第1話 兄と妹 (その31)
「でも、持病って、どこがお悪いんですか?とてもお元気そうに見えるんですが。」と源次郎が続ける。
「ええ、ちょっと糖尿病の気があるのと、血圧が少しばかり高いもので。これは、もう10年以上も付き合っているんですが、なかなか改善しませんね。医者に言わせると、贅沢病だなんてね。」
と向井は軽く笑いながら答える。
そして、
「ある大学の付属病院で診てもらってるんですが、彼女はそこの看護師さんだった人なんです。」
と付け加える。
「ん?・・・過去形か?」と源次郎は思った。
「じゃあ、わざわざ、病院まで取りに行って届けてくれているんですか?」と素直な疑問を投げる。
一瞬、向井が源次郎の顔を見た。
「ええ、まあ、そうなりますね。」と向井は言葉を濁す。
「要らんことを訊いたかな?」と源次郎は反省する。人にはいろいろとあるのだから、触らないでおくのが良いことも沢山ある。そのひとつかもしれん。
そうした思いもあって、源次郎は別の話題に切り替える。
「ところで、向井さんのご両親はお元気なんですか?」
どうでもいいようなことである。いや、そのつもりであった。
ところが、向井の答えは、
「いえ、早くに亡くなりました。私が中学のときに、交通事故でね。即死だったそうです。」
「そうですか、それは要らんことを訊きました。」
「別に構いませんよ。隠すことでもないし。それで、私は祖母の家に引き取られて大学まで行きました。祖母には迷惑を掛けたと思ってますよ。その祖母も私が就職した翌年に他界しましたが。」
「じゃあ、ご兄弟は?」
「私は一人っ子でしたから。ですから、祖母亡き後は、養子に行くことも厭わなかったんです。」
「そうですか、ご養子さんにねぇ。人には、表を見ただけでは決して分からないその人だけの歴史ってものがあるんですよね。」
源次郎は、まさにそのように思った。
今日の夜、ちょいと「夏祭り」を覗きに出ただけである。冷えたビールを近所の連中と軽く飲みたいと思っての顔出しであった。
それが、向井と床机を跨いで飲むことになって、そして、駅前の「ブルータス」へ連れて行かれて、そこでジョージとなった向井を初めて見て、帰りには、美しいライダーとの密会(?)にも出くわした。
さらには、僅かだが、向井の生い立ちまで聞かされたのである。
向井の意図がどこにあるのかなどは、もうどうでもよいと思う。ただ、今日を境に、向井という人物の存在をより身近に意識できるようになったと感じるだけである。
(つづく)