第1話 兄と妹 (その33)
「吉岡です。」と電話に出る。
「・・・・・・・・・・」 相手はなかなか話し始めない。
「今日、夕刻に、仙台から奥様と娘さんが大阪に来られることになりました。え〜と、取り敢えずは病院へ行かれてから、こちらのお部屋にも寄られるとのことです。多分、大分遅くなってからだろうとは思いますが。」
源次郎は、相手が誰だか分かっていて、簡単に要件だけを一方的に話す。
この「向井の妹」と名乗る女性は、ここに来ようとしている筈。ただ、それを躊躇させる何かがある。
詳しいことを詮索するつもりはないが、少なくとも、正々堂々と向井の妻や娘と顔を合わせられる立場でないことだけははっきりと分かる。
それだけに、源次郎としては、仙台から家族が到着するまでに、その何かを解消させておく必要があるだろうと、漠然と考える。
それが故の、連絡である。
そこまでを聞いて、ようやく女が話し始める。
「これから、お伺いしたいと思います。よろしいでしょうか?」
時計を見ると、午前11時前である。
「いいですよ。どれぐらいのお時間になりますか?」と源次郎が確認する。
「20分ぐらいで行けると思います。」
「では、来られたら、管理人室においでください。お待ちいたしております。」
電話が切れると、それを待ちかねていたように美佐子が傍へ来る。
「もう20分ぐらいで来るそうだ。」と感情を入れないように源次郎は話す。
「じゃあ、そのとき一緒に部屋へ上がるわ。換気のために、ベランダ側の窓、開けたままにしてあるから。」と美佐子が言う。
美佐子は、幾つかのペーパーバッグと新聞紙の束を奥から出してくる。
「それは?」と源次郎が尋ねると、「もちろんあの妹さんに上げるの。いろいろとさ、持って帰りたいものがあるだろうしさ。」と美佐子が分かったことのように答える。
「ねぇ、向井さんの部屋に、夫婦茶碗があったのよ。きっと、彼女のやろうし、だったら、他にもいろいろとあるやろし?女にはね、女でないと分からないことがあるんやよ。」
そんなものか、と源次郎は思う。ただ、こうした人への配慮だけはしっかりとできる妻であることが、少しは嬉しい。
「そやから、私は何も言わへんし、あんたが話したりや。保証金の精算なんかの事務的なことは、仙台から来る奥さんに私が話するさかい。そんでええやろ?」
「それからなぁ・・・」と言いながら、美佐子は財布を開けて、5千円札を1枚源次郎に差し出す。
「これ、なんや?」
「あんな、もうすぐお昼や。ここで食べさせてあげてもええけど、喉通らんやろ。あんた、どっか適当なとこ連れてったりや。これは、そん時の経費や。頼んだで。」
どこまでも、気配りのできる女である。
(つづく)