第1話 兄と妹 (その39)
女は、そこまでで、また涙を流し始める。
源次郎は「うん、そうなのかも知れん」とも思っている。
この小暮という女と向井忠明。確かに、普通の知り合いではない、という感覚はある。
夏祭りの夜もそうであったし、今朝の、あの顔色で飛び込んできたのもそうである。
単なる知人のレベルは超えている筈だ。
だが、それでも、「男と女」であるかと問われれば、源次郎は「?」をつけるのだ。
そのようなことを考えながら、それでも源次郎は、庭においた視線を戻さない。
それを、源次郎の「そこから先を・・・・」という言葉だと捉えて、女がまた話し始める。
それから以後のことは、本当に私の我侭から出たことなんです。
「就職先をお世話頂いたお礼の意味で・・・」とお食事に誘いました。
安物の居酒屋でしたが、向井さんは喜んでお付合いくださいました。
楽しかったです。元気付けられました。勇気をいただきました。
それで、「これからも、こうしたお時間をくださいませんか?」とお願いしました。
そしたら、「こんな詰まらない僕でよければ、いつでも・・・」とおっしゃって。
こんなに優しくて、それでいて切なくなる接し方をされた人は初めてでした。
ある冬の日、寒い日でしたが、私の初めてのボーナスが出たので、向井さんをお食事に誘ったんです。この日も、気軽に「いいよ!」っておっしゃって。
そして、少しアルコールが入った頃、向井さんの顔色が急に悪くなったんです。
私も看護師の端くれでしたし、向井さんの持病も分かっていましたから、直ぐにここまでお送りしてきたのです。
ここのお部屋にお邪魔したのは、そのときが初めてです。
そのまま、お休みになれるようにと、着替えなどをお手伝いして、常備されていたお薬もちゃんと飲んでいただいてから、私は帰るつもりでした。
「ゆっくりお休みくださいね。こんな日にお誘いして、済みませんでした。」と言いました。
そして、帰ろうと、出口のところまで行った時に気が付いたんです。
部屋の鍵を掛けて出ようにも、私はその鍵を持っていません。
お部屋に戻って、向井さんに鍵のことを確認しようとしたのですが、もう既にうつらうつら眠られているようでした。
起こして聞こうか、それとも勝手に鍵を探して、外から掛けておいて郵便受けから中へ投げ込むようにしようか、いろいろと迷いました。
でも、時折苦しそうな顔をされる向井さんを見ていると、とてもそのままおいて帰ることが出来なかったんです。
結局、私は、向井さんの傍で、朝までじっとしていたんです。
(つづく)