◇あいつのものはおれのもの
食物部に所属する神前東はチョコレート細工でバラをつくっている真っ最中だった。幾重にも重なる花びらと葉脈だけで表現した葉を作り終え、周囲に散らばる花弁を三枚ほど作ろうとしたところで調理室のドアが勢いよく開く。
「神前はいるか」
花びらを作る手が震えたが、ギリギリ失敗しないで済んだ。顔をあげると、同級生の男が立っている。銀色の髪と白を通り越して青白い肌は色を忘れたように浮世離れしていた。炎のようにギラギラと輝く赤い目だけが、彼に鮮やかな色彩を与えている。
テオ・マクニール
いつもは世具蒼太と悪ふざけしている場面が目立つ男子生徒だが、今は真剣な顔つきをしていた。横には奈月とリックスを連れている。彼は数人の生徒の間をゆうゆうとすり抜け、誰も使っていない調理テーブルの椅子に腰を下ろした。神前が茫然としていると、彼はピジョンブラットの瞳で神前を射貫き、言う。
「ヘテロクロミアで学ランを着た、黒髪の男をみかけたやつがいないか確認しろ。左目が黒で右目がグレーだ。そういう奴の名前を知っていたら即刻教えろ」
チョコレート細工の道具を置いて、神前が声をあらげた。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ! なんなんですかいきなり!」
「直樹にはいつも従ってるだろ」
「直樹だから従ってるんですよ!」
直樹――白井直樹は、花神楽高校の1年生だ。白井祐未の弟であり、同級生の女子生徒2人と、通称『暴食トリオ』と呼ばれる情報収集同盟を組んでいる。
神前はその白井直樹のファンを自称し、彼らが構築した情報ネットワークの統括を任されていた。白井直樹、両国瑠美、リアトリス・リニの3人が所有する情報網は花神楽市全土、強いては近隣の町にまで及び、彼らに情報を提供する所謂『子飼い』の人数は花神楽市人口の約3%に該当する。すなわち約1900人。非常に凶悪な情報網であるが、故にそれを統括する神前は細心の注意を払わねばならない。膨大な数の子飼いとそれに裏付けられた情報網は、彼らの財産も同様なのだ。
故に神前は、彼ら以外の人間に従わない。
神前の拒絶を聞いて、テオは苛立ったようにテーブルを叩いた。
「貴様、俺を誰だと思っている?」
苛烈な赤が神前を射貫く。白いエプロンを身に着けていた男は、乱暴な音に肩を震わせる。テオが怒鳴った。
「俺は、お前が従う白井直樹の兄だ! いいからお前は、俺の言った通りに手を動かせ!」
神前が一瞬困った様な顔をする。テオと神前の視線が交わり、神前はすぐにため息をついて調理室のすみにおいてあったスクールバックに歩み寄った。
「……わかりました。わかりましたよ。少し待っていて下さい」
バックからスマートフォンを取りだし、静かに操作を進めていく。神前が情報網を駆使して情報収集を行っている間、奈月が苛立ったようにテオから離れた場所に座った。奈月とリックスに、部員の1人が紅茶を出している。神前が情報網を使う以上、彼らは立派な調理部の客人だ。
『暴食トリオ』にもつねに紅茶や菓子の類を出しているため、客人には必然的に彼らと似たような対応をすることになる。
奈月が紅茶をにらめっこを開始し、リックスが遠慮がちにクッキーをつまみ始めて2分ほど経った後、再び料理室のドアが乱暴に開く。
白井祐未がツァオをつれてきたのだ。
「テオ! いわれた通りにツァオつれてきたぞ!」
心なしか息が乱れている。
「この野郎うろちょろしてやがって! 走り回るより家に帰ったほうが早かったぜ!」
なにやら祐未の顔が怒っているのは、どうやら家に帰ってバイクをとってきたかららしい。バイクでツァオを探し回り、後ろに乗せて学校まで来たのだろう。予想以上の彼女に引きずられるようにしてきたツァオはそれだけで人を殺せそうな眼力でもってテオを睨みつけ
「無駄な時間だったら殺す」
と呻った。テオは紅茶を飲みながら肩を竦めてみせる。
「好きにしろ」
それからまたしばらくして、テオの友人である隆弘が扉を乱暴に開けた。
「テオ! いるか!」
195cmの巨体が声を上げる。テオは紅茶を飲みながら悠々と視線だけを扉に向けた。
「ああ。ノハはつれてきたか?」
「ああ」
隆弘の横にいたノハが静かに頷く。
「バイクの後ろ初めてのったよ。また乗りたいな」
どこかずれたノハの回答は無視して、テオはティーカップを置いた。
「適当に座ってくれ。今事情を説明する」