第1話 兄と妹 (その49)
源次郎が病院に電話をしている頃、美佐子と女は507号室に居た。
美佐子は、源次郎に言われたとおり、内側からドアをロックする。
「妹さん、あんたが持って出たいものは、これに入れるといいよ。」と、美佐子は抱えてきたいくつものビニール袋と大き目のペーパーバックを小さなダイニングテーブルの上に置く。
「はい、有難うございます。使わせていただきます。」と女が素直に礼を言う。
「私が弄るわけにはいかないから、あんたが持って出たいものをここに運んでよ。そしたら、私が持ちやすいように包んであげるから。」と美佐子がやさしいことを言う。
女は、しばらくはぼんやりと部屋全体を見渡すようにしていた。そして、改めて、向井が寝ていた布団が敷いてある和室に向かう。
和室には入らないで、その入り口のところに座り込むようにして、今はもう、その体温すら残っていないであろう布団を見続けている。
「あのさ、辛いとは思うけれど、ここでただ泣いていても前には進まないよ。あんたが自分の傍に残しておきたい物だって沢山あるだろうし、逆にここにあったらこれから来る奥さん達が辛いものだってあるだろう?それをとにかくはここから持って出なくちゃ。夜になったら、もう来られなくなるよ。」
美佐子は、女の肩に両手をかけて、諭すように話す。
女としての気持は痛いほど分かっているつもりだ。この部屋には、自分では想像できないほどの思い出がこの女にはあるに違いない。
だが、そうした感傷に浸っている場合ではないことも分かっているのだ。
「さあ、やろう。」と美佐子が声を掛ける。
女が、ようやく動き始める。
茶碗、箸、湯飲、エプロン・・・と、見るからに女物だと分かるものを美佐子のところへ持ってくる。
美佐子が、それらを、ひとつひとつ、ビニール袋に入れる。割れやすいものは、新聞紙で包んでやる。
さあ、次は?・・・・と思ったが、女の動きはそこで止まる。
「一服する時間はないよ。」と美佐子が言うが、女は黙って首を横に振るだけである。
「うそ!もうないの?たった、これだけ?」美佐子は信じられないという顔をする。
「変なことを言っちゃうけれど、ごめんね。例えばさ、パジャマだとか、下着だとかは?」
美佐子は、それがあって当たり前だとの認識から言っているのだが、女はまた首を横に振る。
「歯ブラシとか、化粧品、あっ、それからリンスだとかは?」
女の反応は同じである。
「ええっ!そうなの、そうだったの?・・・・・・・・」美佐子も後の言葉が出てこない。
「じゃあ、お泊りはしてなかったのね。」それだけが精一杯である。
そうしてるうちに、女が何やら迷いながら持ってくる。
「あのう、このテーブルクロスとこの珈琲カップをひとつだけ頂きたいんですけれど、駄目ですか?」と訊いてくる。
どう見ても、特に女を想像させるものではない。
テーブルクロスも、淡い青。模様も入っていないシンプルなものである。
珈琲カップも白地にワンポイントとしてのヒマワリの模様が付いているだけである。
どちらも、そこにあっても、またなくても、違和感を感じるものではない。
「それぐらい、いいんじゃない?私が感知するところじゃないし。」
美佐子は、それらをさっさと新聞紙で包んでビニール袋に入れる。
本当に、思いのほかの少量である。ペーパーバックをいくつも準備してきたのだが、できあがったのはたった一袋だけである。
「本当に、これだけでいいんだね。まだ、時間はあるから、よく考えてみてね。」と言い残して、美佐子は和室に入ってベランダのところに向かう。
開けっ放しとなっていた扉を閉めるためである。
(つづく)