりない。標準的な日本人の鼻って感じ」
「……わかった」
意を決したように1度うなづくと、心也は新しい真っ白なページを開いて、絵筆を手にとった。
「あと、肌の色は。とても白い、の」
語尾が、震えた。
人に言われることはあっても、自分の口で言うことはあまり無かった。だから、この、次の言葉を言うのが、緊張する。
「私、ね。……アルビノなの」
「え、アルビノ?」
アルビノ。
他にも先天性白皮症、先天性色素欠乏症、白子症など、様々な呼称がある。メラニンの生合成に支障をきたす遺伝子疾患のことだ。
本来メラニンを有する筈の組織にメラニンが欠乏しているため、髪や肌が白くなるといった特徴がある。白いだけなら良いのだが、視力に異常があったり、紫外線に弱いといった症状が出てしまう。もちろん、それぞれ個人差はあるが。
多くの人間たちとは違うその姿は、時に崇拝され、貶され、差別され、呪術の道具にされたりと危険な目に遭うことも珍しいことでは無いのが現状だ。
「髪も真っ白。光に当たるとキラキラと輝くから、雪のような髪ってよく言われる」
言ってしまえば、もう緊張することは無かった。
心也との付き合いはとても短いが、彼の事は信頼している。きっと彼は真白がアルビノだと知っても、差別したりはしないだろう。
彼の言葉は、硝子のように透明で、綺麗だから。そう、感じるから。
「瞳は淡い朱色。光に透かすと、綺麗に赤くみえるんだよ。目全体
としては、少しつり目気味かな。眉も白くて細め」
サラリと真っ白な髪を指先でくるくると弄る。
「口の大きさは普通かな。唇は薄い紅色で、厚みは標準だと思う」
そこまで言ったところで鏡を下ろす。
顔の大体の特徴は伝えた筈だ。
「どう?イメージできてる?」
「うん。真白、とっても綺麗だね。可愛い」
思わず、頰が熱くなる。
例えイメージだとしても、褒められるとは思ってもいなかった。
嬉しい。とても。
「真白って名前のアルビノって笑っちゃうよね。白猫にシロって名前つけるみたいで。まぁ、お母さんは私が生まれる前から真白って名前にしたかったらしいけど」
心也がいくつかの絵の具をパレットに出していく。
まるでプラスチック製のパレットに、様々な色の花が咲いたようだ。
「ボクの視界は白いんだ。いつも真っ白」
スケッチブックのページに、白と黒と赤、橙を主に使用しながら真白の顔を描いていく。
「だから、いつもボクは "真白" を見ることができる」
「あはは。確かに、そうだね」
くすりと笑いながら、真白は心也の描き出すモノを優しく、どこか緊張した瞳で見つめる。
「ボクさ、怖かったんだ。絵が描けなくなって、両親に捨てられるのが」
目が見えていないので、同じところに、違う色がどんどん重なっていく。そして混ざり合い、黒に近い色が次々に紙上に出来上がる。
「私、わかってたよ。心也が、両親から捨てられるのを恐れていたこと」
だから、絵を描いてもらっている。
彼の絵が、彼を救うことができる。いや、彼の絵 "だけ" が、救うことができるのだ。
「そっか、バレてたのかぁ。でも、ありがとう。真白が絵を描いてって言ってくれたおかげで、この絵と、両親と、向き合おうと思えるようになってきた」
たくさんの色の塊が、紙の上に出来上がっていく。
「ボクあらゆるモノも、色も見えないけれど、感じることはできてるよ。想像することができる。心で、感じてる」
意味わかんないかな、そう小さく呟き、自嘲気味に笑う。
「突然そう言われてたら良くわかんなかったかもしれないけど、今は、わかるよ」
きっと心で色を見るということは、彼が2日前に言っていた質問に繋がっているのだろう。
同じ世界をみんなが見ているかという質問。そのときに彼は認識は同じでも見えているモノが同じではないかも知れないと言っていた。それはきっと、心でもモノを見ているから。
「それに、心也言ってたよ。色は、全てのモノは心で見るんだ、って」
「そうだっけ」
とても絵には見えない絵に、更に絵の具を重ねていく。
水を含んだ色が、滲み、混ざり合う。
「ねぇ真白。服の色、形は?今日はどんな服を着ているの?」
「今日の服は、膝丈のワンピース。薄い青色のベースに、赤、黄色、桃色、緑、その他カラフルな色をした星が散りばめられてるデザイン」
色が混ざり合い、殆ど黒に近い見た目になっていた塊たちに、青、黄、桃色、緑、紫とたくさんの色が乗せられていく。
心也はそのまましばらく黙々と絵を描き続け、真白はそれを静かに見守っていた。
