第1話 兄と妹 (その32)
「あんた、電話鳴ってるで。何、ぼ〜っと、しとるんや。」
美佐子の大きな声で、源次郎はハッ!と我に帰る。
気付くと、机の上の電話が鳴っている。事務所用の電話である。
いつもは美佐子が出るのに、どうして今日は俺なんだよ、と思ったが、そうなのだ、仙台からの電話がある筈だった。
それを俺はここで待っていたのだ。
「はい、ミサコーポ、吉岡です。」と電話を取る。
掛けてきたのは、果たして仙台の向井の娘さんである。
14時40分仙台空港発の飛行機が取れたので、16時ちょっと過ぎには大阪伊丹空港に着けるとのこと。
「大阪へ着いたら、まずは父に会いたいのですが・・・。」と娘さんが言う。
源次郎も、それが順当だと思って、病院の名前と所在地を言う。相手がメモしているのを確かめるように、ゆっくりと繰り返して伝える。
「控えられましたか?」
「はい。ちゃんとメモしましたから。」
「伊丹空港からですと、そのままタクシーに乗られたら、30分ぐらいで病院まで行けると思います。病院へ行かれたら、医事課の田畑課長を訊ねてください。私のほうから、一応の話だけはしておきましたから、ちゃんとした対応をしてくれると思いますよ。」と源次郎が補足する。
「ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いいたします。あっ!それと、ですね。母も行くと申しておりますので、一緒に参ります。病院の手続きが終わりましたら、そちらの父の部屋へも参りたいと思いますが、遅くなるとご迷惑でしょうね。」
「いえ、このような事情ですから、何時でもお越しくださって結構ですよ。事前にお電話くだされば。」
正直、源次郎はそうしてあげるのがせめてもの慰めだろうと思っている。
「あのう、ご迷惑をお掛けした上に、さらにこんなことをお願いするのは身勝手で大変心苦しいのですが、そちらでの父の暮らしぶりなど、ご存知の範囲で結構ですので、お聞かせ願えないでしょうか。」
と切り出してくる。言葉を選んではいるが、明らかに「父の現状」を知らない様子である。
恐らくは、奥様の強い意志がそこにあるのだと思う。
「・・・・と申されても、ですね。私は単なるマンションの管理人ですからね。皆さんの生活されている状況というのは存じ上げないんですよ。ホント、お役に立てなくて申し訳ないのですが・・・。」
源次郎は、一応の建前論を述べておく。
確かに、相手は向井の娘さんなのではあるが、まだ会ったこともない相手に、そうそう実際の話ができる筈もない。
電話の向こうでは、少しの間考えるような間があったが、
「いえ、結構でございます。お手数をお掛けいたしました。では、お言葉に甘えまして、夜には一度寄せて頂きたいと思います。事前にまたご連絡差し上げますので。」と電話が終わる。
「あんた、ホント、女の人には優しくできるんだねぇ。」と美佐子は皮肉った言い方をする。
「だから、お前にも優しいだろう?」と源次郎が切り返す。
そこへ、今度は源次郎の携帯電話が鳴る。「向井忠明」からである。
(つづく)