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2日目、セピア

「あっつー」


 真白は昨日とそう変わらない炎天下のもと、昨日と同じ道を歩いていた。


 相変わらずの蝉の大合唱と暑さで、脳みそが沸騰しそうだ。


 日焼け防止の為に着ている長袖のシャツの胸元をパタパタと動かし、扇ぐ。僅かに発される微風が、柔軟剤の甘い香りを纏いながら、突然の熱風に掻き消される。


 結局昨日はあの後、隣の病室に入り、母と他愛無い話をして帰路についた。


 そして今日は、昨日母から聞いた足りないモノを持って病院へと向かっているわけで。正直、靴下一式の為だけに炎天下の中この坂を登らないといけないのかと思うと、腹が立ってくる。

 普段の真白なら、歩きながら汗とともにブツブツ文句を垂れ流すところだが、今日は割と気分が落ち着いていた。


 落ち着いているというよりは、他の考えに支配されかけているという方が正しいか。


「彼、まだ絵を描いてるのかなー」


 あの、どことなく不思議な雰囲気をもった青年は、今日もあの病室にいるのだろうか。


 真白は、無意識のうちに彼のことを考えていた。
















 真白の為に開いていく自動ドアを無感動に見つめ、開ききったところを病院内へと入る。


 うだるような暑さの外から、病院内まで、淡々と歩いてきたが、本当に暑かった。


 受付に行くと、昨日とは違い、薄氷のような薄蒼の白衣を着ているのであろう、白衣にしては黒色がかった色にみえる白衣を着た男性看護師が、真白へと爽やかな笑みを向けた。


 名前を書き、承認を待ち、階段を上る。単純な作業。


 病院玄関から2階に到着するまでの間で、薄っすらと汗の引いてきた首筋を擦りながら、真白は母の病室の前に立った。


 扉に手をかけて、ふと、左隣の扉を見る。その扉のさらに左横には、銀色に光るアルミ枠の中に入った、プラスチックの薄いプレート。202号室と書かれた下に、彩木心也の文字。


 ちょっと、寄り道するぐらい良いだろう、なんて思いながら左隣の扉の前にそっと移動する。


 僅かに緊張感を感じながら、真白は金属製の扉に触れた。


 金属でできたその扉は、冷房によって冷えたのだろう。真白は手の熱が吸収されていくような感覚を感じた。


「…………」


 意を決し、扉を開ける。

 カラカラと軽い音を立てながら扉が開いた直後、優しいテノールの声が、真白の耳に届いた。


「真白」

「え……?」


 ただ、名前を呼ばれただけ。


 だが思わず、声が出た。


 何故なら、彼。彩木心也は、自身の持つ描きかけの絵を見ながら、真白の名を口にしたから。


 こちらを1度も確認せずに、扉を開けた人物が真白だと言い当てたのだ。昨日、たまたま出会っただけなので、普通はまたここに来るとは考えない筈なのに。

 昨日のように、扉を開けたのが看護師であった可能性の方が遥かに高いにも関わらず、だ。


 なおも絵を描き続け、こちらを見ようとしない心也に、問う。


「なんで見ていないのに、私だとわかったの?」

「扉の音。扉を開ける音が、看護師よりもゆっくり聞こえてきたんだ。扉を開けるスピードが違うんだよ」


 いくらスピードが違うと言っても、看護師も真白も、もの凄く速いスピードでドアを開けているわけでもないし、遅いスピードで開けてもいない。

 スピードの差なんてたいしたものでは無いだろう。


「でも、扉の音だけでわかるなんて凄いね」

「……普通だよ」


 真白は素直に心也の耳の良さに感心しながら、心也のベッド脇に置かれた丸椅子に座る。

 長い間ここに置かれていたらしい丸椅子は、真白が座るとぎしりと小さな呻き声を上げた。


 何のためにここへ来たのか。自分でもよく分からない。


 よくわからないままに、ここへ来てしまったのだ。


 ふと、心也は白黒にしか見えない絵の具のついた筆を、パレットの上へと優しい手つきで置くと、真白の顔を見た。


 そのまま数秒、見つめられる。


「……」


「……」


 双方ともに、何も言わない。


 しかし、ふと真白は違和感を感じた。見つめられているわりには、あまり緊張しない。と、言うよりも、見つめられている感じがしないのだ。


 そんな違和感を感じつつも、顔に何かついているのかと、真白が右手を頬に当てた瞬間。


 先ほどまで心也が描いていた絵が。心也によってグイッと真白の眼前に突き出された。


「うわっ」


 顔と絵の隙間は僅か数センチ。

 あまりの近さと、突然の事態に控えめな悲鳴を上げる。


「ごめん。近かった?」


 おそるおそるといった感じで問いかけてくる心也。


 近かったなんてものじゃないと思いつつ、真白は、ははは……と乾いた笑いを返した。


 乾いた笑いを引きずりながら、丸椅子を少し後ろにずらして、絵との距離をとる。 そして眼前に差し出された絵にピントが合ったところで絵を改めて見るが、昨日の絵同様、何が描いてあるのかはさっぱりわからない。


