◇デンジャーゾーン
「あいつらは何をやってるんですかっ!」
くずはがヴァレンタインたちに視線を向け、苛立った声をあげた。彼の視線がそれたと同時に、ツァオが動いた。ナイフを持つ敵の右腕を弾き、懐に潜り込む。
くずはの目線がツァオに戻り、ナイフが空気を切り裂いた。ツァオの手の甲に痛みが走り、鮮血がコンクリートの床に放物線を描く。
くずはの口元が、不機嫌そうに歪んだ。
「どいつもこいつもジャマばかりして……!」
「日頃の行いが悪いんだろ」
ツァオは手の痛みを無視してくずはの顔面目掛けて拳を振りかざす。敵の左手が一瞬、袖の中にひっこんだのをツァオは見た。
背後からユトナの声が飛んでくる。
「そいつスタンガン持ってるぞ!」
右足だけで体重を支え、攻撃を中止したツァオがくずはから距離を取る。
敵の左手が空を切った。バチチチ、と激しいスパーク音が響く。スタンガン攻撃が空振りに終ったくずはが小さく舌打ちをした。
スタンガンを振り回した反動のまま踊るようにターンしたくずはが、右手に持っていたナイフを投げる。
顔目掛けて投げられたナイフを、ツァオが首の動きだけで軽く避けた。地面にナイフが転がって硬質な音を立てる。
くずはの右手が、ズボンのウェスト部分に素早く伸びた。
直後、風船の割れるような音が響く。
ツァオの右腕――肩のあたりに熱い痛みが走った。
「あぁっ!?」
ユトナの悲鳴が聞こえる。弾けて周囲に飛び散った鮮血が床を汚し、傷口から血が流れ出して腕を汚した。
くずはが首を傾げる。
「上手く狙いが定まりませんね」
彼の右手には、黒い拳銃が握られていた。銃口が煙を噴いている。
「テメェ、そんなもんどこで……」
ツァオが低く呻ると、くずはは首を傾げたままニッコリと笑みを浮かべて見せた。
「切り札は、最期までとっておくものでしょう?」
敵が一歩ツァオに近づく。彼は敵から距離を取るように一歩後退した。くずはが一歩進むごとにツァオが一歩さがり
「動くな」
というくずはの声とともに、ツァオの動きが止まった。
「狙いが、つけられないじゃないですか」
くずはの左手が拳銃に添えられる。ツァオは一瞬自分の後方に視線を走らせ、微かに右足を動かした。
「動くなっていったじゃないですか」
また風船の割れるような音が響き、ツァオが大きく横に動いた。弾丸が耳を掠め肌を焼く。床に手を伸ばした彼が掴んだのは――さきほどくずはが投げたナイフだった。
「黙ってやられてたまるか」
ツァオの投げたナイフがくずはの右手に刺さり、敵が拳銃を取り落とす。右肩の痛みに一瞬眉をひそめたツァオがくずはとの間合いをつめた。
くずはは咄嗟にツァオを蹴り飛ばそうとしたが、紙一重の動きで攻撃を避けたツァオが敵の顔を殴り飛ばした。
「ぐっ!?」
うめき声とともにくずはの身体が床に倒れる。仰向けになった敵の腹に靴底を乗せ、ツァオは再び敵のナイフを取り上げた。
「――お前は」
くずはがぐったりとして動かない。殴られた衝撃で気絶したようだ。あまり打たれ強いほうではないらしい。
ツァオの目が敵を見下ろし、血にまみれたナイフが光った。
「お前は、殺す」
だが、ナイフが振り下ろされるより前に、くずはとツァオのあいだに割り込んでくるものがあった。
「やっ、やめてくれっ!」
灰色がかった銀髪の男――たしか宮下と言ったはずだ。耳を負傷した男が、くずはを庇うように両手を広げ、ツァオを見る。
床に膝をついた姿は、まるで懺悔をしているようだった。
「こ、この人、加減がわからねぇだけなんだ! 今回のことは、止められなかった俺の責任だ! あんたらにはすまないと思ってる! 殺すなら俺を殺してくれ!」
ツァオの表情は変わらない。誰になにを言われても現実は変わらないのだ。彼がしたことは、ただナイフを握る手の力を、すこし強めただけだった。