病室のベージュ色の壁に飾られた丸い壁掛け時計だけが、一定の間隔で刻む音で、過ぎていく時の存在を告げている。
「……できた」
達成感からか、心也は絵の具がついたままの筆を真っ白のシーツの上へと置いた。
筆についた絵の具がシーツに少しづつ染み込み、柔らかな染みがふわりと広がっていく。
そのことに心也は一切気がついていないようで、出来上がった絵を丁寧にスケッチブックから切り離し、真白へと差し出した。
前回とは違い、丁度良い位置に差し出されたその絵を受け取る。
「素敵」
「そんな……無理して誉めなくていいんだよ、真白」
「私、無理なんかしてないよ。心の底から、そう思うから。口に出すの」
やはり、彼に絵を描かせたのは正しかった。とても素敵なこの絵が、それを証明してくれる。
彼に––––彩木心也には絵の才能がある、ということを。
「心也、あなたの両親を此処へ呼んで、この絵を見せて」
受け取ったばかりの絵をそっと彼の掌の上に乗せながら、言う。
心也の顔に、明らかな動揺と不安の色が浮かび上がる。
そこで、真白は笑った。
彼の不安を、全て払拭するために。
「大丈夫」
笑う。
何度でも。彼のためなら。
「大丈夫よ」
笑顔とともに口から自然と溢れ出るその言葉たちは、真白の笑顔を乗せて、心也の耳へと優しく入っていく。
見るだけが、五感の全てではない。人の気持ちなど、いくらでも伝える方法があるのだから。
「……うん。わかった」
「それじゃ、私、お母さんのところに行ってくるから」
小さく微笑みを浮かべる心也へと頷き、真白は椅子から立ち上がって病室のドアを開けた。
「きっと大丈夫」
誰に言うでもなくそう呟き、今度は母の病室のドアへと手をかけた。
と、その時。突然何者かに背後からガシッと肩を掴まれた。
「ひょえ!?」
奇妙な悲鳴を上げながら驚いて勢いよく後ろを振り向くと、そこに居たのは1人の男性。
背が高く、目に痛いほど鮮やかな青色のジャージを身に着けている。肩まで伸びた黒い髪はボサボサで、顔には無精髭が生えている。どこか疲れた顔をしたその男は、とても清潔とは言い難い見た目だ。
この男は、真白のよく知る人物だった。
「え、お父さん!?」
「よぉー、真白」
間延びした口調で返事をしながら、ボリボリと頭を掻いている。
「なんでここに?仕事してるはずじゃ……」
「あー、それがさ、俺の担当の仕事が終わったんだよね。昨日の真夜中に」
真白の父の職業は、研究者。主に地球環境についての研究をおこなっていて、普段は研究所に入り浸っているのだ。
研究所は真白の家から遠いため、めったに家に帰ってくることが無い人で、最後に家に帰ってきたのは2年前。
「仕事って、今回は何の仕事?ここ2年くらい、お母さんが入院して大変だったっていうのに……」
思わず心の中に溜め込んでいた父への思いが溢れ出る。
毎朝1人で迎える朝は、とても冷たかった。
「わりぃ。でも、今回は許して欲しいなー」
「嫌。家を放っておくお父さんの言うことなんて聞きたくない」
真白は言いながらプイっと顔を背けた。
しかし真白の父は全く気にする様子も見せずに話続ける。
「今回の研究、"消えた色について" なんだ」
「え」
「あ、悪いけど原因は秘密な。企業秘密、企業秘密ぅー」
おちゃらけた様子でそう言う父の態度に、逆に真白はスッと落ち着きを取り戻した。
父は昔からこういう人だった。素直に謝るのが苦手で、いつも自分より他人のために動いている。そしてそれを誤魔化す時、決まっておちゃらけるのだ。
「はいはい。わかったよ、"今回は" 許してあげるわ」
家に帰って来なかったのは、お母さんのためにも一刻でも早く世界に色を取り戻すためだったと、はじめから言えばよかったのに。
「いぇーい!真白ちゃんサイコー!」
「おだてはいらない。さっさとお母さんとこ行くよ。お見舞いに来たんでしょ?」
待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべながら、ばさりと重い音を立てて背後から取り出したのは、大きな花束。
しかも、着ている真っ青なジャージに負けず劣らず鮮やかな花ばかり。とてもお見舞いの花束とは言えない、パーティー用であろう花束。
カラフルを通り越し、ビビッドなそれらの色に混じって、様々な、けれども優しい香りが廊下いっぱいに漂っていく。
「まったく、そんな花束持ってきて」
「いーじゃん、いーじゃん。だって今日はカラフルにしたいからね!」
顔を見合わせてニッと笑い合いながら、真白と真白の父は、お母さんの病室の扉を開けた。