「で、この絵は一体?」


 人の顔に突き出してきたのだ、当然、何か意味があるのだろう。


「この絵、何色に見える?」

「白黒」


 即答。一瞬たりとも、思考には使用しなかった。


 いや、そもそもこの白と黒以外の色の消えた世界で、これが何色かを問うなど、おかしな話なのである。


 答えた後もしばらく絵を見つめてみるが、やはり白黒だ。白と黒以外の色味など、一切感じられない。


 心也はゆっくりと絵を自身の膝の上に戻し、今度は先ほど置いた絵筆を真白の顔の前にくる位置まで持ち上げた。


「これ、何に見える?」

「え、」


 絵筆。そう、言おうとした。


 だけど、言葉は、喉でつかえて。出てこなかった。


 目の前にあるソレは、間違いなく、絵筆。本来は何色であるのかはわからないが、黒色に見える、着色された木で出来た円筒状の軸。やや太めの軸先にはやわらかな獣毛で出来た、ラウンド型の筆先。

 筆先に絵の具がついていること以外に、特別なところは何も見当たらない。


 だが、真白はその問いに、何か、違和感を感じていた。


「これ、何に見える?」


 重ねて、問われる。


 先程と、一文字も変わらない。同じ問いかけだった。


「……絵筆」


 やはり目の前のソレは、絵筆だ。少なくとも真白には、絵筆に見える。


 いや、そうとしか言えなかった。


「そう」


 対する心也は真白の答えにさして興味無さそうに返事をしながら、絵筆を持つ手を下ろした。


「真白、キミはみんなが同じ世界を見ていると思う?」


 また、唐突な質問。しかし、先ほどまでのよくわからない問いの流れからか、その問いすら自然な問いであるような気がした。


「この世界にいる人は、そうじゃない?」


 そもそも別の世界があるのかもわからない。わからないが、同じ世界にいるのならば、視点は違えど、見える世界は同じはず。人それぞれ、感じ方は違うかもしれないが。


「そうだね」


 世界は、そうかも知れない。心也はそう、小さな声で付け加えた。


「でもボクは、同じモノが見えているとは思わない」

「どういうこと?」

「真白が絵筆と言ったこれも、同じ絵筆という認識はあるかもしれないが、同じように見えてるとは限らないということだよ」


 真白の顔前に突き出した絵を、空いている左手に持ってぷらぷらと弄びながら、心也は言葉を続ける。


「例えば、この絵の色……とかね」

「……⁉︎」


 冷水を頭からかけられたような衝撃と冷たさに、息がつまる。


 心也は見えているのか。


「まさか、色が……」

「あ」


 真白の言葉が終わる前に、心也は突然立ち上がった。

 その反動で、ガタンと、ベットが揺れた。


 立ち上がった心也の視線の先には、時計。


「ごめん。ボク、検査があるから」


 呼ばれてたの忘れてた。そう呟きながら、心也は不自然なほどゆっくりと扉まで歩いていく。


 上手く、はぐらかされた。そう思うが、言葉は出ない。真白は突然の心也の行動により、すっかりかける言葉を見失っていた。


 ゆっくりと、心也の背中が遠ざかっていく。


 真白の思考もそれにつれて、ゆっくりと、停止していくような気がした。


 扉に辿り着いた心也。そのまま扉に手をかける。

 そこでふと、心也は動きを止めた。そして、真白を振り返る。


「色は。全てのモノは、心で見るんだ」


 その言葉にハッとして、停止しかけていた思考を、フル回転させる。

 出た答えは、1つ。だがやはり、確信は無い。


 思考だけでは、答えはわからない。


「待っ……」


 待って。


 真白の声は、途中で扉の音に遮られた。


「……」


 病室に1人、残された。


 そもそも、何故自分はこんなにも色について、彼について気にしているのか。母が色の無い世界で、弱ってしまい、弱気になっているのだろうか。それとも自分の思考まで、世界と一緒にモノクロに染まってしまったのだろうか。


 別に、誰か1人、この世界でも色が見えたところで何かが変わるわけでも無いだろう。


 ベッドの上に散らかった数枚の白黒の絵に触れ、真白もゆっくりと丸椅子から立ち上がった。


 心なしか先ほどより、少し病室内の温度が下がっているような気がする。


「私も、お母さんの所に行かなきゃ」


 思い出したようにそう呟きながら、真白は廊下へと続く扉を開けた。


 そして、彼の病室の真横、母の病室の前にて。


 ふと、思う。

 心也がこちらを振り返った時。


 心也の瞳は、真白を見ていなかった気がした。

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