第1話 兄と妹 (その41)
向井さんに言われるがままに、キッチンの傍にある小さな食卓で、入れて頂いた珈琲を飲みました。
凄く美味しく感じました。
それは、インスタントであるとかないとかではなく、私の為に向井さんがわざわざ入れてくれたものだからだと思います。それまでに飲んだ、どこの珈琲よりも美味しく、冷えた体の中に染透るような感覚でした。
そのカップから立ち上る湯気で、私の目は涙で一杯でした。
でも、そのとき感じたんです。本当に小さな食卓だなあって。
「いつも、ここでお食事されているのですか?」と、つい訊いてしまいました。
そしたら、「そうだね。君のような素敵な人からのお誘いがなければ、ここで食べているよ。まあ、朝は珈琲だけの場合が多いけれど。」と向井さんはおっしゃっていました。
そうなんだ、夜、ここで、ひとりで・・・と思うと、自分の姿とダブってしまうんですよね。
私から見れば、大企業の部長さんっていう、とても手が届くような方ではないと思っていたのに・・・・と本当に意外な感じがしました。
「昨晩は迷惑を掛けたよね。だらしない所を見られて恥ずかしいよ。でも、本当にありがとう。」と向井さんは私なんかに頭を下げてくださいました。
こちらが恐縮しました。体調がすぐれないのに、私のわがままにお付合いくださったから、昨夜のようなことになったのに。と私は思っていました。
「今日も仕事なんだろう?寝てなくて大丈夫?」と訊かれました。
幸い、その日は夜勤でしたから、夜の8時までに行けば良かったので、「大丈夫です。夜勤からですから、これから帰ってたっぷりと寝ますから」と言いました。
それから、向井さんは「仕事の前に行かなきゃならないところがあるので」と、タクシーで私の家まで送り届けていただきました。
それからなんです。
私がわがままを言い出したのは。
こんなことを言うのはおかしいのですが、「同じ境遇」のような気がしたのです。
例え一週間に一度でもいいから、あの小さな食卓を私の作った料理で一杯にしたい。そして、向井さんと向き合って、ご飯を食べたい。
向井さんに「美味しいね」って言ってもらいたい。
私だって、誰かと笑いながら食事ぐらいしたい。
そう、思うようになったんです。
本当に、それだけなんです。
それで、あるとき、電話でそれを向井さんに提案しました。
向井さんは「あははは・・・ママゴトがしてみたくなったのかな?」とお笑いになりましたが、少し考えられてから、「いいよ。君の好きなようにしなさい。」っておっしゃったんです。
私は嬉しくなって、日勤の時は、買い物をしてから、向井さんのお部屋に行くようになったんです。
もちろん、その都度、事前に向井さんのご了解は貰っていました。
お部屋に行くと、いつも鍵は開けられていました。
そっと、中に入ると、向井さんはいつも本をお読みになっていました。
私は、そのお邪魔をしないように、出来るだけ静かにお料理を作りました。
そして、お皿に盛り付けて・・・・一緒に食べました。
そんなに高級な料理などは作れません。美味しくもないと思います。
でも、「美味しいよ。これは何ていう料理かな?」とか、「この魚は、油で揚げるより、ムニエルにした方が美味しいと思うよ」とか、とにかく、いろいろな他愛のない話をしてもらいながら食べました。
こんなに喜んでもらえるなんて、と感激でした。
こんなに料理が楽しいものだとは知りませんでした。
そのうちに、向井さんが「これ買ってきたから使いなさい」と、可愛いプリント模様がついたエプロンと、御揃いの柄の夫婦茶碗をくださいました。
「一人暮らししか念頭になかったもので、食器らしい食器も揃っていなかったから、不便を掛けたけど、適当に買ってきたから、使えそうなものがあれば使ってよ。」と大きな紙袋を指差されました。
中には、いろいろな大きさのお皿などが2枚ずつ入っていました。
それを見たとき、私は、嬉しくって泣いちゃいました。
認めてもらえた。ここへ来ることを、認めてもらえたんだ、と思いました。
(つづく)




