第1話 兄と妹 (その53)
源次郎は、預かった携帯電話を握り締めて、何やら考えている。
美佐子は、不要となったビニール袋とペーパーバッグを奥に片付けに入っている。
暫く、そのままの時が流れていく。
管理人室の時計が、ボンボンボンと3時を告げる。
美佐子が、奥から声を掛ける。
「あんた、お茶にでもしょうか?・・・・珈琲か?・・・それとも・・・・」
源次郎が窓の外を眺めたまま、それに答える。
「渋〜いお茶にしてや。」
美佐子が玉露を夫婦湯飲みに入れてきて、ひとつを源次郎の前に置いて、自分は別のテーブルのところに座り込む。
「そやけど、あの妹さん、いや、正確には妹さんやないけど、健気なとこあったで。うちな、ちょっと見直してん。」
美佐子は、部屋の中での様子を思い浮かべるように言う。
源次郎がそれに頷くようにしながら、湯飲みを持って、美佐子が居るテーブルに着く。
「そうか、お前もそない思うか?・・わしもな、あんな人が向井さんところに出入りしとったとは、ほんま思わなんだ。でも、ええ子やで。向井さんらしいわ。あんな子に慕われとったんやさかい。」
美佐子が源次郎に近づくようにしてから、やや小声になって、
「あんたが知ってるかどうか知らんけど、あの子、お泊りはしてなかったで。ほんまに、ご飯一緒に食べに来とっただけみたいや。変に勘ぐったうちが恥ずかしゅうなったわ。」
と言う。
「それは、わしも聞いたわ。そういうことだったんや、と思うたな。」
「それでな、あの子、女物の茶碗や箸とな、テーブルクロスと珈琲カップの1個だけを持って行ったわ。可愛いなあ、って思うたで。ほんまに、好きやったんやで。思い出にしたいんやろうな、向井さんのこと。最後にな、部屋の中に向かって、有難うって頭下げとった。あれって、男冥利やな。」
「そうか、そない言うたんか。ほんまの家族なんやな。あの2人は。そんな、気がするで。」
「家族なぁ。ほんまの家族って、なんやろうな?うち、よう分からんようになったわ。」
「夫婦、親子、兄弟・・・・。そういうても、それだけで家族とは言えんような世の中になっとるしな。こうして、毎日一緒に生活しとるから、わしらも夫婦ちゃうか?これが、遠くに離れておったら、そりゃ家族とか、夫婦とか言えんようになるんとちゃうか?」
「まあ、それだけで、家族じゃなくなるとは思えんけど・・・・。そやけど、あんたの言うとおりかも知れんなぁ。もう15年も前やけど、あんたが東京の支店へ行くかも知れんと言うたとき、うちは、絶対に反対やって言うたやろ。まだ、ばあちゃんがおったさかい、うちが付いて行けへんのは分かっとったんや。それで、あんたひとり行かしたら、うちはもう夫婦やないって思うたもんな。」
「あれは、わしが浮気でもすると思うてや、と思とったんやが、違うんか?」
「一緒にいたかったんや。毎日顔見たかったんや。離れて暮らすなんて、うちには考えられんかった。ただ、それだけや。」
美佐子は、少しだけ照れたような顔をする。
「そうか、ただ一緒にいたいだけ、毎日顔が見たいだけ。それが、ほんまの家族なんかもしれんなあ。」
源次郎は、向井の携帯電話を握り締めている。
「あの子な、この携帯から、自分との送受信記録と自分の電話番号、全部削除してるんや。辛かったと思うで。・・・・・でも、これでええんや。これから、またほんまの家族を見つけたらええんや。そやなぁ、美佐子。」
美佐子は、にっこり笑って、大きく何度も頷いた。
(つづく)