第1話 兄と妹 (その8)
「どうして、そう思う?」と美佐子が訊く。
お竹さんは「何でもお見通しよ!」という得意顔のまま、しばらくは黙っている。
彼女は、65歳。病院で付添婦をして生計を立てている。息子と娘がいるそうだが、美佐子は会ったことはない。このマンションにも、ひとりで引越ししてきた。
身寄りがないというのではなく、他人に迷惑を掛けずに生きていこうとするタイプのおばさんである。
そのくせ、人の面倒見は非常にいい。
美佐子も、煮物の作り方や、苦手な裁縫などを教えてもらったことが度々あった。
すこぶる元気なおばさんなのだ。
「あのねぇ。美佐ちゃんだったら、自分の兄さんのこと、名前に“さん付け”で呼ぶ?」
お竹さんは、何かを思い出すようにほぞぼそと話し始める。
「あの妹さんは、兄さんを“さん付け”で呼んだの?」
美佐子にはイメージが沸かない。
「そう、源さんが部屋を開けたとき、“忠明さん”ってね。」
お竹さんは声を潜めて言う。
「慌てたらからじゃないの?」
「慌ててるからこそ、日頃の呼び方がそのまま出るんじゃない?“兄さん!”って言うのが普通じゃない?それを“忠明さん”と呼んだんだからねぇ。」
「義理の兄妹ってことじゃないのかなぁ。」と美佐子がつぶやく。どう考えても男女の仲とは思えないのだ。
「美佐ちゃん、あんたはまだまだ若い。」とお竹さんはにっこりと笑う。
「でも、義理の兄妹ってこともあるし・・・・」と美佐子は食い下がる。
「義理の兄妹だったら、嘔吐物を手で掻き出せんよ。いくら看護師でもね。」
病院の付添婦をしているお竹さんが言うことだから、確かに説得力はある。あるのだが、美佐子には納得できない。
「向井さんは一人住まいだよね。」とお竹さん。
「そうやけど。・・・・・」美佐子は、その後の言葉が出てこないのだ。
ドアが開いたままになっている507号室の奥をお竹さんが指差す。
美佐子がその指先を見る。
「あそこに、炊事場があるやろ。それで、そこに洗物を入れた籠が置いてあるんや。」
間取りはどこも同じに作ってあるから、台所の位置は分かっている。その端においてある籠も入り口に立っている美佐子から眺められる。
「それがどうしたん?」と美佐子が訊く。
「あの籠にはな、夫婦茶碗と夫婦箸が入っとる。」
お竹さんは動かぬ証拠を突き止めた刑事のような言い方をする。
(つづく)