第1話 兄と妹 (その35)
「えっ!・・・・・・」
源次郎は、さらに頭が混乱する。
今の声は、確かに早朝に顔色を変えてやってきた、あの妹の声である。
「どうして?・・・何が、どうなってる?・・・・」
目の前にいるのは、紛れもなくあの夏の夜のライダーなのだ。
それなのに、話しているのは朝来た「妹」なのだ。
改めて、気を落ち着けて、まじまじと女の顔を見る。
源次郎に見つめられた女は、困惑するような顔を見せる。
「えっ!・・・妹さん?妹さんだよね。・・・・だとすると、あの夏祭りの夜に会ったのも、あなた?」
女が、黙って「こくり」と頷く。
「そうか、そうだったんだ。あれから、何度か向井さんと一緒のところをお見かけしたのに、まったく姿形が違ってたから、ホント気付きませんでした。・・・・そうなんですか。あの時も、あなただったんですね。・・・そりゃ、たまげた。」
言い訳ではない。あの夏の夜は、向井に紹介されて互いに一言挨拶しただけである。しかも夜道で暗かった。相手の顔がよく見える状況ではなかった。
ましてや、あまり詮索すべき間柄ではないと悟っていたから、敢えて印象にとどめなかったのかもしれない。男同士の心配りというか、そんなことを思った記憶がある。
そうこうしていると、後ろから、美佐子が出てくる。
「あんた、そんなところでいつまでウダウダ言ってるの。さっさと、入ってもらいなさいよ。」と源次郎の狼狽振りにはお構いなしである。
美佐子の言葉に押されるように、二人は管理人室の事務机の所に座る。
「本当に、いろいろと有難うございました。」と女が頭を下げる。
「いろいろと大変でしたね。・・・・・・」と源次郎が受ける。だが、その後の言葉が続かない。
どこから話すべきなのか、まったく整理ができていない。
あの夏の夜の女性ライダーは確か「小暮」とかなんとかだと、向井が紹介した。
それと同じ女性が、今度は「向井の妹」だと名乗って、やってきた。
勿論、その「妹」というは偽りであろうと思う。
そうすれば、向井とこの女性はどのような関係なのだ?
それが明確にならなければ、これからの話が前に進まなくなる。
美佐子が珈琲を入れて持ってきてくれた。小さい目のカップである。
「あんた、一服してもらったら、・・・・・ね。分かった。」と言いながら、何やら目配せをする。
そうか、ここでは、例え管理人室だとは言っても、住人が通るたびに顔が見える場所である。
美佐子が「適当なところで食事を・・・」と言った意味が、いまさらによく理解できる。
場所を改めてから、ゆっくりと話を聞こう。そうするべきだろう。と源次郎は思った。
「ここではなんですし、ちょっと、食事にでも付き合ってくださいな。人目がないところの方が、話されやすいでしょう?こちらも、いろいろとお尋ねしておかなきゃいけないこともあるんで。」
カップの珈琲を殆ど一気に飲んで、源次郎が女を誘う。
「はい。わかりました。ご配慮有難うございます。」と女が答えて、席を立つ。
「ヘルメットは預かっとくわ。」と美佐子が横から両手を出して、それを受け取る。
「ゆっくりとしてきなさいよ。まだ、時間はあるわよ。大丈夫だから・・・・。」と女の肩に手をやって送り出す。
(つづく)