深森
「……ゲホッ、ゲホッ」
僕はとりあえず水を喉に流し込む。
「はぁっ、……」
まだ少し苦しいけど、せきは止まった。
…重い発作は起こらないですんだ。
僕はまたベッドの上で横になる。
コンコン、と扉を叩く音がして、君が姿を現した。
「…大丈夫?」
「うん。…なんとかね」
ゆっくり扉を開いて入ってきたのは、僕の幼なじみの少女だ。
親がいない者同士、2人で協力しあって生きている。
だけど、僕には重い持病があるから、ほとんど任せっぱなしだ。
「お薬、飲んだ?」
「ついさっきのんだばかりだ。大丈夫、気にしないで」
僕は笑顔を作るが、君は少し不安そうな顔をした。
「…本当に、大丈夫?」
「うん。今はね」
「………死んじゃ、ダメだよ?」
「……。うん。」
僕はまた水を飲む。
君は、僕の隣に座った。
「そしたら私、お母さんがいなくなった時みたいに1人になっちゃう。また悲しみの森に落ちてしまう…。もう、イヤだよ。あんなの」
「しょうがないよ。その時はその時だ」
「……冗談はやめてよ」
「笑える話なんてしてないさ」
君は僕の手をギュッと握った。
……温かい。
だけど、僕はその手を放した。
リーン、ゴーン…と、この町に時間を伝える鐘が、枯れた音を頼りなく響かせる。
「そしたら、君はまた1人だ」
「…そんなこと、言わないでよ」
君の瞳から一筋の涙がこぼれ、ポタッと布団に染み込んでいった。
「…ありがとね。こんな僕のために涙をながしてくれて」
「イヤだ、イヤだよ…。私たち、ずっと一緒にいたじゃない」
「ごめんね」
「イヤだ…そんなの、絶対許さないから……」
「君が許さなくても、未来は変えられないさ」
「……私のこと、キライ?」
「うぅん。大好きだよ」
「ずっと、側にいてくれる?」
「無理だよ」
即答した僕を、君は優しくグーでなぐった。
「1人なんて、怖いよ……」
「大丈夫だよ、君なら」
僕はぎこちなくだけど、君を抱きしめた。
君はずっと、僕の胸の中で泣いていた。
僕らは2人、外の浅い森を歩いた。
たまには気分転換も必要、ということで。
だけど、僕は途中で君を見失ってしまった。
「あれ…?」
あたりを見回すが、姿はない。
…家に帰ろう。
きっとそこに行けば君ともまた会える。
僕は、歩こうと前に出そうとした足元を、見つめる。
小さな小さな、僕の足。
笑えるよ。
こんな小さな足で、君に会いに行こうなんて。
………僕の影がのびていた。
君も、こうしてうつむいてるのかな。
うつむく2人。
影は、1つ。
僕がいなくなれば君は1人だけど、君を失った僕も、1人なんだよ?
僕だって、大声をあげて泣きたいよ。
だけど、涙は全て枯れ果てていた。
もう、涙は出ない。
「……帰ろう」
僕は一歩、また一歩、歩きだす。
胸が、苦しい。
…あと何度、発作が起これば僕は死ぬのだろう。
もしかして、次に起きたときかもね。
………君は、僕に恋をした。
だけど、2人は側にいるけど、まるで生きている世界が違うようだった。
でも、僕も必死で手を伸ばしてたんだぞ。
だけど。
「…届かないなぁ。」
僕は右手で、自分の左胸を握る。
もう、君もわかってるよね?
今度は僕ら、1人で行くんだ。
重たい足を引きずりながら、僕は部屋の扉を開ける。
君の姿は、どこにもない。
………遠い、遠い、先の話だと思っていた。
だけど、そろそろ僕は1人で行くんだ。
深い深い森に、落ちていくんだ。
「うっ…………、」
僕はその場に倒れ込む。
僕はゆるゆるとまぶたを開く。
…ずっと前から僕ら、この部屋で一緒にいたよね。
病気で苦しかったけど、君がいたから僕は生きてこれた。
君のいない、この部屋が黄金色に包まれる。
僕は、君と2人でいたんだよ。この部屋に。
ずっと。
…僕は、君に何度も嘘をついてきた。
確かに、笑える話はしていなかったよ。あの時。
でもね、笑い事としてその事を吹き飛ばしてやりたかった。
僕のために涙なんて流さないでよ。
見ているこっちが苦しいじゃないか。
他にも、色々……。
…あぁ、もう嘘をつくことが疲れてきたよ。
もっと素直に生きてたらどうなってたのかな。
もっと正直に生きてたらどうなってたのかな。
そしたら君も、もっと笑っていたかな。
だけどもう、僕らは1人。
これからも、僕らは独り。
………………誰かの、泣いている声が聞こえる。
それは、森の中で反響し、何重にも重なる。
君が、泣いている。
僕を驚かせようとして、笑わせようとして秘密でキレイな花を摘んで来てくれた君。
分かってたよ。
だけど、戻ってきた部屋に僕はいないよ。
僕は、深い森に落ちた。
だから、そこにいたのは“僕”じゃない。
ただのヌケガラだ。
ごめんね。
僕があの時、まだあの部屋にいたら、君は笑ってくれたかな。
最近、君の泣き顔しか見てなかった気がする。
最後くらい、君を笑わせてやりたかったな。
森の小道に転がっている、黒く煤けている果実。
僕はそれを手に取る。
汚い。
僕の手はすぐ黒くなった。
きっと、これは僕の“心”だ。
黒くて汚い、僕の心。
これをキレイに出来るのは、君だけだ。
だけど、僕は独り。
君も、永遠に独り。
…これで、おしまい。
僕と君の小さな物語。
それだけ。
君は、ひとりでゆくんだぜ………。