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1日目、モノクロ

 10年前の今日。

 世界から、色が消えた。



 8年前の今日。

 私は、彼に出会った。



 そしてあの日、私は。

 –––– "色" を知った。
















「あっつー……」


 汗を滝のように流しながら、真白(ましろ)は女子としてあるまじきだらしのない形相で、真夏の太陽の下、坂道を登っていた。

 近くに街路樹とたくさんの家があるが、真白の歩く歩道にかかる影はこの時間帯、真白を優しく太陽から守るなんてことはしてくれない。


 今朝見たテレビ番組の爽やかな笑顔の可愛いお姉さんによれば、今日の最高気温は30℃を優に超えるらしい。

 今が何度かなど考えたくも無いが、太陽ギラギラ、湿気も物凄い今の状況はまさに最悪。


 言葉通りの炎天下。


 太陽とかいう偉大な星の炎によって、焼かれている。

 被っている大きな麦藁帽子から、火が出そうだ。


 更に、暑いだけならまだしも今日の道中は、大音量のBGM付き。

 BGMの曲名は、その名も蝉の大合唱。


 のど自慢の彼らは、熱く、残りわずかな命を歌う。


「あづ いー」


 今日、何度目かもわからないその呟き。

 渇いた喉から出た嗄れたその言葉は、すっかり熱くなったアスファルトの上に転がり、一瞬にして空気中へと溶けていく。


 真白はふと、足を止めた。


 真白の小柄な体躯には合わない、大きな麦藁帽子の端をくいっと右手で上げ、そらを仰ぐ。


 そこには、夏特有の綿菓子のような雲と、何よりも青い色をした空が……。


 ––––広がっているわけも無く。


 そこにあるのは、モノクロの空。


「はあぁぁー……」


 真白の口から、大きなため息が盛大に漏れた。


 いや、漏れるという表現では足りない。それぐらいに、大きなため息だ。


 この世界から白と黒以外の色が消えてから、早2年。視界に映る全てが、アナログ時代よろしく、モノクロ。


 色彩感覚はとうに薄れ、服を着るときも色を考えて着ることは無くなった。


 まるで自身の瞳が白黒テレビにでもなったかのようなこの状況に、人々は初めこそあれやこれやの大騒ぎ。テレビ番組は突然消えた色についての番組で埋まり、世界中の偉い人、研究者たちが原因究明に走った。一時期、地球温暖化がどうとか言う専門家もいたが、それが原因かは定かではない。


 しかしそれも、1年も過ぎればすっかり落ち着いて。

 今ではすっかり人々はこの生活に適応している。ファッション業界など、大慌てで造形メインの服を作り始めたぐらいだ。


 色がいつの日か戻るなんて淡い希望は、色が消え1年が経つ頃には人々の中からほとんど消えていたのだ。


 色が消えたことは最初こそ問題にはなったが、今はたいして問題にはなっていない。


 しかし、今だに引きずる問題が1つ。色が無くなった世界に、適応できない人間が出てきたのだ。


 色が無い世界に慣れることができず、うまく生活できなかったり、精神をおかしくしてしまった人々。

 そういった人々のケアを医療機関の中でも精神科が担当しているのだが、精神科はもともと病床が少なく、病院に入れない人が出始めた。これは現在も深刻な社会問題として、議論されている。


