第1話 兄と妹 (その51)
美佐子は、ジン!と来るものを感じる。
女の気持に素直に同調できる。
「やっぱ、うちも女やわ」と美佐子は目頭を熱くした。
そして、女の肩に軽く手をやってから、マスターキーで施錠する。
掛けた後、再度ノブを引いてみる。施錠したときのいつもの癖である。
女は、そうした美佐子の作業中に聞こえる鍵の触れ合う音を、目を瞑って聞いている様だった。
美佐子が女を伴って管理人室の前まで戻ると、何やら中で源次郎の声がする。
美佐子は、嫌な予感がする。
私の勘は、よく当たる。
美佐子は、女を促して、そのまま管理人室の前を通り過ぎる。
そのとき、ちらりと管理人室の中の様子を見やる。
スーツ姿の男が何人かいて、源次郎となにやら話しているのが目に入る。
そのまま表に出て、女のバイクのところまで行く。
「どうも、向井さんとこの会社の人が来てるみたいやな。そやから、あんたはこのままこれをもってお帰りよ。」と美佐子が言う。
女は、向井のところの会社ということに一瞬身を硬くしたようだったが、
「でも、管理人さんにもご挨拶しないと・・・それに、ヘルメットが・・・。」と言う。
そうだった。女が被ってきたフルフェイスのヘルメットを預かっていたのだ。
「そうやったね。ヘルメットか。・・・・よっしゃ、取ってくるさかい、ここにおって。」
と言い残して、美佐子はその足で引き返す。
管理人室には、3人のサラリーマンらしき男と、源次郎がいた。
何やら口論となっているようである。
「それだけはできません。ご家族が来られるまでは・・・」という源次郎の声が響いている。
「しかしですね・・・」と男達は迫っているようである。
美佐子は、入るなり、「こんにちは」とその男達に会釈だけをして、
「あんた、これから、ちょいと出てくるさかい、あと、頼んます。」
と言いながら、奥においてあったヘルメットを持ち出してくる。
源次郎と目が合う。
「ほうか、気ぃつけて行きや。はよ、帰るんやで。」と源次郎が目配せをする。
美佐子は、わざとらしくドアをガ〜ンと強く閉じて、表に出て行く。
「はい、取って来たで。」と美佐子。
「はい、お世話を掛けました。有難うございます。」と女が頭を下げてヘルメットを受け取る。
ひとつだけとなったペーパーバックはしっかりと座席後部に括りつけてあって、一旦その上にヘルメットを置く。
「それで・・・・。これなんですが・・・」と、女は胸ポケットから携帯電話を取り出す。
「これは?」と美佐子が問う。
「これは、向井さんの携帯です。お返ししておかないと、とは思ったんですが、なかなか踏ん切りが付かなくて。今朝、救急車に同乗するときに、お財布に入っていた保険証を持って出たんですが、そのとき、その傍にあったので、一緒に預かりました。それから、あんなことになって、私、パニくっていたんだと思います。この携帯に管理人さんの番号が記録されていたので、これをそのまま使って電話を掛けてしまいました。後で気が付いたんですが、おかしなことになりますよね。ご本人が亡くなられてからの通話って。」
女は、困惑した顔をしている。
「これ、どうすればいいんでしょう?」と改めて訊いてくる。
「そう言われてもなぁ・・・」と問われた美佐子はさらに困惑する。
美佐子は少し考えたあと、「うちの人にだったら知恵はある」と思って、
「だったら、預かるよ。悪いようにはしない。うちの人に任せとけば、その辺、うまくやるわよ。」と提案する。
女は「はい、では、よろしくお願いいたします」と言って、その携帯を美佐子に渡す。
「ほな、気ぃつけて帰りや。今度は、あんたが事故起こさんようにな。」と美佐子が言う。
女は、フルフェイスを頭からすっぽり被って、バイクに跨ってからエンジンを駆ける。
「何かあったら、また、ここへ来てくれたらええで。」と美佐子は大きな声を出す。
フルフェイスの頭が、小さくコクリと頷く。
ブォーンという大きな音が響いてバイクが動き出す。あっという間に、通りの角を曲がって見えなくなる。
美佐子の手には、女の胸ポケットの温かさに包まれた、小さな携帯電話だけが残されていた。
その上から見える液晶画面には「14:45」と刻まれている。
(つづく)