◇人質日和
奈月は煙が室内に充満すると同時に、着衣の乱れたユトナに向って一直線に走って行った。
「ユトナッ!」
いつも体育の授業をサボっているとは思えない動きで友人の近くにいた男を突き飛ばした奈月は、ユトナの腕を拘束する縄を解こうとその場にしゃがみ込んだ。
「さっ、サンキュー奈月!」
「怪我はない!? なんにもされてない!?」
「みんな蹴っ飛ばしてやったからな!」
歯を見せて笑うユトナに、奈月は安堵の息を吐き出した。きつく結ばれた縄に手をかけた途端、ユトナが叫ぶ。
「奈月! あぶないっ!」
奈月が咄嗟に振り向くと、先程突き飛ばした男が頭を軽く振って立ち上がったところだった。彼は奈月に目をとめると、眉を顰めて声を荒げる。
「このクソガキッ!」
ユトナが奈月を庇おうと身体を捩らせるが、奈月はそれを許さなかった。ユトナに怪我をさせたくない。友人に覆い被さるようにしてギュッと目を瞑ると、すぐ傍からガツンと痛々しい音が聞こえてきた。
しかし、同時に襲ってくるはずの痛みがくる様子もなく、不思議に思った奈月がゆるゆると目を開く。
耳元でユトナの声がする。
「テ、テオ先輩ッ!」
銀髪の男が床に倒れていた。奈月が視線を上にあげると、男が足を振り上げている。
「この野郎っ! ジャマすんじゃねぇよっ!」
だが彼は、背後に現れた195cmの大男に殴り飛ばされ、今度こそ気絶してしまった。大男――ギリシャ彫刻の様に均整のとれた体つきをした、西野隆弘が地面に伏したテオを助け起した。
「おいテオ! なんでそんな無茶しやがったんだもやしのくせにっ!」
「くっ……友人が怪我をした俺にまったく優しくない件について……!」
「怪我するために自分で突っ込んでった奴に優しくするほど心が広くねぇんだよ俺は!」
「いいから揺さぶらないでほしいでござるっ……」
殴られたせいで口の中が切れたのか、テオは青白い口の端から赤い血を垂れ流している。頭からも血がでていて、額に赤い筋ができていた。奈月はユトナを庇った状態のまま男を睨みつける。
「なっ、なんで助けた! 前の罪滅ぼしのつもりなら、僕はそんなことで許したりしないから!」
隆弘が眉を顰めたが、テオは頭の出血した箇所を押さえたまま痛みに堪えるよう顔を歪め、奈月を見る。
「い、いいからユトナの縄をとっとと解け……」
「言われなくても解くよ! お前の目的を聞いてるんだ!」
縄を解かれたユトナが、興奮した友人を宥めるように奈月の肩に手を置いた。しかしそれでもなお、奈月はテオを睨みつけている。
「答えろっ!」
テオは叫び声に堪えられなかったらしく、隆弘に肩を貸されたままふるふると首を振った。そのせいで床に赤い滴が飛び散る。
「うるさいっ! 騒ぐな余計頭が痛くなるっ!」
それから彼は乱暴に額の血を拭い、奈月を見た。自分に向けられた敵意を受け止め、低く呻る。
「もう2度とあんなことは起させないと誓った! 罪滅ぼしでも謝罪でもない、これは俺の――あの女が死んで、初めてもつことを許された、俺の、プライドだ!」
◇
ユトナが解放されて面白くないのは葛城くずはだ。彼は口をへの字に曲げて鼻を鳴らすと、祐未とノハを取り押さえている男たちに視線を向けた。
「そこの刺さっているナイフ、差し上げますからいつでもそこの2人を殺せるようにして置いて下さい」
「え、こ、これ、抜いていいのか?」
「構いません。長くはもたないかもしれませんが、スペアが2体もいますから」
「お、おう……」
男の1人が祐未の腹に刺さったナイフを引き抜く。ズルリと音がして、血と一緒に金属が引きずり出された。
「ぐっ、あぁああぁっ!」
女の口からぐぐもった悲鳴が漏れ、身体が大きく仰け反る。ノハも足に刺さったナイフを引き抜かれて微かに身体を揺らした。ぐったりとした2人の首筋に、血にまみれたナイフが突きつけられる。ノハの首筋に当たったナイフが、彼の皮膚を少しだけ傷つけ首筋に赤い線を描いた。
くずはがヴァレンタインを取り押さえる男にナイフを投げてよこした。
「これもすぐ殺せるようにしておいてください」
男がナイフを受け取り、ヴァレンタインの首筋につきつける。ツァオが歯軋りをしてくずはを睨みつけるも、くずはは気にしていないようだ。
「誰か1人でも妙な動きをしたらすぐ殺しますから、もう動かないで下さいね」
そうして、自分を睨みつけるツァオを指差す。
「特に貴方。妙な動きをしたら、この茶髪を殺しますから」
笑顔のまま首を傾げるくずはの頬には、赤い血がついている。
「未成年が1人殺したところでたかが知れてますよ。なんなら殺さないで、貴方がたが抵抗するごとに3人のうちの誰かを刻んでいっても良いですし。これだけ混乱した現場なんですから、上手く証言すれば観察処分ですむかもしれませんね? 俺の言うこと、間違ってますか?」
最期の言葉は、テオに向けられたものだった。くずはから嘲笑を向けられたテオは頭を押さえて眉を顰める。
それから、無理やり笑って見せた。
「異議なし」
くずはも、満足そうに笑みを深めた。