 そして、真白の母もその1人。病院に入ることはできているが、精神的なダメージが大きいらしく、自分1人で生活できない状況のまま。


 しかも回復スピードは亀の歩みの如く。


 母が入院してから1年半が経つが、母の様子が変わったようには見えないというのが本音だ。


 ゆるりとした動作で空から視線を外すと、蝉の大合唱をBGMに、真白は頼りない足取りで目的の場所へと向かって行く。
















 軽い機械音と共に、目の前の扉が滑らかに左右へ開き、真白へと入り口を提示する。


 先ほど空を見上げた場所から、徒歩約20分。目的の場所はここ、病院だ。


 外とは正反対の病院内。静かで、冷房の効いた空気が汗ばみ、火照った真白の肌を冷やしていく。


 入り口からそのまま真っ直ぐに歩き、受付へ。

 桜の花びらのような、薄桃色の白衣を着ているのだろう。今の世界では、限界まで墨汁を薄めたような色にしか見えない白衣を着ている看護師のお姉さんに問う。


「あの」

「はい、何でしょうか」


 ふわりとした肩までかかる癖毛を揺らしながら、看護師はにこりと笑う。なかなかに高レベルな営業スマイルだ。


夏目朱里(なつめ あかり)の病室ってどこにあるのか教えていただきたいのですが」

「夏目朱里さん……ですね」


 ペラペラと患者名簿を捲りながら、看護師は名前を復唱した。

 紙が捲られる度、発される微風が消毒液の香りを運んでくる。


 夏目朱里とは、真白の母親だ。つい数日前までは市外の病院にいたのだが、いろいろと市内の方が楽なので転院してきたのだ。この病院は先月改装していて、病室がちょうど空いていたのが幸運だった。


 そして今日、転院してから初めてのお見舞いをしに来たという訳だ。


「夏目朱里さんは2階の203号室です……ご家族の方ですか?」

「はい」

「でしたら、こちらの用紙に氏名の記入をお願いします」


 紙と一緒に黒ボールペンを渡される。真白は渡されたボールペンで夏目真白と、氏名を記入した。そしてその紙を、看護師へと渡す。


 看護師は書き終わった紙を、スーパーのレジにあるバーコードリーダーのような機械で読み込むと、パソコンのキーを慣れた手つきでリズミカルに叩く。そして、ディスプレイの表示に満足気に頷き、真白に優しい笑顔を向けた。


「承認が完了しました。また何かありましたら、遠慮せずに仰ってください」

「ありがとうございます」


 一言お礼を述べ、真白は階段へと向かう。


 先程のやり取りは最近になって主流となったもので、筆跡、筆圧、顔から本人であるかを判断するというものだ。

 少し前まではこの方法では確実性に欠ける為、使われていなかったが、今ではすっかり主流となっている。


 そもそも病院内に患者と患者の関係者、医療関係者以外の人間を入れないようにというセキュリティ体制を取り始めたのも、ごく最近のことだ。

 これらには、科学の発展に加え、世界から色が消えたことによる精神状態の変化から、犯罪が多様化、多発していることが関係している。


 コツコツと、真白1人分の足音が階段に響く。静まり返った病院内。黙々と階段を上りきり、真白は2階に到着した。


 クーラーの効いた病院内は涼しいが、特に病室前の廊下は冷たい空気が流れているように感じる。


「えーと、203は……」


 ドアの横のプレートに書かれた部屋番号と、名前を確認する。

 真白は目的の病室と思われる、プレートの左側の病室のドアに手をかけ、左にスライドした。開く途中でノックを忘れたことに気がついたが、手は止まらず、そのままのスピードでドアは開いた。


「やっほー、お母さ……」


 真白の言葉を遮るように、テノールの声が病室に響いた。


「え……?」


 驚きを内包したその声は、聞き慣れた母の声では無い。


「あ、れ……?」


 そこに居たのは母では無く、真白と同じ17歳くらいに見える、1人の青年。


 サラサラとした、恐らく黒であろう髪。整った顔立ちの青年は、白黒の世界でもよくわかる程、病的に白い肌をしていた。


 病室のベッドに座る彼の左手には何やら絵の描かれたスケッチブックのページが、開いたまま握られている。右手には絵の具のついた筆。よく見れば、ベッドのシーツや毛布の上に、絵の具のチューブがいくつも無造作に転がっている。


 青年は何もすることの無い病室での時間を、絵を描くことに費やしているのだろう。


 色が無い世界で絵を描く。


 青年がしていることはただそれだけなのだが、真白には、それがとても不思議なことに思えた。


「あの……?」


 青年の声で、自分が青年を見つめていたことに気がつく。


「あ、えと、すみません!部屋間違えちゃったみたいで!」


 思わず青年のことをまじまじと見てしまっていたが、そんな失礼なことをしている場合では無い。


 どうやら、病室番号のプレートの右隣のドアを開けなければいけなかったらしい。さっき開けたのは左隣側のドアだ。急いで部屋を出ようと、後ろを向き、ドアに手を掛ける。


「待って」

 