「良い度胸だ。テメェも一緒に殺してやる」
ツァオが吐き捨てると、宮下がうちひしがれたような表情を浮かべる。
力を込めたツァオの腕が、上から勢いよく掴まれた。
「そのくらいにしとけ」
宮下と戦っていたはずの西野隆弘だ。宮下を逃がしたあげく自分のジャマをする男に対し、ツァオは容赦なく殺気を投げかけた。
「なんのつもりだ」
すると男が眉を顰めてツァオを睨む。
「こっちのセリフだ」
男の腕の力が強くなった。振りほどこうとしても、純粋な力比べなら筋肉量も体格も違う人間に敵うわけがない。そもそも、押さえつけられた体勢が不利だ。
いっそ蹴り飛ばしてやろうと足に力を込めると、上から怒号が降ってきた。
「テメェ、なに考えてやがる! ここでテメェが人を殺してみろ! あのチビは、お前が自分のせいで人を殺したと思うだろうが! 人の命を、ダチが手を汚した事実を、一生背負うハメになるだろうが!」
あのチビ、とはヴァレンタインのことだろう。
ツァオの視線が一瞬ヴァレンタインに向く。ノハに抱えられたヴァレンタインはぐったりとして動かない。
けれど焦点の合わない瞳が、ツァオを見ていた。
ツァオの頭上で、隆弘が呻る。
「これ以上、あの小せぇ身体になにを背負わせる気だ! 背負うならテメェ1人で背負え! 助けられなかった事実と後悔を、テメェが1人で背負うんだよっ!」
ヴァレンタインがツァオを見ている。一瞬、気絶したくずはとそれを庇う宮下に視線をやったツァオは、右手の力を緩めてナイフを取り落とす。
隆弘の腕の力が緩んだので、拘束を無理やり振りほどいた。
「……離せ……!」
すでに彼の視界には、ヴァレンタインしか映っていなかった。
◇
「誰か救急車を呼べ! 早くっ!」
テオの悲鳴に、だれかが
「もう呼びましたよ!」
と答えた。テオはひとつ頷いて、友人たちの元に走る。同時に、先程ツァオを止めた隆弘もテオ同様ノハと祐未の元に駆け寄った。
「おまえら気ぃしっかり持てよ!」
隆弘の声に、祐未とノハが頷く。テオは転がるように走り、実際なんどか躓きそうになりながらも友人の元へかけつけた。
隆弘がノハに肩を貸している。床に座り込んだ祐未の手を、テオが縋るように握った。
「い、今から救急車がくる! 2人ともすまないっ……無理をさせたっ!」
テオの声が震えている。目頭が熱くなって視界が滲んだ。彼の身体の震えを感じ取ったのか、祐未が苦笑する。
「こんなもん無理のうちに入らねぇよ。それより、上手く言ったんだから、あやまるよりも褒めて欲しいね」
テオが、泣くのを我慢した不格好な表情で顔をあげると、祐未は笑顔で
「ぶさいくー」
と言い、笑い声を上げた。
隆弘に肩を貸されたノハも笑顔で首を傾げる。
「僕も、謝るより褒めてほしいな。僕がやりたくてやったんだから、気にしないで」
ノハが隆弘に、すこし歩くように頼んだ。隆弘は苦笑した後ノハに言われた通りテオへ歩み寄り、ノハの手が、テオの銀髪をぐしゃりと撫でる。
「これ僕はじめてやったかもー」
ははは、と笑ったノハを、テオが不思議な気分で見ていると、彼は相変わらずふわふわとした笑顔のまま、口を開いた。
「友人は、僕の誇りだから、泣かないで」
隆弘がノハの顔を覗きこむようにして
「俺は」
と尋ねていた。ノハは笑顔のまま
「隆弘もだよ」
と答え、言われた隆弘が満足そうに頷いている。
祐未がテオの手を握り替えし、彼の目元を強引に拭った。
「あんたを信じるって、あたしが決めたんだ。テオ。お前は胸張ってりゃいいんだよ」
それより任務遂行を褒めろよ。
歯を見せて笑った祐未に催促され、テオはまた俯いた。
水滴がコンクリートの床に落ちて、パタパタとシミをつくる。
「……ふたりとも、よくやった……!」
救急車のサイレンが、聞こえてきた。