 突然の制止の声に、びくりと真白の体が反応する。


「はい……?」


 綺麗なテノールの声の主を、おそるおそる振り返る。


 その瞬間、不思議なことが起きた。


 いや、起きた気がしたのだ。そうとしか思えない。


 何故なら。


 モノクロである病室にいる青年の、色が、一瞬、見えたのだから。


 イメージ通りの黒い髪に白い肌。着ている灰色の服は、絵の具でカラフルに色づいていて。


 特に瞳の色が、綺麗。で。


「宇宙の……瞳」


 無意識のうちに、口から言葉が零れ落ちた。


「……⁈」


 その言葉に青年の表情が驚きに染まるが、真白の視線は青年の瞳に釘付けで、気がつかない。


 ベースの色は、何よりも黒い、漆黒。そこに、控えめに輝く星の光のような、深い藍色、優雅な紫、凛とした薄蒼、そして優しいレモン色。いろんな色が混ざった、不思議な色。


 真白には、それが宇宙に見えた。


「色が……見えるの?」

「え?」


 青年の言葉でハッと我に帰る。


 その視界にもちろん、色は無い。世界は相変わらず、モノクロだ。


「えーと、いや。色は、見えないです……」


 弱々しいその言葉は、小さくなった語尾の端から消えていく。

 真白の頭は、先ほど見えた "気がした" 色のことでいっぱいだ。


「そうだよね。びっくりした……」


「…………」


「…………」


 呼び止められた手前、部屋から出ることができず、謎の沈黙に襲われる。


「…………」


「…………」


 そのまま、真白の体感で10分は経った頃。最初に口を開いたのは、青年だった。


「この部屋にお客さんなんて、久しぶりだったんだ」

「はぁ……」


 思わず、気の無い返事が真白の口から出る。失礼かと思い直し慌てて口を押さえるが、青年は特に気にした様子も無く、絵を描くのを再開しながら言葉を続ける。


「キミ、名前はなんて言うの?」

夏目真白(なつめ ましろ)、です。えっと……あなたの名前は?」


 病室に人が来るのは久しぶりって言ってたし、お話でもしたいのだろうなんて自分の中で勝手に答えをこじつけながら、青年の名前を聞く。単に、彼に興味を抱いたという理由もあるが。


「ボクは、彩木心也(さいき しんや)


 また沈黙がこの部屋を支配することは避けたい。が、話のネタが思いつかないため、身近なところから話題を振ってみることにしようと、真白は密かに決意した。


 もちろん、彼にとって身近そうなところから、だ。


「絵、描いてるんですか?」

「うん」


 そっと近づき、心也が描いている絵を覗き見る。


 白黒でよくわからないが……


「何が見える?」

「えっ」


 突然の問い。その問いは真白が考えていることと同じで。


 心中を見透かされたような気分だった。


 改めて考え直してみるが、キャンバスいっぱいに描かれているのは、白黒のよくわからない塊。


 よく見れば何かに……。


「えっと……」


 見えない。何にも。

 一体、なんだこの絵は。


 答えあぐねる真白の心中を知ってか知らずか、心也は言う。


「これは、ボクの心にある風景なんだ」

「へぇー」


 風景。


 心也から貰った答えを念頭に置きながら、絵をもう一度見直す。

 見直してみるが、この、白黒のよくわからない塊が景色にはどうしても見えない。無理やり何かに見えると言うならば、丘に立つ巨木、といったところか。


 芸術とは、まったくよくわからないものだ。そんな結論が真白の頭の中で出たのと同時に、心也の病室のドアが開いた。


「心也くん、そろそろ点滴を……あら?」

「あ、さっきはどうも」


 入室してきたのは看護師。真白が受付でやり取りした女性だ。


「いえ。朱里さんのお部屋は隣ですが、心也くんともお知り合いなんですか?」

「あ、えっと」


 突然の事態に対応しきれない真白に、心也が代わりに答える。


「さっき初めて会ったばかりだよ」

「そうなんですか?」


 看護師の目に、疑惑の念が映る。


 看護師の仕事は、看護はもちろん、セキュリティの維持もあるので、当然の反応だ。代わりに答えて貰ったのは有難いが、このままでは疑われ、いろいろ問い詰められることになるだろう。


「はい、そうなんです! じゃ、私は母の病室の方に行くので!」


 ドアまで素早く移動し、勢いよくドアを開け、外にでる。


「何ドキドキしてるんだろ」


 確かにこのままでは良くない状況に陥ることになっただろうが、素直に病室を間違えたと言えば良かった話なのだ。そう思いながら、母のいる隣の病室のドアを開ける。


 ふと、先程心也の病室のドアを閉める瞬間。心也が、こちらを向いていたような気がした。

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